いつでもきみを想っている | ナノ


 昨日の晩ご飯は沖田の作ってくれたたまご粥………ではなかった。あの味、本当に恐ろしく不味かったのだ。まずどうしてこんな味になったのかが理解不能だ。見た目と性格からして料理をするようには見えなかったので納得もいったが、あの味をどうやって出せるのかが不思議で堪らない。
 体育館の関係で朝練習がない剣道部は、生徒達と紛れ込んで自慢の体力と脚力で風紀委員から逃れる。わたしなんか特に、200メートルをボルト以上のタイムを出す程に……しかし風紀委員には大ボスが1人、ラスボスが1人いた。
「オイ」
「うぎぇっ」
 首元を引っ張られたわたしは蛙の潰れたような声を出して地面とキスをした。振り返れば腕を上げている土方先生……その上げている腕を見つめ、次に指を見る。その人差し指と中指でわたしの首元を掴んだんだな……?
「死にさらせ土方ッ」
「てんめぇ…教師になんて口ききやがる」
 わたしは、そう、土方歳三先生に育てられた。なのでこの口調も先生譲りなのだ。
「名前」
「はい?」
「今日部活出なくていいぞ」
「…………え?」
「総司から聞いた。お前昨日体調が悪かったらしいじゃねえか」
「い、いやでもわたしもう大丈夫ですし……」
「部活の事になるとお前は頑張るからな」
「そ、そんなこと……」
「斎藤にも話は通してある。いいな 今日ばかりは休め」

 土方先生に念を押されてしまい、渋々頷いたわたしは教室で一人ポツンと座っていた。同じ生物委員の中川はいつも餌をやる時間のギリギリになって登場し、ハアハアと息切れをして手にいっぱい餌を持ってニワトリのワニトリにぶちまけてやっている。そろそろ来るだろうと思ってワニトリの待つニトリ・ワにやってくると、すでに中川がワニトリに餌をやっていた。ちなみに、ニトリ・ワとはニトリの名前と掛けたニワトリの小屋の別名である。
「中川 今日早いね」
「なぁ……名前…お前剣道部のマネージャーだよな?」
「ハッ倒すよ?だから、部員だって」
「あのよお……雪村千鶴ちゃんっているだろ?」
「え……うん、いるけど」

「あのさ、俺千鶴ちゃんにコクりたいんだわ」
「がんば」
「協力してくんね?」
「………ええー…なんでわたしが?中川が頑張りなよ」
「いやもちろんそうだけど……ほら、接点がほしいわけよ で、それを、ぜひ、名前様が」
「無理」
「お前がバカなのは十分承知の上でのお願いだ」
「殺されたいのお前」

 別に中川の事嫌いじゃないし、いいけどね。餌を一杯握ってワニトリの上にパラパラと撒いた。ただ、千鶴ちゃんと中川の間に何かしら関係を作る、きっかけを作ればいい話なわけだ。これならわたしにだってできる。手段は問わない、中川がバカなわたしへ頼むということはそういうこと。で、あればよいのだが。
 この弱い頭が考えるのはきっかけづくり。「なんでもいいんだよね」「任せる」ワニトリが鬱陶しそうにわたし達から離れていく。「ワニトリにみたいに、千鶴ちゃんが逃げなきゃいいけど」言い忘れていたが、中川の顔は怖い。なかなかに。野球部で、真面目くん、おちゃらけたグループに入っているけれど、芯はまっすぐ。自分の考えを決して曲げない、今時珍しい男の子だ。
「仕方ない チロルチョコで手を打ってやろう」
「安い女だなお前」中川の茶髪が揺れる。千鶴ちゃんと並んだらどんな風に映るんだろう?


「いい?これ、わたしが前に千鶴ちゃんに借りたハンカチ、あんたがわたしから預かった事を言うんだよ!?いい!?わかった!?わたし冴えてない?」昼休み、学食前にて。
「冴えてるかどうかは知らんが、お前にしちゃよくやった方だと思う。よし、俺は今日占い3位だったしいけるな」
「微妙な順位だけど、頑張れ中川!」
「お、おう!」
 人混みの紛れ込む中川の後姿を見つめていると、いきなり膝をカックンされてその場に膝と手をついた。「だ、だれっ!」「僕だよ」「まぁたお前かこの野郎が!!」手をひらひらと振る沖田と、その後ろにいるのは斎藤だ。結構この組み合わせは多いけれど、仲が良いとは思った事はない。斎藤は元々口数が少ないほうだし、沖田は自由奔放だし。
「何してるの?」
「恋のキューピット!」
「……え?名前ちゃんが? 誰の?」
「千鶴ちゃんと中川の!」
 同じ部活である千鶴ちゃんの名前と、斎藤は同じクラスメイトである中川の名を耳に入れた斎藤は興味を示した。沖田は誰であろうと興味津々。わたし、斎藤、沖田の順で角にコソコソと隠れながら2人の様子を見守った。

 え、あ、お、おう……。わたしを含めた3人から不穏な空気が流れる。
 え、あ……え?わたしは目を擦った。千鶴ちゃんはペコペコと頭を下げ、中川はみるみるうちに険しい表情に変わっていく。中川は普段から険しい表情だったが、思い出したかのように、まるで見た事のあるような顔になって、わたしがいつか知ったような、表情に………。

「名前ちゃんっ!?」ざわめく人混みの中から沖田の声が聞こえた。
 わたしは走り出し、千鶴ちゃんの手首を掴んで、それから中川が未だ持っていたハンカチを奪って、校舎を出るために第三出入り口まで走った。正直なところどうしてこの行動に走ったのかよくわかっていない。体が勝手に、とは言うが、これは本当にそのままの表現が適切だろう。「名前せんぱっ……!」
 あれ、わたし何か思い出してる
「ちょっと、待てよ」わたしが千鶴ちゃんの手を握り、もう片方の手を中川が掴んでいる。
「お前、何様のつもりで千鶴殿の手に触れている」
「………は…」
 この世界には、前世を知っている者は少ないと思っていたし、この学校には、日本には、前世を知っている者は正直わたししかいないと思っていた。ちょっと自慢だった。でも違った。わたしは今、中川と対峙した時、ある情景を思い浮かべ、わたしは勝手に誰かに取り憑かれたように腕も手も喉も舌も目つきも変わった。中川もわたしを見下ろし、知った笑みを浮かべた。
 侍は性格がどうであれ、曲がらぬ芯を持っている。それは、わたしにもだ。

「おい名前、何ごっこのつもりだよまったく…」
「ごっこなんかじゃない」
 バシンと音を鳴らして中川の手を払うと、中川は人が変わったかのようにわたしに腕を伸ばし、手を首に伸びてくる。「名前先輩!」千鶴ちゃんは震えながら小さく叫んだが、心配はいらなかった。中川の動きは良く見えていたし、どこに手を伸ばしているかもわかっている、動きなんて特にわかっていた。
「名前ちゃん!」
「名前!」沖田と斎藤が顔を出す。
「頭冷やせよ中川!」
 ――ゴッ
「ゴッ って、ゴッて!」慌てだす千鶴ちゃんに、わたしは仁王立ちをして中川を見下ろした。意識を失った中川に、わたしを心配した(であろう)沖田と斎藤が中川の名を必死に呼ぶ。「名前、あんた何をしてるんだ!?」
 だって言ったってわからないだろう?わたしと、そこにのびている中川しか知らないのだから。
「イヤ、思わず、手が出てしまいまして」
「足が出てたぞ!?」慌てる斎藤は中川の腕を肩に回し保健室へ急いで運びにいく。保健委員でもないのに、さすが斎藤だ、風紀委員を象徴する生徒像……。
「名前先輩、そ、その……」
「……えっ、あ、びっくりさせて、ごめんね……」
 謝るのが適切だったのか、一番良い対処方法だったのかは教科書に書かれていないのでわからない。多分、頭の良い人だったらうまく都合を合わせられるのだろうけれど、わたしは何事にも生まれてから今まで本能で動くような人間だった。中川の首を蹴ってしまったのも本能。
「……な、中川に謝ってくる……」どうであれ、今回は中川も悪いけれどわたしも悪い。きっと中川も過去に、何かあったのだろう。


「(しかし、何か思い出せそうだった……惜しいことしたなー……)」
 保健室の扉を開き、ベッドに寝ている中川を見下ろした。「先生すんません」「まったく……」山南先生は立ち上がってわたしの額を小突く。斎藤に何があったのか一通り聞いていたらしいが、もう一度わたしの口から何があったのかを聞きたいらしい。それは、もちろん、どう誤魔化せばいいのだろうか。
「少し、本能に従いました」
「少し……? 本能のままに従ったのでしょう」はあ。大きなため息。わたしも思わずため息。
「いつ頃目を覚ましますか?中川に謝りたいのですが……」
「まだ目を覚ます様子はありませんし、もう少しで永倉先生がいらっしゃいますから事情を説明しなさい」
 また、恋のキューピットして、中川の目が野獣の目に変わったので、千鶴ちゃんを護らなくてはならないと思い、彼女の手を取って逃げていたら中川が追いかけてきたので蹴っちゃいました。テヘペロ と?

「もう少しお淑やかに」
 お淑やかって一体なんですか。


 永倉先生には大変お世話になり、ご迷惑をおかけしました。本当に本当に申し訳ございません、ありがとうございました。
 わたしはかなりやらかしたらしい。一週間の自宅謹慎をいただいてしまった。

 中川の親御さんから罵倒された永倉先生はわたしの肩にそっと手を触れて、お前少しは静かに生きなさいと言われたので、わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ごめんなさいと一言、頷いた。土方先生には俺の育て方はどこで間違えたんだか……と言い渡された一週間自宅謹慎処分。当然の処置であろう、こればかりは頭が上がらない。でもわたしも、悪気があったわけではなかったし、あのままだったら千鶴ちゃんが危険だったのだ。………と、言ったところで、誰もわかってくれないのだが。

 そのまま午後の授業は受けず、自宅に帰った。やっちまった、と空を見上げ、洗濯ものと洗い物を済ませた。また空を見上げる。やっちまった、マジで。
「え……」
 着信が入り、その画面を見ると、「中川」の文字。
 恐る恐る通話に通す。
「な………中川……?」
「今お前の家の前にいる」
「え……あ、ちょ、ちょっと待ってて」
 まさか、わたしの家の前にいるとは。階段を下り、くしゃくしゃの制服のまま玄関の扉を開けた。この時ご両親がいたらどうしよう、とかそんな事は思わずにいて、開けた瞬間に一瞬それを後悔したが、目の前には中川一人。ちょっと安心。

「お前、前世を覚えてるんだな」

「………家、入る?」
「いや。いい。それだけ確認しに来ただけだ」
「もう大丈夫なの?首………」
「武士たる者、これしきの傷で心配されるほど落ちぶれてはおらぬ」
「……左様か」
 前世を知っている者の前では、自然とこう、出てしまうのだろうか。
「なんで千鶴ちゃんを?」
「………あいつは一人、人を殺している。俺の友人だ。だから、少し復讐してやろうと思ったんだ」
「千鶴ちゃんの前世、知ってるの?」

「お前、自分の前世を知らないのか……?」
 中川は驚いている。中川の驚きにわたしも驚いた。わたしは完全に思い出しているわけではない。だから自分がどんな人だったかも、どんな人と一緒にいたのかもわからないし、近くにいる千鶴ちゃんのことだって思い出したことは一度もない。
「俺とお前は敵同士だった」
「……そうなの?」
「ああ、一度………。あ、いや、言わない方がいいかもな これは自分で思い出すものだし……」
 急にいつもの中川に戻り、わたしはホッとして中川を見上げた。先程のような鋭い目つきはしていない。いつもの怖顔の中川に戻っている。
「頭が冷えたよ」
 中川は自分の他に前世を知っている者がいるとは思わなかったらしい。わたしもだと言ったら、中川はそうかと言って背を向け、帰って行った。
 あの時咄嗟に出た言葉は、昔のわたしなのだろうか。



 夜、携帯に斎藤が電話を掛けてきた。またどっかの家庭のお母さんみたいにガミガミ言うんだろうと思いながら、とりあえず友人だし同じ部活だし同じクラスメイトなので電話に出てやろうと思い、30秒きっかしで電話に出た。
「斎藤殿であられますか」
「名前……ハァ、それより、どうだ、調子は」
「それ……どういう意図があって聞いてるの?」
「そうだな…、気分が落ち込んでいると思ったのだが…存外平気のようだな」
「え……いや…、平気ではないけどね…。中川には謝ったし、仲直りは多分、した。でも永倉先生に悪い事しちゃったなって思ってさ。謹慎終わったらすぐに永倉先生の元に行って平謝りだよ」
「……その様子なら平気そうだな」
「平気じゃないって言ってんだろーがよ」
 そのあと、少し他愛のない話をして、短い針が11を指したので電話を切った。窓を開けると涼しい風が部屋に入り込んでくる。この空気だと、明日は雨かな。暗くて見えない黒い空にある月をたどり、月が照らす光で雲があることを確認した。