いつでもきみを想っている | ナノ


 てっきり、赤点はわたしだけと思っていた。教科書やノートを見ていい小テストは多少なりと難しくは出来てあるが、教科書とノートがあれば赤点を免れる程度である。鬼教師土方の元、ノートの取り忘れができる奴は余程肝が据わっている奴くらいだ。その中にわたしと………隣で座って鼻歌を歌っている沖田くらい。マメにノートを集めているマメ人間土方は口うるさくノートを取れノートを提出しろとうるさい。このしつこさで渋々ノートを出した不良4人をわたしは許したりは決してしない。

「沖田、ノート取ってないの?」
「僕ノート取ってなくてもテストはできるから」
「ケッ わたしもノート取ってれば平均いくわ」

 沖田に質問をするわたしが愚かだった。配られたテスト用紙と向き合い、シャーペンを握る。メモさえ書かれていない教科書、所々しか書いていないノートを広げても、テストの答えを導く事はできないようだ。
「ご勘弁を、土方はん!」「ふざけんな」まさかチョップで頭を制されるとは、予想外です。
 苦しんでいるわたしの隣で沖田は面白おかしそうに笑って、手を叩いて「もっとやって」とほざき始めた。わたしも先生も無視している。互いに真剣にならなくてはならない場面が今この時だからである。

「お前ら、俺はちょっと部活の様子見てくっけど絶対この教室から出るなよ。出たら一週間部活動停止するからな」
「鬼だ」
「鬼だね」
「殴られたくなかったら頼むぜお前ら」

 先生はそう言って教室を出ていく。肩を鳴らし始めた沖田には焦りの表情はなく終始笑顔。まるで蚊を潰すかのようにヘラヘラとしている。今頃わたしも竹刀を持って動いていたというのに……よりによって沖田となんてわたしも相当運がない。
「わからないぃ…」頭を抱えて問1の問題文を見直す事7回目。わたしが昔に生きる人だったらこういうのわかるんだろうけど、わたしにはもう何が何だかさっぱりなのだ。

「教えてあげようか?」
「えっ!? ほ、ほんと!?」
「う うん……ただし、何かちょうだいよ お礼」
「お礼……かぁ…。何がいいんだろう?えっと…… あっガリガリくんは!」
「えぇーアイスか……まあ暑いし丁度いいかもね はいどーぞ」

 沖田がいつの間にか書いた答案用紙がわたしの机の上に置かれた。見た目に反し、綺麗な字を書く。土方先生は少し可愛らしい字であるが、沖田の字はなんとも形の整っていて男らしい字といった風だ。思いのほか読みやすく、整えられている字を真似して、わたしの答案用紙にはわたしの字が描かれていく。
「沖田頭いいんだね」
「だから言ったじゃない。出来が違うね」
「死ね死ね死ね死ね死ね」
「こわいこわい」
 竦んだ肩がこちらに振り向いた。
「ねぇ」
「オイ終わったか」
 諦め状態の土方先生を見上げ、答案用紙を掲げると、溜まった溜息で答案用紙が揺れ、「お前、写したよな?」とげっそりと言う。ああ、うん。「写した」「ちょっとっなんで言っちゃうの」ごめんな沖田、わたし、嘘は大嫌いなんだ。正直に生きていきたい人間なの。
 土方先生はとても鋭い人だ。思わず脱帽してしまうほどに。

 いや、それもそうか、わたしがこんなに完璧な答えを導き出すはずがないんだから。
「沖田ありがとね 大丈夫 ガリガリくんは奢るから」
「それ聞いて安心した じゃ、お先」
 語尾に「♪」でもついてしまいそうなくらい沖田はスキップをして教室を出る。「許すまじ沖田 裏切り者め!」いや裏切り者ではないだろ、という冷静な土方先生のツッコミの元、わたしは静かに席についた。
「先生」
「なんだ」
「部活に、行かせてください」
「お前自分の置かれてる状況わかってんのか?成績やべーぞ」
 ごもっともでございます、先生!!


「ぅくっ……遅れました今から着替えてきます……」
「お、おおお疲れさん。でももうすぐ部活終わるけどな」
「………ええええ!?」
 やっとの思いで体育館にやってきたわたしだが、只今主将がわたしに驚きの一言を降らせてきた。へなへなとその場に膝を折るわたしは呻き、体育館を這いつくばり、更衣室に置いてあった竹刀を抱きしめおいおいと泣き真似をした。泣き真似を。
「いやだーー動きたいよおー」時計を見ればもうすぐ部活の終わる時刻へと迫っているのをたった今確認する。土方先生の補習は死ぬ思いで受けてきたので時間を気にする余裕などなかったのだ。
「せ、先輩」千鶴ちゃんが更衣室に顔を出す。
「挨拶ですよ」
「びえーん!」


 ジャージから制服へと着替えを済ました千鶴ちゃんと校門でお喋りをしながら、今日の約束を果たさんと沖田を待っていた。昨日のテレビの話とかドラマの話、最近のドラマって主演の決め方が一定パターンだよねーと、久々に乙女チックな会話をしていると、ドドドドドドという音がこちらに迫ってくるようだった。「なに?」「え?」
 ――ズザザザザッ キィーーッ!
「名前ちゃん!」沖田だった。
「あ、待ってたよ」
「待ってたよ じゃないでしょ!?どこにいたわけ!?」
胸倉を掴みゆさゆさとわたしを揺らす沖田の頬を思い切り叩く。
「揺らすんじゃねーよ! ここで千鶴ちゃんと一緒に喋って待ってたんだわ!」
「僕は女子更衣室の前でずっと待ってたんだけど!?」
「部屋の電気ついてなかったでしょ!?」
「でも待ってたんだ!」
「しらねーよ!」
 生憎、わたしは沖田よりも大きくないし背も高くない、勝てる時は沖田がわたしに隙を見せた瞬間のみ。なのでわたしは沖田に反撃できずにいる。
 何にせよ、沖田とは今からコンビニへ行ってガリガリくんを買うという約束をしているからには変な喧嘩はできないし……いやでも、ここは喧嘩してもういい!と激おこプンプン丸すればいいんじゃね?とか思ったけれど、沖田の必死さに頭が上がらずに、わたしから先に謝った。「ごめんごめん」
 放課後の飲食は禁止、と斎藤が常日頃生徒に口を酸っぱくしていってるので、彼に出くわさないようにしなければならない。

「じゃあね千鶴ちゃんまた明日ね!沖田!早くコンビニ行くよっ斎藤に見つかる前にっ」
 沖田の手首を掴み、わたしが見つけ出した近道へと入って行った。

「僕ソーダ」
「わたしは梨!」
 お互いに違うガリガリくんを掴み、沖田からソーダ味を取り上げてレジに持っていく。ガリガリくんは一週間前に食べたが、なかなか飽きない素朴な味だ。だから支持されているのだろう。どこにでもあるアイスだが、まるでソーダ味は土方先生のようだ。どこにでもいそうなうるさい先生だけど、でもいなくてはならない存在……まさにガリガリくんソーダ味。
「早く 溶けちゃよ」沖田が袋を奪い、わたしのガリガリくん梨味を持ってこちらに渡してきた。
「公園あるよ」
「行こうか」
 とても小さな公園で、学校関係者はなかなか見つけられないだろう。わたしが2年を費やし、こうして放課後友人と一緒にアイスを食べたりおでんを食べたりするために見つけたのだ。どの角度からも見えない公園を。新緑のカーテンがまるで一室のように彩る。木でできたベンチに二人並んで座った。

「アイスなんて食べるの久々だよ」
「え?以外 毎日食べてそうなのに」
「そう?ガリガリくんなんて……いつぶりかなぁ」
「わたし一週間ぶり。ソーダ味食べたよ」
「あのさ」

 ポタリと滴が落ちる。

「僕の事、嫌い?」

 しばらくの沈黙のうち、わたしは首を傾げた。
「嫌いじゃないけど」
「……そ、ならいいよ」
「まあムカつくけどね」
「ああ、うん、で、好きではないと」
「普通かなー……そんな考えたこともないし」
「あっ……そう」
「ま、嫌いだったらアイスだって奢らないんじゃない?多分」
「何それ 曖昧だね。 その味なに?」
「ふふ、梨だよ!若い世代から支持されている梨味ですよ」
「へえ、名前ちゃんがそんなに言うなら僕にも食べさせてみて」

 ひれ伏せ、この梨味に。
 沖田の口元に持っていくと、氷のかけらが地面に落ちた。先程落とした滴にはすでに小さな蟻が集まってきている。時期にこの氷のかけらにも蟻が寄ってくるだろう。感想を言わないあたり、お気に召さなかったのだろうと味はどうだった?とは聞かないでおこう。

「ねぇ名前ちゃん? 一ヶ月後夏祭りあるでしょ?」
「あー、あるね」
「部活の皆で行こうかってなったんだけど人数多いし、女の子は千鶴ちゃんと名前ちゃんだけじゃない?だから辞めになって……」
「えっ 聞いてない!」
「もちろんだよ 言ってないからね。で、1日目は友だちと行くだけど、2日目は僕、名前ちゃんと行きたいんだよ」
「ふーん 随分早いんだね、スケジュール立てるの」
「で、夏休みの間じゃない?お祭りは。だからアドレス交換しようよ ね?」
「わたし行く事決定なの?友だちと回るもん」
「1日目にして」
「沖田、今日はまた随分強引だね」
「目的を達成するまでは何がなんでも繋ぎとめておこうかと思ってね。一種の独占欲だよ」
「……………」

 前々から思っていた事だったが、沖田はイケメンだし、ファンクラブだって存在するしブロマイドが売られるほどに人気の男子学生だ。女子生徒の中にはイケメン5(沖田、斎藤、藤堂、土方、原田)を目当てに編入して来たり、入学した子だって少なくはない。それに女子生徒は可愛い子ばかりだし、わたしなど眼中にもないだろう。友人は、女子だしちょっかい出したくなるのよ、だとかなんとか言っていたがそういうものなのだろうか。
 一種の独占欲?わたしだって、そう鈍感なわけじゃない。沖田の言っている事は明らかにわたしに対して放っている台詞なのだ。

「トイレ行きたい」
「え?」
「トイレ!」
 立ち上がって、公園を出た。

「(あれ?あれ、なにこれ)」気持ちが悪い。
 口元を押さえて、急いで駅まで走り、トイレ定期をかざしてトイレに駆け込んだ。和式のトイレは学生には優しくない作りになっている。
 こんなこと、前にもあったような気がする。小学生の時、何かを急に思いだそうとした時にも同じような症状が現れたことがある。すぐにおさまったけれど、今回のはそうすぐには、おさまらないようだ。息切れに汗がトイレの水と同化していく。
「な、なんなの………?」
 ハァ、ハァ、大きな息を吐いて肩を上下に揺らしていく。シャツで拭った汗は染みて形を作っていった。ある程度落ち付きも取り戻し、トイレからやっとの思いで生還した。壁に手をついて息を整え、鞄を持ち直した。
 電車は次、何分後にくるだろう。とりあえずベンチに座って落ち着こうと階段を一段一段丁寧に下りる。
「何してるの」
 わたしの肩をぎゅっと掴んだのは沖田だった。
「汗、すごいけど一体どんなバトルしてきたの」バカにするように、でも、優しく。
「うん………ごめん、急に、ちょっと……」
「家まで送るよ」
「い、いいよ 別に」
「どうせ2駅先だから いいじゃない 甘えてよ」
「は……はぁ……」
 階段を下り、ベンチに座った。まだ気持ち悪さは直らず、頭痛もする、吐き気もある。
「アイスでお腹壊した?」
「壊してないよっ」

 思わず顔が赤くなる。いつもなら壊してねーよっていって頬殴るか頭突きをするのに、知らない人達がいるというのもあるからか、恥ずかしさでそれすらできない。顔を隠したくなるが、それも恥ずかしいし、沖田に恥ずかしがっているというところも見せたくないし、なかなか思春期というのは面倒くさいものだ。
 3分間、わたしと沖田は会話もせずに、到着した電車に乗り込んだ。電車の中でも会話をせずに、学校の最寄りから自宅の最寄りまで3つの駅を通過する。2つ超えたところで、景色が田舎に移り変わっていく。
「途中吐いたら見捨てて」地元に到着した。

「次はどっち曲がる?十字路を左に、次は右、それから まっすぐ、ずっと」
「了解」
 沖田がわたしの鞄を奪って、肩を抱いてわたしの歩幅にゆっくりと合わせながら、前へ前へと誘導していく。

「おき…… おきた…」
「ん?なあに?」
「ありがとう」
 沖田の返事はなかった。心配になって見上げれば、ほんのりと頬を赤く染めた沖田は、「うん」と言って肩を抱く力を強めた。

 何だか、懐かしい。強まる頭痛と懐かしいにおい、懐かしい温度、懐かしい音、おかしいな。
 おかしいな。おかしいよ、これ。

 沖田に支えられながら、やっとのことで自宅の門を開けた。鞄から、定位置に入っている鍵を取り出し汗ばんだ指でしっかりと鍵を掴み手首を捻った。家についた途端に気が緩んで、玄関に寝そべる。沖田は慌ててわたしをの背中を擦った。



―――……


「ん……?んん…?」
 なにやら、良いにおいがしたから起きたらしいわたしは天井を見つめた。ここ玄関?辺りを見渡し、自分に掛けられている布団を見つめて、ここが玄関ではなく自分の部屋だということに気付いた。もしかしてお姉ちゃんがここまで運んで来てくれたのだろうか。女のお姉ちゃんがわたしを2階まで運びこうしてベッドまで連れてきて、怪我がないことに驚きを隠せない。痛いとこなど、どこにも……。
 え?いいにおい?

「あ、おはよう」
「………おはよ……う??」
「蓮華忘れちゃってね。どう?起きれる?起こしてあげようか?」
 蓮華を持っている沖田を見つめる。


「は!?!?」

 どうやらわたしは沖田に運ばれ、ベッドに寝かせられたらしい。玄関に転んだ後はもうすやすやと寝ていたらしい。気が緩んだからか、疲れたからか、よくわからないけれどでも睡眠がとれてすっかり頭痛もなくなっていた。「あちあち」沖田は机に置いていたたまご粥の茶碗を持ち、蓮華にすくい「フーフー」と息を吹きかけ、わたしの口元に持ってきた。
「あーん」
 どんな少女漫画的シュチエーションだよ!

「ちょ、ちょい待ち沖田!」
「なあに?」
「なんでここにいるの」
「なんでって、そりゃ名前ちゃんがバッタリ倒れちゃって、部屋に運んだの」
「お粥はっ」
「僕が台所借りて作った 味は保証しないけどね」
「確かめろよそこは」

 そもそもわたしが「あーん」のシュチエーションなどする性格でないことを沖田は知っているはずだ。わたしの事をからかっているのだろう、わかっている。なのでわたしは蓮華を奪って口元に持ってきた。沖田はずっと笑っている。
「タバスコでも入れたの?」沖田の事だ、これくらいのことするはずだ。
「ひどいなぁ名前ちゃん。僕がそんなことするように見える?」ああ、もうそりゃ、ドバドバ入れてそうだけどな。
「ちなみに、初めてたまご粥つくったよ」スマホをチラつかせる沖田。

 …………いやがらせか?

「家の人いないの?共働き?」
「………お父さんが再婚して、去年こっちに引っ越したんだ」
「え?そうなんだ 初めて知った」
「お父さんはカメラマン、お母さんは………社長秘書。2人ともあんまり家にいることない」
「へえ」
「お姉ちゃんはいるけど、大学3年生で毎日遊び呆けてばっかり。ちなみにバイトしなくても困らないくらいの経済力あります」
「いやーな言い方するねぇ でも確かに、あんまり普通の家って感じではなかったね。リビングも殺風景だったし。……それもご両親と関係ある?」
「お母さんは仕事に忙しい人だから、部屋も本当に殺風景。お父さんはそういうのにあまり興味無くて……。写真くらいしか飾られてないでしょ?」
「あの窓際にあった七五三の写真って名前ちゃん」
「見んなよ!」
「この眼によーく焼きつけておいたよ」

「だから部活始めたの?」

 いつの間にか勉強机の椅子に座った沖田が、机の上にあった小学生の頃の自由研究で作った貯金箱を手に取りながらわたしの事を横目で見る。枕元に置かれた茶碗を膝の上に乗せて、部活の自分の取り組み方と、お父さんとお母さんのことを思い浮かべた。
 もしかしてそうなのかもしれない。

「いや……うん、そうかもなぁ」
 ポロリと出た一言か、なぜかとても、懐かしい。ひどく。

「………じゃ 僕そろそろお暇しようかな。お大事にね、名前ちゃん」
「あ……うん ありがとう」
「いいえ 僕のお節介だよ」
 たまご粥の表面からはもう湯気は出ていない。表面は冷たくなったようだ。先程まではツルツル光っていたのに、もうすでに光らなくなっている。部屋を出ようとする沖田の後ろを追いかけた。寝ろとわたしの肩を押したが、鍵を閉めなくてはならないことを伝えれば沖田もああそうかと階段を下りていく。

「今日はホントに助かったよ」
「どういたしまして。お大事にね」
「うん」

「また明日」