消えないで | ナノ


「あっ く  うっ」
 ほんとおれってばバカだ。大バカだ。サイテーだ。こんなことしたってどうにもなんないのに。でも気持ちよくてしてしまった。うあ。おれってばほんとーにサイテーだ。こんなことするはずじゃなかったのに。こんなこと、したくなかったのに。
 だって気持ちよかったんだしょうがないだろ。おれだって、おれだってなぁ、男なんだぞ。気持ちよくなりたいだろ。ムラムラってするだろ。そりゃエッチな気分にだってなるだろ。
 ねばねば白い液体 せーえき きたねえ  飲んで 飲んでくれ





 教室は静まり返っていた。「おはよー」おれが大声を出して教室に入る。とても浮いているのにみんなはおれの方を見ないである一点に集中していた。おれはすぐにわかった、名字さんだって。やっぱりみんなの視線は名字さんだった。名字さんだったけど、少し違った。
 名字さんの机の上には死んだ猫があった。
 名字さんは机の上にある死んだ猫をじっと見つめているわけでもなく、猫から視線を外して机の中を見ている。
「名字さん」おれは人を掻き分けて名字さんの腕を掴んで立たせた。近くに来たからよくわかる。机の中にもう一体猫の死体があって、血がポタポタ机の端から流れていた。
 驚いて名字さんを庇うように後ろに引っ張って、椅子を引いた。

「誰だよ」

 おれが言った。

「こんなことしたの 誰だよ」

 誰も反応しないし誰も手を上げたりも返事したりもしない。皆を睨んでもう一度誰だよ!と叫ぶと、女子が口を開く。そいつを睨んで、口の動きと声を聴いた。
「名字じゃないの? だって名字だし 死体でも描きたくなって猫殺して持って来たんだよ だってクラスで誰ひとりそんな酷い事するわけないじゃん? 名字ならしそうだし 日向は名字のこと疑わないで 誰もしてない皆のこと疑うわけ?それみんなにひどくない?名字に訊いてみたら? ねえ そうだよね 名字」
 女子は腕を組んだ。おれは名字さんの方に振り返って、おそるおそる小さな声で「そうなの?」と訊いた。伏せ目だった名字さんはおれの目をじっと見つめて

「そうだよ」

 と言った。
 クラスのみんなは立ちつくして、側にいた女子は「ほらぁ」と呆れた声で言った。その女子は昨日名字さんの髪を引っ張って脚を蹴った女子だった。
「……… 猫 埋めよう」机の上にある猫を持つ。名字さんは少し遅れて机の中にいた猫を持って教室を出た。
 とても気持ち悪かった。怖かった。そして悲しかった。おれが泣きたくなった。
 名字さんの背中を追いかけて、ぐったりと、まだあたたかい猫を持って、名字さんの腕を引っ張って、グラウンドにある桜の木の下にやってきた。スコップもなにも持ってきてなかったから落ちていた太い木の棒で硬い土を徐々に掘って行く。名字さんは猫を地面に置いて地面を見つめている。

「木の棒 立てた方がいい?」
 名字さんはそう呟いたので、おれはそうだねと言って掘り続けた。名字さんは細い木の枝を拾ってきて、おれの持っているような木の棒が無かったので手で土を掘った。おれは持っていた木の棒を渡して手で掘った。多分爪とか割れたり皮膚が切れちゃったりしたら影山怒んだろうなあとか思いながら、チラチラ名字さんの方を見ながら土を掘る。
 あっ やっべー 爪割れた。
 昨日自分のちんこを扱いた手で土掘ってるのか。
 猫ごめん なんかすっげえ恥ずかしい。居心地が悪い。


「なんで名字さん あの時嘘吐いたの? あの時 やってないって言ってたら 誰か犯人捜してくれたかもしれないだろ」
 おれは少し怒った口調で言っていた。
「犯人 わたしなんでしょ? ならわたしだよ」
「………ホラ!やっぱり名字さんじゃないじゃんか!」
「わたしだって あの子は言ったよ」

 違うだろ?

「名字さん 昨日髪引っ張られて あし蹴られたよね」
「うん」
「昨日部活の時見たんだけど 腕とあしに痣出来てたよ」
「うん」
「痛かった?」
「うん」
「なんで保健室行かなかったんだよ」
「うん」
「なんでうんばっかり?」
「……… ごめんね」

 ごめんね じゃないだろ

「ねえ 名字さん」
「なあに?」


 つらくないのかよ


「………ごめん なんでもない!埋めたら教室もどろっか」
「うん」

 なんでつらいって言わないんだろう。我慢できる人だからなのかな。まだつらいの限度越えてないってことなのかな。
 殺虫剤かけられて髪引っ張られてあし蹴られて痣できて猫の死体を机の上に置かれて机の中に入れられて、名字さんは文句もつらいも言わないで耐えれるのかな。耐えてみせるのかな。泣かないのかな。泣いて誰か先生に言えば、どうにかなるかもしれないのに。
 みんなはズルイ。先生の見えないところでいじめるんだ。

「日向くん ありがとう」


 おれは知らないふりをした。 かっこつけたかったから。




 教室に戻ると、皆普段通りに過ごしていた。授業が始まっていておれと名字さんは怒られた。怒られたけど、すぐに解放されてお互いの席に座る。教科書を机の中から探して出して、名字さんのほうをみた。名字さんは少し悩むように教科書を出す。席が後ろの方だったから教科書に付いた血は先生のほうには見えないようだった。
 名字さんの隣の席の男子が席を離した。名字さんは気にする様子もなく教科書を開く。

「きもちわるい」

 隣の席の山田が呟いた。
 おれは涙をこらえた。

「せんせぇ 気分が悪いのでちょっと保健室行ってきます」
「おー そうか おう日向ちょっとついていってやれ」
「あ   はい」

 山田と席を立って教室を出た。
 階段を下りていると、山田がおれの方に顔を向けて「日向ってさ」と口を開く。
「日向ってさ 正義感の塊みたいな奴だよね。普通名字さんにあんなこと言わないもん」別に正義感があるわけじゃないけど。
「それに普通 近付きたくないよ いじめる時以外」そっか。
「でも 日向かっこよかったよ」

「そっか」
 そうなんだ。おれ かっこよかったのか。それじゃあ名字さんもおれのこと、かっこいいって思ってくれたのかな。少しは思ってくれてるといいな。ほんのちょっとでいいから ほんのちょっとで かっこいいって思われるのほんのちょっとでいいんだ。

 山田を保健室に送って教室に戻った。名字さんは教科書を読んでいる。手に少しだけ赤い猫の血が付いている。先生は気付いていない。おれは気付いている。
 山田のきもちわるいは名字さんに対してじゃなかったみたいで少しだけ安心している。何もしていないのにきもちわるいなんて言われたら名字さんだってさすがに悲しくなっちゃうと思うんだ。

 名字さん 今日こそは皆の前で泣いていいんだって言ってやりたい。言ってやりたくてムズムズする。