神様の決め事 | ナノ


 ぴちゃぴちゃと飛沫になって飛んでくる真っ赤な血が頬に、服に、印に、飛び散った。歪む視界には膝を折っている銀ちゃんに、手裏剣を構える翔の姿があった。立ち上がろうとするがうまく力が入らない。解毒剤に手を伸ばそうとしたが、これも動かない。呼吸だけ、できる。背中の痛み、痺れ、心の空洞、悲しみ、すべてがわたしを襲う。
 わたしのお父さんはお母さんを生き返らせるためわたしを殺す、ということが今になって実感できた。高杉となぜ繋がりがあるのかも、どうして攘夷浪士と関係を持っているのかも、なぜわたしにあんな遺言を残したのかも、お母さんのことも、すべてお父さんしか知らない。わたしは、知らない。でもよく考えると、これが当たり前のことだった。
 二人はどのくらい戦ったのだろう。

「銀ちゃん…」

 目の前で膝を折っている銀ちゃんを見上げる。勢いよく振りかえった銀ちゃんに、内ポケットに解毒剤があることを伝えると、正面を向けて胸に手を伸ばした。銀ちゃんにもたくさんの傷がある。大きな傷から小さな傷まで。

「…これか?」
「そう、それ、」
「……こういう状況じゃなかったら名前の胸触れたことに歓喜してんのによチクショー…」
「おい天パどさくさにまぎれてどこ触ってんだ!!ブゴッ」

 父さんに思い切り殴られた翔は勢いよく横へ飛んでいく。父さんは前に翔がいなくなったことにより銀ちゃんの方へクナイを向けて走ってくる。「まずい、三分になるぞ!あと一分だ!」大型手裏剣が投げられたが、父さんはそれを軽々と避けて銀ちゃんを蹴った。あっという間に父さんと一対一で対峙してしまい、解毒剤も銀ちゃんの手にあるために動くことができない。
 父さんと見つめ合う。期待に溢れる父に、絶望をしている娘。指をゆっくりと閉じて握り拳を作った。

「お母さんを生き返らせる術を編み出すことができて我を失ってるのか」

 絶望から勝ち誇ったような笑みをわたしは見せた。見下ろす父さんは嬉しそうな顔から冷淡な表情に変わる。クナイを握る力が強くなるのが見え、わたしも拳を握る力を強くする。

「最後の足掻きか貴様」
「教えてあげようか又兵衛。死んだ動物は生き返らない。生命の秩序はそうやって成り立っている。死ぬ人がいれば、生まれる人がいる。そうして人間は今まで生きてきた。死人を生き返らせることなんて、絶対にできやしない。」
「言ったろう、何度も言わせるなよ。俺は宇宙へ飛んで、見つけた。人間そのものを知った。」
「それが偽りだってことも気付かないのが人間だよ、又兵衛」
「馬鹿にしてるのか?」
「馬鹿に馬鹿っていって何が悪いの?」

 父さんはわたしを殺すかもしれない。父さんの足が腹に乗って仰向けになった。咳が出るが、そんなものどうでもいい。父さんが、又兵衛が、本当のことに気付いてくれればそんなのどうでもいい。毒のせいか呼吸もうまくできなくなってきたのか、それとも父さんの足で呼吸がうまくできなくなってるのか、どちらかはわからないが呼吸がうまくいかない。多分緊張しているから、なのかもしれない。
 「名前!」翔の声が頭に響く。父さんがクナイの刃をこちらに向けた。脳裏に浮かぶのは幼い頃の翔、とっつぁん、真選組の皆、万事屋のみんな、銀ちゃん。お母さん。
 終わりだ。父さんの口はそう動き、やっとわたしの復讐劇は終わったのだと悟る。やっと何にも囚われなくなったのに、どうも嬉しいとは思わない。握っていた拳の力を解いた。ここにスーパーマンでも来てくれればわたしは死ななくて済むのかもしれない。わたしがお母さんになってわたしは死んでも、お母さんもわたしも死んで終わるのも、それも運命だと自分に言い聞かせて死ぬこともできる。ただ、皆にお礼を言えなかったのが残念だ。

「この前高杉に会ったよ。」
「そうか。利用価値があると思ったが、ただの能無し坊主だったわ」
「…高杉も父さんのこと、どうでもいいって感じだった」
「そうだろうなあ、お互い利用し合ってたんだから」
「そう、それじゃあわたしも父さんもお互い利用し合ってたのかな」
「それはどうかな。ただ俺はお前を利用していたがな」

 何が愛情だ。なにが父親だ。こんなひどいことあっていいものなのか。目から流れた涙が耳に掛る。もうこれで父さんと会う事はないのかもしれない。「わたし、」
 それでもやっぱり、父さんなんだ。

「!?」
「お父さん、挨拶遅れましたが、娘さんを僕にくださあああい!」

 銀ちゃんが父さんを蹴り、よろめいた父さんに木刀で一撃を加える。飛んでいく父さんとは対象にピンピンとしている銀ちゃんはニヤリと笑って、ポケットから見慣れた小さな瓶を取り出した。

「名前特製元気になれるよドリンク。飲めばあらまスッキリ元気になっちゃう魔法のドリンクなのだ」
「それ…」
「最後に残しておいてよかったぜ。ありがとな、名前。」
「……ガキが」

 口から流れた血を拭う父さんは腰に付けていたポーチからもう一本のクナイを取り出す。本気だ。

「知ってましたか?加齢臭を気にした瞬間にあなたは立派なクサ親父なのです」
「殺されたいか」
「そして若作りを始めた瞬間からあなたは立派なおじさんなのです」
「殺すぞ天パアアア!」
「俺の気にしていることをオオオ!!」


 銀ちゃんと父さんが同時に走る。しかし坂田銀時、白夜叉といえど、超一流のベテランの忍の速さには敵わなかった。銀ちゃんの木刀が回転しながら宙を舞い、グッサリと刺さったクナイに顔を歪めた。

「終わったな」
「いやそうでもねーよ?」

 宙に舞っていた木刀が回転を落としながら父さんの背に落ちていく。父さんの胸倉を掴み落ちてきた木刀を握った銀ちゃんは、父さんに向かって振り下ろした。その銀ちゃんの木刀をクナイで受け止めた父さんはもう諦めろと言い、攻撃に移そうとした瞬間、銀ちゃんは一瞬の隙をついて父さんの手首を捻りクナイを奪う。

「おい、テメー、死んでるだろ」

 銀ちゃんが言う。父さんはなにも言わずに銀ちゃんを見ている。わたしは目を開いて父さんを見た。すると後ろから翔が現れ、銀ちゃんに向かって額に親指を突き立てた。


「ここだ!」

 銀ちゃんが額にクナイと突き刺すのと、父さんが銀ちゃんの胸にクナイを突きさすのはほぼ同時だった。二人からの血飛沫が床を汚す。父さんの額からは血と、カラクリの音が聞こえた。翔が腕を引っ張り肩を貸してくれ、父さんの元まで引きずってくれる。
 首をギギギ、と動かす父さんの目の色は赤い点滅が施されていた。

「いくら大事に娘を思っていても、妻を思っていても、していいことと悪いことがある。死人を生き返らせようだなんて、名前の言う通り無理な話なんだよ」
「貴様如きに何がわかる。わたしはずっと菊を愛してきた。だから宇宙にまでいって、蘇生術を見に付けた。体がボロボロになろうとも、機械になろうとも、わたしは命がけでこの術を見つけたんだ」
「テメーの娘は生きてる。心臓が動いてるぞ。あんたの愛した菊が腹を痛めて愛情を込めて産んだ娘を裏切った。お前自身が妻を殺してる事になるのにも気付かねえのか」

「名前は暗闇の中で生きてきた。あんたを思いながら生きてきた。母親を、父親を思いながら、生きてきた。復讐するべく生きてきた。もう、終わらせてやってもいいんじゃねえか?」
「ふん、そんなのとっくに終わってるわ。あとは名前に菊を産ませてやることだけだ。わたしはそれだけのために生きてきた。妻を思いながら生きてきた。心を塞ぎ込んでも、この時の為に生きてきた。」

 いつもそうだった。父さんはわたしの意見を聞こうとしない。反論なんて許さない。自分がすべての人だった。自分の言ったことは正しくて、他人の言ったことは正しくない。自分が行うことは正しくて、他人が行うことは正しくない。
 いつもそうだった。わたしは呪縛を理由に暗闇の中で足掻いていた。救いの手を求めながらも、いつもその手を払っていた。
 わかっていたのにそれができなかったのは、自分のせいだ。

「名前はあんたを愛してんだ」

 響く機械音とわたしの口からでる空気と声が混ざる音が響く。

「………戯言、を」
「あんたも愛してるんだろ」
「……、…な、ん、」


「わたし、忍になれて、よかったよ。父さんと一緒に仕事ができてよかった。父さんが頭を撫でてくれる時、すっごく嬉しかった。父さんが笑ってくれる時、本当に、嬉しかった。」
「……名前…」
「お父さん。お父さん、ごめんなさい。」
「名前」
「いつもお父さんのせいにしてた。いつもお父さんを利用してた。お父さんがわたしを利用してたようにわたしもお父さんを利用してた。しちゃいけない事は、その時はどうにかなるけど、いざとなると、その見返りがくるんだね。でもね、お父さん、わたしは幸せだったよ。お父さんが幸せじゃなくても、わたしはやっぱり、幸せだって、言いたい。言えるよ」