色彩 | ナノ



「ホラ、唇がカサカサだぞ」
「…?」
「フルーツ食べるだろう?美味しいぞ?」
「……」
「なら半分にして食べよう!それなら食べられるか?」
「………」
「名前はなんていうんだ?俺はな」


 輝く、手の届かぬ、太陽だと、思った。この人がわたしの主様だったら、すっごく嬉しかったのになぁ…。






 目を開けるとそこには服を着たままのシンドバッドが目を瞑り、静かに寝息を立てていた。窓から光が射している。いい夢だった。久しぶりに見た、いい夢だった。シンドバッドの腕がわたしに乗っかっている。そう、昨日一緒に寝たんだっけ。
 ルフが見えない。ルフが。
 対象のシンドバッドを、殺すなら今しかない。今だ。今なのに。どうして、殺そうと思わない?わたしの弱虫、意気地なし。意気地なし、だからわたしは…、わたしは…。

「師匠……助けて…」
「ん?あぁ…おはよう名前。良い夢は見れたかな?」
「っ……」
「よかった。苦しそうではないな」
「さ、触るな!」

 シンドバッドを跨いで通路を全力で息をするのも忘れるくらいに走った。行く先はわからない。それでも逃げなくてはと、殺される恐怖を抱きながら生にしがみつくように必死に走った。
 ああ。師匠。どうしよう。助けて。誰も助けてくれる人がいない、いないよぉ…!

「うっ、わ、名前」
「…!ジャ、ジャーファ…!」
「待って、名前…!」
「いや、やぁ!」

 ジャーファルの両腕に拘束される。わたしが主様から逃げた時みたいに追いかけられて拘束された。ごめんなさい、ごめんなさい主様…!ぶつかったのがジャーファルだった。前を向いて走ればよかった。もっとよく見ていればよかった!

「いや、いやだってば!」
「あっ…すみま…ってちょ!名前!どこに…!」


 なんでわたしはこんな人生を歩まなくてはならないのだろうか。でも、師匠がわたしを拾ってくれたから生きてこれた。でも、わたしのせいで死んでしまった子どもは?大人は?老人は?一体何の為に生れてきたの?わたしはどうしてこんなにも人を殺すの?なぜ?どうして?わたしだって普通の人生を歩みたかった。わたしは奴隷になるまでどうやって生きてきたの?なぜ記憶がないの?なぜ、奴隷になってしまったの?
 なぜ、ルフが見えなくなってしまったの…?

「あっ」

 石に躓き腕に傷ができ、傷口と口内へ砂利が入った。何度転んだら気が済むの、わたしは。

「うう…ううっ…」

 なんで思い出してしまったんだろう。主様のことなんて、奴隷だった時のことなんて、今まで通り忘れていれば幸せだったのに。シンドリアに来たからいけないんだ。シンドリアに来なければこんなことにはならなかったのに。
 早くシンドバッドを殺して
 この国から出よう…。

 服の中に忍びこませてある黒い短剣を手にした。これでシンドバッドを、殺して…。苦しみから解放されるの。もうこんなこと思い出さないように、師匠に会おう。殺して、会って、頭を撫でてもらおう…。

「名前…!」
「! ジャーファ、ル…」
「はぁ、はぁ……体調はどうですか、名前」
「……」
「昨日は、………、名前、それはなんだ」
「…?」
「その武器は、なんだ」
「……シンドバッドを殺す武器だ」
「……名前」



ブチッ


「!! あぅ…、うう…くそ、くそ!くそ!!」

 まただ。

「名前!」

 また血が出てきた。
 くそ、くそ…!こんなところにいるからいけないんだ…早く、シンドバッドを殺さないと…わたしが死んでしまう!

 コトリ。音を出して地面に落ちたのはジャーファルに買ってもらった髪飾りだった。息が止まる。そして頭痛がひどくなる。

 こんな、こんなもの

 立ち上がり髪飾りを踏みつけた。今操れる魔力をありったけ足に集中させて何度も何度も踏みつぶした。粉々になっても踏み続け、頭痛が止まったところで足を止める。短剣を握る。
 本来こんなに居座る予定でなかった。あの夜、ルフが見えなくなる二時間前にマスルールを殺してでもシンドバッドを暗殺するべきだったのだ…!たとえボロボロになろうとも、わたしは殺さなければならなかった!おそらくシンドバッドが私に魔法をかけたに違いない、殺せばルフだって、あんな事を思い出さなくて済んだのに…!!
 鞘を抜いて放り、ジャーファルを見る。ジャーファルも戦闘態勢に入っていた。
 本気では戦わない、気を失わせる、それでいい!

「…何が、あなたを縛る」
「……うるさい」
「きみは、きみは…!」
「うるさいって、言ってんだろ!」

 だって、だって奴隷なんて、恥ずかしくて言えないよ…!

「ッ、」
「(しまった、外した…!)」

 わたしが切ったのはジャーファルの袖だった。ハラリと、重たそうに袖は落ちる。足元を見て自分との距離を計り、地面を蹴って三歩で近付ける距離だと解り、顔を上げる。
「……?」
 なぜ、そんなに悲しそうな顔をしているの…?

「何よ…何よ……どいてよ…なんでそんな顔してるの…あっちへ行って、シンドバッドを殺させて」
「名前、あなたのその武器は一体誰から手に入れた?場合によっては、殺さなくてはならない」
「お前には関係ない。これはわたしの武器だ。邪魔をするな。殺すぞ」
「アル・サーメンの一員か?」

「左様、彼女は我がアル・サーメンより生まれ育ちし使いの者よ」
「!?」
「…!貴様…!」

 上空より黒煙と共に宙を浮く黒いマントの男…わたしにシンドバッドの暗殺を依頼した本人が、わたしとジャーファルの元へ現れた。
 生まれ?育ち?どういうことだ。

「そこの女は我が使い。我が育てた使い。我のものぞ」
「どうやってここへ入って来た」
「(アル・サーメン…?なに、それ、なによそれ…)」
「帰ろうぞ、名前。アル・サーメンの元へ。お前に会わせたい者がいる」
「させるか…!」

 依頼人が近づき、わたしに手を差し伸べる。マスク越しでにやりと笑うその顔を見た。
 わたしはその手を叩いた。そして顔面に拳を入れたが魔力がうまく扱えずにいつもよりも弱い力で顔にめり込む。男は顔を押さえマスクを揺らした。
 ジャーファルの武器が依頼人へ届き、そのマントに傷を付けたが一瞬にして依頼人は宙へ浮いた。

「アル・サーメンなどわたしは知らない。わたしの親は…いない!」
「ほうほう。まあよいよい。主は今ルフが見えぬよなあ。見えぬよなあ。それはなあ。お前の魔力はなあ。ルフがなぜ見えていたかとはあ。理由はなあ。アル・サーメンの力なのよ。お前は我らアル・サーメンの加護がなくなってしまった、ただの人間なのよ。これでは暗殺、いや、剣を握ったとしてもすぐに殺されてしまうわなあ!」

 わたしの戦い方は魔力に頼って来た。なら、その魔力が自在に扱えないのなら、わたしは、もう。

「違うな。彼女の魔力は健在だ。お前が使えなくしているだけだろう?」
「むむ、シンドバッド王ではないか」
「………お前が、縛っていたのか」
「ほう、何の事ですかな。縛るのはいつだって自分であろうに?自分の記憶であろうに?」

 シンドバッドを、殺せない…。
 あ。
 血が、出る、たくさん。

「さらば名前。いつか『マギ』を向かわせようぞ…」

 そして依頼人は消えていった。「ジャーファル、頼んだ!」シンドバッドは走ってどこかへ行ってしまった。激しい息切れと頭痛に眩暈がしてその場に崩れ落ちる。すぐにジャーファルがわたしを抱きすくめてくれたが、手のひらが地についた。ジャーファルの服を汚す。
 なんだ、なにが。掴んでいたはずの短剣はわたしの手から抜け、何者かに操られるかのようにふらふらの空中を浮遊し、そして止まった途端に目にもとまらぬ速さで腰へ向かった。

「…ッああ!」
「なっ…!?」

 短剣が、腰に刺さったのだ。
 ジャーファルがすぐさまに刺さった短剣を抜き地面に刺す。短剣はそのまま、炭となって消えた。

「あぁ、痛い…痛い…痛いよ…」
「大丈夫です、今医務室に」
「痛い、痛いよ師匠…!」

 ジャーファルの服を握る。目の前にいるのはジャーファルなのにわたしから出る名前は師匠だった。




 小一時間後、わたしの魔力は戻ったが、ルフは見えないままだった。目の前に立つシンドバッドより、依頼人を殺したと伝えられた。まだ俺を殺すのか、そう聞かれ、わたしは首を横に振った。
 ひどく疲れた。腰の傷も痛い。

「明日、八人将のヤムライハという魔導士と話してみないか」
「魔導士…?」
「魔法が使え、ルフも見える者だよ」
「……あなたの好きにすればいい」
「よし、ならそうしよう。…さて、俺は野暮用で席を外すが、ジャーファルよろしく頼むぞ」
「はい、シンドバッド王よ」

 シンドバッドが立ち上がって静かに扉を閉めた。

「ごめんなさい」

 わたしはすぐに口を開いた。先程のことであった。先程の、ジャーファルに買ってもらった髪飾りを踏みつぶしてしまった事を、ジャーファルに抱えながら医務室へ移動している時、段々と正気を取り戻している時に思い出した。
 初めて誰かに買ってもらったものだったのに。

「ごめんなさい、ジャーファル」
「髪飾りをあんなにしてしまって、ごめんなさい。許してください」
「許して…」

 身を起こしてジャーファルに向かって頭を下げる。ジャーファルは慌てた。
「あんな安いものなど」と。それは違う。どんなに心がこもっていなくとも、あなたは確かにわたしに 贈ってくれたものなのだから。
「初めてだった、誰かからの贈り物が。……大事だった。アミナと一緒に出かける時につけようと…思ってた」それをあんな風にしてしまうだなんて。

「頭を上げてください」
「………」
「あなたは私に負けましたね。言う事を聞きなさい、名前。頭を上げろ」

 ゆっくりと伺うように顔を上げると、ジャーファルは微笑みながらわたしの頭を優しく撫でた。今までされたことのない、本当の優しい、手つきであった。

「……あ…、」
「これだけは、本当の言葉で教えていただきたい。…これから一度もシンドバッド王を暗殺せぬと、誓えますか」

「…誓えます」

 本当だ。もう、シンドバッドを殺す理由はなくなった。そして、同時にそれはここにいることを、許されない一言だと感じた。師匠の元へ帰ろう。
「ありがとう」ジャーファルの手が頭から退いた。
 頭痛はなくなっていた。痛みは腰と胸だけ残っている。

「……ジャーファル、ありがとう」
「…い、いえ。そんな。私は何も」

 でもこの人はわたしが奴隷だったとわかったらすぐに突き放すに違いない。汚いと言うに違いない。師匠のような「汚物女」の扱いをするはずがない。わたしの信頼できる人は師匠だけ、師匠だけだ、わたしを認めてくれるのは。今までとしてわたしを綺麗な女のまま扱ってくれる人間などいなかったのだ。彼も、シンドバッドもそうに決まっている、わたしをゴミとしかみないに、決まって、いる。



「名前、安心してください。ここに、あなたの敵はいません」


 ああ…、ああ…!ジャーファル!今度はあなたがわたしの救世主になってくれるのか!




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