いつでもきみを想っている | ナノ


81:空にかかる橋 82:ある速度 83:雨の日 84:白い吐息 85:海までの道 86:木漏れ日 87:月明かり 88:手を伸ばす 89:白い地図 90:水平線の向こう

























空にかかる橋(土方)

 いつもの紅茶が売り切れだったのでレモンティーで我慢しながら屋上で漫画を読みながら、名前は一人楽しんでいた。昼休みでも放課後でもない、次の時間は二限目の、現在は世界史が行われている一限目。名前がこう授業をサボることはそう珍しくもない。欠席数遅刻数共に余裕であるならばよくある。真面目に行うのは家庭科と部活くらいだ。
 沖田も誘おうとしたが彼は体育でサッカーをしている。屋上から覗こうとも思ったけれど、彼が立派なドエスぶりを披露していることだろうと思うし、適度な力加減でボールを蹴っているだろうから割愛しておこう。それよりも、少女漫画を読む方が大事である。全13巻。現在は2巻であと11巻分。まだまだ終わりは見えそうにない。とりあえず三限の古典と、四限の数学に出れればOK。お昼は沖田をここに呼び出し。完璧すぎる計画に名前は満足して頷いた。
「お前 なぁにやってんだぁ?」
 名前は次の瞬間目にも止まれぬ速さで漫画を抱え屋上の扉に向かったが、それよりも早かったのは土方歳三の腕。名前の腹に腕を回し、自らの方に引き寄せて脳天に拳を押し付ける。名前は冷や汗を流し、平伏せた。
「サーセン」
「気持ちが全く伝わってこないのは何でだろうな」
 鬼の土方教頭。まさか彼に見つかるだなんて思いもしなかった名前は、数ある手段を検索するがどれも引っかからず。0件です。と表示されられて、諦めた。腕の中の漫画がここにいる理由を証明している。
「先生も読みますか?」
 苦笑いを浮かべ、最後の賭けに走った。
「読むと思うか?この俺が」
 名前の腕の中から一冊取り上げた土方は、背表紙を名前の額に当てながら「なーんでこんなところにいるんだろうなぁ」と鬼顔負けの鬼よりも怖い顔をなされている。「てへぺろ」「古いんだよ」

「次、5巻」
 なるほどこの男、読むのが早い。勉学に秀でているものは書きものも読みものも終えるのが早いらしい。隣に寝そべって少女漫画を読むのがこの学校の教頭土方歳三殿で間違いはないか。3巻の半ばの名前は早く読んでくださいね、わたしもうちょっとで5巻に入りますから、と5巻を渡した。
「はっ こんな漫画染みた恋があるかよ」
「先生、これ漫画っす」
 の割には結構楽しんでんじゃねーかよ。煙草も吸わず漫画一点を見つめている。
「俺ァ小さい頃ブラック・ジャックなら読んだ事あるがな、あれを超す漫画に未だ出会った事がねえ」
 へえ、そらどうでもよい情報ありがとござんした。名前の頬に4巻が付き刺された。
 しかし珍しく怒りもしない土方に名前は疑問を感じていた。普通なら早く教室戻れだの何でここにいるだまったくお前がガミガミと説教が始まるというのに……。いつもと真逆の土方歳三恐るべし、けれども都合が良いのでこのままお優しい教頭を堪能しておくことにしよう。1ページを捲る。
 急に眠気が襲ってくる。名前の額に漫画が何度もぶつかって、しまいには
「せんせ、お昼になったら、おこして……」
 と言って眠りについた。まさかいきなり寝始めるだなんて思っていなかった土方は寝顔を見つめ、上着をかけてやって、漫画の続きを読み始めた。
 近頃色々とストレスが溜まっていた土方は名前を怒る気にもならなかったし、とやかく言う体力や気力さえ生まれてこなかった土方は、少女漫画を読み、次第に眠りについてしまったのだそうだ。

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ある速度(沖田・一般人)

 結びつき、縁、どれも曖昧なものではあるが、結びつくことができれば確実なものになる。
過去を少しずつ思い出していた名前であるが、一番初めに思い出したのは沖田でも斎藤でも土方でもなく、ある茶屋の娘であった。町の一角にあり、巡察時にはよく訪れていて、茶と饅頭が美味い店だった。名前は新選組幹部ら以外では「男」として通っていたわけで、もちろん巡察時も男として歩いていた。そのために茶屋の娘にも男として接していたのだ。
 残暑も続き、湿気の多い日本では日陰もじめじめと肌につく。1本63円のガリガリ君ソーダ味を沖田と並んで頬張りながら自宅へと向かっていた時である。いつもと違う道を通って行こうか、と名前が遠回りになる道を選んだ。特に他意はなかった。
「あれ?」
「………」
 沖田が声を出し、名前はガリガリ君を咥えたままその光景を見つめる。
 確実に、女の子が男に襲われている。思えばここは少し治安の悪い場所でもあった。といっても、ホームレスが空き地を使用しているという話なのだが、空き地は大通りの見えづらい所にあって人も寄りつかない。昼間よりも夜間に活動をするので、昼間は比較的安全だし、昼間ほど大通りにでる確率は少ないのである。しかし場所も空き地から近いし、こんな大通りで半ケツになって女の子を襲うなど、よっぽどの事はないとこんな過ちは犯さないだろう。つまりは、そういうことだ。女の子は涙声になって男の腕を振り払っている。名前もここらのホームレスを見た事があるのですぐに感づいた。
 名前は携帯電話をポケットから取り出して、110の数字を押した。事件であることと、ここの住所と、何が今起こっているかを的確に冷静に伝え、ちょっと助けます、と言って電話を切った。呆れ顔の沖田が名前を見下ろす。
「ちょっと行ってくるね」
「名前ちゃん、ちょっと……」沖田は名前に手を伸ばしたが、空中に漂うだけである。
 アイスは溶けかけてしまっていた。「なんかのAV撮影見てるようだわ」怪訝な顔をした名前は手の中のガリガリ君を男の背中に放り投げ、後ろに手を組んだ。泣き声が止まった女の子と、後ろを振り向く男。
「昼間から盛るなよ。その子、健全な女子高生じゃありませんか。といっても、こうやって強姦じみたことをやると、捕まりますよ。ここは冷静に話し合いをしましょう」
 男は話が通じるようである。シャツを掴んでいた手は次第に名前に伸びていったが、名前は一歩下がってそれを避けた。女の子に馬乗りになっていた男は立ち上がって名前と対峙する。怖いもの知らずの目だ。名前は男の瞳を見つめた。
「懐かしい。昔もこうして助けたな」
 名前のローファーがアスファルトをノックする。「あーあ。見てらんない」沖田は両手で顔を覆った。ふう、と息を吐いた名前は男の股間を蹴りあげた。

「何とお礼を申し上げたらいいのか、名前様。こうして助けられるのは二度目ですね。私、覚えているの。私が不逞浪士に絡まれている時にこうして手を差し伸べてくださったもの。とても格好良かったけれど、今も格好良いのね 性別は女性になってしまったようだけれど、ポニーテール、昔と変わらないので一瞬驚きました」
 この女の子、名前と一つ違う春から高校に通う事になった女子高生。非力な女性を助けるのはこれまで数えきれないほどあるが、名前はこの女の子のことをよく覚えていた。
「お菊ちゃんも相変わらず。それにわたし、その頃訳あって性別を隠さなきゃならなかったから元々女性だったよ。あの頃は恋文ありがとう。そして告白もありがとう よく覚えてる。それにお菊ちゃんもわたしのこと、思い出してたんだね。まさか前世の記憶を持ってる人がこうもいると……こりゃ運命かなにかかなぁ」
「きっとそうです!私とても今嬉しいの!恋文も、告白も今では良い思い出だわ。一生に一度だったもの!名前様はとても優しくて、いつも私の事護ってくださりましたから……ふふ、今もこうして助けられるなんて運命だわ」
 おもしろくなさそうにドーナッツを食べている隣で、照れながらにこにこと笑った名前は、沖田を指差した。「昔も今も、縁あって共にさせていただいてる沖田氏」「あら昔もって、その方を好いていたから断ったの?」「いや、だってわたし元々女だし」「わたしは名前様が女性でも共になれたわ 男装を続けていればバレずに済んだと思いますしね」沖田のストローがオレンジジュースを上昇させた。
 お礼にとお菊は二人を期間限定全額100円セールをしているミスター・ドーナッツに招待した。さあ、お好きなのを選んでくれて構わないわ。お菊の言葉に沖田は容赦なくドーナッツを3つトレーに乗せた。名前は1つ。おまけにオレンジジュースを頼んだ沖田はドカリと椅子に座ってふてぶてしく飲食を進めている。
「けれども私達も縁あってのこと。連絡先交換し合いましょう?」
 お菊、良いとこのお嬢様らしい。

「あーあつまんないよね。まさか僕よりも先にあの子の事思い出すなんて」
「まあそういうなよ。しかしわたしが男に生まれなくてよかったな。きっとお菊ちゃんと隣を歩いてたろうな」
「冗談に聞こえない冗談はよしてくれる?殺されたいの?」
「この時代に帯刀してるつもり?沖田氏?」
「残念だね。この家には日本刀はないけど包丁ならあるよ」
 アイスに甘いものを食べた沖田は名前の家のソファーでコントローラを握りボタンを押している。名前はコントローラーの充電をしているので、背を凭れている沖田とは反対に、膝に肘を付けてゲームをしていた。
「にしても、格好良かったね、名前君?自分より力のある男の股間を蹴りあげて警察には当然の事をしたまでです、僕より先に思い出したとかなんとかで……」
「もういいじゃないですかぁ 過ぎた事ですう」
「大問題だよ」
「あーもうほらリロードしてよ もうコンティニューはイヤ!」
「名前ちゃんほら、お菊ちゃんからメッセージ」
「今はいい ゲームしてるし沖田といるから」
「名前ちゃんって、やっぱり色男だよ」

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雨の日(原田)

 雨天の日には毎度行われるゴミ出しじゃんけん。毎度負けるのは名前ただ一人である。どうも賭けごとに弱く、周りは全員パーで一人だけグーというのもよくある話だ。今回は全員グーで一人がチョキ。大きなゴミを抱えて階段を降りる姿は有名である。
 運動靴に履き替えた名前はゴミ置き場まで走ることはしない。運動靴は雨で濡れても平気なので。走らないのはゴミが大きいので。毎度のことで溜息を吐いた名前はゴミ置き場にある倉庫を開けて、倉庫が上下左右に揺れるくらいに放り投げた。ざまあみろこなくそ。倉庫の扉を閉め、振り返ると、先程よりも雨が激しくなっていた。横殴りで、校舎まで距離が長く、これまた時間もかかる。
「…………ええですよ、もう」倉庫の扉を開けて、雨宿り。

 倉庫の底にお尻を付けて、下半身は外に放り投げ、鼻歌を歌う2年生は携帯を鞄に入れたままであることを後悔していた。持っていたら誰かを呼びだして傘を持ってきてもらうのに、しまった、これはやっちまった、膝を抱えて鼻歌を止めて唸る。
「……名前、おま、何やってんだ?」
「!!は、原田大先生!!」
 職員室のゴミを持ってきた原田は倉庫の中で唸る校内の生徒に驚いた。ワインレッド色の傘は彼に良く似合う。
「ま、なんだ。一緒に帰ろうな。傘がないってことはそういうことだよな」
 名前に手を伸ばし、傘の中に入れる。肩が濡れないようにと、名前の肩を寄せてゴミ袋を倉庫に入れて扉を閉めた。
「ちょっと駐車場。多分使ってないビニール傘あったと思うんだが……」
 名前は原田に肩を抱かれたまま、駐車場に寄った。まずいかな、と思いつつ、生徒も教師も誰もいないし、駐車場から校舎まではかなり離れている。それに肩を抱かれるのが懐かしくてこのままでもいいかも、なんて思っている。原田は前世の記憶がないので、懐かしいだなんて口を滑らせても原田は首を傾げるだけだ。なので名前は黙っていることにした。一方の原田は、手を掃わないのでこのままでいいかと肩に手を置き続けたまま。
 名前に傘を渡して車を物色し始めた原田は後部座席のありとあらゆる場所を探して、やっとビニール傘を見つけた。
「おっ やっぱりあったな。名前、それ持って帰っていいぞ。やる」
「え!?」
 両手で握っている柄を強く掴んだ。
「こんな高そうなものもらえないし、まず似合わないです!傘も大きいし、明らか女の子向けじゃないし……!」
「なんだよ彼氏に持ってもらえばいいだろ?」
「ビニール傘がいいです!」
「ビニール傘がいいって……安上がりな女だなぁ」
 ビニール傘を閉じた原田は元のワインレッド色の傘の中に入った。こりゃ止まなそうだな。傘の隙間から空を見上げた。ごく自然に傘を持つ原田はやはり手慣れているな、と名前は思いつつ、原田の方へと身を寄せた。

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白い吐息(沖田)

「え?ベース?いいけど」
「え………いいの!?」
「っていっても中学生の時にちょこっと触ったくらいだけど」
「ぅおっしゃああああ!ベースゲットだぜ!!これで文化祭祭で演奏できるぜええええ」
 名前と同じクラスの軽音部のA君は学園祭でなんとしても演奏がしたいのでクラスで募集を掛けていた。しかしベースの経験者も少なく、初心者でもいいと言っても挙手をするクラスメイトは誰一人としていなかった。が、ベース経験者+吹奏楽部経験者である名前は手を上げた。
 元々サックスをするために入った部活動だったが、サックスは競争率が高かったのであきらめれ面白そうなパーカッションにパート入りしたので、特に向上心があったわけではない。がほとんどソロといってもいいパートだったため、舞台の上で一人のパートを演奏することは結構慣れているものだ。人の前で演奏するというのも慣れている。
「ベースよりパーカッションのタンバリンとかティンパニーとかの方が得意だったんだけどね まあ初心者でもいいならいいけど、剣道部もあるし併用って結構難しいから土方先生と相談してみるね」
 とはいっても文化祭に力を入れている学校であるし、大いに構わないと土方も言うだろうと踏んでいたので、挙手をしたまで。隣の席に座る斎藤は終始目を丸くしていて、A君が三つ隣の同じバンドのB君に報告をしに教室を出ると同時に現実に戻って来た。
「何を勝手なことを……」アワアワと斎藤が震える。
「でも困ってたじゃん。一年の頃あれだけやりたいっていってもギターが集まらなくて出れなかったんだよ?で、折角見つかったギターの子は学校やめちゃったし、昨日もなんとかギター経験者見つけて学園祭に出てもらうことになって、後一人の所で諦める、ってやっぱり後味悪くない?」
「それは、そうだが……あんたにも元々の部活が」
「そこは土方先生に訊くって言ったでしょうが」
 文化祭も生徒募集の大事な行事であるのだから、土方先生も渋々OKしてくれるとは思うんだけど。携帯を取り出した名前はカレンダーを開いた。
「あと二ヶ月ちょっとか……」
 文化祭は二ヶ月後にある。

 A君に渡された楽譜は、昔人気だったアニメの曲と、ボーカロイドの曲と、JPOP。アンコールで、バンドの曲。計4曲の楽譜が名前の手渡された。懐かしい音符を拾って、スティックを見つめ、中学時代を思い出す。
 土方先生は「文化祭だから仕方ないが、剣道部は疎かにしないように」、という条件で承諾された。
「ありがとな、マジで。命の恩人」

「名前ちゃんバンドで演奏するんだって?すごく楽しみなんだけどすごく複雑」
 だって名前ちゃん以外皆男の子だもんねえ。と名前と半分に分けたクリームパンを頬張る沖田に名前は笑って、何を今更、といってクリームパンを頬張る。「何かあれば股間をグイッと、こうだよ」そこに転がっていた石を蹴りあげる。
「頼もしいけど、すごく複雑」
「惚れ直させるから!文化祭楽しみにしてて!」
「現在進行中で惚れてるからいいんだけど……まあでも、楽しみにしてるから 頑張って」

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海までの道(山崎)

 男と女の力の差は歴然で、筋肉然り、体力もまた然り。朝のランニングを終えた名前はマネージャーの山崎と近所のスーパーに買い出しに出かけていた。決してメニューを疎かにしているわけではなく、休憩を入れるのもメニューの内に入っている。剣道では強豪校でもある学校だが、鬼の土方の練習メニューは女の名前には血反吐どころか死亡騒ぎである。第一回目の合宿で思い知らされた。
 今日の夕食のメニューはなんと皆大好きバーベキュー。諭吉を渡された山崎は名前を連れて、女性の観点からと理由を付けて同行させた。
「結構買い込んだね これでもまだまだ足りない気がするけどさー」
 名前も筋力アップのために比較的重い袋を一つもっているが、平然と重量感のある袋を二つ持つ山崎は頷いて、「雪村君と相談して、足りなかったらもう一度行こう」ちなみに山崎はよく校内を走り回っているし、部活動間の連絡役として部活と部活の間も走り回っている。たまに他の運動部の手伝いをしたりする。この間はサッカー部の選手として紛れ込んでいた。

「なんだか選手兼マネージャーみたいで楽しいなー」
「合宿の時はほとんどマネージャーのような役目だから仕方ないだろうな。でも、あのメニューは名前には少しつらいだろうと俺も思う」
「ほんとあのメニューは、死ぬかと思ったよ……。男の子ってすごいよねえ」
 砂浜では沖田や斎藤が先頭になって走り込みをしている。どれも鍛えあげられた筋肉美。名前と山崎の姿を見つけた沖田は口角を上げて前を向きなおした。
 現代でも監察方のように走り回っている山崎の姿をみると懐かしく感じる。彼とはよく一緒に行動していたし、騒ぎを共に止めたことだってあったし、山崎の死に様だって見ている名前にとっては少し寂しく歯がゆさを感じるのである。
 彼を水葬した海。
「名前?」
「あっ……な、なに!?」
「いや、ぼーっとしているようだったから……練習は大変か?」
「うん大変だけど、皆よりはそこまでね」
 今になって、わかったことがある。自分は昔山崎に恋をしていたのだと。あの時は恋のこの字も無かったし、千鶴を護るのに精一杯だったので、そんなのを気にする余裕すらなかった。初恋は実らないだとか言うけれど、そんな安っぽい言葉では言い表せないほど悲しい別れ方だった。あの時初めて、他人を想って泣いたのだ。
「名前はたまに、遠くを見ることがあるから……その、そのまま遠くへ行ってしまいそうだと思う時がある」
 山崎は水平線を見つめる。
「沖田君を見つめる君は安心できるが、沖田君がいない時はふらっとどこかへ行ってしまって、帰ってこないと思ってしまう時もある」
 山崎は前世の記憶を持っているのだろうか。名前はそれが今この時疑問に思った。しかし、沖田や斎藤の時のような表情を見せないとなると、それはないかと安心すると同時に、不安にも思った。
「―――遠いな」
 宿泊先に近くなってくる。海にも近くなってくる。
 山崎が、海に消えてしまう。名前は俯いて、山崎がどこへも行かないように、黒いサンダルを履いている指先を見つめた。

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木漏れ日(沖田・斎藤)

 女である名前の為にダンダラの羽織りは作られておらず、彼女が着ると着物のようになる。しかし平隊士である名前が巡察時にそれを着用しないわけにもいかず、巡察は嫌いではなかったが周りからの視線が大の苦手だった。それに浪士達になめられる。そして刀は腰に下げている一本のみ。狙われる対象だった。
 雪村千鶴こそ、隊士達が狙う的ではあったのだが土方歳三の小姓ともなれば、手ぬぐいを噛んでキイキイ言うしかあるまい。そこで中性的な名前に視線が向けられた。しかし彼女にも想い人はいたし、いい人がいた。それが沖田総司である、隊士達もお手上げ状態だ。沖田が屯所へいる時は何かしらをしながら名前を視線で追っていたり探していたりするので隊士達も諦めていたが、総司が巡察中の時だけ獣が地を這いずり回る。死番に行く沖田の背を見送った隊士達はせっせと準備に取りかかった。
「沖田が脇差を置いてったから届けてやってくれるか」
「………了解。仕事のうちです」
「悪い」
 沖田の策なのか、そうでないのか、ダンダラ羽織を羽織った名前は屯所から出ようとした瞬間、ある隊士に腕を掴まれる。男よりもしなやかな感触に隊士は口角を上げた。
「相手は沖田殿が居る時にでも」不敵に笑む名前に、隊士は手を離ざるを得ず、縁側で酌をしていた斎藤はホッと溜息を吐いた。

「ああ、まったく、死番ってのは面倒くさい」
 藁に足を掛け思い切り踏み込んで屋根に上った名前は自身の持っている力を少々出しながら、屋根から屋根へ移動していた。羅刹といえど、屋根に上るのには至難の業であろうし時間もかかる。未だ羅刹と出くわしていないので今日は羅刹とは出会わないのだろうかと考えながら、ダンダラ羽織が目についた。
「沖田!」
 監察方でもなんでもないダンダラ羽織を着用した名前が屋根から沖田の名を呼んだ。沖田は聞きなれた声に耳を澄まし、上を見上げる。
「名前、後ろだ!」沖田は声を張り上げた。「沖田、静かにしろっ!」「そんな事言ってる場合じゃない!」
 名前は咄嗟に羽織を脱いで襟元を掴んで後ろにいた人物に投げつけた。視界が奪われた奴を羽織の上から蹴って刀を鞘から抜く。もがく奴から羽織を引かせて頭を突いた。
「まずい、沖田の脇差じゃないか……」

 そのあと、名前の血のにおいを嗅いだのか羅刹が現れ死番である沖田らは応援を呼んで屯所に戻ることができた。名前も巻き込む形になって。名前の帰りを部屋で待っていた隊士達はぞろぞろと帰ってくる新選組ご一行の中から目的の人物を見つけ出すが、隣に沖田の姿もあったし不機嫌な名前の顔を見て障子を閉め、布団をかぶった。機嫌取りをしていた沖田の踝に蹴りを入れた名前に疲れは……見えたものの、あれでは自分らの股間も蹴りあげられると思ったからだ。彼女、股間蹴りは人一倍腕が立つ。
「押さえつければいいんじゃないか?」
「おお、それはそうだ。しかし沖田組長に報告されたら命がないぞ?」
「言わせないようにすりゃいい話だろ?」
「失礼する」
 斎藤一が障子を開けた。
「俺も此処で一夜を過ごしてもよろしいか。近頃、どこかに不届き者がいるようで」
 隊士は冷や汗を垂らし、帯刀している斎藤から目を逸らす。
「まさか、貴様達ではないな?」

 ダンダラ羽織に血が飛び散ったので、名前は井戸にて羽織を洗っていた。
「名前殿」
 顔を上げると、隊士が数名名前を取り囲んでいた。名前手を止め、羽織を絞る。
「おはよう」五六人といったところだろうか。絞った羽織を広げ、皺を伸ばす。「失礼 これから昼寝をするから」男の間を手で掃った。が、その手は大きな男に阻まれた。体格は残念なことに沖田よりも大きく立派である。沖田が貧相なわけではないが、横にも縦にもあるのでそう感じてしまうのだろう。名前は手を掴んだ男を睨みあげる。
「…………離せよ」
「昼寝なら俺達が手伝ってやるぞ」
「汚い散れ失せろ死ね。不愉快だ」
「気持ちよくて、気絶するの間違いだけどなぁ」
 後ろにいた男はしゃがみ込んで名前の足を掴んだ。名前がぎょっとして足を掴む男を見下ろし、腰の刀に手を持っていったが、もう一人別の男に腕を掴まれ、四肢は男の力によって抑え込まれる。「なに、貴様も沖田組長とはそういう間柄なのだから、慣れたものだろう?」
 名前は力を抜いた。「それもそうだな 慣れたものだ」肩の力も抜く。
「沖田殿の誘いを断るのはとても体力がいる。時に拒むのも面倒になって諦める時もある。わたしは今疲れているから諦めも簡単についてしまうから慣れというものは怖い。きみ達は体格もそこそこだ、力も非常に有り余っている様子で羨ましい。剣術は大したことないのに、素手ではかないっこない」
 隊士はいい気になって、空いている手で名前の襟を掴んだ。
「きみは沖田の腕の傷をみたことがあるか?あれ、狂犬に噛まれた痕なんだ」

 縁側でみたらしを食していた沖田の隣に名前は腰を下ろして、無理矢理膝の上に頭を乗せた。カタイ、と文句を言いつつも名前は目を閉じて寝入った。沖田は目をぱちくりさせて、名前の額をひとなでして空を見上げようと顔を上げると、井戸に続く道から六人の隊士達がひいひいと顔に痣や噛み痕を付けて出てきた。沖田の姿を見つけた隊士達は足を早くする。一人は股間を蹴りあげられているようで、仲間に押さえてもらわないと立ってもいられない状態だ。
 沖田はみたらしを一口食べて、考え込んだ後、状況に納得して笑みを浮かべた。この子はまあなんとも頼りになる男なんだろう、と呟きながら。

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月明かり(山南)

 千鶴を寄こす事はしたくないのでわたしが持っていきますと言って両腕を広げた名前に、斎藤は眉を顰めて渋々お膳を渡した。雪村は他の仕事(掃除)があるので、それを中断させてまで危険な真似をさせることができないし、先日のこもあるかと思い名前は山南に昼食を運びに行った。一角の隅、名前が顔をのぞかせると、難しい顔をしていた山南は微笑んだ。
「おひたしは斎藤、味噌汁はわたし、他は藤堂」机に座って箸を進める山南の向かい側には名前が座っている。最近めっきり顔を合わせなくなった二人は、この時間を憩いの間としていた。初めは苦手だった山南は、今ではまるで父のように接してくれる。側にはたまに山崎もいる。静かな空気を名前は嫌いでなかったので、煩い寺の中よりもこちらのほうが落ちついた。
「ありがとうございます名前君。あなたの作るお味噌汁美味しいですね」
「皆に言われます」
 味噌汁に関しては皆がよく褒めるので慣れたものであるから、平常に返事をしたつもりだった。山南は名前の返答に笑って、そうですか、と味噌汁を啜る。
「山崎君はいないですがよろしいですか」
「え?山崎君ですか?全然構いませんが、どうしてです?」
「いえ、なにも」
 山南が山崎の名を口に出すと思わなかった名前はその意図をどうにかしてしろうとその顔を睨むが、にこにこと笑っているので睨んでいるこっちの気がおかしくなりそうだと諦めた。「帰らないのですか」「お膳、運びますから」山南が名前が初めて「さん」付けして敬語で話す様になった数少ない、珍しい人物。初めはは恐怖からだったが、彼の物腰が気に入った彼女は自然にそれをやってのけるようになった。

 食欲はあるようで安心しました。お膳を両手に抱えた名前が勝手場に戻ろうとした時、山南が少し話しませんか、と話しかける。名前は一瞬時が止まったようで、目を丸く開いて、こくんと頷いた。
 特に気にかかるような内容ではなく、決まって話されるのは新撰組隊士の事。局長の近藤をはじめ、土方、沖田、斎藤、等々である。彼が幹部らに慕われ信頼されている理由も、話題の中で伺えた。彼は彼らを気にかけているし、彼らは彼を気にかけている。
「ああそれから、山崎君はきみの話ばかりですよ」
「わたしのですか?それはまた何故でしょうか」
「あなたは目が離せない、離してしまったらドジを踏んでしまうから、だそうですよ。心当たりでもありますか」
「ありません!わたしはドジを踏んだことなど……ありますが!しかし目立つようなドジはありません!」
「しかし山崎君の気持ちはわかりますよ。あなたは、月明かりのような方ですから」
 月明かり?復唱して首を傾げた名前に山南は優しく続ける。
「目を離すと、隠れてしまいそうですからね」

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手を伸ばす(沖田・藤堂・斎藤・雪村)

 無関心なわけでもないが、興味が薄いというだけだ。沖田が変若水を飲んだからって、それがどうこうなわけでもないだろう。土方達は驚いただろうが、羅刹になっても沖田は沖田である。羅刹の苦しみはわからないが、苦しむ姿を見てはいる、どんなものかも知っている。だから無関心ではない、ただ興味が薄いだけ。変わらぬものがあるならば、それを灯せばいいだけのこと。

 これは昔も今も変わらぬ名前の性格の一つである。部活が終わって剣道部一部でファミレスでどんちゃん騒ぎをしていた時の事だった。藤堂は得体の知らぬ液体を持って席に戻った。相変わらずポテトとカルピスを飲んでいる名前は大して気にもしないでいるようである。
 藤堂、中学生が楽しむような遊びをしているが、沖田は結構乗り気なよう。藤堂の隣の雪村は困ったように笑っている。
「これ、じゃけんで負けた人が飲んで、中身当てるっていうゲーム、みんなやったことあるよな」
「ない」きっぱりと断って烏龍茶を飲む斎藤は藤堂の片手にあるミックスナニナニを拒否するように手の平を見せた。うっ、と口元を押さえる斎藤の顔色は青い。
「出さなきゃ負けよ?」眉を八の字にした名前はグーを作った。
「勘弁してくれ」消え入る声の斎藤は拳を震わせながらパーを作る。
 隣では既にドリンクを飲み終えてポテトにケチャップを付けている沖田が「諦めなよ一君。これ負けた人が飲むの?」ガラスのコップを指で小突く沖田は、まるで子どものような笑顔を浮かべている。
「あったり前だろ! じゃあいくぜー!」斎藤はもうすでにギブアップ寸前だ。

 晴れやかな斎藤と打って変わって、沖田の手にミックスナニナニが渡っている。名前と藤堂は「イッキ!イッキ!」と盛り上がり、斎藤はフッと笑った。常に一定の表情なのは雪村のみである。
「…………ッ!キスだ」今から地獄の鬼に挑むような睨みを名前に向ける。「飲んだら、キスして」「人気のない所でもいい?」「もちろんそのつもりだよ」
 この男、じゃんけんで負けるつもりはさらさらなかったのである。喉を鳴らした沖田は、コップを持ち上げる。コップの中身とにらめっこをしている横で、名前と斎藤は昨日の世界仰天ニュースの話をしていた。
「ッう……!ぐ…はっ…」飲みきった沖田は机に伏せる。
「沖田良く頑張ったねあれよ ホントにイッキしたよ」
「オレンジジュース烏龍茶コーヒーダージリンアップル、ジンジャエール…コーラッ……!」
 沖田が制止した。
「そ、総司……!?」
「沖田先輩!?」
 沖田総司、完全に停止。藤堂と雪村の視線は名前に集まった。は?「は!?」今ここで、やれと!?
「できるわけないでしょ!?」
「でもお、沖田先輩が……!?」涙目になっている雪村には、そこに屍をみているのだろう。
 額に手を置いて苦渋の選択をしている名前の横で斎藤はそわそわしていた。まさか隣で生でキスをするだなんて思っていなかった斎藤なので、名前のキス顔が見れるという思春期の少年の欲望と、他に嫉妬が入り混じって彼の心臓を苦しくさせている。
「わかったよ」名前は息を吐いて、沖田の背に手を乗せた。名前は藤堂のカルピスに手を伸ばし、沖田の目の前に置く。
「沖田、口直しのカルピスを、あげる。飲んで……」耳元に顔を寄せる。「間接キスだよ」
 にゅっと沖田の手は顔を上げてストローに口を付けてごくごくと飲みほした。
「ふう、生き返った……。………平助?きみ、大丈夫?なんか死にそうだけど」
「気にしないで沖田。よかったね、んで藤堂、沖田が出したのは正解?」
「俺、もう帰ります」
「ちょっとどうしちゃったのさ……さっきまであんなに元気だったのに。一く……一君なんで笑ってるの?」

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白い地図(斎藤・沖田)

「ここをこうしたほうが、お客さん入りやすいと思うんだけど」
「ならばこうするか」
「そうしたほうがいいよね」
「私も思ってたー」
 文化委員、風紀委員である斎藤が中心となって、文化祭での出し物の配置を考えていた。A4のコピー用紙にフリーハンドで線を書いた斎藤の直線は、まるで定規で引いたかのように綺麗である。隣に座る名前と、名前の友人2名もそこに加わり一緒になって考えていた。
 2年2組は掴み取ったメイド喫茶は、文化祭では三大出し物の一つである。売上もお客さんも、毎年TOP3に必ず入るメイド喫茶は1年から3年にまで幅広い層で、愛され、また奪い合いになっている。今回じゃんけんで掴み取った文化部員は、カタログを持ってメイド服を選んでいた。「黒」「黒だな」「際どく?」「うーん」かなりのマニアな文化委員は、スマートフォンでメイド喫茶の画像や、メイドの画像を参照し、予算とも相談し、と大変忙しい様子である。
「名前はメイド喫茶しないの?」
「わたし料理の方が良いかなって……」
「えー?折角だしメイド服着ようよぉ」
「あー……うーん…でも料理の方人数少ないし?わたしほら可愛くないし」
「男子掻き集めればなんとかなるよねえ!……ほら、C男もそう言ってるしメイド!メイドだよ名前!売上に貢献しようっ!」
「うーん」
 文化祭ではバンドの出し物もあるし、どちらかというとそういうコスプレは苦手だった。似合うわけがないから。と、言いたいところなのだが、それが言えないのは恥ずかしさのせいなのか、足りない勇気のせいなのか。
 メニューは大体決まっている。メイド喫茶のメニューを真似たものだ。お値段は手軽に設定しているが、文化祭の中では結構な値段だ。だが人気なので、担任も生徒達も売り上げ1位を狙っているし、元値との額の値をかなりつけたい。高校生のルーズリーフは数字で埋め尽くされた。
 名前の友人二人は文化委員の二人に呼ばれた。メイド服についてのご相談だろう。二人きりになった名前と斎藤は、無言でコピー用紙に机を描き足していった。
「……メイド服、あんたは着ないのか」名前が斎藤を見る。髪の毛でうまく顔が隠れてしまっていてその表情は伺えなかった。
「………だって、恥ずかしいもん。コスプレなんてしたことないし」
「これを機に、すればいい」
「…、斎藤は受付だからいいかもしれないけど、結構勇気いるんだよ?似合わないだろうしさ」
「そんなことない」
 斎藤の手が止まった。
「それにちょっとエッチだし」
「エッ……!?エッ、チ、って」
 顔に赤みが出てきた斎藤はシャーペンを握りしめる。だから、やだな。と名前は白い紙の上に零した。「沖田にも見せたくないし」それは、確かに。メイド服でいるならばずっと教室の中にいてほしいくらいだ。「似合わないって言われちゃいそうで」だからそれはないって言ってるだろう。少し出しすぎたシャーペンの芯が折れる。
「だが、名前にとても似合うと思う」名前にしか聞こえない程度の声で伝えると、名前は困ったようにそうかなあ、と残りの机を書き足していった。

「いらっしゃいませーお客様は2名様でよろしいですか?では案内いたしますので、付いてきてくださーい」
 ノリノリである。
 受付の斎藤は沖田と藤堂の後姿を見送った。
「にゃんにゃんオムライスですか?只今こちら、キャンペーン中でして、この時間内に注文してくださると、2年4組のにゃんにゃん喫茶とのコラボでゲームをしていただくことになっております。ゲームに負けると、なんと罰ゲームとなり、この猫耳カチューシャを付けて語尾に『にゃー』と付けて30分間喋っていただく形になりますがよろしいですか?」
「へー。名前ちゃんとゲーム?名前ちゃんが負けたら?」
 只今メイド服を着てノリノリで接客しているのは名前である。斎藤はその光景を見つめ、「あのー」という男子生徒の声に我を取り戻す。これとあれとそれを持って入口に。開始五分で半分の机が埋まってしまったメイド喫茶恐るべし。「あの、聞いてます?」これとあれとそれもって入れ。段々と適当になってきた斎藤である。
「………えー、あちらのメイドのように、猫耳を付けて語尾に『にゃん』を付けさせてお客様を接客させていただきまーす」
「で、ゲーム内容は?」
「叩いてかぶってじゃんけんポンでございます〜それでは代表のご主人さまから参りますよ〜」
 付き合わされている藤堂は「なんで俺じゃないんだ!」と文句を言いつつも楽しそうに机をダンダン叩いている。名前は道具を持って沖田の向かいの席に座った。斎藤は一瞬、沖田が羅刹化しているように見えたが目を擦ってみると通常の沖田に戻っていた、幻覚だ。「あの、斎藤、」「これを持って並んでいろ」
「それでは参りますよ、ご主人さま」
「いいよ いつでもきて」
「叩いてかぶってじゃ〜んけ〜ん」

 頭にたんこぶとセットで猫耳を付けた沖田と、オムライスを食べている猫耳藤堂。斎藤はホッとして受付の仕事を行っていた。
「おまじない500円ですよ、ご主人さま」
「わかった、……にゃー」ワンコイン、お手軽だね。名前のポケットにはワンコインがじゃらじゃらと溜まっている。名前は沖田から絞れるだけ絞ろうとしていた。
「それではおまじないをかけますよ〜萌え萌えキュンキュンおいしくなあれ 名前のハートちゅうにゅう〜」名前が描いたのは三段に巻かれ、上てっぺんが綺麗に尖っているアレ。しかし、見事な棒読みである。

「いやあ、すごい見てポケットが沈没しそう!みてみて斎藤!おつかれ!」
「あ、ああ……すごいな、札もある……」
「沖田のオムライス最後はケチャップまみれだったよ」
「こればかりは同情する……」
 沖田に付きっきりだった名前、初めの内は同クラスの面々からずるいだの、友人の付き合いできた他クラスの女子からずるいだの言葉が飛び交ったが、次第にそれらは消えていった。
 スタンダードなメイド服、とても名前に似合っている。今頃になって目が合わせなくなった斎藤は視線を泳がして、誰にも聞こえないような小さい声で「似合っている」と言った。名前はポケットから英世や500円を出していたので、音で聞こえないだろうと思って前を向いて、ドクドクと波打つ胸を落ちつかせて表に出ようとすると、
「ありがとう」
 と、名前は斎藤にお礼を言った。

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水平線の向こう(沖田)

 名前に昼休みもほとんどなく、午前中はメイド喫茶、昼はバンド練習、午後はバンド、といった形でほとんど直接沖田と絡むこともなかった。しっかりと名前の演奏を聴いた沖田だが、午後からは自分のクラスの出し物もあったので午後はせっせと、適度に働いていた。沖田のクラスはお化け屋敷だったのだが、名前は沖田がお化けとして登場するルートには入らなかったので会う事はなかった。クラスを出た名前はひーひー言いながら、別のクラスへと行ってしまったのである。
 文化祭の日は部活はない。それぞれクラスの出し物の片付け等をしなさい、という原則があるからだ。そんな中、名前と沖田は体育館倉庫の中で服を擦り合わせていた。
 自分の掃除する場所は終えている、とどちらも連絡を取り合って、人気のない室内へと、まるで逢引きをしているかのように顔を合わせて、話し込んでいた。話し込んでいた、話し込んでいた。
 制服からメイド服に着替えた名前の撮影会開始。沖田はありとあらゆる角度から名前を画面に収め、しまいにはムービーを取った。
「あー、これ動画に収めながらやりたい」
「サイテー それほんとにサイテー」
「だってすっごくっ、………可愛いよ ちょっともう一枚」
「沖田ッ!」
「違うよねご主人様だよね? だって今名前ちゃんメイド服だもん」
「だったらっ沖田も、にゃーって!」
「生憎カチューシャはないんだにゃー」
「うぐぐっ……」
 下着が見えるか見えないかの瀬戸際ラインがいいね。沖田が連写を続け、名前は真っ赤になってスマートフォンを奪った。「消す」「駄目!」それはさせるものか!沖田は名前よりも早く動きスマートフォンを奪い返す。そして設定でロックを掛けた。「触らせない」「ギャラリーは見れるよ」「それでも触らせない」沖田の両手が名前の胸元に堕ちた。
「ここのこう、ラインが」
 名前は目の前にいるイケてるメンズが親父かなにかに見えて仕方ない。手つきもなんとなく親父みたいに思えてくる。文化祭っていいな、と沖田は零して名前を抱きしめた。メイド服などなかなかお目にかかれないし、それを自分の好いた人が着ているのだから興奮せずにはいられない。脱がすのも勿体ないので、そのままやってしまおうと笑顔になる沖田を見て、名前は諦めた。これはこういう時止まった試しがない。
「名前ちゃん、僕の事はご主人さまって呼んでね」
「ハア 心がけますヨ」
「普段の名前ちゃんはそうでもないけど、こういつもと違うの見栄えも違っていいよね。浴衣も可愛いけどこういうのも可愛いと僕は思うな」
「それはっ……どー、も」
 沖田が首筋を何度も舐める。いつもより焦らしてくる。未だ彷徨っている手を、沖田の肩に乗せた。
「打ち上げいいの?行かなくて」
「いいよ それよりこうしてたいし。それよりメイド服はレンタル?」
「買ったよ……クラス費で」
「じゃあたまにメイド服でお願い」
「きもいんだけど」
「メイドは黙って?ご主人さまにそんな口叩いていいの?」
「ふざけるのも大概にしてくださいまし、……ご主人さま」
「旦那様でもよかったけど」
「文句も大概にしてくださいまし!」

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