神様の決め事 | ナノ


 山中猛との出会いでわたしの休日はほとんど無くなり睡眠不足で朝からイライラして山崎にあたる事が多くなった。山中猛の前ではなるべく苛立ちを隠して、会話が終わったらすぐに部屋を出て山崎を追っかけて気が済むまで殴る毎日だ。屯所からも出ることが少なくなり、局長も心配して息抜きに散歩でもしてくればいいとお人好しの笑顔で言ってくれてありがたいとは思ったが気が進まなくて苦笑いを浮かべてしまった。山中猛はなかなか口を開いてくれない。両腕も両足も縛っている。恐ろしい忠誠心というべきなのか、頑固というべきなのか、負けず嫌いというべきなのか。
 少し息抜きをしようと縁に腰を下ろして膝を抱え空をしばらく見上げていると、隣にふうと息を吐いた総悟がやってきてわたしと同じように腰を下ろし片膝に肘を乗せて頬に冷たい缶ジュースを当ててきた。

「え、なにこの青春っぽい感じ。」
「随分苦労してみたいじゃねーか。クソアマクソアマ言われてるし、あんたが悪口言われて辛抱してるなんてレアすぎて逆に気味がわりーや。」
「だって山崎でストレス発散してるもん。」
「なるほど。噂によればあの山中とかいう奴かなりのやり手らしいですぜ。」
「へー」
「…なんでィ、助言してやったのに」
「えっ助言だったの?じゃあちょっとは手伝ってよね、」
「さーて仕事仕事っと…」
「おい嘘つくなサボりだろ絶対サボりだろ」

 後頭部に手を組ませてそそくさと背を向けて歩き始めてしまった。「ジュースありがと」とお礼を言うと、総悟は片手を振って角を曲がって行った。わたしも頑張ろう、とジュースのプルタブを開けると同時に外がいきなり騒ぎ始め、野太い声から真選組の誰かだとわかった。「局長!きょくちょーー!!」と焦っている声からして大変なことが起こったんだとジュースを片手に声の元へ歩いて行くと、苦虫を潰したような表情の局長と副長がいて、少し遅れて総悟も二人の輪に加わった。局長が握っている紙が皺くちゃになっているのからみれば、原因はあの紙に書かれていることだろう。わたしもブーツを履いて三人に近づき声をかけると、ハッとした三人は顔を見合わせ局長は静かに紙を差し出してきた。

「…なに?これ。山中猛がどうしたって?」
「よく見ろよ。隊士が一人捕まった。取り引きで山中猛を渡せば隊士も返すって向こうがいってきてんだよ。」
「じゃあ返せば?」
「バカかてめー、山中猛を返したって隊士が帰ってくる保証はねえ。近藤さん、どうする。」
「……とっつぁんに相談してみよう。」

 久しぶりに局長が真剣な表情だ。副長と総悟はいつも通りだけど。取り引きが開始されるのは明後日の夜、それまでに決めればいいということだ。「名前、お前もついてこい」局長に言われ、頷くしかなかった。
 連絡を入れ、すぐに真選組にやってきたとっつぁんは紙を見つめて眉の皺を濃くしてサングラス越しから局長を見た。捕らわれた隊士に、「攘夷志士の行動を見張れ」と命令した副長は悔しそうな表情をして少し顔を俯かせている。総悟は出されている煎餅をボリボリと食べ、わたしは正座をしてとっつぁんの隣で机の上の紙を見つめていた。事の事情を離した局長、そして命令をどう下すか悩むとっつぁん。副長に関しては部下の失敗は俺がと今にも立ち上がりそうな雰囲気であり、それをバカにしそうな総悟の雰囲気。わたしはとっつぁんの言葉を待っていた。

「名前。」
「あっ、えっ、はい。」
「ちょーっと頼みたいことがあるんだけどォ」
「…まあ大体想像はつきますけどォ」
「今回、どこの攘夷派なのかは明らかだからそこを突きとめて潜入してくれると事の決断も早く決まるんだよォ」
「………だろうと思いましたよ。でもブランクあるんでほんとに、失敗するかもしれないんで却下で。」
「エエエエエエ、展開的にありえなくない!?一人の部下の命の危機なんだよ!?」
「自分の命の方が、大事ですし…ウフ」
「ウフじゃねえよ名字、つか潜入ってどういうこった。」
「おお、テメエらにはまだ言ってなかったな。名前はこう見えても忍としてのスキルを磨いている女なんだぞォ」
「口調うざいからやめてくんない」

 三人の表情を局長、副長、総悟の順番に見ていくと、やはり想像通りにわたしに驚いているようだった。確かにわたしが忍としても動けるなんて知らなかったろうし、まず自分からも言ってなかった。でもすぐに驚いた表情は消えていって、局長は頬をポリポリと掻き「名前にはそんな危険なことさせられないしなあ」と眉を下げる。顔を見合わせたわたしととっつぁんは思う事が同じのようで、すぐには命令が出せないでいた。
 まず隊士を確実に返してもらえるのかということが問題だった。どうしようか、と五人は頭を捻り、出した結果は相手の言うとおりに山中猛を返すということに決まった。確実に隊士も返してもらうということで、五人は腰を上げる。

「それじゃあとっつぁん、また連絡するよ。」
「おーうじゃあな名前」
「うん、またねとっつぁん。何かあったら言ってね、なんでもするから潜入以外。」
「期待しないで連絡するよォ」
「口調うざいからやめてくんないマジで」

 早速山中猛の元へ行こうと後ろを向くと、一歩後ろに副長がついてきた。副長の方へ振り向くと、「山中んとこだろ」と禁煙のはずなのにタバコを銜えた。すると、ドタドタと走ってきた山崎が声にならない声をわたし達に伝えようとしている。副長と顔を見合わせて、二人声を揃えて「なんて」と発したところ、山崎は深呼吸をして、
「山中猛が逃げ出しました!」
と、大声で叫んだ。一瞬なにがどういうことだと頭の中がこんがらがったが、何かに引き寄せられるように山中猛を入れていた部屋へ走り、中にいない山中猛を確認する。上を見上げてどこかに穴があったのかもしれないと探すも、それらしき穴もないし、見張りがいたはずなのに、見張りもいなくなっている。

「(……やられた)」

 遅れてきた副長も見張りはどうした!と声を上げている。あの紙は囮だったんだ。気付くのが遅すぎた。あんなにとっつぁん達と話し込んでいれば、逃げられる隙だってあったはずだし、なにより敵に侵入されていた。ずっと侵入していたわけ、ではなさそうだ。急いで鍵を探した痕跡もあるし、定位置に置くようにしている鍵がバラバラに置いてある。丁度、巡回にはいる時間にもなる、それを狙われたんだ。「チッ」カチッとライターに火が付く音がして、ドカリと椅子に座った副長は「やられたな」と呟いた。

「山中猛を助けようとした攘夷浪士だけど、ずっとここに潜入してたわけじゃないみたいだよ。鍵がいつもの場所にないし、慌てた痕跡もある。もししばらくの間潜入してたとしたら深夜にでも逃がすことはできたと思うし…。」
「…明日は久々に非番にしてやるが、明後日は朝から働いてもらうぞ。」

 椅子から立ち上がり、トボトボと歩いていく副長の背中はとても小さかった。そんなに落ち込まなくてもいいと思うけどなあ、と言おうと思ったが今そんなこと言ったってどうなるわけでもないだろう。人一倍プライドが高いし副長だし、わたしなんかが声をかけても逆に火を付けてしまうだろう。副長が行ってしばらく経った後、わたしもいない筈の副長の背中を追うように歩いた。以外に自分もトボトボと歩いていて、わたしってこんなに仕事好きだったのかなあと笑ってしまった。