リヴァイ | ナノ


 彼女が部屋に居る時は決まって机いっぱいに紙を広げて思いついた場所にデザインを書きこんでいく。どこをどう付けたしたら速度が上がるかだとか、このロゴを入れればかっこよくなるのではないかだとか、完全に趣味の範囲でのデザインだ。これをして上は文句をつけないからいい。文句をつけられていたなら彼女から娯楽がなくなってしまうからだ。
 やりやすいデザインとしては自分よりも三つ上のペトラの戦闘機をデザインすることだった。如何に可愛く、そしてかっこよく、スピードや操作性を兼ね揃えるかを考えるのが楽しいのだ。シャーペンの芯を出し、頬杖をついて簡単に下書きを描いていく。
 しかし、自分の整備をした機体は何度も海へ堕ちている。整備に抜かりはない、完璧だった。完璧であったのにも関わらず海に堕ちたということは操縦士の腕が機体についていけなかったか、運が無いか、それほどまでの実力を持っていなかっただろう。彼女は今あるベストを機体に注ぎ込んできた。
 今まで整備した機体に乗った兵士は二十五人、そのうち二十人は死んでいる。こんな世界だ、死んでも仕方がないだろう。それなのに自分以外の兵士や整備士は彼女を指差し「人殺し」と言う。人殺しは彼女ではなく、世界だった。

 久しぶりのシャツと短パンという姿を見る限りでは、彼女は本日仕事がないようだ。普段仕事がなくても地下倉庫にいるが今日は昼まで部屋に籠って紙と対面していた。すでに何機かデザインは考えたが、自分の部隊の兵士が乗る機体にこれを描き込んでいくのには、少し派手すぎる気がして、どれもバッテン印が付けられている。
 彼女は自分がオイル臭いということをあまり自覚していないが、昨日リヴァイと食堂へ行った時はあまりの臭さに驚いてしまった。きっと今でも地下倉庫は彼女が使ったオイルのニオイが充満しているだろう。オイルまみれの部屋も嫌いではないが、食堂や人目に付く場所で臭ってしまい気にしているということは、彼女も女性であるから少々恥ずかしさを覚えているからである。
 今日の天候は雨。今日どこかで戦闘があったなら、この天候に悩まされている兵士がたくさんいるはずだ。

 こんな日は、とても感傷的になってしまうのは、仕方のない事だろうか。
 一年と半年前、訓練学校から一緒だった恋人同士という間柄の幼馴染が居た。同じ基地の配属を希望して、運よく希望通りに配属された。しかも同じ部隊に配属された。この上ない幸せだった。
 有休をとって遠出をしてデートをしたり、幼いながらに結婚を意識した会話をしたり、機体を整備したりした。世間では小さな幸せすぎて普通と言われてしまうだろうが、兵士である彼女と彼にとったら希望の毎日だったのだ。
 そんな彼が一年の半年前に大規模の戦闘で死んだ。死とは呆気ないものだった。朝に見送り、夜に戦死したと報告を受けた。彼のいた戦場は海の上である、もちろん機体も死体も海の中に沈んでしまった。
 思い出すのは愛の言葉だとかうんぬん、そんなものではなかった。出会ってから朝までの記憶、何気ない日常の毎日、彼の笑顔、繋いだ手、今日何食べようか、昨日リヴァイ兵長機嫌悪かったよなあ、ごめんトイレ行ってくる、そんな会話ばかり。
 一年と半年前も雨が降っていたような気がする。どうだったかは、忘れている。

「(何が、いけなかったのだろうか)」
 機体の整備は、完璧だった。
 彼の腕が良くなかった。
 ただそれだけだ。
「(彼の癖を把握していたのに、整備が怠っていたのかもしれない。もう少し、右翼側を整備しておけば、きっと)」
 きっと。
 きっと わたしは悪くない。


 静まり返る部屋に明かりはついておらず、窓から射す光のみが部屋を照らしていた。シャーペンを握っている拳をゆっくりと解いて、ペンケースに転がったシャーペンと消しゴムを放り投げた。

「シケた面してんな」

 彼女は思い切り振り返り、腕を組んでいる上司を睨みつける。その顔が気に食わなかったのか、それとも視えなかったのか、不機嫌な表情になったリヴァイは鍵の空いていた扉を閉め彼女の座る机に近付いた。
 見られたくなかった彼女は広げていた紙をぐちゃぐちゃに丸め、驚くリヴァイの隙を見てその紙を破り捨てた。その紙にはリヴァイの乗る機体のデザインが描かれていたものだったのだが、納得のいくデザインが出来ない事を恥じて破り捨てたのである。
 リヴァイは資源の無駄だろうだとか掃除をしろだとか、まるで母親のように口うるさく介入してくるのを彼女は嫌っていた。ここに配属されてからそうだった。彼と一緒に居れば場を考えろだのうざったいだの目障りだの、事ある事に気に食わないことを言ってくる。一時期本当にそれで喧嘩をしたこともある。

「まさか夜這いか何かですか? あ…今昼なので、昼這い?」

 リヴァイが思い切り椅子の足を蹴った。彼女は整備士といえど兵士である。訓練学校では兵士の訓練を一通りやってきた。彼女はその中でも格闘術には非凡な才を見せていた。この時代、戦闘では戦闘機も用いるのが主流であり、地上で戦闘が起こる事は決してない。それでも格闘術を教えるには何か意味があるのだろうが、訓練兵はそんなことなど気にも留めないだろう。
 格闘術では女性ながらに上位の成績で卒業した彼女だ。その事をリヴァイも知っているから、受け身か、体を打ちつける前に足で踏ん張って転ばないようにするだろうと思った。が、彼女は呆気なく床に転がった。
 驚いたリヴァイは一歩踏み出した。目を開けて、彼女を見下ろしている。悪かった、とも言わずにただ見下ろしているだけである。

 よろよろと立ち上がった彼女は机に手を伸ばし、体重を乗せて立ち上がり転がった椅子を元の位置に戻しベッドに座った。受け身を取っていなかったらしく、打ちどころも悪かったようで歩き方が目立つ。

「用件はなんですか?」

 変わらぬ彼女の声にリヴァイはハッとした。そして手に持っていた資料を膝の上に放り投げる。

「二週間後、大規模戦闘が行われることになった。整備士は二日度の整備会議に出席してもらう」
「ああ」

 やはり雨は嫌いだ。

「知ってたのか?」
「いえ 少し 昔の事を思い出していて」

 彼女はリヴァイの顔を見ずに答えた。
 薄く開いていた口を閉じたリヴァイは、堅く唇を閉める。
 彼とリヴァイは顔馴染み、同じ部隊に居たのだからよくわかっているはずだ。彼の死に際を。同じ戦場で戦っていたのだから、おそらくきっと。しかし何があるかわからないのだ戦闘だ。陣形なんてもの、あってないようなものだろう。しかし戦闘に参加した事がない彼女にしたら、陣形は絶対で崩れないものとばかり思っている。
 彼女がリヴァイを恨んでいるか、恨んでいないかと問われれば「恨んでいない」と答えるだろう。戦闘というものがどんなにつらいものなのか彼女は知っている。

「以前の大規模戦闘の日も雨でした。今日も雨ですし、きっと二週間後も雨ですね」
「その湿気を形にしたような性格はどうにかならないのか?久しぶりに部屋にいると思ったら電気も付けずに机に向かって書きものだ。少しは外に出ろよ」

 彼との思い出を汚したくないから外に出ない。彼を思い出したくないから外に出ない。何か一つのことに没頭できるものと向き合っていたほうがいい、彼を思い出さなくて済む。

「………あいつが生きていたのなら、お前らは今頃結婚できてたろうな」

 彼女の時が止まる。
 そして一度に溢れだしてくるものは彼との思い出と、涙だった。顔を覆った彼女は嗚咽を止めようと喉に力を入れるも、体は言う事を聞いてくれない。自分を抱きしめてくれる彼は、大規模戦闘で死んでしまった。

 誰も悪くない。
 エニグマ革命で生まれてきた子どもはエニグマしか産むことができない。エニグマは永遠なのだ。歳は取るが外見も機能も衰えることはなく、ある一定で成長が止まれば、死ぬまでその格好なのがエニグマの恐ろしいところなのだ。死ぬまで兵士として生きなければならない。
 どうせ彼は死ぬとわかっていた。ずっと生きていられるほど、器用な人間でもなかった。絶対どこかで死ぬとわかっていた。

「ガキのくせに結婚結婚だの……原因はそこだろ」

 リヴァイの言葉に反抗しようとしても、彼女には到底不可能だ。リヴァイの言っていることは正しい。結婚だの現を抜かして、結果がああだ。リヴァイの言い分はもっともだ。

「くだらねぇ事ばっかりやって、言って、生きてきたからだ」




「結婚するか」


 彼女は顔を上げた。部屋は暗くなっていて、リヴァイの表情が確認できない。
 彼女は豆鉄砲を食らったような顔をしてリヴァイを見上げている。雨の音も、先程までの嗚咽も涙もすべて引っ込んでしまった。魔法のようだった。

 いつからそんな冗談が言えるようになったんですか?震える手がそう答える。


「ちなみに今は夕方だ。言うなら夕這いだったな」

 リヴァイは踵を返す。

「飯食えよ」

 扉が閉ざされ、暗い部屋には彼女一人きりとなった。隣に彼がいるような気がして、目の前にリヴァイがいるような気がして、彼女はその場から一歩も動けず、立ち上がる事すらできなかった。
 手が震えているだけかと思ったら、次は指や脚まで震えてくるのを見て、彼女は力なく笑った。

「死んでほしくない」

 ポツリと呟いた言葉を、今は誰も拾ってはくれない。


「フライ・ガーデン」
リヴァイは死んだ彼のお守りを持っています。なぜかは分からないけれどジャケットの胸ポケットの中へ、半分焼けている想い人が作ったものを捨て切れずに大事に。
元ネタ「スカイ・クロラ」