神様の決め事 | ナノ


「こいつは翔という。お前の一つ上で忍術では先輩にあたるからくれぐれも生意気な態度はとってくれるなよ?」
 父さんが彼、カケルの肩にポン、と手を置く。わたしは薬の調合の真っ最中で一時間ぶりの光と他人に目を細めた。夜目でも目がきくようにと父さんは家に陽の光を差し込まないようにしているから、外部の光が入ってこないのだ。
 いきなりの紹介にわたしは戸惑った。「は…はい」となんとか返事はかえしたものの、逆光で彼らの表情は確認できない。光が眩しい。わたしは更に目を細めた。


 鶴林家の次男で、先祖代々優秀な忍びとして有名な家の出らしい。わたしと一つしか変わらないのに表情も、体格も、身長も、実力も、わたしよりも遥かに上でいて、忍びとしての仕事に全うしていて、それでいて真面目ではあったが陽気で話しやすい人柄だった。戦闘専門の忍術に長けていたので、彼は父さんとよく仕事に出かけては褒められていた。嫉妬心がなかったわけじゃないが、やはり彼の実力は本物だったので何も言えなかったのである。父さんはわたしを誘って彼と共に忍術の修行をしろ、と言った。彼は父さんが言うから嫌な顔一つせずに、その言葉に頷いたのであった。


「名前は女だし、そんなに戦えなくたって大丈夫だって。父上からもそう言われてるんだろ?」
「最低限の忍術は覚えろって言われてる。…けど翔みたいにセンスがないから…」
「十分だって!薬の調合や潜入技術に情報収集は名前の方が出来るんだから、なにも完璧にならなくたっていいんだ。それに忍びは元々暗殺術を主にしているんだから父上や俺みたいに戦闘術まで身につけなくったってなんの不備もでないだろ?今までどうしてた?」
「ヤバイときは逃げろって言われてきてたから逃げてた」
「それでいいんだって」

 翔はわたしが握った大きなおにぎりを頬張りながらわたしを励まそうと笑顔でいてくれて、忍術のことで悩んでいたわたしはいつもそれに縋って、頼って、相談して、安心していた。「うめえ」と笑ってくれるその笑顔も、わたしには泣きたくなるくらいありがたいと感じた。
 翔は忍具の扱いにも長けている。忍刀だけではなくクナイも使え、鎖鎌もなんだって使っていたけれど、一番勝手がいいのは両手で持っている大きな手裏剣だった。あれを扱うには熟練の技がいるらしく、やはり翔は本当にすごい忍びなのだと再度関心させられた。父さんが認めるほどなのだ、当たり前なのかもしれない。

「なあ名前、今度握り飯だけじゃなくて沢庵も持ってきてくれよ。それか中身梅干しかなんか入れてさ、味っ気ねえのつまんなくね?」
「じゃあ食べなくていいよ」
「いやいやいやあ、嘘だって、いやほんとにまずいわけじゃない!けど、ほら、な?だったら俺が具材用意するし!」
「なら翔が自分で作ればいいじゃないの」
「俺は名前の握り飯がくいてーの!」

 わたしよりも強くて立派で忍びでいる翔が、本当はものすごくかっこよくて嫉妬していた。何より父さんはわたしよりも彼の方にご執心だったのだ。自分の息子のように可愛がっていて、わたしは父さんの娘じゃないようで、寂しかった。でもその寂しさを紛らわせてくれるのは嫉妬していた翔であって、わたしは段々と翔に心を許すようになって気がつけば翔の元へと走って、一緒に忍術を高めあった。そして翔に対して笑顔を見せるようになって、翔もいつもよりもたくさんの笑顔を見せてくれるようになり、いつしかわたち達は互いの弱点を補えるほど修行を重ね、気を許しあっていた。それほど、わたしにとって大事な人となったということだ。
 共に仕事へ向かう前日の夜に、翔は家に訪ねてきて、父さんと二人きりになりたいと父さんの部屋へ入って行った。隣の部屋で聞き耳を立てるも二人の会話は聞こえてこなかったので筆を使っているのかと壁から耳を離して居間で一人、二人がいる部屋をチラチラと気にしながらも夕食を済ませ、明日の用意をしようと立ち上がった。すると部屋から父さんと翔が部屋から出てきて、翔はわたしに「ちょっと外に出ないか」と言った。小さく頷いて翔の後ろについて行きながら父さんを見ると、父さんは何もなかったかのように夕食手をつけ始めていた。

「多分父上のほうから聞いてるとは思うけど、俺の家って先祖代々忍びなんだよな。そんでさ、実は幕府を良しとしない攘夷の考えを持ってる家柄なんだよ」
「でも明日の任務は幕府からの直接依頼だよ?」
「んで、今日の朝、家のほうから連絡はいって、俺一旦家に帰ることにしたわ」
「……え、」
「…本当はお前と、あんたの父上と一緒に仕事したかったんだけど…俺んちの糞親父が最近帰ってこい帰ってこいうるせーんだ。だからな、一旦帰宅。また来る。」

 言葉が出なかった。頭をガシガシとかいた翔は一呼吸置いて、わたしを見る。

「お前、背中に印があるだろ」
「なっなんで知ってるの」
「この前風呂覗いた時に見た」
「死ね!!」
「待てって、真剣な話しなんだ!」
「真剣に覗きを暴露してんじゃねえよカス!クズ!死んで!」
「俺の心はズタボロだよ!、じゃなくて、あの印はだなっ……」

 翔は大きく開いていた口を閉じ、上がりきった肩を下げて火照っていた頬の熱を冷ますように息を吐く。「…いや、いつでも言える、かな」と翔は言って「悪かったな」と続けた。結局告白されたのは翔がわたしのお風呂を覗いていた事だけで、本当に言おうとしたことは言わなかったのだ。
 そして次の日、わたしが仕事へ出向いた時にはほとんどの仕事は父さんが片づけており、敵側の忍びは壊滅状態、鶴林家当主である翔の父親は死んだとの報告が入っていた。翔はどうなったかはわからない。父さんもわからないらしく、探しても姿はない。

「翔は鶴林家の次男、殺されて解剖される可能性は大いにある」
「師匠は、翔の姿を見たのですか」
「いいや、見ていない。しかし長男は見た。元々体が弱いために必然的に後継ぎは翔だったはずだが…。だが、やはり鶴林家だな。病に侵されえいる体とはいえ、素晴らしい才能を持っていた」

 家を出ていたから、長男はここに引っ張り出されたんだろうなあ。そう言った父さんは帰るぞとわたしに背を向けて歩き出す。翔の姿はなかったし、翔が持ってきた写真で見たことのある家族の姿はどこにもなかった。これが忍びの世界なのだから翔が幕府につかまって監禁されることも、解剖されることだってなくはない。鶴林家の次男なのだ、ありえないことじゃない。

「…死んだ、のか」

 わたしの心の中はすっかり虚空となった。ここで泣いては父さんに怒られる。悔しさ悲しさ、すべてをその虚空の中へ詰め込んで、父さんの背を追った。


***



「ふわあああ…」
「あ、名前ちゃんおはよう。今日非番なんですね。もうお昼だしよかったら俺とうどんでも食べに」
「あ、はよう山崎。ちなみに非番じゃないよ」
「オイイイイ!!ちょっと副長に怒られますよ!」
「怖くないも〜ん。それに今日行くところあるからまた今度にしよう」
「とりあえず制服は着て行ってください…八つ当たり全部俺にくるんですよぉ…」
「ふうん。で?」
「ひでえええええそりゃねえよ!!」

 山崎が怪我しても別にわたしは痛くもかゆくもないし。
 屯所を出てしばらく歩くとお昼ということもあってか人通りが多かった。町娘は綺麗な小袖を着て笑顔を振り撒いて歩いているが、同じ女であるわたしは彼女たちとは反対に着流しを着て歩いている。前にもう少し綺麗な格好をしろと副長に言われたことがあったが何かあった時の事を思うと、小袖なんて着ていられない。でも銀ちゃんにまでもう少し綺麗な格好をしろと言われたら、もしかしたら少し焦るかもしれない。
 違う生き方があったのなら、きっとわたしは綺麗な格好をしているだろう。
 けれども、わたしは忍びという道を歩んでいなかったら真選組にも、銀ちゃんにも、もちろん彼にも会っていなかっただろうし、小汚いと言われたってそんなのちっぽけなことなのだ。

「おに〜いさんっ、よかったらわたしとお茶でもしない?」
「おー、あなたみたいなかわいいお嬢さんならよろこんで」

 振り返ったのは古き友である鶴林翔。
 昨日とっつぁんから連絡があり、本日翔が釈放されるとのことだった。本当にとっつぁんには感謝してもしきれない。にっこりと語尾にハートマークをつけてにっこりとあの頃の笑顔を見せた翔にわたしは綻んで、「あなたみたいなかっこいいお兄さんと一緒にお茶ができるなんて夢みたい」わたしも同じようにハートマークをつけて言う。
 この前たまたま通り過ぎた店の一角でのこと、なんとくの一カフェというコスプレのカフェがあるらしく興味を持ったのだが女一人でいくのも恥ずかしいし、けれども副長や総悟を連れてくるのもまた問題が起きそうだし、銀ちゃんを誘おうとはなぜだか思えなかったしでしばらく行けないと思っていたのだが翔ならば丁度いい。

「はぁ?くの一カフェえ?」
「あら?あなたもしかして名前さんじゃない?無駄に銀さんに付きまとってる」
「付きまとってるぅ?別にわたしが付きまとってるわけじゃなくて銀ちゃんがわたしに付きまとってるんですぅ」
「妄想はいい加減にしなさい。銀さんは私に付きまとってるの。あなたに付きまとってるわけじゃないのよ!………ちょっとちょっとちょっとお!なによ男がいたの!?それならそうと早く言ってよね!」
「おっ、わかるう?そうなんだ俺達」
「ふっざけんじゃねーぞクソアマ!こいつはただの腐れ縁だよ!!」
「えええええ!?」

 「禁煙席でお願いします」これ以上さっちゃんと絡んでいたら埒が明かないので翔の首根っこを持って禁煙席に座った。

「でもまあ」
 翔が口を開く。

「名前には感謝してるよ。おかげでこうして晴れて釈放されたわけだ。極刑なんてことも考えたけどな」
「でもそれは翔が攘夷活動に活動してなかっただけだからわたしは何もしてない。それよりもこれからどうするの?」
「ああ、これから?…あー、アルバイトでもすっかね。社会、というより庶民勉強?」
「忍びの仕事すればいいじゃない、現役なんだし」
「そんなの何もしなくとも依頼はくる。なら焦らなくてもいいだろ?庶民勉強飽きたらまたやるさ。金もないわけじゃねーしな」
「…うん、翔の好きなように、だね」
「……それに時雨を探してーんだ」
「ああ…山中猛の…。でも彼は攘夷活動に参加していたわけだし翔のように罪は軽くならないよ。わたしもこればかりは手を貸せない」
「手を貸してほしいんじゃない。それに一言礼言いたいだけだしな」

 随分と翔と再会するまで月日、いや年月が経った。わたしは父さんから翔は死んだことを聞かされていたから、てっきり死んだとばかり思っていた。あの頃の翔の面影が残っているような、そうでないような。翔は翔だけれど、少しだけ変わってしまったような気がする。

「ああそうだ、印は消えたか?」
「あっ、そう、それなんだけど、もう綺麗に消えたよ。ありがとう翔」
「あの印をずっと残しておくわけにはいかないだろ。あれは転生術の印で体を蝕んでいく術が組み込まれていた。正直今でも現役とそう変りなく動けているのにはビックリしたよ」
「それより、翔義手なんだって?」
「あんたの親父さんに助けてもらった時には左腕はなかったからな。鶴林家代々で世話になってる名医の助けを借りたってわけ。あいつの腕すごいだろ?9代目なんだぜ。俺の腕がいったときにはまだ父上の代だったらしかったんだけど、力試しだってアイツにしてもらったんだ。実力は申し分なかったろ?」

 腕を組んで笑う翔とあの医師にはどこか似ている部分があると感じる。そしてきっと二人は友情という絆で結ばれているのだろう、それに山中猛も、きっと友情で結ばれている。そんな気がするのだ。

「…これからはまた新しく人生をやり直しだ」
「やり直し?」
「そ。新しい俺のやり直し。んでさ、これからは名前と一緒にいれるよう日々努力っすよ。これからは誰にも縛られない、自由な人生」

 ああ、わたしと同じだ。もう誰にも縛られない、わたしだけの人生。わたし、だけの。
 もうわたしの父さんに縛られない人生は幕を閉じて、これからが始まる。ずっとこれからは、そうであってほしい。好きなものも嫌いなものも、すべてわたしが決めていい。他人が決めることではないのだ、これからは。

「わたしもやり直し、だよ。翔と一緒に、これからはわたしだけの人生。」
「…おう、これからだよな!」
「うん、これからだね!」