緑間真太郎 | ナノ
 汗が頬を伝って顎から滴り落ちる光景を見るのは好きだけど、実際わたしの身に振り掛るのは好きじゃない。けれどもこうして走らないと体力が落ちてしまうから汗を掻いてでも頑張らなくてはならない。普段から努力するのは嫌いじゃないが好きともいえない、それはわたしに期待がのしかかっているからだ。いつの間にか、期待に答えるのが義務になっていた。期待され、失望されないために必要なことだと、今まで頑張ってきたのだ。
 バスケが好きですか?そう言われて一年経った。今でも同じ中学だった黒子くんの台詞が忘れられないでいる。
 わたしはその時「好きじゃなかったらやっていないけど、そう訊かれたら、ちょっとわからない」そう言った。今でもその答えはわかっていない。一番に期待された人から失望されて、わたしの、中学三年生のバスケットボール人生はぐるぐる渦を巻いていったからなのだと思う。

 一番好きな色は何色?
 わたしは、

「こんな遅くまで何をやっているのだよ」

 ボトン。ボールは体育館に間抜けな音を響かせた。声がする入口の方に振り向くと、そこには同じ中学に通っていた緑間が眼鏡をくい、と上げて立っていた。

「何って、明日の練習試合の為の練習」
「もう部活の時間はとっくに過ぎている。鍵が帰ってこないと顧問が困っていたが?」
「ああ…、うん、もうやめる、あと一球だけ」

 キセキの世代の一人緑間真太郎とは幼馴染だ。だから同じ学校にした、わけではなくて、ただ単に推薦がきていてたまたま偶然同じ学校になってしまった。
 本当は友人と残って1対1をしたかったけれど、バスケ部の時の友人はわたしの友人ではなくなる。中学の時もそうだった。わたし一人で独走して、一人で点を取って、仲間が反応出来るパスを返さないから、部活の時はいつも一人取り残されていた。友人に足を揃えると、今度は「手を抜いている」と言われて冷たい視線を送られる。それが辛くて一時期バスケから離れたこともあった。
 部活に行かずに家でゴロゴロをしているところを捕まえにきた緑間が懐かしい。「ブタになるぞ」と言われたっけ。

「随分と熱心なものだな。その気合いを勉強に次ぎこめば満点間違いなしなのだよ」
「うっさいなーもう。バカで悪かったですねー」

 ダム、ダム、ポスン。綺麗に弧を描いたボールは綺麗にゴール。入口に立っていた緑間はわたしのほうに近づいてきて、転がっているボールを拾い、3Pから綺麗にシュート。もちろん、疑うまでもなく緑間のシュートはゴールする。
 「3P〜」パチパチと拍手をし、バウンドするボールを拾う。

「ねえ、一緒にかえろ」
「…10分で支度を済ませろ」



 緑間の汗を流すその光景が大好きだ。中学生の頃、緑間が試合に出るたびにその光景を目にしては、頭がぼうっとなるような、気持ちの良いような悪いような、そんな感覚に襲われていた。だって、彼が頑張っている姿を見るのがわたしの至福だったから。
 夜に走り込んでいる姿も、放課後残ってシュートを撃つ姿も、すべてが大好きだった。憧れだった。
 小学生の頃から一緒で、バスケを始めたのも同じだったため1対1をしたこともある。一緒に走り込みをしたこともあるし、授業で男女混合のチームを組んだことだってある。いつだってわたしは緑間を一緒だった。何をするにも起点は緑間だった。
 一緒にしてきたことをしたくなったのは中学二年生の頃だ。ある日緑間と一緒にいた彼、赤司くんに才を見込まれて行動を共にすることになった。わたしの試合にはいつも緑間と赤司くんがいてくれた。そして試合が終わったら、赤司くんはわたしの頭を撫でてくれて「今日もさすがだったね」と言ってくれて、わたしは次第に緑間から赤司くんに視線を向けるようになった。緑間は何も言わず、その光景をただ見ているだけでその場に立った、ままだった。

「なんで手を抜くようなことをしたんだ?」冷たい視線の赤司くんはわたしを見下ろして、冷たい目を向けていた。みんながわたしに向ける冷たい目よりももっと冷たい氷のような目。

「周りが凡人ばかりだから、きみは手を抜いたんだろうが、その決断は間違っていたよ。結果、試合には負け、チームメイトからはあんなにひどい台詞を吐かれた。無様だな」


 ボールをなぞる。この前まで新品だったボールはいつの間にか擦れてしまっていた。わたしの代わりにボールを片付けてくれた緑間はあっと声を出してわたしの手にあるボールを指差す。ごめんごめん、自分で片付けるから、と笑っていれば、緑間は口を尖らせて何も言わなくなる。わたしが、赤司くんの事で悩んでいた時にこうして笑えば緑間は何も言わなくなる事に気付いた時から、いつもこうだ。
 ボールを片付けて更衣室へ向かう。後ろでは緑間が体育館の電気を消して鍵まで閉めてくれた。ありがとう、とは今更ながら言えなかった。更衣室の電気を付けて、ロッカーを開ける。
「なんで練習なんてするんだろうね」「もう十分なのに」「これ以上強くなったら私達なんにもできないじゃん」同年代の子からはいつも言われている言葉を思い出し、それを飲み込むようにして唾を飲んだ。先輩からちやほやされるのも、先輩と一緒に試合に出るのも、すべてが気に食わない。そういうことだった。中学の頃もそうだった。努力を認めてくれる人は、年上と緑間と赤司くんと、ごく一部の人だけ。それなのに、バカみたい。本当に。
 明日は練習試合があった。緑間は来てくれるだろうか。
 部室を開けると腕を組んで携帯を弄る緑間の姿があった。何か打ち込んでいるようで、せっせと指を動かしている。

「高尾くん?」
「いや…」
「黄瀬くん?」
「……」
「あ、黄瀬くんでしょ!最近よくメールしてるよね」

 一気に不機嫌になった表情を見るとそのようだ。わたしよりも身長が高い緑間の携帯画面を覗く事はできないが、どんどん不機嫌になっていく様子だと面白くないメールがきたのだとわかる。こういう表情をするけれど、本当は黄瀬くんが大好きなくせに。
 電気を消して、通路にローファーと緑間を置いて鍵を職員室に返しに行った。「練習をがんばるのもいいが、休養も必要だぞ」という顧問の言葉に「はあい」といい加減に返事をして緑間の元へ走る。「いこいこ、緑間っち」緑間の腕を掴むと、やめろ、と低い声で唸られ、思わず笑ってしまった。
 いつも通りの道を歩く。別に隣に緑間がいたっていなくたって同じことだ。

「それでさー国語のゲンちゃん、みんなに虐められて少し涙目になってたんだよ、もうほんと面白くってさ。あ、内容が内容でね?ゲンちゃん、あんまり付き合った事ないらしくて久々に彼女が出来て浮かれてたみたいで表情がへら〜ってしてるの。いつも厳しいゲンちゃんがだよ?最高だったよ」
「なるほど、二限目から落ち込んでいた理由がわかったのだよ。つまりお前のクラスでいじめられたから、と」
「うっひゃあ、生真面目〜。怒ってる?」
「怒ってないのだよ」
「でも厳しくなかった?」
「おかげさまでな」

 へらへらと笑って謝ると、謝る気ゼロか、と片手で頭をグッと掴まれる。「いたいいたいいたいっ」いつから緑間、こんなに大きくなっちゃったのかなあ。

「ねえ、あのさ…、明日試合あるんだけど、」
「知っているのだよ。高尾が言っていた」
「……だから最後まで練習してたんだ。普段はしないけどさ。男子いるし」

 いつから観に来て、って言えなくなっちゃったんだろう。
 頭を人差し指でわざと掻いて、緊張するんだよねぇ、今でもやっぱり、と本当に言いたい言葉を飲んで別の言葉を出した。
 ハッと気づくと、もう少しでわたしの家に着く道のりだった。話に夢中でただ緑間の隣を歩いていたから気付かなかったようだ。

「あ、ごめん、ここまで」
「心配するな。時間を教えるのなら観に行ってやるのだよ」

 ごりごりとテーピングを巻いた指と柔らかい手のひらで乱暴に頭を撫でられる。街灯の明かりの逆光のせいで緑間の表情が見えにくいけれど、確かにその表情は笑っていた。口を少しだけ上げてわたしを見下ろしている。

「じゅ、十時から、始まる」

 お前の頑張りはしっかり見ている。中学三年生、緑間は泣いているわたしの手を握ってそう言ってくれた。わたしと緑間を繋ぎとめてくれている唯一のものがバスケットボールだった。それを認めてくれた緑間にわたしは嬉しさを隠せなかった。ありがとう、ありがとう、真ちゃん、って、何度も。
 久しぶりに観に来てくれる、それだけで泣きたくなるほどだった。何度も何度も冷たい視線を向けられて、冷たい言葉を送られて、誰もわたしのスタイルを認めてくれない。わたしのバスケットボールを否定されてしまって、どうしようもなかった。期待のエースだと言われて、それに答えなくてはと思う反面、もうどうでもいいかもしれないと諦める気持ちもあった。
 けれど。
 彼は隣から離れていく。もう目の前にはわたしの家のドアがある。

「真ちゃん!」
「!」
「送ってくれてありがとう!…それと、」

 暗闇で見えないように。唇を歪んでしまって、うまく喋れないかもしれないけれど。

「応援、しに来てね!絶対だよ!」

 ねえ真ちゃん、わたしバスケ誘われちゃった。あのね、上手だから、チームに入ってよって。二つ結びのわたしが言う。真ちゃんは机に置いていた手をわたしの手首に持って行って、ぎゅうっと掴む。俺も、と小さく言った真ちゃんは席を立ち上がった。ね、真ちゃんもやりたいんだって。じゃあそっちのチーム一人足りないから入ってやれよ、真太郎!
 真ちゃんは笑う。ああ。そう言って真ちゃんはわたしから顔を背けた。
 「バスケが好きですか?」今一度彼の言葉が再生された。好きじゃなかったらやってないけど、嫌いじゃないからやってられる。だって、頑張ろう、って思えるから。真ちゃんの笑顔が浮かんでくるから。


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あなたの美しさ

緑が好き。あなたの髪色が大好き。