消えないで | ナノ


 名字さんへのいじめは止まない。さっきは足をかけられて転んでいた。その前は黒板消しに溜まった白い粉を顔面に塗りたくられていた。ギュッと目を瞑って、口をギュッと結んでいた。教科書がビリビリになって教室に散らばっていた。無言で教科書を拾って、バラバラになった中身を探していたからおれも手伝った。無表情のありがとうだったけど嬉しかった。教科書のページを探すのは4時間目まで続いてしまって、しかも所々抜けてしまったから困った。けど探しても探しても見つからないから仕方ないと思って探すのをやめた。
 今日のHRはとても短く、おれはいつもより少しだけのんびり用意をしている。おう、じゃあなー 部活がんばれよーなど言葉を交わしてから名字さんの方を見る。画用紙に絵を描いていた。
 そういえばこの前の影山に渡した絵、どうだったのかなぁ。きっと影山を描いたのかも。だって絵、渡してたし。


 いいや。部活行こう。






 六時半、いつもより一時間早く部活が終わった。クタクタになって校門にフラフラと歩いている。今日の夕食はおれが好きなハンバーグみたいなのでさっさと帰ろうと思っているのである!さ、自転車飛ばすぞーと思って駐輪所から急いで自転車を引っ張りだして、校門を出ようとした時、見慣れた後ろ姿があった。

「名字さん?」
 名字さんがこっちに振り返る。
「どしたの?」

「…………日向くんに 渡したいものがある」
「……… えっ お おれにっ?」

 体温が一気に上がっていくのがわかった。名字さんは手下げの鞄から画用紙を出して、パラパラと紙を捲っている。
 えっ え ええ ええっ おっおれにっ
 思いがけない急展開。ヤバイ 嬉しいぞ

「この前部活見に行った時 日向くんの絵 描いたんだ 顔だけだけど」
「う うん」
「大丈夫だよ 普通に描いたから」
「う うん」
「はい これ あげる」

 名字さんが画用紙を切って、片手で渡してくれるそれを両手で受け取った。おれの横顔 おれの笑った顔と汗 と首から下はないけど 大きな横顔。
 普通の絵

「まっ 丸めないっ」
 ありがとうよりもまずこんな言葉が出た。

「丸めないで」
「う うん」
 おれ「うん」ばっかりなんだけどなあ かっこわりいな

「おれ 名字さんにこうやって見られてたのか だって前 目玉飛び出してる絵とか 腕とあしがない絵とかたくさん描いてたから おれも目玉飛び出してたりしてんのかと思った」

「あっ ずっと待っててくれたってこと!? わあああ ごめんっ こんな遅くなって!」
「名字さんってバス通?徒歩?途中から自転車?」

 おれは自分だけ喋っていた事に気付いて口を閉じる。まずったー……。名字さんは画用紙を抱えたまま目を伏せて、いつもの何か考えている顔になっていた。何か言った方がいいのかも。でも何も言う事なんてないし。嬉しい雰囲気の中、いじめのこととか言いたくないし でも何か言った方が いいんだよなぁ。



「日向くん 今日はありがとう 教科書のページ一緒に探してくれて」

 あれ?

「うれしかった」

 あれ
 あれ

 あれ?

「椅子に踏まれてるやつを 見つけてくれて ありがとう 踏んでる人にどいてって言ってくれて それで拾ってくれて すごくうれしかった」


「ありがとう ありがとう日向くん」


 名字さん 本当は気付いてるんだよね。本当は 自分がさ いじめられてるってことにさ 本当は気付いてるんだろ。だからそんな事言えるんだよな。そうだよな。そうとしか思えない
 ほんのちょっとな出来事なのに 名字さん 嬉しいのか。あんなの誰だって言えることなのに 嬉しいのか。

「家近い? 後ろ 乗ってく? っていうか送ってやる!」

 自転車を跨いで後ろの荷台を指差した。名字さんは少し抵抗するように顔を背ける。「名字さん!早く乗って!」強引に名字さんを呼んで後ろに座らせた。「ナビよろしくっ」「肩持ってて!」名字さんの手が肩に置かれた。ちょっとゾクゾクしたけど、こういうのは口に出したりしたらかっこ悪いから言わないんだよっ かっこいい男って言うのは!「坂道一気だけどいいっ?」
「うん」よっしゃ!いっちょやるぜっ


 グスン
 ジュル




 うん 名字さん