神様の決め事 | ナノ


 午前5時半、着流しを着て屯所を出た。電車賃と添える花を買えるお金と何かあった時のために、と少ない額を財布に入れて電車に乗った。通勤ラッシュでサラリーマンや学生で埋もれそうになりながらも、田舎になるにつれて人は少なくなっていき、わたし一人だけとなった。久しぶりの景色に緊張し始めて、肩を大きく揺らして息を吐いた。
 両親のお墓参りに来ただけのこと。添える花は、いつも買う花屋さんで買えばいいとして、水を先に買おう。お供えの饅頭や団子、クナイ。無人駅に下りて田圃に囲まれた畦道を歩いていき、お墓がある山を登る。高いところにはないが、景色がよく見える場所へ両親の遺骨を埋めている。小さい頃、動くのに長い髪は邪魔だろうとバッサリ切られて数十年経つ。もし父が生きていたら、この髪を見てどう文句をつけるだろうか。また、「忍に長い髪は邪魔だから父さんが切ってやろう」と言うだろうか。母が生きていたら「名前は女の子なのよ、お洒落だってしたいわよ。ねえ。」とわたしの髪を櫛で梳かすだろうか。
 急な坂道を登ったところに、ポツンとある二つのお墓。「やーっと着いた!」花や水をお墓の前に置いて景色を眺める。江戸では見ることがないだろう、こんなのどかで平和な景色。

「何年ぶりかな…五年、かな?今、松平のとっつぁんのおかげでなんとかやっていけてるよ。」

 まず母のお墓に水をかけ、花、線香を添えた。お墓に、小さな青い花が根っこごと横になって置かれている。もしかして誰かがここにきて、花を添えてくれたのだろうか。マッチを使うのが苦手だけどライターの方がもっと使いづらいから、マッチで火を起こすしかない。何分がマッチを擦り続け、やっと火が点いた。

「江戸ってすごい都会で、大きくて、わからないことも多いけど、皆いい人たちだよ。お母さんにも、…お父さんにも案内してあげたいな。なんでも屋してる万事屋銀ちゃんってところがすごい賑やかで楽しくて、わたしが働かせてもらってる真選組の皆も、わたしが女だからって差別しないし、対等に見てくれて、すごい、いいところなんだ。今日、真選組の人とお祭りに行くんだ。お母さんと昔、行ったよね。あんまり、…覚えて、ないけど。お父さんに内緒で、行った、よね。……あれ、」

 声が震える。ポタリと涙が落ちて、唇が震える。五年もここに来ていなかっただろうか、それとも昔のように感情を抑えていないからだろうか。目の辺りを手で覆い隠すと、嗚咽が出てきた。ずっと我慢してきたものが、一気にこみ上げてきたようだった。昔は父に「忍だ、忍だ、お前は忍だ」と言われ感情を出すことが許されていなかったからだろうか。今まで父とお墓に訪れていたからだろうか、初めてこうして一人でお墓に来たからだろうか、頭が真っ白になるくらいに、涙が出る。頭が窮屈だ。
 隣の父のお墓に水を流し、線香と花を添え、腰を下ろす。母と同じように小さな青い花が置かれていた。この小さな花を置いてくれる人の優しさが眩しい。
 父に送る言葉も、掛ける言葉も、感謝の言葉も、何も出てこない。それほど父との思い出がありすぎたのだ。クナイを置く。

「師匠…、わたし、」

 風を切る音、振り返り刀を鞘納めたまま目の前に出し、クナイを防ぐ。気配を感じない、が、誰もいないわけがない。辺りを見渡すが、人のような影もない。刀を腰に下ろし、饅頭と団子をそれぞれのお墓に置いた。忍だろうか、天人かもしれない。もしかしたら攘夷浪士だろうか。糸に転がっていた石を巻いて木と木に投げ、ぐるぐると巻く。普通の人ではこの糸を見ることはできないだろう、見える角度はあるが1ミリという角度でしか見えない。
 父を恨む人間なのだろうか。刀は一本、クナイは4本、糸はいくらかある。絶対に敵がこちらへ向かってくる確信がある。わたしの狙ってクナイを放ったのだ、絶対に、また攻撃をしかけてくる。この後すぐに屯所に帰ろうと思ったのにそうもいかなくなりそうだ。

 高い音が山に響く。笛の音だ。この場所を荒らされては困る。態勢を低くし神経を研ぎ澄まし気配を弄る。

――ダッダッダッ

 足音だ。こちらに向かってくる。草をかき分ける音が聞こえ、荒々しい息をしているようだ。久しぶりにこんな緊張する実践だ、江戸に上京してからはこんな戦闘無かったから。下を向いて緊張を和らげ、前を向く。

「!!」

 犬、のような、大きい生物だ。張った糸をうまくかわし、牙を見せながらこちらに向け跳んだ。このままじゃ噛まれる、と判断したわたしはクナイを4本一気に敵に投げ顎にうまく突き刺した。それでも闘争本能は消えないらしく避けたわたしに迫ってくる。じりじりと敵は距離を縮める。一方のわたしは崖との距離を縮めていた。「やばっ」ポロポロと石が崖の下へ落ちていく。クナイも4本使ってしまった、糸を持ってきた意味がない。

「ほーらワンちゃん。ほら、ほら、饅頭だぞ〜?美味しいんだぞ〜ドックフードよりも骨よりも美味しいんだぞ〜?」

 人間の言葉が理解できるはずがない。やはり敵は牙を向けて迫ってくる。崖に落ちるか噛まれるか。

「噛まれた方がマシ」

 刀を抜き、敵を睨む。敵も十分に威嚇をしている。敵が駆け出す前にわたしが駆け出した。敵を避ける事は計画にいれていない。戦闘から離れていたわたしが敵を避ける事なんて出来るわけがない。腕一本あげる気持ちで向かい、やはり敵も駆け出してきた。刀を左手に握り直し、ピタリと止まる。敵の吠える声、これが戦いだ。敵の牙が近くなってくると同時に自然と右手を出していた。
 嫌な音と嫌な痛みが全身を覆う。敵の牙は太いというよりも鋭利な細い牙だったことが幸いだった。大きい穴を開けずに済んだのだ。左手を大きく振りかぶり刀身を頭に貫通させた。強い力は段々と弱くなり、わたしの腕ごと崩れ落ちた。ごろんと敵の力に負けて転がる。

「……ふう…。いった」

 クナイを抜いて、ズキズキと痛む腕に手を当てる。腕の傷を見てみると、見てられないくらいに残酷な傷になっている。「ぶっすぶすじゃん…。」血に染まった着流しは着ていられないほどに汚くなった。こんな戦闘にいちいち身体を張っていたら死んでしまう。後ろにお墓がある、父の、師匠のお墓が。こんなわたしの姿を見て声を上げて笑うだろう。「死ぬぞ、名前!」と。腕に糸を巻きつけて止血をする。「いたいた、いた」クナイを山に捨ててクラクラと頭を揺らしながら山を下りる。
 「……お金もう少し持ってくればよかった…。」この服で帰れというのか、この腕で帰れというのか。包帯を買うくらいなら、あるかもしれない。

「おねえちゃん」
「!…あ…なに、あ、あー…どうしたの?」
「血」
「あー…ちょっと鼻血が出ちゃって…」
「腕」
「あーあー…あ、あはは…」

 なんだこの子。それよりまずい、腕の傷も、血も、見られてしまった。そりゃ、当たり前か…。

「ん?」

 女の子の腕には小さな青い花が握られていた。もしかして、この子。「ねえ、ついてきて。」左腕を掴んでグイグイと引っ張ってきた。わたしはそれに従って女の子の後ろをついていき、しばらく歩いたところで古びた家に着いた。腕を離した女の子は家に入っていって、中で、おねえちゃん、とわたしを呼ぶ声が聞こえた。薄暗い家の中は土のにおいがした。とても人が住んでいるようには思えない。

「これ、濡れタオルと着替えと、…包帯。」
「……わたしに?」
「うん。あたし、ここで一人暮らししてて、両親も、姉も弟も死んじゃって…着替えとかたくさんあるから、えっと、別に気にしないよ。」
「…ありがとう。お言葉に甘えて着替えさせてもらうね。」
「うん。」

 弱々しく笑う女の子はわたしの隣に足を広げて座った。腕を隠しながら血を拭い、包帯を巻いていく。小さな青い花のことと家族のことが気になりチラチラと女の子を見るたびに目が合った。なんだかむず痒くなり自分から目を逸らす。

「ねえ、キミ、山の中にあるお墓のこと、知ってる?」
「…うん。いつも誰もきてないみたいだから、いつもお花添えてるの。」
「そうなんだ、」
「どうして?おねえちゃんの知り合いのお墓なの?」
「まあね…よし、着替えよ。」

 立ち上がり血に染まった着流しを脱ぎ、女の子から新しく受け取った着流しに身を包む。土臭いこの家のにおいに慣れていくような気がした。あまり裸を見られたくないが、ここで文句も贅沢もいっていられない。普通なら胸を隠し背を向けて着替えるのだろうけれど、わたしには背中に大きな傷がある。小さな女の子にこんな大きな傷を見せることはできない。複雑な、模様のような傷なのだ。

「ありがとう、名前教えて?」
「富子」
「トミコちゃんか…。ありがとう、今日はお金もないからお礼できないけど、また次来る時にお礼させてね?」
「…お、お団子」
「お団子?」
「おお、お、お団子が食べたい!」
「うん、お団子ね!おねえちゃんが美味しいお団子お土産を富子ちゃんに持っていくよ!」
「本当!?や、約束だよ!」
「…うん。」

 小指を目の前に差し出してきたので、わたしも小指を出してそれに答える。指きりげんまんなんて久しぶりだ。この家には時計が見当たらない。時間もわからないし、そろそろ帰ったほうがいいと思い富子ちゃんの頭を撫でて「それじゃあ、またね」と玄関に立つ。富子ちゃんも急ぐようにわたしの手を握って「送っていく!」と、またわたしを引っ張って歩いていく。
 富子ちゃんは家族のことを話そうとはしない。自分が経験した面白いことを、わたしに必死に伝えようとする。そんな姿が可愛くて、自然と笑顔になっていく。駅が近くなり、富子ちゃんは名残惜しくわたしの手を離した。わたしは、手を振って、「またね、富子ちゃん」と、富子ちゃんの名前をしっかりと言葉にした。すると富子ちゃんは笑顔になって、歯を出して笑う。

「バイバイ、おねえちゃん!」