神様の決め事 | ナノ


 名字名前という娘は、どこか人を惹きつける魅力を持った人物だ。誰かに似ている、と思った時にまず出てくる顔はかつて共に攘夷戦争へ参加し、同じ地で刀を振るった高杉晋助を思い出す。だが性格は高杉と真逆で、似ているのは雰囲気、魅力だけだ。歩いていれば勝手に背中にぞろぞろと仲間を増やしている、そんな人物だ。その中に新八も神楽も、もちろんその中に俺もいる。名前と出会ったのはつい最近のことで、仲が良いか、なんて訊かれたら首を傾げてしまうほどの月日程度であり、彼女の昔も今のことも、何を思って生きているのかも、父をどう思っていたのかも、どう思っているのかも、どうして刀を振るうのかも、あいつの気持ちすべてを理解することはできない。それを拒否しているようにも思えるのだ。名前は、彼女はきっと手をたくさんの血で染めている。

 名前との出会いは、河川敷でのことだった。夕方にジャブジャブと両腕両足を川へ突っ込み動かしている女を見つけた。初めは変な女だなと思いながらも横目でそれを見つめていた。ある程度歩き進んだところで、彼女の着ている服に違和感を感じ、まじまじと見てみると、誰もが見たことがあるであろう、真選組の服に身を包んでいたのだ。女であるにも関わらず、なぜあの服を着ているのだろうか。少しだけ興味が湧き、女へ一歩一歩近づいていく。すぐ近くまで来て、ハッと顔を上げた女は俺の顔をじっと見つめすぐに顔を逸らす。「お嬢さん」声をかけると、おずおずと「何でしょう」というと返ってきた。

「腕に足を川に突っ込んで必死になってるみてぇだが、なんか探してるのか?」
「あ…ちょっと、大切なものが川に流れちゃったので探してて…」
「ほー」
「……えっ、ちょっとお兄さんっ」

 靴を脱ぎ、裾を捲り、川へ足を突っ込んだ。驚いている目の前の女は居づらそうに「あの」「えっと」と声を漏らしている。「どんなのだよ」「え?」「探しもん」「……腕輪、なんです。」そう言った女はすぐに手を川へ突っ込んだ。色や特徴を訊いても、銀で普通の腕輪としか言わない。本当に誰もが想像するそのまんまの腕輪なのだろう。女は段々と困り果てた顔になっていって、一瞬腕が止まった。顔を覗いてみれば目に涙を浮かべて口を固く閉じている。ぎょっとしたが、それでも泣き声を上げるのを我慢して必死に探している姿に、一瞬ドキンと胸が鳴った。女の涙にはどうも弱い。

「俺ァ、万事屋っていう、なんでも屋してんだ。依頼してくれれば初回無料サービスでなんでもしてやるけど。」

 言い終わると、女は顔を俯かせたまま腕で川の中を弄りながら、「じゃあ、腕輪、探してください。一緒に」と見えた耳がリンゴのように赤く染め上がっていた。頭に濡れた手を乗せると、涙をひっこめた女の顔が俺を睨んでいて、「濡れる」と言って手を叩いた。何故だか口元が緩み、すぐに下を向いて小さく笑った。


 夕日に照らしオレンジにキラリと光ったのは銀色の腕輪、目の前の女と必死になって探していた腕輪、すっかり冷たくなった手が、腕輪のおかげなのかまだ暖かさを感じる。女は口を開けて「そ、それだ…」と目を大きくして口元を手で隠した。すっかり濡れた服が、一瞬だけ重さと気持ち悪さを忘れさせてくれる。一緒に川から上がってぐったりと草の上に座りこむと、お互いしん、とした空気が流れた。探して何時間経っただろうか。

「万事屋さん、…ありがとう。ほんとに」
「よかったじゃねえか。男から貰ったなんかなのか?」
「ううん、お母さんの形見なんだ。なくなったらどうしようかと思ったよ、ほんとにありがとね。」
「そうか…それは自分で買ったものなんだな。こんなに必死に探しているのを俺に見つかって恥ずかしくなってそんな言い訳作っちゃったんだよな、俺はわかるぜその気持ち。」
「川に流してやろうか」

 柄にもなくすっかり疲れてしまい、冗談も中途半端に終わってしまった。とりあえず名刺でも渡すかと懐に手を突っ込んだが、水しぶきで濡れたのだろうか、ポツポツと斑点で濡れている名刺を取り出す女に差し出すと、それを受け取りジッと見つめた女は「さただぎんじ」とどこにツッコミを入れればいいのかと一瞬、いや一瞬ではなく永遠と悩んでしまいそうな名前を言った。「ぎんじさん」「いや、ぎんときだから」

「ぎんときさん」
「あー…銀さんとか銀ちゃんとか、そういうので呼んでくんね?かたっくるしいの苦手でね」
「銀ちゃん……また依頼しに行くよ。今度はこんな服じゃなくて、もうちょっとお洒落して」
「おお、期待はしておくぜ」



「………頭痛…」
「銀ちゃーん、私お腹減ったヨ、なんか作るがヨロシ」
「ふっざけんじゃねーよ。こちとら二日酔いでへばってんのに…新八になんか作ってもらえ」
「新八は今日いないアルヨ。だから銀ちゃーん」
「そこらへんの草でも食っとけ死なないから」
「…銀ちゃん!!昨日名前と二人きりで何してきたアルカ!!お母さん知ってるヨ!?アンアンイチャコラしてきたんでしょ!?お母さんそんな子に育てた覚えないネ!!」
「うっせーよ!!アンアンイチャコラなんてしてねーハフハフモグモグしてきたんだよ!!」
「パフパフペロペロ!?」
「言ってねーよ!」
「おじゃましまーす」
「…あ!名前アル!」
「あ?」

 ビニール袋の音をさせて、名前が訪ねてきたらしい。キャッキャと声を上げて名前の周りに纏わりついている神楽の声が騒音でしかない、布団を被って声を聞かないようにしていると布団をポンポンと優しく叩いてきた奴がいる。名前だ。「どう?やっぱ二日酔いなんだ…あ、神楽ちゃんお茶いらないよ。今勤務中だからすぐに巡回戻るからさ。これ前に神楽ちゃんから頼まれてた酢こんぶね」神楽のやつなんでそんな安いもの頼んでんだよ、どうせならもうちょっと高価な菓子を頼めばいいものを…。「あれ新八くんいないんだ、残念だなあ。お通ちゃんが載ってる雑誌買ってきたのに。」残念そうな声の名前。そしてぐちゃぐちゃと丸められたビニール袋の音。あれ?「あれ?銀さんのは?」布団から顔を出して名前を見上げる。今日はスカートのようで、もう少しで下着の色が確認できる。

「銀ちゃんのないよ。だって昨日奢ってあげたじゃん、それで我慢してよね。誘っておいて奢らせるとかありえない。」
「あれはよォ…」
「あ、時間やば。原田待たせてるから、また来るよ!じゃあね!」

 くるりと回れ右、気付けば名前は万事屋からいなくなっていた。朝食を作ってもらおうかなと思っていたが、もう名前の姿はない、仕方なく自分がやろうと立ち上がった時、鮮やかな折り紙のような切れ端が落ちていた。神楽がこんなんもっているわけじゃないし、拾ってきたとしても自慢をするはずだ。まず切れ端だから拾ってくることはありえないだろう。じゃあ名前か、と拾い上げた時に、裏に血のようなものが付いていた。綺麗な血の色ではない、時間が経った血の色だった。