黄瀬涼太 | ナノ
 容姿はどこにでもいる女子高校生の髪型。顔は至って普通。スタイルだっていいわけじゃない。本当に、普通の女子高校生。だけど、バスケに対しての愛情は普通じゃないのだ。小学生からバスケ一筋やってきたわたしは人生バスケ色、何がなんでも第一にバスケ。けれど中学二年生の時膝を痛めてしまってからはバスケをやっていない。嫌いになったわけではない、怖くなっただけ、だから嫌いじゃない、むしろ愛している。世界一。
 だから中学二年生の膝を痛めてからはずっとマネージャー業をしてきた。選手でなくなったからプレイはできない、けれどバスケから離れたくはない、そう思ってマネージャー業を極めてきた。テーピングだって自慢できるし、情報分析力だって他校のマネージャーさんよりも格段にレベルは上だって思っている。
 高校に来てからももちろんバスケ一色だった。正直、笠松先輩がお前がマネージャーの中で一番信頼できる、とボソリと言われたことがあるほど、わたしはマネージャーに専念していた。
 普通の女子高校生、ちょっとそこらにはいないバスケバカ、こんな感じだろう。

 同級生で一際目立つ人がいた。同じバスケ部だけど、なんだか遠い存在だった。その人は黄瀬涼太という。犬みたいに尻尾を振りまわして笑顔を振りまく彼はとても綺麗だった。キラキラとしていてわたしなんかじゃ到底彼に触れることはできないな、とまで思った。それほど、彼は綺麗だった。

 一年生はもちろん、一年生でマネージャーだなんてわたし一人、三年に一人いるだけ、しかもその人はバスケ未経験者だから、必然とわたしの仕事は増えた。次の練習試合の相手のビデオを見終わって体育館に顔を出すと一年生だけがボール拾いをしていて、二年生、三年生の姿はなく、きょろきょろと辺りを見回していると、足元にボールが転がってきて、思わず拾って顔をあげた。

「あっ、わり、投げて!」

 心臓が胸を突きぬけるかと思った。手を挙げて「パスパス〜」と気の抜けた顔をして腕を動かしている、わたしと向き合っているのは黄瀬涼太だった。
 中学時代を思い出し、あの時の慣れた手つきとは程遠いパスを彼に出した。ボールを受け取った彼はボールを一目見て、次にわたしを見た。

「あれ、もしかしてバスケやったことあるんスか?」
「あっえっと、うん、中学の時にやめちゃったけどそれまではやってたよ」
「だからかー、ボールの回転とか、素人じゃないなーと思って。あ、笠松先輩マネジ探してくる、とか言って多目的室に行ったけど」
「え?うそ、ほんと?ありがとうございます!」

 どうやら先輩と行き違いになってしまったようだ。黄瀬くんに頭を下げて反応を見ないまま背を向けて体育館を出た。

「(うわわわ初めて喋っちゃったー!)」

 きっとわたしの顔は赤く火照っているだろう。他校の資料を握って多目的室に向かう階段を上っていると、互いに目が合い「あ」と声を出してわたしは頭を下げる。

「どこ行ってたんだ?」
「体育館に行ってました。なんか行き違いになったみたいで」
「あー、そうか。悪かったな。で、なんかわかった事あったか?」
「まとめてありますよー、ここ、選手別に癖とか出来る限り書いてるんですけど、」
「おお、さすがだな、本当に頼りになるよ」
「そんなことないです!皆の役に立てるならそれだけで」
「あ、そうだ、今日の戸締り一年生だから、最終チェック頼むな」

 はい。そう言ってわたしと笠松先輩は階段を下りて、わたしは体育館、先輩は部室へと向かった。


 マネージャーはいつも部室の隣の部屋のロッカールームで着替えを行っている。先輩と今日の気温や明日の気温、他校の選手イケメンいたね、なんて話してロッカールームを出て体育館の鍵とロッカールームの鍵を職員室に戻し、校門で先輩に手を振ってポケットに入れていた携帯を握った時だった。

「あ、お疲れっス!」
「!?」

 思わず身を屈めて声の主を見る。声で誰かはわかっていた、校門の花壇に腰かけてスポーツバッグを肩に掛けて手を振るのは黄瀬くん。先輩に会えたっスか?と立ち上がり首を傾げてわたしの隣に立った。黄瀬くんの行動がイマイチ理解できず、彼を見上げているとニッコリ笑って、「一緒に帰りませんか?」と言った。

「なんで敬語…?」
「だってさっきオレに敬語使ってたじゃないっスか〜、だから俺も敬語っス」
「あ…そうなんだ…?」
「で!ま、帰らないなんて言わせねーけど、とりあえず家どっちっスか」
「ええ!」
「え?」
「ほ、ほんとに一緒に帰るの?」
「こんな暗い夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかねーっしょ」

 ほら、どっちっスかー、とうずうず体を揺らす黄瀬くんに、帰る方向を指差した。オッケー、と明るい声を出してわたしの前を歩き出す。同じ方向を歩くのだから、一緒の道で帰ることになる、そして彼は一緒に帰ろうと言った。
 なんだか夢みたいだ、と思った。振り返る黄瀬くんに体を強張らせて思わず立ち止まると、眉を八の字にした黄瀬くんは遠い〜だなんて体ごとわたしの方へバックして、ピッタリと体を隣にくっつけた。刺激が強すぎるそれに目の前がチカチカして頭がパンクしてしまいそうだ。
「……、ほんとは」黄瀬くんが綺麗な声で言った。

「結構な頻度で待ってるんスよー、ただちょーっとオレに意気地がないだけで」

 彼は一体なんの話をしているのだろうか。謎めいた言葉を並べる彼はチラチラとわたしを見下ろしてはハア、と溜息を吐いた。こう目の前(というか隣)で溜息を吐かれるのは、その吐いた相手が誰であろうがいい気にならないのは確かだ。
 いやー、これだけじゃわかんねーかなーと人差し指で頬を掻き、隣から目の前に移動した黄瀬くんは両手をピシっと太ももに付け、背筋を正しわたしを見下ろす。この光景に名を付けるならなんと付けたらよいのだろうか。普段見ている制服姿も、着崩しているその姿も、とても綺麗で、かっこいい。
 わたしも綺麗になりたい、何度願ったろう。この人に釣り合わなくてもいい、ほんの少しでもいい、綺麗になりたい、彼のように。

「笠松先輩の事、正直どう思ってるんスか?」

 思わず時が止まってしまった。姿勢を正していた黄瀬くんは肩の力を緩ませて腕を組んだ。

「笠松先輩…?別に、どうってわけじゃないけど、いい人…?」
「あーもうそういうことじゃなくて!好きか嫌いか、この二択!二択っスよ!に・た・く!」

 顔の前に人差し指と中指が差し出され、身を引いて黄瀬くんを見る。なんだか乙女みたいな展開に、中学生の時読んだ漫画を思い出した。友人の恋のキューピットになろうとする、そんな話があったっけ。
 暗くてあまりわからないが、彼の頬がほんの少しピンクに染まっているような気がした。

「えっと、好きだよ、普通に、あ、でもそういう意味じゃなくて、ただのいい先輩だって思ってる」
「綺麗っスね」
「へ?…え?わ、わたし?」

 手を鞄に掛ける黄瀬くんは続けた。「そ。すっげえ、綺麗っス」
 わたしは思わず本音をぶつけてしまう。

「綺麗なのは、黄瀬くんだよ」
「え?オレ?」
「部活の黄瀬くんも、もちろん普通の黄瀬くんも、モデルの黄瀬くんも、とっても綺麗だよ」
「…あー、そう面と向かって言われると恥ずかしいっスね、なんか」
「あ、……ご、めんね」
「………あー…のさ、いや、なんか、そう思われてるんだって初めて知れて嬉しいし、その、えっと、いつも綺麗だなって思ってた人から言われると、なんか」
「…わたしが?嘘でしょ?」
「そりゃ、別に、学校一可愛いとか綺麗、ってわけじゃねえなって思う…けど」

 そりゃそうだ、学校にはわたしよりも綺麗な人なんて100人もいるだろう。例えるなら、わたしは道路に生えている皆が目にする草だろう。ああ、これ知ってる、と言われておしまいの何の変哲もないただの草。良くも悪くもない草だ。手の届かないお日様をただ見つめているだけの。
 夢だって見ていいでしょう?どうせ叶うことないんだから、見させてよ。彼の綺麗に写っている雑誌を眺めて思う。隣の女の人、可愛いな、綺麗だな、足細いな、スタイルいいな、って。もしわたしが膝を痛めてなかったら、こんなこと思ってなかったの、かな。なんて。

「でも、部活を頑張ってる姿とか、ボール拾いしてる姿とか、スコアとってる姿とか、ボールを追っかけてる姿とか、試合中頑張れって言われると、ああ綺麗だなって、すごく心が綺麗なんだって。そうしたら自然と全部が綺麗に見えてくるんスわ、本当に。…なんて、恥ずかしいっスねオレ!さーて帰るっスよー」

 くるりと踵を返して背を向ける黄瀬くんの言葉に、わたしは夢を見ているのかと思った。動かない両足に追いつかない思考、黄瀬くんはぎょっとしてわたしの方に振り返ってどうしたんスかと慌ててぶら下がるだけの手首を掴み、顔を覗いてきた。

「…嘘、でしょ?」

 こんな非現実的な事、

「…ほんとっスよ。ボール、わざと足元に落として話する機会作ったし」
「嘘だよ」
「ちょ、なんでそんな、嘘吐いてないって」
「だって黄瀬くんが、」

 いつも陰で見てる事しかできない黄瀬くんにそんなこと言われるだなんて、こんなこと世界の誰一人信じる人なんていやしない。名前を呼ばれた。名字だったが、落としていた視線を再び黄瀬くんに戻した。

「好きになってもいいっスか?」

 わたしの世界は、今、変わろうとしている。



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そうして世界は明日を迎えていくのです