神様の決め事 | ナノ


「……久しい来客だ。女が帯刀とは、珍しいな。」
「えっと、友人の紹介で来たんですけど。」

 翔に渡された紙を見せると、目の前に綺麗な黒い髪の色をした医者は中身をジッと見て、その紙を机の上に置いた。「翔の友人か」机にあった冊子を開き、その開いたページをわたしの前に筆と一緒に差し出した。その行為の意図がわからないので、その冊子を手にしないでいると、医者は座ったままこちらに寄ってきて、座れと座布団を置いた。ブーツを脱ぎ、用意された座布団に座った。

「氏名と職業を書け」
「あ…はい。」
「……女が帯刀、着流し、その眼、翔の話では聞いたことがない。」
「古い友人です。」
「まあ、いい。症状は?言っておくが、内臓など言ってくれるなよ」
「外傷なので…。」
「なら見せてみろ」

 どっちみち、彼には傷を見せることになるだろう。瞬時にこの医者とは仲良くなれそうにないと判断した。こういったタイプの人間がわたしは大嫌いだ。職務質問している副長のようで、更に嫌いの方向へ持っていかれそうだ。本当は着物の着たかったけれど、脱ぎやすいし傷に擦れない服装といったら着流しぐらいしかない。それにこの男、他人に興味を抱かないような眼をしている。
 着流しを肌蹴させ、医者に背を向けた。包帯を巻いているから傷を見せるのに多少時間は掛ったものの、包帯を解き終えると医者から「ほう」と声が上がった。恥ずかしみを感じながらも、包帯に滲んだ血で口を結ぶ。

「なるほど、この傷と、印を、消せと」
「できますかね?翔は『できる』と言ってたんで信用はしてますが…。」
「いや…、やってみないとわからん。だがやりがいはある。」

 傷へ手を置かれ、痛みに顔を歪める。自分で触るより、なぜ他人が触る方が痛いのだろう。「痛いんですけど」「だろうな。だが、傷は治る。しかしな」この、印のことだろう。わたしも、実を言うと何度もこの印を消そうと医療の本を読み漁っていたが、これといった対処法はなかった。家から持ってきた本にも、書かれていなかった。

「痛いか」

 当たり前だ。傷は右肩から左腰にかけて刀を下ろされた。血は出、毒を塗られ、出血多量。しかも一時膿んでしまった。自分の薬がなかったら今頃どうなっていたことか。「わかった。治そう。」ヒリヒリと痛む傷を隠そうと着流しを羽織ると、医者はこちらに向くようにと言った。ここで包帯を巻き直すこともできないし、帰るまで傷が擦れるのを我慢しよう。

「翔の腕を見たか?」
「腕?」
「アイツの左腕は義手だ。私が治療した。それを見て安心するといい。刀傷も綺麗に消してやる。印もだ。二日後、またここに来い。時間を開けておけ、真選組副長補佐。」





 外の風がすうすうする。血が滲んだ包帯は医者が捨てると言って奪われてしまった。
 しかし、翔の日だ言うでが義手とは、わからなかった。本物の手の動きだったし、義手と思わせることがない自由自在で繊細な動き、医者の腕が見て窺える。ならわたしもあの医者を信用してこの背の傷を任せてもいいのだろう。それくらいの実力は確実にある。きっとこの印も消してくれる。そして、唯一の家族の存在であるこの印が、消されてしまう。
 父の姿。あれはまるで人間そのもの、しかし本当は屍だった。宇宙へ飛び、死に、機械になり、顔を隠し、母を生き返らせようとした。わたしを殺してまで。けれど、最後の父の表情、言葉。立派な父と言えるだろうか。皆には迷惑をかけてしまった。特に銀ちゃんは真選組でもないのにわたしを助けてくれようとしてくれた。
 顔が綻ぶのがわかる。着流しを整え、万事屋へと行こうとすると、わたしの名を呼ぶ声が聞こえ、視線をそちらにやった。

「銀ちゃんっ」
「お前出歩いて…」

 口を開けた銀ちゃんは言葉を止め、わたしの姿を見た後に頭を掻いて「お転婆娘」とこちらに近づき頭をがしがしと撫でてきた。女の子に容赦ないけれど、別に嫌なわけじゃない。お礼を言おうと顔を上げると、銀ちゃんの目は真っ白になっていた。

「…銀ちゃん、どうしたの?」
「ぶほおおおお!ふざけてんのかテメェェェ!!お持ち帰りされてえのかあああ!」
「はあ?」

 忍びの如く速さで遠退きわたしを睨む銀ちゃんの心情がまったく理解できない。

「あ、万事屋言ってもいいかな」
「よろこんでえええ!」

 まったく理解できない。



 お登勢さんとキャサリンは相変わらずだった。階段を上り、いつものように万事屋へと入っていく。がらんとした万事屋には定春しかいない為、とても静かだった。
新八と神楽ちゃんは買い出しに出かけたっきり帰ってこないらしい。多分お妙さんのところで寛いでるんだろ、と銀ちゃんは言った。妙にそわそわした銀ちゃんは湿気た煎餅と熱いお茶を出しわたしの隣に態々座った。もうちょっとパリパリな煎餅が食べたかったけれどこの家にはない。
 銀ちゃんの頬に貼っているガーゼで持ってきた薬の存在を思い出し、煎餅の横に薬を置く。銀ちゃんはこれを見て、「おっ」と顔を明るくさせて薬を持ちあげた。

「えっと、本当に、父さんの件はありがとう。本当に感謝してる。怪我もさせちゃって…。」
「気にするこたぁねえ。父親に俺達の関係を認められたんだ。」
「いやいや、認めた素振りなかったからね。勘違いもいいとこだからね。」
「しかしまあ、なんでそんな格好してるんだ?もしかして俺に…」
「ああ、医者のところに行ってて、その帰り。包帯に血が滲んでたから…捨ててきたの。」
「滲む?…お前、背中」
「え?」
「…滲んでんじゃねえか。」
「うそ、滲んじゃった?」

 顔を背中に向けるが首が回らなくてうまく血の滲み具合が確認できない。「やだなあ、早く帰らないと。どのくらい滲んでる?」本当は鏡で確認したいが、ここじゃそんなことできるわけがない。具合を確認してもらうことしかできないだろう。わたしの問いに、銀ちゃんは苦い顔をして、背を見つめた。「銀ちゃん聞いてる?」銀ちゃんの方へ振り向こうと体を傾ると、重いものがのしかかってきた。それが銀ちゃんだと知るのに時間が掛り、銀ちゃんに抱き締められていることに気付いた時には、抱き締められる強さが増していた。肩の傷を避けるように銀ちゃんの手は後頭部と腰に置かれている。

「女がこんなでけぇ傷作って、嫁にいけなくなったらどうすんだお転婆娘。それに、てめぇは男じゃねえ。刀なんてもん捨てちまえ。もう、怪我なんて、作るんじゃねえよ」

 銀ちゃんの上半身はわたしの倍はある。広い、男の人の胸板。筋肉、腕、力。すべてにおいて女であるわたしは劣っている。そして、なにより異性。激しくバクバクの動く心臓が治まることはなく、顔も熱くなっていく。銀ちゃんの行為がもし無意識ならば、恐ろしい。段々と抱き締める力も強まっていく。これじゃあもう、呼吸ができない。

「あっ、ちょっと、ぎ、ぎんちゃ…、」
「あーー!!新八ィ!銀ちゃんが発情期アル!」
「何言ってんの神楽ちゃええええ銀さん名前さんなにやってんすかああ!」

 銀ちゃんが肩を揺らし、抱き締める力を弱くした。一瞬の隙をついて銀ちゃんを突き飛ばし、新八と神楽ちゃんを押し退けて玄関へと走り、数秒のうちに万事屋から離れた。未だバクバクと胸を打つ心臓の鼓動が消えない。顔もまだ熱いことに気付き、手の甲で口元を押さえた。
 バクバク、バクバク。

「や、やだ、」

 恥ずかしい。胸が苦しい。なに、これ。


***




「はあ?名字の様子がおかしい?」
「そうなんですよ、昨日からずっと空を見てぼーっとしてるし…」
「何言ってんだ山崎、あいつが空見てる時は確実120%寝てる時だろ」
「違うんです儚げな表情で空を見上げているんです、これってもしかして、いや俺の経験上これは完璧に、というか俺の推理なんですけど、」




 「はあああああ!?」という副長の声が屯所内に響いた。新しい包帯を巻きながら廊下に顔を出して何があったのかと辺りをキョロキョロと見渡して隊士を探すが、廊下には誰もいなかったので副長の叫んだ理由を聞けなかった。腕の包帯を巻き終わり、巻き途中だった上半身の包帯を腰にびっちりと巻いていく。いくつ包帯を切らせてしまっただろう。
 着物を着用し廊下に出て声のした副長の方へ行ってみるがそこには誰もおらず、副長の代わりに山崎が居て白目を向いて倒れていた。

(山崎のことで叫んでたのか…。)


 翔から紹介された医者と出会って二日後、今日が約束の日だった。この日の為に仕事をきっちりとこなしてきたし、スケジュールもばっちりなので不備は起きたりしないだろう。一応、一本だけ軽い方の刀を持って行こうと思い、部屋に戻って刀を持って部屋から出て玄関へと歩いていたらばったりと総悟に出くわした。腰の刀に気付き、じっとわたしの顔を見る。

「…なんですか」
「一体どこに行くんでィ。俺もまぜろよ」
「遊びに行くんじゃねーんだよ。それにあんた仕事あるんじゃないの」
「サボりゃいいんでさァ」
「オイ一応わたし上司なんですけど!」

 これ以上総悟と話していても埒があかないのを悟り、総悟を避けて歩いていると、総悟は「おい」と少し大きめの声を出してわたしを呼び止めた。振り返り、総悟の顔をジッと見る。しかし「おい」と言ったあと、総悟は何も言わずに背を向けて歩き出してしまった。最近男の子というものがわからない。

 山奥にある小さな村、そこに医者はいる。制服のほうが些か歩きやすかったかもしれないが、そんな格好だったら村の住民は驚いてしまうだろうから着てこなかった。先程の総悟の行動の真相を暴こうと考えながら村に入っていく。背中の痛みに耐えるのは慣れてしまったので、ちょっとやそっとの痛みじゃ動じなくなったのである。
 しかし女が帯刀をしているということもあり、周りはわたしを「女のお侍さんかなにか」という目で見てきた。奥にポツンと建っているのが、医者が居る家。簾を退けて「すみませえん」と声を出すと、奥からのしのしと思い足取りで医者は現れた。

「ああ、来たか副長補佐」

 着流しを着た医者は親指で奥の方を指差して奥の方へ歩いて行った。わたしもそれに従って医者の後ろを追い、進んでいってドアを開けた医者はわたしの顔を見て笑う。空気が澄んだ部屋に入ったわたしの目の前にあるのはベッドと機械と医療器具だけで、他はなにもない。医者はベッドの上を叩き、ここに寝ろと言った。

「信用してますから」
「……任せるといい。私が必ず消してやるさ、傷も、印もな。…翔から話しは聞いた。お前が気に入ったんだ、全力を尽くす。」
「翔から聞いた…?」
「その印はお前の父親の独自の印だから解読に時間はかかるが、なんとなく解る。まずは傷を消してからその印を消す作業に入る。今から一時間程度で傷をし治し、。三時間で印を解読する。構わないな?」
「あ、はい。傷と…印が消えるなら。」

 悲しいわけではなかったが、寂しい気がした。父との唯一の接点だと心の奥で決めつけていたものが消えてしまうのが。しかし、この印にいつまでも捕らわれているわけにもいかないのも確かだ。この印が消えることで、わたしは前を向いて一歩前進することができて、今までよりも綺麗な世界が広がるのだろう。それに、印が消えたってわたしの記憶から両親は消えることはない。ずっと生き続ける。

「…そうか、わかった。」

 そう、消えるわけじゃない。これを踏み台にして進んでいけばいい。
 医者の強い眼差しを見て、わたしは前進できるのだと確信できた。この医者にすべてを任せればいい。すべてを任せて、それから歩んでいけばいい。新しい一歩を踏み出していけばいい。もう何にも囚われない、名字名前を、今から築き上げていくのだ。
頭にいろんな人が浮かび上がってくる。わたしが今まで出会ってきた人すべてといっていいほど。その中には当然父の姿もあった。とっつぁんも、局長も、沖田さんも、副長も、銀ちゃんも、みんな。縛られていたものが外れる音がして、わたしは自然と笑顔になっていた。