消えないで | ナノ


 体育館のギャラリーに一人、ポツンと寂しそうに立つ女の子がいる。名字だ。俺はトスを上げる。汗が宙を舞う。俺の事を観に来たんだ、名字は。日向、お前じゃねえぞ。「うわっ 名字さん何でいるんだっ」ボソリと顔を真っ赤にした日向を見下ろした。
 ハッ バカめ。お前を観に来たんじゃない、俺を観に来たんだ。




「(名字から?)」試合が終わり、部室で着替えをしている途中携帯が震えた。名字からメールをもらう事なんて珍しい、珍百景に投稿してもいいくらい珍しい出来事だ。日向をチラリ、と見る。こいつはまだ田中さんと喋っている。
――観に行ったよ。かっこよかったよ。
 可愛らしい絵文字さえないメールの文章だが、唇が震える。お前、今どこにいる?と返事を打って送信ボタンを押した。鞄の中を整理して返事を待つと、学校、という返事がかえってきた。日向を見る。まだ話している。「校門で待ってろ」とメールを打って、お先に失礼します、と言って部室を出た。


「名字!」
 校門の前で待っていた名字に声を掛ける。名字は昨日と同じように俺の方に振り返って「影山くん」と細い声で身体も振り返った。

 あ。
 そうか。
 日向が着替えていた理由がわかった。

「わり 汗くさいかもしんねえ」
「ううん いいよ 気にしないよ」
「いや でも くせーし」
「くさくないってば」
「日向より くさいと思う」

 名字は首を傾げた後、「ふふ」と声を出して、俺の前で初めて笑った。驚いた。可愛かった。俺の体が硬直して、喉さえも止まった。
 時も止まった。

「影山くん たくさん汗出てたもんね」と、言って名字が鞄から取り出したスケッチブック、それを広げると、紙いっぱいに描かれた汗を流す俺の顔が描いてあった。ボールを見ているのだろうか、視線は上を向いている。
「それ くれ」名字の手からスケッチブックを奪って、ボリボリと音を立てて画用紙が剥がれていく。折らず、丸めず、このまま、鞄にも入れないで、手に持っている。

「明日の夜 なんか用事あんのか」
 言い方に語弊があるかもしれないが、俺の精一杯の言葉だった。
「明日の夜 六時とか 七時とか」
「なにも ないけど」
「めっ」

「飯っ 食いに行くぞ」

 初めてのデートの誘いだった。色々と順番を抜かしたようにも思える。それから名字に同意を得ていないのに、やはり言い方に語弊があるかもしれない。それに飯食うとか食わないとか今咄嗟に思いついたことだし、どこで食べようかとも考えていない。でも部活は3時で終わることになっているから時間は心配いらないだろう。
 名字の手を握る。名字のおっぱいとはまた違う柔らかさを持っていて、俺の手が何倍も大きく思えた。実際名字よりもっと大きな手を俺は持っている。
「家 どこだ」
「送る」
 と、震える声で名字に言った。なんで震えているのかわからない。たが、これだけは言える、ドキドキしてる。
「日向くんに 送ってもらう」名字は小さく呟いた。
「俺が送りてーんだよ」わかれよ 鈍感女め。
「歩きで めんどくせーかもだけど たまにはいいだろ」
 俺は必至で言葉を探した。名字が頷くまで言葉を探すつもりだ。
 かっこわりぃな。

「あ 明日 変な事 しない?」


 名字の手を離した。ぶらりとてこの運動を始め、ゆっくりと終わった俺の腕を名字は見つめる。

「しねぇ」

 俺は初めて俯いたような気がした。
 いつも名字のことを見つめていた。初めて名字から視線を逸らした。多分何度も逸らしているんだろうが、初めて故意的に視線を逸らした。俺はセックスをした行為を間違っちゃいないと思っている。もちろん、同意のうえでのセックスじゃない、一歩間違えれば犯罪だ。けど、間違いじゃないと思っている。それはなぜだかわかんないけど、あのまま日向の元へ名字を手放すのは嫌だった。キスをしたまま、そのままにしたくなかったんだ。

「絶対に しねぇよ」
 神に誓ったっていい。

「俺は お前が好きだから 嫌がる事は絶対に しねぇ」

 再び名字の手を握った。
 名字は俺を拒まない。つまりは、手を握る事は、嫌じゃないってことだ。名字は目とギュっと閉じた。

 俺は、そういったとき、後ろから日向の声が聞こえた。俺の顔を見て「ゲッ」と声を出して俺の手から名字の手を奪う。「触るなよっ」その言葉にカチンときたので、腹いせに俺より小さい身長のくせにというように頭を叩く。「うるせーよ」
 名字は日向を心配するように、日向の肩に手を乗せようとする。

「俺と名字さんは一緒に帰る約束してんだっ お前の出る幕じゃねーんだ あだっ!」
「俺が試合来るように誘ったんだよ!」
「なっ んだとぉ!?で でででっ でも!帰る約束したのはおれだ! 名字さんっ 帰ろうっ」


「名字!」
 俺は叫んだ。
「お前が好きだ!」


▼END.



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