月島蛍 | ナノ


 日に日に困ってはいた。僕の彼女は特にカワイイところが見つからない普通の女子高生で、普通の体系で普通の喋り口調で、別に付き合わなくなったいいと思える、普通に勉強も出来て普通に運動も出来て、普通に生きている、普通の女子高生で。
 普通の女子高生で、でもちょっとだけロマンチストではある。

 今日も暑い日差しの下で、地獄坂と呼ばれる坂の上のガードレールに寄り掛かって彼女が坂を登るのを待っている。最近買ったCDをウォークマンに入れ、1万円近いヘッドフォンで音を聴く。昔から変わらないことを、今更彼女と歩くためにやめようとかは、どうしても思えなかった。

「あっ ケイちゃん おはよう」

 右手にタオル、左肩にスクールバッグを掛けて、彼女は坂を上って来た。


 彼女には初め、「ホタルちゃん」と呼ばれていた。付き合ってもなかなか治らず、少しだけ怒った口調でやめろと言えば彼女はすぐに「ケイちゃん」と呼んだ。彼女如きが僕の事をからかうようにホタルちゃんと呼ぶのが気に食わなかったのだが、ケイちゃんに戻った瞬間、少しだけ残念にも思えた。だから俺は彼女のことが少しだけ好きで一緒にいるのだと思う。
「おはようケイちゃん、お弁当作って来たよ」
 彼女は前日、僕にお弁当を作ってきてもいいかと尋ねてきたので、好きにすればと言うと彼女は本当に作って来た。母さんに作ってもらった弁当は、とりあえず朝食べることにした。
 バレー部の朝は早い。彼女は俺に合わせて家を出てきている。そして俺は、彼女に合わせて家を出てきている。彼女と付き合うまではもうちょっと遅く家を出れたのだが、彼女が地獄坂を登るのが遅く付き合っていたら部活に遅刻してしまうので、少し早めに家を出ているのだ。

「隣町の学校、空襲うけたんだって」
「半壊らしいね。まだ救えたもんじゃない」
「あっ、うん、そうだね」

 半年前、この国は戦争を始めた。





 彼女に渡されたのは短くもなく長くもないメールアドレスだった。
「わ、わたし昔から、じゃなくてっ 入学式から、気になってました!」震える声で叫ぶ彼女に、僕はなぜOKサインを出したのかよくは覚えていないけれど、ただサインに意味はなく、最近部活以外に熱中するものもなかったし、バレー部内での話題になって、王様だったり小さいのだったりに自慢してやろうとかそんな幼稚な事を考えてOKを出した。ただそれだけだった。
 付き合ってみれば面倒くさいの一言に尽きる。少女漫画を読んだのかいきなり抱きついてきたり、キスをねだったりポニーテールにしてみたり。特に気持ちが悪かったのが結婚した時の妄想話だ。あの時は思わず鳥肌が立った。ヤメロと言った。彼女はそれ以来、そういうことはしなくなった。彼女の味気がなくなったのは、少し自分のせいだと思っているが、本当に気持ち悪かったから仕方がない。僕と付き合っている時は僕に付き合ってほしい。

 つまらない授業が終わり、気付けば昼休みの時間になっていた。母さんが作った弁当は朝の時点で食べてしまったから彼女からお弁当を貰わないといけない。
 ああ、朝食べなくてもよかった。教室を移動するのは疲れる。
 僕と彼女の教室は端から端で、歩くのにも早歩きするのにも、走るのにも、少しだけ体力を使う。そしてとても面倒だ。席を立ちあがって教室を一望した後、ドアに手を掛ける。のんびりと歩いて行こう。また時間が有り余って、彼女がその時間を埋めるためにまた変な提案をしてきたらどうしようか。そう思えば、自然と体力を使わずのんびりと歩いて行けるような気がした。

 もう高校生となれば、彼氏や彼女を自然と作れるものなのだろうか。付き合っているカッコイイ男子やカワイイ女子だってたくさんいる。付き合っていないカッコイイ男子やカワイイ女子だっている。高校1年生で付き合っている数少ない男子の中に僕は含まれ、「イケメンだ」と呼ばれている。自分ではわからないが、他人が口を揃えていうからそうなのだろう。
 彼女のいる教室まで半分をきった。

「ねえケイくん、交換日記やらない?」
「やだね」
「即答ッ!少しは考えてもいいじゃん?ねっ?ねっ?」
「僕がそんなことするとでも思ってるワケ?絶対やらないね」
「じゃあ3日だけでもやろうよー!」
「3日だけでいいならそもそも交換日記やらなくてもいいと思うんだけど」
「ケイくんのいじわる」
「どーぞ好きなだけ言っててクダサイ」
「ケイくん 日記帳まで買っちゃった!大丈夫普通の大学ノートだよ!」

 ヤダネ。 きっぱりと断った。彼女は悲しそうな顔をした。





「エッ おい、なんで軍人が?」
 一人の男子の声で俯いていた顔を上げ、彼女の教室に入っていく軍人の動作を見送る。

「軍人?」
 なぜ軍人がいるのだろうか?この街はまだ空襲は受けていないし、空襲予定区内でもない。空襲を受けた隣町は少し都会化しているから受けたのだろうけど、ここはめっきり田舎だ。空襲を受けるはずも、ない。それに学校に軍人が来ることだって、こうして軍人が教室に入っていくところなんて、
 どうして

名字!」
 顔を青くして軍人達の後ろについて行くのは僕の彼女の名字だった。
 僕は駆け出して、生徒を掻き分けて名字の後を追い、軍人達の制止の声を無視し腕を掃って名字の腕を握った。

「ごめん」


「ごめん、ケイちゃん」




 彼女は学校を辞めるとばかり思っていたが、あの後三日後に登校した。待ち合わせの時間にはこなかったが、僕に弁当を渡すために昼休みの時間にきたのだ。三日ぶりの彼女の頬にガーゼが当てられていて、テープをはがしてみると火傷を負っていた。転んだのだと、言う。
 弁当を受け取り無言で平らげる。彼女はまた、交換日記をしよう、と言った。
 僕は小さく頷いた。

 彼女が再び登校し始めてから九日が経ち、また何も心配のいらない日々に少しずつではあるが戻ってきていた。九日間、交換日記は続いている。彼女は長文で、僕は短文。中身のない短文でも、彼女は長文をやめることなく続いている。半分だけ中身を見て、残りの半分は文字を見る事に疲れてしまって見ていられないくらい、彼女はかなりの分量を書いている。

「あっ ありがとう」
 交換日記を渡すとき、嬉しそうに笑う。

「ケイちゃん、ハイ」
 交換日記を渡される時、嬉しそうに笑う。


「ケイちゃん、最後にしようね」
 もう十日目だし、そろそろ飽きてこない?

「ま、名字がそれでいいならそれでいいけど」
 少しだけ彼氏っぽく言ってみる。彼女は笑みを崩さなかった。
「これ、家で捨てればいいってこと?」





 ケイちゃんへ。今までありがとう。実は私、人間兵器なんです。隣町の学校を半壊させたのは私です。敵と戦っていて、間違えてミサイルを学校に落としてしまいました。というか、撃ってしまいました。
 ケイちゃん。ありがとう。私はたまたま軍の作る兵器の相性によくてたまたま選ばれてしまったみたいです。この間病院に言って輸血したのがいけなかったのかもしれないね。両親は昔から他界してるので、今はおばあちゃんとおじいちゃんと小さな弟と一緒に暮らしています。軍が生活を保障してくれるみたいです。
 ケイちゃん。ずっと好きです。たまに軍の施設に行くと、ケイちゃんに似てる男の人を見かけます。ケイちゃにより身長がちょっとだけ高くて、目つきが似てました。黒髪と茶髪がまじっていて、大人の雰囲気で色っぽい?ような気がしました。

 ケイちゃん。ケイちゃんにはわからないかもしれない。わかってほしくない。ケイちゃん、私ね、兵器なんです。手が銃になります。よく映画でみるような嘘みたいな銃になって、背中に鉄の羽が生えるんだよ?すごいでしょう?でも本当なんです。ケイちゃんには見られたくない。わかると言ってほしくない。

 ケイちゃん
 ずっと大好きです
 さようなら
 大好きです
 さよならしたくないな

 大好きだよ ケイちゃん ずっと好き ずっとだよ
 ありがとう さようなら 好きです
 ありがとう





 僕は家を飛び出した。夏の夜は蝉の鳴き声が響き、山から色んな蝉の声と、たまに通る車の音を掻き分けて、一度だけ送ったことのある彼女の家まで止まらずに走った。
 彼女が兵器だとかそういうのは関係なかった。彼女がどうとか、別にそんなことどうでもよかった。
 メールをしても返ってこない。電話番号は知らない。


「卵焼きねえ、上手にできたんだよー」
「ふーん。まあまあ上手な方じゃない?」
「実は夜中ずっと練習したの!おかげでお小遣いが卵で消えたよ」
「バカじゃないの?こんなのの為に無駄な出費するなよ」
「無駄じゃないよー!?大事なことだよ!」
 夏は暑い。卵焼きもしょっぱい味がする。いやこれ、名字の作った卵焼きだから、汗の味だとかそういうのじゃないはずだ。でもこれはとりあえず言わないでおこう。何より暑くて喋りたくもない。
「ケイちゃん、ケイちゃんお弁当これで足りる?」
「足りる」
「朝、お母さんに作ってもらったお弁当食べてるんだって日向くんから聞いたよ」
「アイツ余計なことを」
「わたしが作ったの、美味しい?」

「………まあまあ」
 夏は暑い。急に暑くなったりもする。
 夏はうるさい。僕の心臓の音もうるさい。


 自転車に乗ればよかったとか、地獄坂を右手に通り過ぎた時に思った。今更後悔したって遅い。もういい。部活で鍛え上げた筋肉をフルに活用し、ペースを調整しながら彼女の家を目指す。もう少しだった。もう少しで彼女の家に着く。そう思った瞬間、脚が止まった。握りしめていた交換日記のページが汗で湿っていた。しわくちゃになっていた。

――彼女を連れだそう。

 安物のビーチサンダルのせいで土踏まずが痛い事に気付いたが、彼女の自転車を借りていけば問題ない。
 一体どこに連れ出すのだろうか?若者の、ひと時の気の迷いだと捉えてくれればいい。

 彼女の家を前にして、インターホンを鳴らすと、八十近い白髪の老人が出てきた。後ろに小さな男の子、つまり名字の祖母と弟が、家の中にいる。

「すみません、あの 名字さんはいますか?」
「なにお兄ちゃんは俺の姉ちゃん探してるの?姉ちゃんなら友だちと遊びに行ってて帰り遅くなるって」
「ごめんなさいねぇ あの子、最近帰ってくるの遅くてねぇ。ご飯も食べてくれないしねぇ また来てくれるかねえ」


「ダメです、今会いたいんです!家の電話を貸してください!僕は、今、名字さんに、会いたいんです! 会わなきゃならないんです!!」




「名前のない夜」
元ネタ「最終兵器彼女」