消えないで | ナノ


男子が「新しいエロ本ゲーット!」とクラスで騒ぎ、女子は「サイテー!」と叫んだ。そんな会話を耳に入れながら朝買ったヨーグルトを飲み携帯のメールボックスをチェックする。何度も何度も読み返した名字とのメールのやり取りをみて、口に入れていたストローと一緒に口角を上げ笑みを作る。ハッとして口を固く閉じ携帯をしまった。
 名字は今日も休み時間の合間にいつもの場所に来て、俺の絵の続きを描くんだろうと思うと、眠気なんて吹っ飛んで世界が輝いて見えるくらいには嬉しくなる。いついるかわからないが、休み時間は外に出ようか、なんて思う。恋する乙女のような気持ちは、こういうものだろうか。
「なあなあこれよくねー?」「俺こっちのほうがいいわ」「これいいよな これ ボインだぜ ボッキュッボオン!」「うわーたつー!」「あんた達サイテー!ちょっと黙っててよ!ほんとサイテー!」あー、バカみてぇ。

 ちょんちょん

 ちょんちょん?
「あっ」
「か 影山くん おはよう」
「…………あっ はよ」

 飲んでいたヨーグルトが床に落ちて白い液体が零れる。昨日の精液のようで、心臓がドクンと跳ねた。それから名字が隣にいること、そして俺に挨拶をしたことと続いて、心臓の鼓動が止まらない。まるで一時間同じペースでランニングしたかのように。いや、二時間、いや、三時間……。
 クラス中が俺と名字に視線を向けているのがいやでもわかる。名字はこれっぽっちも気にしていない様子だが、俺は気にする。名字の手首を掴んで、あと十五分で始まる朝のHRなんて頭の隅にもなくて、人気の少ない第二校舎の踊り場まで大股で歩く。
「あ」引っ張っていた手が体重に下がっていく。手首を強く握りグッと堪えて、身をかえして名字の脇に手を入れた。とっさの判断だったが、この判断がいけない事だとわかるのに数秒かかった。

「ありがとう ごめんね」

 いや、これは俺が百パーセント悪かった。俺が大股で歩かなければ名字が転びそうになることもなかったのだ。

「いや 俺が わるかっ」
 ここまで出といて続きが出ない。俺の手は名字の背中にあるのだ。昨日抱いた名字の背中に。
 あと何分でHRが始まる?

「で?なんでこっちのクラスに来たんだよ」
「ああ うん 絵 描いたから」

 まじかよ。
 名字は持っていた鞄からスケッチブックの間に挟まっていた絵を俺に手渡した。赤のペンで描かれた俺が自販機の前で立っている絵だった。この絵は俺がいない時に描かれた絵、つまり、名字の想像から描かれた絵で、名字の中の俺をあらわしている絵ということ、であっているのだろうか?

「…………さんきゅ」

 小さな小さな小さなお礼に、名字は頷いた。

「影山くんは 笑って絵を受け取ってくれるから嬉しい」

 スケッチブックを鞄にしまう。俺はそれを見下ろした。

「嬉しいからな」

 自然と返していた。言った後、後悔よりも恥ずかしさが勝って顔から耳、多分首まで赤くなっただろう。次の言葉が見つからず、やっと見つかった言葉が
「今日も昼 いつもの場所に来いよな」
 だった。
 断られてもいいと言い切った瞬間思った、同時に悔しくも思った。二日連続で名字と昼食を取る事は今まで一度となかったからだ。別にいつものことだし、慣れているし、昨日一緒に食ったし、気にする事もないのに。いつもこうして後悔しているから俺は学習能力が無いのだろう。決定的な証拠だ。

「来いよな」

 名字の背中の制服を握った。眉間に皺を寄せた。名字はハッとして俺の顔を見る。
 名字は口を閉じて、頷いた。




 今日は俺の方が先にいつもの場所に着いていた。スケッチブックを持った名字は俺の姿を確認すると、自販機に目をやってからこちらに向かう。「ごめん」なにがごめんなのかわからないが、おう、と答えた。
 名字は俺の隣に座って、スケッチブックを草の上に置き、その上にまた弁当を置いて立ち上がった。その時、太ももの裏に痣がいくつも出来ていた。俺は咄嗟に名字の腕を掴んで、今まで以上の低い声で「名字」と呼んだ。自販機に誰かが来たので俺はそのまま立ち上がり、自分の弁当と名字の弁当と草の上に置かれていたスケッチブックを持ってここよりも人気のない場所に向かった。
 コンクリートばかりの、第二校舎の裏だ。

 名字歩き方は普通でいつもと何ら変わりはない。
 生徒の声が聞こえなくなったところで、持っていた物を適当に置き名字の後ろにしゃがんだ。痣は五つ。俯いている名字の顔を覗き込む。少しだけ申し訳なさそうにしているのが余計に腹が立つ。

「誰だよ これやったの」

「おい」

「答えろよ」


「わたし」

 俺はカッとなって名字の胸倉を掴んでコンクリートに押し付けた。名字は目を開けて俺を見上げている。
「お前じゃねーだろ」
 名字は言葉に詰まった。
「いたい」眉を歪ませる。
 ゆっくりと、ゆっくりと、胸倉を掴んでいた手の力を緩め、名字の肩に手を乗せる。

 そのまま、昨日俺がしたように、名字の頭を頭を抱いて胸に押し付けた。名字の息が止まる。俺の息も止まった。心臓だけが激しく動いている。悲しさが強いが、ドキドキと胸が張り裂けそうなくらいに痛い。俺からしたら名字は小さい。俺より頭一つ分小さくても、二つ分小さくても、三つでも四つでも、俺より小さかったら小さいんだ。
「悪い」ちっとも悪いだなんて思っていない。

「わたしがいけないから わたしがやったのと同じ。 別に 痣が痛いわけじゃないし 平気」

 名字の頭を胸から離して、俺は膝を曲げて名字の顎を親指と人差し指で持って、目を合わせて、唇を押しつけた。初めてのキスだった。何度も夢の中でやってきたキスにはどうもまだまだといったところかもしれない。でも何度も何度も押し当てて、名字が肩を上げた所で唇を離した。
 顔を赤くする名字が可愛くてもう一度息を吸って、吐いて、キスをした。
 薄く開けられている口の中に舌を入れるが、名字の歯に当たって少しだけ痛い。俺は指を突っ込んで口を無理矢理開けさせた。名字の舌に辿り着く。
 唇を離す。

「舌 出せよ」

 名字は舌を出した。俺の舌を押しあてた。吸った。




 俺は初めてセックスをした。