最近さ、名字さん変わったよね。 そんな会話が飛び交うようになったのは、俺が動物係に立候補してから丁度一ヶ月経った頃だった。授業ではもう動物関連の部分は終わっているが、クラスで育てる金魚に愛着が湧く者も多く、そのまま動物係が継続された。クラスでは「金魚のフン」という言葉が流行った。 愛着が湧く奴らは決まって何にもしない奴らだった。別に動物係というものがあるから、餌や掃除をする必要もないが、たまにイライラと眉間に皺が寄る事もある。俺が一人で餌やり、掃除をしている一方では、名字と日向が二人で二つのことをしている時がある。これは俺の中で大が百個付くほどの大問題である。 しかし、嬉しい情報を耳にした。今まで名字と日向は付き合っているとばかり思っていたが、付き合っていないのだそうだ。俺は飛び上った。その日の部活はいつもより気合も入っていたし、ミスが少なかった。どうしたんだぁと首を傾げる日向を笑ってやった。 廊下に落ちている青いペンはいつも廊下から見ている青いペンで、拾ってよく見てみると、やはりいつも見ている青いペンだ。これは名字のもの、俺は直感で当てた。よく見ればみるほど、やはり名字が絵を描く時に使っている青いペンであることに間違いない。踵を返し名字のいる教室に足を運んだが、そこには名字の姿はなく、ポツンと佇んでいる机だけが目立った。いつも机の脇に掛けてある鞄がないので、おそらく外に出て絵でも描いているのだろうと教室から視線を外す。 日向は、いる。 ――もしや、またいじめられているのではないだろうか。 そう思えば思うほど、俺は大股になって階段を駆け降りた。 青いペンを握って、いつもの場所に足を運んだ。そこには赤いペンを走らせる名字の姿があった。なにやらいそいそとペンを動かしながら風景を見つめている。 俺はゆっくりと近付いて名字の隣に腰かけた。 「何描いてんだよ」画用紙を覗くと、ここからよく見える自動販売機、そしていない俺がそこにはいた。 俺が隣にいるのに、名字からしたら、隣にはおらず自販機の前にいるのだろうか。俺の問いには答えない。「おい」それでも名字は返事をしなかった。 しばらく名字はペンを走らせる。赤いペンで描かれる俺の顔はまだ描かれていない。指を二本、ボタンに当てる。顎に指を乗せながら悩む姿ではなかった。 そういえば、俺は名字がいじめられているんじゃないかと心配して急いで来たんだったっけか。それと、青いペンを渡しに、ここにきた。俺と名字がたまに一緒に昼食を取る場所だ。 「これ 影山くんだよ」 ああ、わかってるよ。 俺は握っていた青いペンを画用紙の上に乗せる。コロコロと転がって、名字の腹の上に乗った。名字は気にする様子もなく、そのまま赤を走らせる。 名字の描いている絵を眺めているのは嫌いではないし、静かで落ち着かないが辛抱できるほどには好きだ。俺はいつも、まっすぐに名字の隣に座るのが恥ずかしいからこうやって道草を食うようにして自販機の前に立つことを、この俺だけが知っている。紙パックのミックスオレや、ピーチティーを買ってやると、名字はありがとうと受け取って、真っ先に口を付ける。それを見下ろすのが俺だけの特権だった。 「今日は日向といなくていいのか?」 「うん いいんだよ」 「そうか」 「あと一時間でお昼だね」 「休み時間みじけーのによく描けたな それ」 「今日はね 髪に色付けようと思うの」 「黒に?」 「赤にだよ」 所謂下書きの絵を、本物の絵のように仕上げてしまうのは、俺はこいつの特技だと思っている。なんでも、鉛筆で下書きをしてペンで清書するのが当たり前だと思っていたから、このやり方は本当にすごいと感心している。 「影山くんは 選んでいる時すごく顔が怖いよね」 無表情では、なくなった。俺はそれが、少しだけ悲しい。 「んなことねーよ 普段通りだ」 「そう?わたしは怖いと思うけどなあ」 でもひとつだけ嬉しいことは、日向と話している時よりも、俺と話している方が会話がはずんでいるということだ。ほんのちょっとのことなのに、俺はそれが嬉しいのだ。 「でも わたしの所に来る時 少しだけ嬉しそうだよね」 名字から顔を背けた。画用紙を見ているから俺の方に向かないとは思うが、俺は絶対に、顔が赤くなっているに違いない。 だめだ、こいつ、かわいい。 「……… 昼」 「い 一緒に 食うか?」 俺の悪い所はこういうところだ。素直に食おうと誘えばいいものを、こうして遠回りして訊いてしまう。この間なんか日向と食べると言って断られた。慣れていないからこんなことになってしまうのだ。でもいざ名字を前にするとこうなってしまう。 名字が手を止め、絵から俺に視線を移した。 「うん 食べようか」 自然と口が尖った。視界が揺らぐ。 「そのペン、廊下に落ちてた」 |