いつでもきみを想っている | ナノ


 夜、沖田から連絡が入った。明々後日は浴衣で。と。お迎えは午後6時、わたしの家に迎えにきてくれるらしい。律儀にギリギリではなく3日前を選ぶところが最近見つけた沖田の良い所だ。多分浴衣ないんじゃないかとか思ったのだろうが、大丈夫きちんとありますから。ああ見えて結構真面目なところがあるもんだ。
 明後日は友人と一緒に回るらしい。その日は花火もないし、沖田曰く男と花火見てなにが楽しいわけ?だそうだ。そんな事ないよ、とは言ったけれど、もしわたしが男で、男を隣に花火を見上げても楽しくないし、綺麗だねなんて言えるわけでもない……これは、女も言える事だったが……。
「ん?あ、うん?」
 斎藤からの着信だ。
「はーい しもしもー」
「名前か…?」
「うん……間違い電話なら切るね」
「あ、ま、待て違う!その……俺は、あんたを誘いたくて」
「なにに?」
「……花火大会に」
 うまく聞き取れなかったが、花火大会、と言ったのだろうか。「いつの?」「明々後日のだ」思わず、なんで?と訊いてしまった。なんでわたし?斎藤の回答を待っても、いくら待っても返事はない。モゾモゾと電話越しで何かが動く音がした。布の擦れる音だろうか。
「ごめん、もう予定入れちゃってるんだ」
「そっ そうか……」
「ほんとごめんね」
「いや、あんたは悪くない。少しタイミングが悪かっただけ故」
「また誘ってよ斎藤。埋め合わせくらいは、うん、するよ」
「…ありがとう それでは」
 結局布の擦れる音の正体は掴めなかった……し、少し申し訳ないことをしたと感じた。特にわたしは悪い事をしていないし言っていない、同様に斎藤も同じなのだ。だがしかし、なぜだろう。
 そういえば、最近沖田と斎藤の仲が以前より悪化している。以前から仲が悪かったわけではないけれど、なんだか最近打ち合い後も楽しくなさそうだし、沖田が一方的に攻撃をしかけている感じだ。勝率は互いにどっこいどっこいだったけれど。

 そういえば、浴衣出しておこうかな。



―――……


 浴衣の着付けは本当のお母さんから教えてもらった。育児に無関心な人ではあったけれど、自分の母親(わたしからしたら祖母)に着付けを教えてもらったことがあったらしく、それはそれは上手だった。なのでわたしもそれをみて、教えてと精一杯お母さんと関わろうとして教えてもらった。
 それも今になって生かされているけれど。お母さんが居なくなってから生活が変わったかと言えばそうではないし、むしろちょっとだけ楽になった気もする。ただ自分ですべてをやらなければいけない、たまに返ってくるお姉ちゃんが家の掃除をしてくれるけど帰ってくるのが昼間だから会うことがないから、本当に大変ではある。けれど部活も始めたし娯楽が出来たから余計な事を考えずに済むことができる。
 鏡に背中を映しながら、帯の調整をして前を向いた。懐かしい格好だと思った。以前もこうして誰かと一緒に祭りに行くのが楽しみで、気合いを入れていた。軽く化粧もして、1年生の時に耳に穴を開けたのを思い出してピアスを付けようと思ったが、沖田はピアスを開けていなかったから摘んだピアスを机の上にそっと置く。

「沖田、総司」

 沖田総司。

「斎藤、一」

 斎藤一。

 次々に出てくるのは、担任の名前、同じクラスのもう一人の茶髪の男の子、剣道部顧問、保健体育担当教師、保健室にいる怪しい先生、1年生の剣道部マネージャー、屋上で物売りしている男の子、学園長、生徒会長、などなど、思い出せば数々の見知った顔が、懐かしい姿で現れていく。

「………」
 この浴衣の柄も、どこか、懐かしい。

 棚から、ビーズで作ったブレスレットを腕に付け、巾着を持って部屋の扉を開けた。階段を下りてリビングを確認すると、リビングにはお姉ちゃんがテレビを付けながらポテトチップスをむしゃむしゃと食べている。今日に限ってこの家にいるということは、もしかして、別れたのだろうか。
「いつ帰ってたの?」
「今さっき」
「別れたの?」
「別れた」
 お姉ちゃんの横に座って、ポテトチップスに手を伸ばした。
「そういうあんたはデートなの?」
「ううん デートじゃないけど………」
「けど?」
「………ううん、お祭りに遊びに行ってくるだけ!」
 男の子に誘われはしたよ、とは別れてきたお姉ちゃんには言えずに心の中に留めておいた。テレビ番組はルーレットを回し料理を食べる人とそうでない人を決める、有名な番組だった。あー、料理食べれない人、まるで私みたいでかわいそう。とポテトチップスを二枚同時に食べ始める。そんなことないよ!なんて口が裂けても言えない、言ったら確実殺される。
 昨日はいつもの友人と回って、明日も一緒に行こうよ!と誘われたが、生憎予定を組んでしまっていることを伝えると、それ誰?と睨まれてしまった。「ねえもしかして、斎藤くん?」と、言われた。わたしは傍からみると斎藤ととても仲が良く、付き合っている噂も流れているらしい。全力で否定すれば友人はそうかあと悩み、「なら沖田くん?」と期待で輝く目を向けてきた。嘘を吐く事はできないので頷けば、「そうだよね!そうだと思ってたんだ!」と跳ねて喜ぶ友人に、何故かと訊けば、私の願望なだけ!とだけ、言っていた。

   ピンポーン
「あっ、じゃあ行ってくる!」
「いってらっしゃい」


「えっと、こんばんは沖田くん」
「こんばんは名前ちゃん」
 ニッコリ、いつもの沖田スマイル。
「名前ちゃんとっても似合ってるね」
 ニッコリ、更に沖田スマイル。
 てっきり沖田は私服でくると思っていたのに、沖田も浴衣を着ていた。沖田に良く似合うシンプルな浴衣で、着なれているような風貌である。なぜかわたしが浮いてしまっているかのような……。
「大丈夫沖田もすごく似合ってるから」
「フォロー?どうも」
「ちげーよ」
 道路側へ沖田は歩いて行く。沖田の小さな気配りだ。

 人は寝ている間に3度夢をみるそうだ。夢を見ない、見てないと言う人も必ず3つ夢を見ている。たまに夢でいきなり場面が飛んだりすることがあると思う。それは起きる前に記憶が夢の処理を行っているから起こる現象らしい。脳は寝ている間も活動し続けているということ、つまり、生きているということなのだ。
 わたしはあまり夢の場面が飛んだりすることはない。ずっと一定の夢である。道場にいるわたしは竹刀を持って、「早く、次!」と口にしている。「ほんと、 って急かすよな!」「そう急く事もないだろ」ううん、誰の声だったか。
「今日はいきなり『トイレ』とか言って帰ったりしないでね?」
「ああもう、あの時はごめんってば」
 女身のわたしは、あの道場の中で特別に浮いていて、女身であるにも関わらず本物の刀を帯刀しており、男の中で一人、高い声で笑っていた。青痣を作り、汗を掻き、胡坐を掻いて近くの男に話しかけられ、話題が酒の話に遊女の話で盛り上がっていく。聞いて話し、聞いて話しを繰り返す。
 おかしいよ、この時代に女が帯刀なんて。いやいや、歴史を追っても武士として生きる女なんて、そうそういねえよ。肩を叩く男を睨みつけ、胸に柄を打ってやった。「黙れッ わたしは護られる女じゃない!」「いててっ わりいってば、おい、おい悪かったって ほんとにお前は乱暴だなあ。貰い手いるのか?んん?」「う、うるさいなっわたしは、別に、独り身の方が気楽で楽しいからいいんだ」「女がそんなこと言っていいのかよ 素直になれって」「……こんなわたしに、貰い手などいないよ」「…んなことねえだろ ほら、ここには男がたくさんいるぜ」「………尚更だ、馬鹿者」

 角を曲がれば浴衣に身を包む女性がたくさん、子どもから老人まで、たくさんいる。公立のちょっと派手な高校生はバッチリとメイクして男の子と会っていたり、友人と騒いでいたり携帯を弄っていたりする。老人はベンチに腰掛け、隣の別の老人と話していたり、体格の良い男の人はスマートフォンを片手に連絡をしている。
「うわぁ人いっぱいだぁ……」
「昨日より多いね。カップルも」
「やっぱり花火効果絶大だなぁ あれかな『花火、綺麗』『君の方が綺麗だよ』とかお決まりのセリフあるのかな?ぶふっ」
「うわぁ名前ちゃん少女漫画の読みすぎ?今時そんなクサい台詞口にするカップルいないよ。アベック時代だよ」
「どういう時代の事言ってんの?」

 昨日はかき氷にたこ焼き、焼きそば、大判焼き、ふるポテを食べ、くじ引き、ヨーヨー釣りをやったので、昨日できなかったことを今日やりたい。とは、沖田にはなぜか言えなかった。「子どもだね」と言われるのが予想できたからだ。
「あっ!総司にいちゃんだっ!」
「ああ、昨日ぶり 今日も来てたの」
「うん総司あそぼ!また射的やってよ!」
「あーごめんね 今日はちょっと遊べないの」
 この子いるからね。沖田はわたしを指差した。男の子から沖田に視線を送り、その視線を男の子に戻す。
「総司にいちゃんのこれかよ、お前!」小指を立てる男の子。
「ちげーわ!!」
「名前ちゃん、その言葉遣いだと折角の浴衣もかわいそうだよ」
「うるせっ……あっ!いない!」いつのまにか男の子は消えており、向こうの方で男の子の背中が見えた。「あの子たこ焼きの屋台の、ほらあの男の人の息子らしいんだ 昨日暇だって言うから遊んでもらってたんだよね」へえ。そう。え?ふうん。

「名前ちゃん、どこ行きたい?こういうのってやっぱり女の子の要望を優先にしたほうがいいのかな?」
「え?ま、まあそうかな……前例がないからわかんないけど……。とりあえず私は腹ごしらえがしたいですな」
「そう。じゃ……どこから攻めてく?」
「ひっ………広島焼きっ!!」

「んふふ 美味しい うまうま んふふ」
「コレ食べたらちょっと勝負しない?」
「ん? なんの?」
「名前ちゃん射的得意?」
「えーっとやった事ないからやりたいなー」
「じゃあ射的で勝負に決定。何を賭けようか」
「ええっ わたし賭けごと苦手なんだよねえ。絶対?やだっていっても決行?」
「きみさ、勝った時の事考えたことないよね 試合でもいつもそうだし」
「うんないかも」
「勝ったら、負けた人にひとつお願い言えるっていうのはどう?」
 わたしの返答は二つ返事。「もちろんやるよっ!」なんとも現金な女だと思われたかもしれないが実際そうだし、沖田もこういうところのわたしの性格は知っているだろう。ゲームセンターでゾンビを倒すゲームやったことあるし、これくらいは大丈夫はなずだ。きっと負けない! と思う。(沖田が器用な事を認めてはいるが)
 わたしよりも先に広島焼きとぺろりと平らげた沖田は、まだ食べているわたしの腰を押して「ほら行くよ」と耳元で囁いた。 ううん………。

 「射的」と書かれた大きな看板を前にする直前に広島焼きを食べ終えた。「おじさん昨日ぶり。2人分、5発ずつちょうだい」「おお 今日はデートかい あいよ」パックと割り箸をビニール袋の中に入れると、おじさんがそれに手を伸ばしこっちで捨てておいてやるよ、という好意にお礼をして、弾を受け取った。
「まあ、感覚で覚えたらいいよ。始めの5発は試しにどうぞ。アドバイスくらいはしてあげるけど」
「弾ここに詰めるんだよね?持ち方とかどうするの?」
「自分のやりやすい方でいいんじゃない。試しに軽いものを狙ってみたらどう?」
 沖田は机に手をつき前かがみになってわたしの顔を見ている。時折目が合いながらも逸らして、狙いを定めたナントカドロップの缶を見つめる。
「ものは試し……と言いますものね」
「そうそう」

 ゴッ

「わお!命中!」
「…………わお」
 命中ど真ん中!缶は倒れた。沖田が呆気に取られている間に、隣の別のお菓子も倒し、その上にある小さな人形も落としていく。そのまた上の段にある少し大きな人形に二発使って、落とした。
「なーんだ 案外簡単なんだね!」
 沖田、それからお店のおじさんは目を丸くしている。最後の人形には手間取ったが、どれも当たりはよく、勢いよく地面に落ちていった。
「いいね。 おじさん、もう一口」
「え?ああ……」
「一番上の段の商品を先に落としたほうが勝ちで」
「おっけー。わたし負けないかもよ」
 剣術の他の才能があるなんて知らなかったよ。沖田は小さく笑ってコルクを詰める。わたしもおじさんからコルクを受け取って詰めていく。沖田の実力はわからないが、今のわたしは誰にも負けない気がするのだ。
 勝てる。そう思った。何のお願いしようかなと余裕をこけるほどに自信があった。
「チッ くそ」沖田の一発目はミス。箱が少しずれただけである。コンッ「あ、良い感じにずれた!」「ちょっと重量違うんじゃないの」慌てる沖田の声に笑い、もう一発詰めて、撃った。よしあと一発でいけそうだ!

「これ、射的のお金」
「いいよ 別にいらない」
「………ねえ拗ねないでよー」
「別に拗ねてないよ」
「景品、子どもにあげちゃったから怒ってる?」
「怒る要素ないじゃない 飴はあげなかったみたいだけど」
 つーん。近くのコンクリートに腰を下ろしている沖田の手には林檎飴が握られている。先程の射的であてた景品を子ども達にあげたところ、わたしと沖田に一本ずつその手に持っていた林檎飴をお礼として渡したのだった。
「おき、」
「ッ!」
「名前……と、総司」
 沖田は先に反応していた。声の方へ振り向くと、私服で、一人唐揚げの紙コップを持っている斎藤の姿が。
「斎藤………やあ……」
「……ああ」
「どうしたの、一君。何か僕らに用でもあるの?」
 やはり棘のある言い方だった。
「いや別に、どうということはない。ただ姿が見えた故」
「そ ならバイバイ 名前ちゃん行こう」
「う、うん 斎藤またね」

 沖田に手を引かれ、また人混みの中を掻き分けて紛れ込む。振り返り斎藤に手を振れば、斎藤も少しばかり恥ずかしそうに、手を振り返した。

「うわぁ 金魚すくい」
 思わず口から飛び出た言葉を沖田は拾い、子どもが群がる小さなビニールプールの中を上から覗いた。
「ほしい?」
「ううん でもやりたいからやっていい?」
「おじさん一回何円?」
「100円だよ」
 沖田は財布から200円を出して、子どもの間に無理矢理入っていった。だが子ども達はそれを拒んだりせず、沖田のポイを見つめている。「名前ちゃんもおいで」沖田の隣に座り、水の中に泳ぐ金魚の中でどれが一番元気がいいのか、どの金魚が掬いやすいのかと考える時間も案外楽しいものだ。考えて、掬って、成功すれば、それはもちろん嬉しいし、この歳になってもまた金魚すくいがやりたいと思う要因の一つであると思う。
「あっ!」ポイの紙が破れてしまった。
「あはは 名前ちゃんコレは下手くそだ」
「うう……難しいよね」
 沖田が左手に持つかき氷のカップにはすでに三匹の金魚が泳いでいる。そのうち一匹は出目金だ。
「ぼく あげる」左隣りにいた男の子にカップを渡した。「いいの?」「楽しんだしもういいよ」
「沖田ってお祭りごと好きそうだよね」
「嫌いではないけど、もっと静かな所のほうが好きだかな」
「沖田って案外一人になること多いもんね お昼ご飯とかたまにそうだし」
 先程の拗ねた様子はない。斎藤の登場によって沖田の機嫌は元に戻ったが何故か引け目を感じてしまう。電話の時、沖田と行く事を伝えておけばこう後悔もすることなかったのかと、思う。過ぎたことを悔いても仕方ない。
 斎藤が食べていた唐揚げが食べたくなってきたので、人間観察をしている沖田の浴衣の裾を引っ張った。
「唐揚げ食べたい」
 見事な食いっぷり発揮するねぇ。ニヤニヤ笑う沖田に頭突きをした。
「うんとたくさん食べるといいよ名前ちゃん」
「バッバカにしやがってコンチクショウ!!」



「あれ、お……沖田?」
 唐揚げを二つ分持って両手が塞がっている。そして沖田の姿が見えない。人を掻き分けても、その場に立ちながら待っていても、沖田の姿はどこにもなかった。「沖田」心細いのか、思ったようにはっきりと沖田の名前を呼ぶ事はできなかった。自分が幼子になり、母親もしくは父親の姿を探す気分にもなってしまって、どこか悲しい気持ちになってしまって俯いた。唐揚げのカップを強く掴む。
「名前?何してるんだ?」そこには斎藤が経っていた。

「総司に連絡を入れるから待っていろ」
 ベンチに座り、斎藤は隅の方で沖田に電話をかけにいく。両手が塞がれていたから連絡もできなかったわたしには素晴らしい尊敬するヒーローとなった斎藤は、電話をかけ終えたのかこちらに戻って来た。
「こちらに向かってくるらしい」
「よかった 帰ったのかと思ったよ」
「総司はそういう奴ではない」
 わたしに注意をしたのかそうではないのか。わかってるよ、と言えば斎藤はわたしの隣に拳ひとつ分の距離を置いて腰を下ろした。

「総司と、来ていたのだな」
「あは…言ったほうがよかったかな」
「いや特には……。………ところで名前」
「なに?」
「あんたはどこまで知っているんだ?」

「……え?」

 なにを?

「俺には、どうにもあんたが、昔の………前世の事を、知っているように思えるんだが」

 息が上手くできず、目の前がぐらぐらする。息が出来ていないからだろうか、時が止まったようにわたしも止まる。




「しら、ない」

 汗が滴り落ちる。紙コップの形は変形していき、唐揚げがひとつ、飛び出てしまいそうだった。知っていると言ってどうなる、斎藤とどうなってしまう。もしかして中川のように以前敵同士で、中川のように敵意を向けられたら、わたしはどうなる?怯えて生きる?わたしは昔のわたしのように強くは生きられない、強くないから。
 汗とはまた別のものが流れていく。それが涙と解るまで、数秒も掛からなかった。
 知っていたらどうする?もしかして斎藤は、わたしのことを、昔のわたしのことをわたしよりも知っているの?
 わたしはそう、出来ていない人間なのだ。

「俺は知っている。あんたが、あんたは……ずっと、」
「一君………!!」
 沖田だ。
「この子に変なこと吹き込まないでくれる?迷惑なんだよね 最近、ずっと名前ちゃんのこと構って何がしたいわけ、いい加減にしてくれないかな ほんとに、ほんとに、やめてくれる」

 もう20分後には花火が始まる。ベンチに置いた唐揚げは、取り残され、わたしは沖田に手を引かれたまま、森の中に入っていった。森の中といっても公園内でありベンチもあるし、所々に鉄棒もある。小さい頃によく遊んでいた公園だ。沖田よりもわたしのほうが知っているはず。
 涙は半分止まりかけていて、涙が渇いたので顔を上げると、沖田の耳とうなじが視界に入った。

「名前ちゃん」
「……… な、なに」
「急にいなくなったりしてごめんね」
「ううん それは、全然」
「一君に何もされてない?」
「うん されてないよ」
「変な事言われたりしなかった?」
「………ううん 言われてない、」
「嘘吐きだね 顔に出てるよ」
 うん、知っているよ。でも、我慢して普通の顔気どってみたんだ、わかってほしいんだけど。

 息を吐くと、わたしの体は自由が利かなくなった。わたしの体は今、沖田に抱きしめられているからだ。驚いて唐揚げを地面に落とし、抵抗もできず、沖田の心臓の鼓動だけを、確かに、確認していた。顔を上げ、沖田をみる。苦しそうに顔を歪ませて、何かを堪えているように震えている。その正体は何なのか、わたしにはわからないし、まず現状を把握できない。
 しばらくの沈黙。沈黙を破ったのは沖田。
「前世を知っているの?」
 何を隠すことがあるのだろう。何故だろう?もう話してもいいのだろうか?気持ち悪くなった原因だとか、急に倒れたり頭痛がするのも、それを思い出すせいだと沖田に話していいものなのだろうか?
「ごめん 僕、きみの前世を知ってる」

 今更自分の前世がどのようなものだったとか知りたくない。どうでもいい。斎藤の前世とか沖田の前世とか、そりゃまあ気になりはするけれど、どうでもいい。わたしは前世とかより今の方が大事だから。生きているし。
 しかしそうも言っていられないのが本音である。
 わたしは沖田のことを知っていて、昔は顔見知りだったのかもしれない。
「ずっと、待っていたから……」抱きしめる力を強くした。

「ごめん沖田。わたし、沖田のこと思い出せていないんだ」
 沖田は驚いてわたしを見た。
「………そっか」
「わたしは、沖田、別に、前世がどうとか、こうとか、もうどうでもいいんだ……ちょっと自慢になるくらいの話題っていうだけで、気にするほどのものでもないし」
「そうだね」

 沖田の浴衣に顔を押し付ける。止めどなく溢れる涙を隠すためだった。頭痛がするわけでもなく、気持ち悪くなるわけでもなく、力がなくなるわけでもなく、今まで経験したことをひとつも感じないまま、わたしは泣いていた。
 泣く理由もわからずに泣いた。少し心のどこかで寂しさを感じながら。

 人は変わらない?そのまま?沖田も斎藤も土方先生も変わらない?わたしと関わる全ての人は昔と何一つ変わらない?


「沖田はわたしの事知ってるの?」
「…うん、まぁね」
「斎藤のあれをどうして止めたの?」
「別に、名前ちゃんが知らなくてもいいことでしょ?気にすることないと思うけどな」
「でも沖田は、わたしに前世があるかって訊いたよ。思い出してほしいからじゃないの?」
「ちょっと違う……と思う。僕は名前ちゃんに昔の事を知ってほしいわけでも、思い出してほしいわけでもないから ……そりゃあ少しは思い出してもらいたいけど?……でも、大事なのはそういうことじゃないかなと思うから」
「じゃあ どういうこと?」

「僕は、今の君が大好きだから」



 ごめんね、と呟いた沖田はわたしの唇に自身の唇を当てた。触れるだけの、ファーストキス。
「昔は金平糖を咥えて、キスしたんだよ」
「………へっ わあああっ!!」
 ドスン!バタッ!いてっ!
 わたしの顔は見事に真っ赤になっているはず、だって顔がとても暑い。暗くてよかったと思う余裕がないほど、顔に手を当てて頬の赤みを見られないように必死だった。
 影がわたしを覆う。転んだはずの沖田はわたしの腕に手を置いて、腕を下ろし、わたしの手を握る。


「僕はまたきみと一緒に、幸せを作っていきたい」






「記念写真撮ろう」
「え?なに?スマホで」
「そうだけど、どうしたの?いやなの?」
「それブログに貼ったりしないでよね」
「大丈夫 個人的に楽しむ用だから あとピンで撮っていい?」
「それは?」
「安心して これも個人的に楽しむ用だから 特に夜用で」
「……… トイレッ」
「あ、ちょっと、じゃあピンはいいから2人で撮ろうよ 別に不細工な顔でもいいから」
「お前マジ殺されたいわけ!?」
「花火をバックにして、ほら 少しは見栄えも良くなるよ」
「ふんっ」
「いって!!」



 出会いは晴天の日。友人である千鶴を訪ねて赴いた屯所。驚く千鶴に、驚く侍達。帯刀している男はわたし。実は女。「わたしは名前と云う。雪村千鶴に会いに来た」凛々しく張った声のわたしに、興味津々でわたしに近付いてくる男が一人。ある一定の距離を保って、大きな声で「土方さぁん」と叫んだ。
「えっと、名前君?失礼だけど、いやきみのほうが失礼なんだけど、何の用?」
「今言った わたしは千鶴に会いに来たんだ。もういいか、わたしとて暇ではないんだ。わたしが探している人物は土方さんではない。呼ぶならば『千鶴ちゃん』だ」
 食いかかる男が一人。食いかかる男に食いかかる女が一人。
 出会いは晴天の日、千鶴を訪ねて赴いた屯所の門を破った女の人生が始まった日。







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