あー、もう、なんだかなあ。そんな声を耳に入れながら昨日名前が買って来た新発売のじゃがりこをぼりぼりと音を立てて食べ、ジャンプを読み返している。机に突っ伏したままの名前にじゃがりこはいらないのかと一応訊いてみたら、しばらく間を取った後勢いよく椅子を吹っ飛ばした俺の座っていたソファーにジャンプし、ジャンプとじゃがりこを奪ってソファーの隅っこでぼりぼりと音を立て始めた。決まって海賊王になるべくゴム人間が世界各地を回る大ヒット漫画を読み始める。 「ばか いるいるっ いるわばかっ いるってば ばか!サンジ!」名前は美味しい食事を作れるサンジが好きらしい。ちなみに俺は人間のくびれでないナミやロビンの事を好きにはなれない。 俺は中学に上がる時、秘めていた感情に名を付けた。 それを「恋」という。 恋はその時よりずっと前に感じていた情であったらしい。俺は気付かずに生活していたから、いつから好きになったかわからないが、昔から、本当に昔から、自分よりも三歳年上の名前に恋をしていた。母さんの大親友の娘である名前に恋をしていた。 中学一年生、俺の行く中学に名前がいる事を知って、期待と嬉しさが込み上げ、入学式の前夜にクッションを抱いて寝た覚えがある。それくらい嬉しかった。小学校は一緒じゃなかったが、中学校にもなれば色んな小学校から生徒が集まってくるので、少し地区の離れた名前が一緒の中学にいることなど安易に考えることもできたのだが、俺は幼かったからあまりそういう情報に詳しいわけではなかったから母さんに名前と一緒の中学だと知らされた時「ほんと!?」と頬を赤らめたことを覚えている。 そんな期待と嬉しさを胸に入学し、大好きなバレーボール部に入部すると、そこには大好きな名前の姿。俺は飛び上った。「名前さん!」と柄にもなく手を振って喜んだ。一年間しか一緒の学校ではないが、まさか同じ部活に所属するとは思ってもみなかったわけだ。これは嬉しい。とても嬉しい。そんな名前には彼氏がいた。 隣にいた及川徹だった。 高校はやはり別々。そして大学に上がる時、こうして上京を果たす。そして、名前と一緒に同棲している。別に名前と同棲がしたくてこっちの大学を選んだわけではなかったが、たまたま、名前がこっちの大学にいて、たまたま大学が何駅か跨いでいて、たまたま、同棲することになったのだ。本当に、たまたま、なのだ。 「名前さん、あんたあと一時間後バイトだろ。用意しなくていいのかよ」 「トビオちゃぁん、わたしのタンスから適当に洋服持ってきてぇ。あと化粧ポーチと鏡もおねがーい」 「動かないとデブになっ」ゲシッ 名前はアパートの近くの喫茶店でバイトをしている。なんでもスタバというらしい。俺はあまり行かないが、都会では人気だそうだ。俺は東京に来るまでそういう事に疎かったもので、名前が、えー知らないの!?向こうにもあったでしょ!?と驚かれても首を傾げるばかりだった。名前がたまにスコーンを買ってきてくれるので、その時はありがたくコンビニのスタバの飲み物を買ってきて一緒に食べることがある。 仕方なく立ち上がり、名前の部屋に入ってタンスを開けた。どうせ向こうで着替えるんだからテキトーでいいだろ。と思いテキトーに服を持ってきて机の上から化粧ポーチと鏡を持って、名前の上に投げると、トビオちゃんセンスなーいと小馬鹿にされた。ジャンプをその手から引きずり出してやろうと思ったが、名前は急に体制を整え服を持って脱衣所に向かっていく。 俺は机に置かれたジャンプを膝に乗せて開いた。 鼻歌を歌いながら髪の毛をセットする名前。 俺はジャンプを広げながらあるひとつの悩み事に頭を抱えていた。 俺と名前は恋人同士なのである。 俺が同棲するようになって、思わず溢れる感情が止まらず告白をしてしまった。しかしその当時名前には恋人がいたため、俺の独りよがりという悲しい結果に終わったが、丁度五月に俺達はめでたく恋人同士の称号を得た。もちろん俺は小学校から高校までバレー一筋(脳内には名前)で生きてきた人間のため、名前が初めての彼女で、ファーストキスの相手で、そして、そして、 俺は童貞なのだ。 「ひゃあああああ!!」 「!?」 なんだ!? 俺は脱衣所に走った。また足音がうるさいと大家さんに怒鳴られてしまうがそんなことはもはやどうでもよかった。脱衣所の扉を開く。 「飛雄ぉ!たすけてえ!」 「………あ、はい」 名前が必死になって押さえているのは髪の毛とドライヤー。どうやらドライヤーの後ろ部分に髪の毛を近付けてしまい、そのまま引き込まれて抜けなくなったらしい。「なんでぇ……わー痛いぃ」どうやら中で絡まってしまったらしく取れないようだ。 近付いて髪の毛とドライヤーを見比べていると、ふいに香る名前のシャンプーの匂いにドキッと胸を躍らせた。キスは何度かあって、近くにいることも多いけれど、今は耳元の近くだ。先程童貞だとかなんだとかやましい事を考えていたせいだ、こんなに意識してしまう。 「こ、これ、髪の毛切るしかねえんじゃ」 「バイト前なのに何の仕打ちなのっ」 ヤダヤダと暴れ出す名前をどう宥めようかと慌てる反面、近付く事が出来て得をした気分の二つに襲われる。まあ、別に、そうだな、うん。これはラッキーだ。髪を触れる。 窓際に掛けていた髪切りハサミを持ってきて、落ち着けと肩を抱く。どうせ髪結ぶんだから変わんねえよ、と言って髪にハサミを近付け少しずつ切ると、俺の手からハサミを奪った名前は何と豪快に髪を切っていったのだ。 「バイト遅れちゃう!」呆然。 と、まあこんな感じで、俺と名前は進展していない。 十時から五時の間、名前はアルバイト。俺はバイトが休みなので片手にじゃがりこ、もう片方にはジャンプという高校生の時とは考えられない堕落っぷり。しかしこう気になってしまうと動きたくなってしまうのがスポーツマンの性、いやおれの性だろう。朝は一応ランニングはしたものの、どうもあまり身に入らなかったようだ。昼ももうすぐだし、散歩がてらスーパーに寄って昼飯の材料でも買うか……。 思い立ったが吉日というだろう。Tシャツにジーパンという簡単な格好をしておいてよかった。名前のように着替えにめんどくさいと思う事がないから。 まだ十時にもなっていないので、やはりスーパーにいる主婦は少ない。少し遠くのスーパーに寄ったので、あまり品物の場所の位置を確認できていないが、まあこんな人手だ。時間を気にする事もないだろう。唯一名前から教わったオムライスでも作ろうと思い、野菜売り場で玉ねぎを買い、たまごを買い、少なくなっていたからウインナーを買い、ケチャップも買っといて損はないとケチャップもかごにつっこみ、上手く作ることができたら夕食もオムライスを作ってやるかと計画をして、塩コショウだとかシナモンシュガーだとか、朝ないないうるさかった名前のためにそれもかごにつっこんだ。 長身のおかげでそこらの人より頭一つ飛び出てる。なので主婦が俺の事を見る。さぞかしこの長身の若い男がカゴを持って歩く姿は滑稽だろう。普段なら名前と話しているので気にはならなかったが、こうして見ると、なんだか新鮮だ。 スーパーの袋の音を響かせ道を歩く。あの角曲がったら名前のスタバの前に行くんだよなあと思いつつ、でもそこに行く勇気が生まれないので、このまままっすぐ家に帰ろう。そんで、オムライス作って食べるか。上手くできると、いいよなぁ。 俺はナミやロビンのような巨乳は嫌いでない。 「ヘーイ、帰ったぞヤングボーイ!そしてお土産があるんだぜ飛雄ボーイ!アナタの大好きなスコーンだぜベイビー」 「まじっスか」 「そうだよーさてさて、かる〜く食べちゃいましょうよぉ。わたしお腹ペコペコデース」 「土産あるってメールしろよな」 いきなりの事で何も用意してねえ。昨日買ったオレンジジュースを出してる間に、名前は机の上においてあるティッシュを二枚敷く。これぞエコってやつだ。と、名前は口癖のように言う。コップ二つに紙パックのオレンジジュースを持って名前の隣に座ると、縛っていた髪の毛を解いていく。その一連の動作を見つめた。 「いやぁ たまには飛雄も洒落こんでスタバ来てよ〜わたしの勇姿を見てください」 「ふざけんな恥ずかしい」 「いやいや男性客いるよ?一人の人とか。小説持ってきてコーヒー飲みながら静かな休日を過ごすんだよ?あ、でも飛雄は小説読まないもんなあ……」 「小説くらい読んだ事ある」 「どうせ中学の朝読書でしょ?」 「ぐっ」 「ぶひゃー!図星!図星だぜこりゃー!」 「うっせーな!貰うぞ!」 くそ、言ってろ。夕食は俺がぎゃふんと言わせてやる。 ポロポロとスコーンのカスをティッシュが受け止める。今日客でさあーと名前のバイトでの愚痴が開始されたのでいつものようにテキトーに相槌を打ちながらスコーンを味わい、テレビの電源を付けた。 「あーもうちょっと、わたしの話聞いてよ、もー」名前はリモコンを奪って電源を消した。「ちょっとねえ。聞けよ」おい、酔っ払ってんのかよ。ふざけんな。 俺の肩に腕を回し、親父のように話し始める名前に、俺のこの今の気持ちが知るよしもない。 くそ。このやろう。俺は辛抱してんのに。くそ。くそ。好きだ。 「echo」 |