どうせなら、もっと綺麗なアパート借りればよかった。一人で過ごすんだったら丁度いい空間だし、隣はおばさんばかりで、夕飯の残りを貰えるし、お米だって貰えるし、畑でとった野菜だってもらえるからなにも文句なしに生活できたのに。彼女がきてから、ひとつひとつ、綺麗に言い訳を作って文句を言ってしまう。 男と女、同じ屋根の下で、しかも同じ部屋で寝るのはまずいだとうと重い、畳の部屋に布団を敷いて、そこが彼女の寝室スペースとなった。寝る時だけ、この部屋に行けばいい。あとはご自由にどこの部屋も使ってください。寝る時だけ畳の部屋に行ってくれれば、俺はなんの文句も言いません。多分。 やっぱり、まずいんじゃないかなあ…。と隣で数独を解いている彼女を横目に見ながら思った。チョコクロワッサンを頬張りながら、クロスワードを解いていく。 静かな空気が俺達の間に流れた。とても冷たい、じめじめとした静寂だった。 俺達は初対面なのに、いきなり関係が居候される身と、居候する身になってしまったんだ。こんな漫画みたいな展開あるか?エロ漫画でよくみるパターンだが、これが現実に起きてしまうとは、本当に、考えられない。可愛い女の子が居候してきて、男はその女の子を毎日のように犯す。エロ漫画の王道。 「うわあ…」 「え?」 「えっ!?」 俺ってば動揺しすぎだろ! 「え、あ、いや、ごめん、なんでもない。」 手を胸の前で揺らす。自分の顔の温度が上昇してきた。 一瞬、そのような破廉恥極まりないことを想像してしまった自分はエロ漫画の王道ストーリーが好きなんだと思った。意識しすぎてもっとぎこちなくなりそうだ。本来なら、ここで女の子を襲うところだけど、よし、よく頑張った俺様。よく堪えた。それか女の子のほうから近付いてキスして、触って、エッチしよ、なんていうパターンもある。油断はできない。 「猿飛くんって彼女いないの?」 「ぶひゃっ」 「ぶひゃ?」 いっけねえ、変な声出ちまった。こりゃ恥ずかしいぞ、まじで。 「い、いないけど…」 先程の声の挽回をしようと、かっこよく言ったつもりなのに、喉は俺の期待を裏切って情けない蚊の鳴くような声を出した。なんの格好もつかない。 え?待てよ?なんでそんな事訊くんだ? 「…猿飛くんみたいな人が彼女いないって意外かも」 「『みたいな人』ってどういう意味?悪い方?良い方?」 「えーっと…どっちだろう。猿飛くんだしいるかなあって。かっこいいし、話しやすいし。ほら、彼女いたらあたしすごい邪魔じゃないかな…って思って。」 「あ、ああ…そっちの…」 「そっちの?」 「ごめん、あの、気にしなくていいから。」 「……猿飛くんって見た目の性格とは真逆だよね!」 「え?」 「オラオラ俺についてこい!みたいな人なのに、本当はそんなこともないじゃない。自分の失敗に気付いたら顔真っ赤にして、慌てて、子どもみたい。」 名前ちゃんは天使が微笑むように、笑った。キラキラ光って、天使のわっかが乗せられて、天使の羽根が生えていて、すごく綺麗で。理性のない政宗だったら即いただきますされているだろう。 「名前ちゃんは人のことよく見てるね。」 勝手に口は喋っていて、気付いたら微笑みを無くした名前ちゃんは、口を閉じていた。触れちゃいけないことに触れちゃったかもしれない、と思い、なんとか言い訳を付けようと必死で言葉を作る。ごめん、とか、あの、とか、やっぱり気にしないで、とか、そこらの単語しか思い浮かばない。 「人間観察が特技なの」 やっぱり名前ちゃんは天使のような笑顔で言った。 もし、俺がもっと男らしくて、かっこいい性格だったら、名前ちゃんが承諾しなくとも、なんの問題もなく、体に触れることができたのだろうか。男も女もこうして二人きりでいるんだから変な妄想をしないはずがないだろう。真田の旦那だってするにきまっている。お互い大学生なんだから経験だってあるだろうし、知識だってそれなり、いや、予想を超えたものがあるかもしれない。名前ちゃんは俺のことを「かっこいい」と言ったんだし、できなくないかもしれない。オラオラ俺についてこい、な人が好みなのか。それとも、消極的な人が好みなのか。 でも、初対面の相手にいきなり、って変な話でもあるよな。これでもしやってしまったら、本当にエロ漫画だ。知識に疎い感じだけど、実はすごいテクニシャンだったりして。 ……………。 名前ちゃんって、彼氏いるのか? 「そうだ、定期作らなきゃ。あ、電車の時間も調べなきゃ。バイトも…。やることいっぱいだなぁ…」 名前ちゃんは携帯を開き、パチパチとボタンを打っていく。こんな無防備の女の子を前にして、なにもないって、なあ。でも恋人でも、知人でもない。初対面の相手だ。それにこの関係を言うなら、なんだろうか。居候、が丁度いいのか。 「明日からバイト先に電話かけまくろう。」 「え、なに、もうするの」 「だって居候させてもらってるのに、何もしないって迷惑な話じゃない?」 「まだいいんじゃない?だって来たばかりなんだ」 「来たばかりだからなの!バイトしてたほうがご近所に馴染めるってもんだよ!あたし実家ではそうしてたよ!一種の社会勉強だし、都会にもなれなくちゃね!」 拳を作って期待に胸を躍らせる彼女の姿は、やっぱり天使のようで可愛らしかった。 こんな名前ちゃんを前にして、一気に消極的になってしまう自分が情けなくて、重い重い溜め息を吐いた。いつもなら、もうちょっと積極的で活発なんだけど、名前ちゃんを見てると自分の理性に自信を失ってくるような気がする。否、そうである。 「猿飛くんはどこでバイトしてるの?」 「大学の近くにある喫茶店だよ。人通りの少ない場所にあるんだけど、結構いい感じの店なんだ。今度おいでよ、友達もいっぱいいるし、名前ちゃんにサービスしてくれるかもよ?」 「喫茶店かあ…お洒落だなー。そういうところ一人で行ったことないから、当分はいかないかも。」 「じゃあ今度休日に行く?」 「え、いいの?」 「もちろん」 「じゃあお願いしていい!?すごい楽しみ!」 すごく楽しみにしていることが俺にまで伝わってきた。そういえば信玄のおっさんの姉って群馬に住んでたんだっけ?群馬のド田舎に住んでるっておっさんからきいたことがある。その割には名前ちゃんから方言を聞かないな。 純粋、無垢、こんな単語が名前ちゃんには似合っている。俺よりも、恋に疎い真田の旦那のほうが名前ちゃんに似合っているかもしれない。うん、お似合いじゃないか。積極的な名前ちゃんと、恋には消極的な旦那。うん、やっぱりお似合いだ。 当分俺の方は恋をしないほうがいいかもしれない。まあ、それは名前ちゃんもだけど。 |