やれ悪魔だの、やれ魔王だの、人間でないなど言われているリヴァイ兵士長の精神はどれほどまで強靭なものなのか、わたしは計り知れない。同じ特別攻撃部隊である皆もそう思っているに違いない。 エレン・イェーガーを新しく隊員として迎い入れ早一ヶ月、特別、敵国を警戒や大きな戦闘がない。最近は偵察と訓練が主な活動となっている特別戦闘部隊。戦闘があれば率先して戦いに駆り出されるのだが、人数の少なさを考慮し、上が極力小さな小競り合いにもならない戦闘には出動しないように命令した。この特別戦闘部隊だけが戦闘技術が向上していくのを避けた言い訳でもあるのだろうと思った。 新人・エレンは対人格闘技術での成績はトップだったらしいが、その他は特に目立った成績はなかった。整備士でもあり情報を管理するわたしからすれば、エレンは技術があるだけの兵士と変わりない。この特別攻撃部隊ではクセがひとつやふたつある者が配属されるケースが多いし、そうなのである。しかしこればかりは兵長と相談しなければならないことであって、同時にわたしが隠したいと思う情報でもあった。今度、個人的にエレンを調べたいとも思っている。 そんなエレンを連れて食堂へ行ったわたしは、ある一人の女の子に立ちふさがれたのであった。ぎょっと目を丸くしているエレンが「ミカサ!」と立ちふさがる女の子の肩を掴む。ああ、この女の子はエレンの事が好きなのだろうか、だとか、彼女だったのかもしれない、と申し訳なく思い一歩引いた。その一歩引いた行動に、エレンはもっとぎょっとして、わたしの名前を呼ぶ。女の子を肩を押して、わたしの腕を掴んだ。 「すみませんナナシさん、こ、こいつ、その、俺と同期でっ、ナナシさんのこと知らなくて!」 もちろん、そうであろうと思った。今までこんな顔の整った子を見た事がない。ある程度、新しく入ってくる兵士やわたしよりもずっと昔からここで兵士として活躍している者達の顔を認識しているつもりだった。わたしは幸いにも記憶力がよくそれでいて器用であるから、機体を整備したり情報を管理する器用さを持っているのである。ミカサ、の名で思い出す。今期、104期生の成績トップはこのミカサ・アッカーマンだ。 「いやいや、エレンごめんね。ミカサ、あなたもごめん。エレンを連れ回してしまって。じゃあエレン、あとでトレーニングルームで会おう。二時間後だよ」 わたしに友だちのいない寂しさを実感させるいい機会を与えてくれたエレンとミカサと、その後ろにいる金髪の男の子に感謝だ。これを機にわたしも、少しは友人を作る努力をしよう。だがしかし、一人でいることには慣れている。いつもの足取りでいつものおばちゃんに声を掛けた。定食Bで。俺も定食Bでっ!その声に後ろを振り向くと、焦った表情のエレンがわたしの顔を視界に捉える。わたしは思わず止まってしまった。 「本当にすみませんナナシさん、ミカサも悪気があったわけじゃないんです」 「え? あ、あぁ……わたしは別に気にしていないからいいよ?一人で食べるのも慣れてるし……ああした目を向けられるのも大して苦でもないし……むしろ毎日向けられているから、うん。普段通りだよ」 「えっ で、でも、」 「大丈夫だよエレン。ありがとう。早く二人の所に行っておいで」 「それは 俺はナナシさんと一緒に昼飯とるって……せっかくナナシさんから誘ってくれたのに」 「でもミカサと……あの男の子はいいの?」 「言ってきました!ナナシさんと食べるって!」 「そう?ならいいんだけど……」 ミカサの噂はきいている。104期ではなく、全期合わせて逸材であると。そんなミカサとエレンの関係性、更にはあの男の子の存在。まったく面白い組み合わせであると思う。 新人であるエレンやミカサは毎日が疲労の日々であろう。その疲労の中で唯一安心できる食の時間は、なるべく誰しもが安心した時を過ごしたいだろう。兵士であるならば特にそうだ。わたしは整備士だ。兵士と比べて幾らか暇が作れるし、死の恐怖に襲われることはない。自分が決めた道だ、兵士はそんな泣きごとを言っていられないのは確かなことだが。 オルオはペトラを連れて行ってしまう。わたしの唯一の女友だちであるペトラと一緒に食事を取る事は月に二度三度あるかないか。特別攻撃部隊にはわたしとペトラしか女性がいないのだ。そのために男性と一緒に食事を取る事も少なくない。それを妬みわたしやペトラに嫌がらせをする女兵士も少なくはない。そんなペトラを見て、彼女に好意を寄せているオルオはなるべく二人でいようとする。それをペトラは鬱陶しく思っているようだが……。 朝から行方不明だったリヴァイ兵長の後ろ姿を発見した。やはりエルヴィン氏と共に食事をとっている。 「ナナシさん、出来ましたよ」 ホッとした表情のエレンはわたしの名を呼んだ。ミカサと男の子の姿が近くで見られなくなったが、これが理由であるのだろう。「うん そうね」リヴァイ兵士長の後姿を見つめる。別に喧嘩したわけでも、好きだと言われたわけでもない。ただ後姿を見て切なくなっただけだ。 定食Bを受け取り、近くの席で二人並んで定食Bに箸を向ける。エレンはロースとんかつから、わたしは漬物から食べ始めていった。 「ナナシさんはこの後一緒にトレーニングルームなんですか?」 「うーんと、成績を記録するだけなんだけど一応はね。エレンもっといいとこ見せないと成績あがらずー、だよー?」 「う、ハ、ハイ」 「実力がものをいう部隊だからね。わたし実はきみがこの部に入ってくるのに驚いたんだよ。どうして?」 「え あ いや その 別に、なんでも」 この子は感情をコントロールするのが不器用な子であるのだろう。完全になにかありそうな様子だ。それを十分に理解している様子であるし、訊き出せば、時間はかかるかもしれないがエレン・イェーガーの人物が見えてくるかもしれない。余計な探索はしないタチだ。人手が足りず近くへ偵察へ行く時も軽く見てハイ終わりのわたしがこう思うのは珍しいことなのだ。 それに、こう目が離せないのは、死んだ彼に似ていたから。 「本当に何でもないの?」 似ているのは眼だ。 「何でも、ありません」 箸を握るエレンにわたしは微笑む。「そ、まぁ 別に何でもいいんだけどさ、本当はね」軽く意識させるような声調で呟いた。安心しきったエレンだったがわたしを横目でチラチラみながら箸を進めていく。いつか訊き出せる雰囲気を、時間を掛けて作っていけばいいだけの話だ。急くこともない。 「ナナシさん」 「なに?」 「夕食も、一緒に食べませんか?」 ミカサの影がちらついたが、頷いて承諾した。嬉しそうに歯を見せて笑ったエレンが眩しい。新人というのはいつだって眩しく見えるものではあるが、彼なんか特にそう思う。わたしが感じる特別はコレが原因だろうか?まだ十五歳の男の子だ。十八であるわたしが三つ下の男の子を幼く感じるのもまた切ない感情になる要因の一つ。 トレーニングルームに集まった特別攻撃部隊の面子はそれぞれのシュミレーション室に入り、映像で戦闘を行う。それを各デスクトップに映し出され、わたしはその記録を取っていた。やはり人間離れした感覚を持つリヴァイ兵長は「さすが」の一言を送りたい。エルド、オルオ、ペトラ、グンタの四人は己の特徴を生かし、着実に討伐数のミッションを成功させている。 そしてエレン、彼は三度、機体にダメージを食らった。 「少し力んでるなぁ プレッシャー感じやすいのかな?まぁ最初は仕方ないか……」チェックを入れる。まだ一年目だ、普通であればなんてことのない成績だ。しかし、この部隊は特別攻撃部隊、なのだ。 この成績をリヴァイ兵長に見せるのは少し……躊躇ってしまう。 わたしが思ったよりも兵長は素直に結果を受け取って自室へ戻っていった。わたしもエレンも驚きながら夕食を取っている。ミカサと男の子と会うという事態は避けられた。わたしは別に良かったのだが、隣にいるエレンは気にするようで、思春期に入ったばかりの男の子を思わせる言動に笑った。恥ずかしがって「ミカサは、その、家族です」なんて言うものだから。 「あの ナナシさん」 「なに?」 「……少し、この後、時間もらえますか」 昔、彼もこんなセリフを言って、わたしに告白したなぁ。なんて思いながら、いいよと頷く。兵長の姿がチラついた。「この後暇だからさ」エレンの眼は死んだ彼にとても似ていた。 昼は定食B、夜は海鮮丼。エレンもわたしと同じメニューだ。新人だから先輩であるわたしのメニューを真似することはとてもいい事だ。真似をすることから始めるといいのだから。わたしもエレンのお財布を考慮し、なるべく安いメニューを選んでいる。 「ありがとうございます、ナナシさん」エレンは少し、悲しそうに笑んでいた。 死んでも死にきれない体で、死ぬ事を知らない体なんだと、エレンは言った。わたしはケラケラ笑ってエレンの背中を叩いて、そんな漫画のような話があるものかとからかった。そんなきみのような子が何人もいたらどうなるんだろうねと呟いて、エレンは遂に俯く。わたしはエレンの肩に手を置いて、それが話したかったことなのかと尋ねると、弱々しく頷いた。肩から手を離した。 「本当?」 思わず、そう訊いてしまって、エレンはまた同じように頷いた。 「父さんに、そう言われて、本当にそうだったんです」 「それ、わたしの他に誰か知ってる?」 「エルヴィン団長とリヴァイ兵長が知ってます」 「団長と兵長が?知ってるの?この事を?」 「二人の目の前で一度死んでいます。今も、死んでもいいです」 「え? え?え? ま、まって、死んでもいいって」 「どうせ死なないので……。痛みは感じますけど」 ベッドからゆっくりと腰を浮かせたエレンの服の裾を引っ張った。「いいよ!わたし信じるから!」そう言うとエレンは勢いよくベッドへ座りこむ。 これが、彼が特別攻撃部隊に配属された理由だったのだ。 「だから、成績は別に、些細なことというか……」 「そんなこと、ないよ」 うまい言葉が見つからない。何を言うにしても、エレンを傷つける台詞しか浮かんでこないのだ。「そんなこと、ないから」そう言うしかなかった。エレンの服の端を掴んだまま、拳を握る。夢のような話だった。まさか死なない人間など、漫画アニメ映画の、誰かが作ったおとぎ話に登場してくる人物が、この現実にいるわけが ない。 「でもそれ、とても魅力的だよね」 エレンは驚いた。そしてわたしの手に自分の手を添えた。少し、少しだけわたしの手を押し返す。 「だって死なないんだもんね」 エレンの瞳は、彼の瞳によく似ていた。 ねぇエレン、死なないってどんな気持ち? 「きみ実は兵長よりも強いんじゃない?」 「どういう事ですか」 「兵長は死んだら終わり。でもきみは、死なないんだよ?」 ねぇエレン。 わたしはエレンを抱きしめた。エレンは抵抗を見せたが、腕に力を入れるとエレンは大人しくなって、早く鼓動と早い息遣いに変わっていった。 エレンは彼によく似ていた。彼が生まれ変わったのかと思うほどに、とても似ていた。だからわたしは初めて会ったとき驚いたのだ。彼は生きていたっけ?と。本当は死んでいないで、髪型とか声を変えて海から這いずりまわって来たのか?と。 「エレン、エレン……」 彼の名を呼ぶようにエレンの名を呼ぶ。涙が止めどなく流れる。 「会いたかったよぉ」 エレン・イェーガーなど、一ヶ月前まで知らない存在だった。 わたしにエレンの腕が回る。エレンの手がわたしの後頭部に触れる。彼も同じように後頭部に手を添えて、優しく撫でたことがある。いや、毎回そうだった。エレンはわたしの体を離して、後ろから抱きしめる形をとった。 「す、すみません、思わずキスしちゃいそうになって」 「しようよ」 「ええ!?」 「しよう、キス。わたしいいよ したい」 「で、でもナナシさん……!俺、そんな、その、キスなんてした事なくて」 「でもしたくなったんだよね」 「そう………ですけど」 「しようよ エレン」 顔を上げて振り返る。顔を真っ赤にしたエレンがいた。丸く開かれた目は次第に細くなり、顔も近付いてくる。目を閉じ、腕を上げてエレンのうなじに触れた。ゆっくりとエレンの唇と触れ合う。そしてゆっくりと離れていった。 「すみません……俺、ほんと……」ぼとりと瞳が零れそうだ。 「キスだけでいい?」 エレンの瞳は本当に零れそうになる。真っ赤から真っ赤になったエレンの顔は初めてみる。彼にわたしから初めてキスをした時の顔の色にそっくりだ。表情も似ている。 「俺剥けてないんでいいです……」 「へ?」 「だっ……だから剥けてないんでいいですってば!」 わたしは腹を抱えて笑い、流れてきた涙を掬った。 「そんなのねぇ、剥けてくるんだって。それに自分で剥けばいいよ。焦ることないんだよ」 「なんでそんなに詳しいんですか」 「時間かけてちゃーんと剥くんだよ 手伝ってあげようか」 「からかわないでください!」 「からかってなんか、ないよ」 エレンは彼によく似ていた。 表情も似ているし、行動だって似ていた。ちょっと不器用なところも似ていた。 ただ違うところは声と顔と剥けてないペニスと、死なないというところ。 わたしの中でチラつく兵長とエレンを死ぬ存在と死なない存在とで天秤にかけてみた。エレンが重いようだった。わたしは別に兵長が好きとか嫌いとかそういうわけでないはずなのに。でも確かに、彼が死んだ時と今までを思えばわたしは兵長の事を好きになる要素がいくつかあったし、それに縋っていたような気もする。だがエレンが現れたことによって、また別のに縋りたくなったのかもしれない。 好きだと言えばエレンは何と言うだろう?きっとわたしの事を嫌いでも、俺もですと言う、絶対に。 「本当ですか」 きみはまだ子どもだ。まだ何もわかっていない。わかっていないんだよ。死ぬことを悲しむことを知っているか、エレン、きみは。 エレンは 彼によく似ている。 「海の化身」 |