無愛想で人付き合いもできず、素直に物事が言えない。近寄りがたい。話しにくい。つまらない。怖い。そう言われ続けた二十年間、高校を出て専門学校へ進学し、一人暮らし。二十年間の間に彼女ができればバイトもするし、別れることの寂しさとつらさを経験するし、辞めさせられた。そんな良い事ひとつない人生に、やっと軌道に乗り出すことができたのが今だ。もちろん学校は行っているし、授業にもついていける。なにより、今のバイト先の女のおかげで、人間関係をうまく築き上げることができそうなまでに、私の性格は段々と変わっていっている。 女の名前は苗字名前。バイト先の先輩だ。年齢で言うとわたしのほうが先輩だ。田舎から上京してきたらしく、親戚の家に居候させてもらっているらしい。たまに申し訳ないと感じることもあるようだが、何一つ親戚に対して不満は無いと言う。 私の素直になれない言動を、素直に受け止めてくれるのも、名前が初めてだった。二十年間生きてきて、私の性格を受け止めてくれる人なんて数少ない。特に女という性で私を受け止めてくれるのは、本当に名前が初めてだった。付き合ってきた女とは違う。名前は、違った。優しく話掛けてくれる、笑顔を見せてくれる、私の暴言にも口元を上げ目を細めてくれる、私を、受け止めてくれる。 「あれ、石田くん帰ってなかったの?」 帽子を取って、向かいの席に座った名前は鞄から携帯を取り出した。 「ああ。」 「そういえば今日バイクで来てないんだね!」 「…乗りたかったか」 「うーん、あんまり。乗ったことないんだ」 「なら、休日に乗せてやってもいい。」 「残念、一日中帽子かぶってほっともっとにいるので」 「そうか、そうだったな」 バイトのシフトにそう書いてあったような。携帯を閉じて、身に着けていた私服に着替えた名前は鞄を持って「おつかれさま」と手を振った。時刻は夜の九時、帰り道は暗いだろう。 私は鞄と机の上に置いていた携帯をポケットに突っ込んで名前のあとを追った。外に出ると、やはり辺りは暗く、名前の後ろ姿は無防備だった。 「名前」 「どうしたの?あ、帰り?」 「…いや、送る」 「送るって、バス停反対の道でしょ?」 「だ、黙って送られていればいいんだ!それとも私に送られるのがそんなに嫌か!」 「えーっなんでそうなるの!?嫌じゃないよ!?」 「なら送られろ!」 「う、うん…わかった。帰りたくなったら帰ってもいいからね?」 「貴様、まだ言うか」 両頬を片手で掴むと、必死に弁解しようとする名前の顔と声に吹き出した。手を離すと名前から笑い声が聞こえて、面白いというよりも、嬉しくなった。名前と笑いあえていることも、名前の隣にいれることも。不器用な私に笑いかけてくれるのは名前くらいだ。 私がミスをすれば、そっと手を差し伸べてくれる、その手が好きだ。黙っていると話掛けてくれる、その優しい声が好きだ。顔を見ると笑ってくれる、その笑顔が好きだ。素直になれなくとも、それでいいと思える、名前が、好きだ。 名前とこうして二人きりでいるのは初めてではないが、こうして周りに誰もいないでの状況は初めてだったために、会話を切り出すタイミングがわからない。それと変に緊張してしまい、返事もそっけなくなってしまう。 「今日は星がたくさん出てるね」 「…ああ、そうだな」 「綺麗だなあ」 名前の目には星空が映っている。私も星空を見上げた。星の名前などわかるはずもない。どの星とどの星がくっついているのかもわからない。すると、腕が前方に引っ張られ、顔を下ろす。 「行こうよ」 腕を引っ張ったのは名前だった。 腕を振り払わず、名前がいつまで腕を掴んでくれるかと期待したがすぐに手は外された。予想通りといったら予想通りであった。何か話題を出そうと思い、今日の客の話をしようとしたが特に面白い客も来なかった。面白いミスもハプニングもなかった。そうすればどう話題を出せばいい?考え、考え抜いた末に辿り着いたのは名前の居候の事で、どのように生活しているのかだとか、どういう家なのか、どういう人と暮らしているのか、だった。暮らしているのは親戚といったから、自分よりも年上であろう。何一つ不自由のない家だろう。 「ずっと気になっていたんだが、どんな人の家に居候しているんだ」 「え?」 「あまり会話を聞かない。だから逆に気になるのも当然だ。」 「当然なの?えー…そう…だなあ。面白い人って言えばいいのかな?でも、かっこいいよ、すっごく」 「は?かっこいい?」 「え?かっこいいよ」 「……そ…そうか。」 いや、まさか。考えすぎかもしれない。思い込みかもしれない。 「……失礼かもしれないがそいつは男なのか?それとも女なのか?歳は?」 「大学三年生、男」 「お、おお、おと、男!?」 おとこだって…? 「……………」 「ど、どうしたの石田くん。顔がいつもよりもっと白くなってるよ…?生きてる?」 「……つき、つきあ、……」 「なんて?」 「つき、あってるのか?」 名前は顔を赤くし、小さく、まあ、多分。と言って顔を下げた。一気に肩の力も膝の力も抜け、その場に倒れたくなった。が、そんなかっこ悪いところを見せるわけにはいかず、なるべく平然を装ったがやはりショックが大きく、途中で「帰る」と口が勝手に動いた。名前は嫌な顔も不満そうな顔も見せず、帰りが遅くなることを心配して私の背に手を振ってくれた。 ショックも大きく、また、嫉妬の気持ちも大きく膨れ上がっていた。しかし名前と一緒にいる期間を考えればどう考えても結果は同じだ。 付き合っていればキスもする。セックスもする。そして一緒に暮らしているなら尚更のことだ。お互い隣で手を繋いで、腕を絡みあって、鼓動を感じながら、接するのだろう。私なんざ眼中にないのだ。 ポケットが震え、携帯のディスプレイを開けるとそこには名前の文字と電話番号が表示された。出たくはなかったが、なんとか名前との繋がりを留めておきたくて、恐る恐る通話ボタンを押した。 「石田君、今日はありがとね。送ってくれて」 「…いや、二十分くらいしか一緒にいてやれなかったがな」 「ううん、そんなことないよ!すごい助かった!」 「……名前、あの、」 よければだが、開いてる日はあるか。と、訊きたくて仕方がない自分がいる。そして、もうあまり関係を深めていくなと制止にはいる自分もいる。だが、本能は名前との繋がりを求めているようだった。 「予定がない日、どこかに行かないか?」 「…えっと…、」 「バイク、後ろに乗せてやる。名前が、海に行きたいって言ってたのは覚えてるか」 「うん。言った言った」 「別に海でなくてもいいが……。確か、再来週の日曜日はバイトなかったな」 「よく知ってるね石田くん」 「それじゃあ再来週の日曜日、十二時に駅で待っている。」 「ちょっと、石田くっ」 私を止める声を切った。なんてことしたんだと思う自分も、これでいいと思う自分もいる。後悔する自分も、褒める自分も。 もちろん今以上の関係を持ちたいという気持ちは認めている。名前の発言がいきなりすぎたのだ。よく考えてみれば名前のことを放っておく奴はいないだろう。そして大学生の男の家に居候していれば、発展しないわけが、ない。話しでは向こうは「かっこいい」らしい。入ってくる情報と感情が多すぎて整理ができない。 「………。」 じめじめとした空気が顔に当たる。髪を揺らす。どうしたものかと、星空を見上げたが、名前と一緒に見た時とは随分と違い、汚く見えた。私の恋は今この瞬間に終わったのだ。 |