消えないで | ナノ


 おれは今日最高に嬉しいことがあった。名字さんの机に行ったら、名字さん、DVD面白かったよって言ったんだ。おれすっごく嬉しくて思わずさっきの涙と足されて涙がポロリと机に落ちた。そうしたら名字さんは笑い顔じゃなくて驚いた顔しておれのこと見てくれた。笑った顔じゃなかったけど、初めて違う顔がみれて嬉しかった。それに「どうしたの」って初めて話しかけてくれた。ほんとに嬉しかった。嬉しくてまた涙が出た。
 名字さんが見てくれてる 心配してくれてる おれに意識向けてくれてる おれのこと見てくれてる

 名字さん おれ名字さんの笑った顔だけじゃなくて いろんな名字さんのこと知りたくなったよ





 今日はいい日だ。名字さんのいじめも少なかったし、痣も薄くなってきてたし、いつものように水ぶっかけられてなかったし、本当に今日はいい日かもしれない。きっと名字さんの星座、占いで1位だったのかもしれない。
 あっ 名字さんまら抓られた
 今日はいろんないじめが無い分、抓られる。心配になって廊下に出てた名字さんに近付いて、大丈夫?ってきいた。抓られた腕を持ってひっくり返して赤い部分を見つけて、とりあえず水で冷やそうとして流しまで歩いていくと、目の前に立った顔を赤くした女子が流しの隅っこに置いてあったクレンザーを名字さん中心に思い切り振りかけた。おれもクレンザーを被ってしまう。いきなりの行動におれは呆然となった。名字さんはやっぱり無表情だった。
 女子は何も言わない。名字さんも、おれも。なんで?とかなにしてんだよとかそういう事を訊けばいいんだろうけど驚きが強すぎて何も言えない。
 え なに? わ 名字さん顔まっしろだよ
 おれは咄嗟に鞄から大きめのタオルを出して名字さんに頭からかぶらせて頭を俯かせて腕を引っ張った。階段を下りて校舎を出た。体育館の側にある水飲み場まで名字さんの頭を押さえて、キュッキュと少し硬い蛇口を捻る。

「名字さん 顔 顔洗おう あとうがいもしよう!」
 ジャーーー……
 タオルを置いて、名字さんは顔を洗い始めた。

「髪の毛も真っ白になっちゃったなぁ……ね」おれは言い直した。よくわかんないけど言い直した。名字さんはおれを気にも留めずに顔をゆっくりと洗う。クレンザーのおかげで泡立ってしまう。おれもちょっとクレンザーがついているから髪の毛に水を当てた。丁度寝癖の部分だったしクレンザー効果で寝癖も直るかもしれない。

 名字さんがタオルを顔に当てた。よかった。

「日向くん あっちいって」


「わたしのこと見ないで」

 蛇口から出る水の音がおれの耳に響いた。それから、名字さんの声も。
 タオルが顔にあるからどんな顔してるかわからない。でも名字さんの耳は真っ赤に染まっている。あっちいって あっちいって おれに言ってるんだよな
 名字さんの髪の毛にまだクレンザーついてる。おれもきっとついてるだろうな

「タオル おれのだよ」
 名字さんはタオルを強く握って顔を押し付けてる。おれが言っても、それは変わらない。
 垂れ下っているタオルを掴むと名字さんは今以上に力を強めてタオルを離そうとはしなかった。どうしよう こういう時、なんて声掛ければいいんだ?








「ひなたくん どこにも いかないで」



「うん わかった」