神様の決め事 | ナノ


「飯だ、食え」

 いらない、と声に出さなくとも伝わるように顔を背けた。折角持ってきてくれたものだけど、わたしは食べられない。それに好意でしている事ではないのだろう。その方が逆にありがたかったりする。
 わたしは自分の落ち度に笑った。ブランクがあったからって、ここまで落ちるのは完全に気の緩みからだ。わたしは平和に過ごしすぎたからだろうか。知っているのは自分自身だということはわかっている。
 高杉は仕方なくおぼんを机の上に乗せ、ワザとらしく溜め息をついた。わたしは高杉に顔を背けたまま、畳みの目をじっと見つめていた。しばらくの沈黙、それを破ったのは高杉だった。いきなり立ち上がり、棚を開ける音がして、ゆっくりと、紙を大事そうに握った音がした。その音を確認すべく振り返ると、年季の入った所々黄色いシミがある封筒を高杉は大事そうに握ってわたしを見下ろしていた。変に熱を持った眼差しだ。「…はっ、恋文?」「違う」

「お前の父、又兵衛が俺に綴った文章だ。」

 又兵衛、それはわたしの父の名だ。忍として、人間として、とても褒められ、称えられた人。父は攘夷浪士に殺された。父は言っていた。俺を殺したのは攘夷浪士だ。頼む、俺を殺した奴を、殺せ、と。そうわたしに言ったのは父だ。しかし目の前には攘夷浪士の高杉がいる。そしてその手には父が高杉に送ったという手紙が大事そうに握られている。

「見ればわかる。」

 高杉はわたしの目の前に腰を下ろし、肩膝を立てて胡坐をかいた。渡された手紙を恐る恐る受け取ると、高杉の息を吸う音が耳を支配する。乱暴に破かれた茶封筒。中身は白くて綺麗な真っ白の紙がある。茶封筒の宛先を確認すれば、そこには確かに父の字で「高杉殿」と書かれていた。封筒を膝の上に置き、手紙を開く。
 ――高杉殿。ご機嫌は如何か。私はぼちぼちといったところだ。さて、私がこうして高杉殿に文章を綴る理由は他でもない。最近攘夷浪士を頻繁に見かけ、彼らの奇襲も受けるようになってきた。仲間だと思っていた奴らにも刀を向けられる日々だ。そこで高杉殿に頼み事をしたい。私を嗅ぎつけ回る浪士達を片付ける間、このことを娘の名前に伝え匿ってもらえないだろうか。無理にとはいわない。いつもこのような役回りを君にさせてしまい申し訳ないと思っている。一週間後の午後七時、いつもの場所で待っている。 又兵衛
 と、いう内容だった。父は高杉に、わたしの身を高杉の元へ置いておいてくれないかと申していたのだ。

「又兵衛は来なかった。いつ送られてきたかなんて、そんなん覚えちゃいねェ。ただ、殺されたということは明白だった。又兵衛が死んだことを知ってから、二年間お前を探し続けたが、幕府の元へいるとは思わなかった。又兵衛は確かに人望も厚かった、人脈もあった。松平の元へ行ったっておかしくは無かった。又兵衛はここにいない。だからもうこんな約束どうだっていい。…だがお前を見つけた。確かに名字名前だった。又兵衛の願い事なんて俺にとっちゃもう過去の話だ、どうだっていい。俺は又兵衛関係なく、お前をそばに置きたい。」

 手紙の字を見つめる。嫌っていうほど見た、父の字だ。わたしが見間違えるわけがない。
 頬に手が添えられているのに気付き、顔を上げればすぐそばに高杉の顔がある。じっと、深い目で見つめられた。これが高杉の秘密なのだ。この目がいけないんだ。悲しさと憎しみを知っている瞳、これが高杉の正体だ。手首を掴んで押し出した。思いのほか高杉の力は弱かったらしく、わたしに負けた。
 わたしはなんの為に刀を振るうことを覚えたのか。真選組という屋根の下で皆で笑い合うためになのか。万事屋と皆と大騒ぎするためなのか。高杉を利用して復讐をするために、なのか。答えはどれもこれも正解に近い。わたしには本当の答えがわからない。父のために死ぬのか。それとも好きな人たちのために死ぬのか。どうすればいいか、わからない。

「わたしは、」

「わたしは真選組副長補佐、わたしは幕府の人間なんだ。攘夷浪士と一緒に行動することなんてできない。…わたしには、」

 大切な人がいる、一緒に笑ってくれる大切な人達がいる。短くとも、大切と思える人がいる。
 高杉は急にわたしの肩を掴み、にんまりと妖しく笑った。高杉の力が強すぎて振り払うこともできなければ、それを拒む言葉さえ出てこない。痛みに顔を歪ませながら、精一杯高杉を睨んだ。「なァ、知ってるか」じりじりと寄ってくる高杉は更に怪しく笑う。

「俺はほしいもんは必ず手に入れる主義なんだ。」

 上半身を片腕で押されて、傍から見れば高杉に押し倒れている。「なんっ…!」「もう逃がさねえ」妖しい笑みは最高潮といったところだろう。頭も落ち着いてきて、ある程度動けることができるくらいに冷静になれた。高杉の胸を押し返すも、高杉の力にも体重にも何もかも勝てない。これじゃあまずい、と思っても成す術がない。

「……続きはお楽しみだ。そろそろ俺が楽しみにしているイベントがある。」
「イベント?」
「幕府も、江戸も滅びれば、お前も真選組だのなんだの言えなくなる。」
「何しようとしてるの…、江戸をどうしようっていうの、」
「なに、ちょっとした大きなイベントだ。終わればお前も晴れて俺のそばに、ってわけだ。一石二鳥じゃねェか。」
「ふざけないでよ、わたしがいつあんたのそばに…!」

 部屋から出んじゃねえぞ、と言って体は重みに開放された。高杉は部屋を出る。波の音と雨の音を聞きながら、わたしは高杉が出て行った場所一点を見つめていた。ぐしゃぐしゃになった父の手紙を握った。






 高杉の出て行った二分後、わたしは諦めかけていた。夜に行動する、といってもこの艦内じゃ行動範囲が狭められている。雑魚は関係ないとして、高杉と、似蔵の存在には注意すべきだ。ここを走り回ったって、どうこうできるわけじゃない。どこに何があるかわからない。高杉が出て行った襖を開けて、しばらく一点を見つめた。いつ高杉はかえってくるだろうか。

「あ、」

 自然と立ち上がる。向かう場所は燃料がある倉庫だ。

 階段を降りて、いくつも大砲がある部屋の奥の階段を降りれば燃料タンクがたくさんある倉庫の前まで着く。しかし厳重に鍵が閉められていて、細い鉄の棒で試行錯誤を繰り返すも、厄介になっていくばかりだ。専用の鍵は必要なのかもしれない。しかしその鍵が誰が持っているかは知らない。時間があれば探すこともできていたが、今は時間がない。物音が聞こえて、大砲の陰に隠れた。…通りすぎていく足音、安心するように息を吐いて、できるだけ、この船が不利になる状況を作ればいい。大砲に手をかけた。