手を伸ばせば、すぐ其処に(沖田)
「いかないと言っているだろ……!」
血管を浮きだしてその場に正座し立ち上がらない女(男装)が一人。永倉は必死であった。この男装女、島原でかなりの人気を有しているのだ。懐かない子猫さん、そう芸妓に噂され、誰が一番初めに懐くかと賭けごとをしているそうな。実際彼女がいると芸妓の気立てがよくなり、機嫌がよくなりと……この女がいるだけで一石何鳥にもなる。だが本人の名前はいい迷惑だったのである。
わたしは男装はしているが、女であるから女に触られると正体がばれてしまうのではないかと肝が冷える。といっても永倉、続いて原田はそんなことないその時は護ってやると首をぶんぶんと振りまわす。名前は溜息を吐いた。
「だから、行かない」
「そこをなんとか」
「いかない!沖田を誘えばいい!あいつも懐かない猫同然だろ!」
「いや総司は……」
「うん、結構……」
「ちょっと平助?左之さん?」
既に好き合っている二人である。藤堂と原田は口を押さえた。これ以上の事は言えぬと。そんな二人を横目で見た名前はしめたと思い腰を上げた。「二人とも、今何と?沖田が何と?沖田が島原で、何かしたのか?」あーあ、やっちゃったな。土方はこの時初めて溜息を吐いた。「阿呆共が」そして呟いた。沖田は誰にもわからぬように冷や汗を垂らした。
「ふむふむなるほど、そうか、彼は犬だな 餌を与えると懐く野良犬」
「それよりも名前さんは愛らしい顔してますなぁ」
「わたしはそんなに安い男ではない。一杯飲んだら帰ろうと思っている」
待てよ!身を乗り出した永倉、原田、藤堂など眼中に無し。宣言通り一杯だけ飲んで金をお膳に置き島原を去って行った。芸妓達は溜息を吐く……が、懐かない猫にご執心である。可愛いと。愛らしいと。新撰組3人は冷や汗を垂らした。芸妓達の目が完全なる捕食者の目であったからだ。
「沖田総司様?」
猫なで声。あまり聞かない声に沖田は肩を震わせた。島原から帰って来た名前は一目散に沖田の部屋の前へ来て、千鶴に貰った酒を片手に足で襖を開けて入った。「なにしてらっしゃるの?」沖田は反応した。さっと手に持っていたものを隠す。
「沖田総司」
声色が変わった。沖田は上目遣いになって名前を見た。思ったよりも、名前の顔色に変化は見られない。
「あなたは男だし、確かにお綺麗な芸妓に気を良くしてしまうのは仕方のないことかと存ずる。女のわたしはあまりそういうのに、疎いので、わからないが、酒に飯、酌されれば確かに、もちろん、どんな人でもいい気になってしまうものだから仕方のない事だとわたしは思う。だがしかしな、しかし、その」
名前に関しては、そういったものが薄いからであろう。いつまでも続いた文句が切れ始めた。沖田はおや?と首を傾げる。
「………嫉妬?」
名前は顔を真っ赤に染め上げた。
「名前ちゃんおいで」
「いやでもわたしは、ちがくて、そういうことがしたくて今ここにいるわけでなくて」
「いいからいいから ほら」
いいように言いくるまれているような気がする名前だったが、沖田の性格は把握しているつもりだったのでこれ以上は何を言っても無駄だと諦めた。芸妓の甘いにおいがするのではないかと手元のにおいを嗅いで沖田に近付くと、くしゃりと音が鳴った。音に気付いた名前は踏んだ紙を拾った。
「春画?」
「………」
「ほう」
「僕も言いわけくらいならあるよ。きみ、この間三番隊の隊士に言い寄られてたよね?きみは一般隊士達には『男』として通っているし、医学を学んでいる身でありながらも隊士、それに小綺麗な顔をしている。男所帯の新撰組で、家を持つ隊士は少ない。よって男色な輩に言い寄られる。しかも君が力で負けたらどうなると思う?」
「男色はそう珍しいことではないだろう。にしてもその苦しい言い訳はなんだ?わたしが隊士に肌を見せると思ってるのか?それは残念。わたしは今後一切沖田以外に肌を見せようとは思っておらん。股間を蹴りあげてやる。で、この春画はどういう経路で何故持っている?……沖田、あなたこそ嫉妬か?わたしが隊士にも、芸妓にも絆されると思ってるのか?………沖田、お前もまさか男色か」
「そんなわけないだろ!」
「いやいいよ珍しいことではないのだから で、春画の件はどういった?」
「………きみは、だから、普段は気を張っていているからとても中性的に見えると思う。実際僕も女だと知るまでそう思っていたし。だから芸妓はきみのこと……可愛がると思って」
「で?」
「………平助や、左之さんが、あんな事いうから」
「で?」
名前は春画を眺めた。月明かりに照らされてよく見えないが、この体位は自分らがよくするもの。名前は俯いている沖田を見据える。「はぁ」布団に腰を下ろした。
思えば、名前に敵う隊士は誰一人としていない。千鶴を除けば。口でも腕でも、何でもいつの間にか名前の手の平に転がされてしまうのである。
「こんなもの、いらない」
名前は春画を破った。わたしがいるだろ、と消え入るような声は次の沖田の声でかき消された。
「あ………やっちゃった」
「え?」
「それ土方さんの」
「え!?」
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