色彩 | ナノ



「本当に名前って面白い事いうのね。もう一度言ってみて?」
「プロポーズされました」
「ったくよぉ、いつも何か厄介事連れてくる厄病神だとかこの前話したばっかりなのに、なに?え?」
「プロポーズされたって言ってんだろ」
「名前、俺はあまりよく聞こえなかったからもう一回言ってくれるか」
「耳の穴かっぽじってよく聞けよ  プロポーズされました!!10歳の男の子に!」

 ヤムライハ、シャルルカン、マスルールは顔を青くした。ここにこの国の王と、その右腕である眷属ジャーファルはこの場にいないことが救いだった。顔を真っ赤にして怒っている名前は、普段ならあり得ない姿である。普段であるならば八人将の彼ら彼女にはこのような態度をとるわけがないのだが、今日の名前は少し違う。
「しかもね、何だか『前世であんたと出会ってるんだ!ずっと恋していたんだ!だから!結婚してくれ!』」と、真っ赤な顔をして、ブドウ酒を飲んでいる名前は、久方ぶりに少々酔いがあるようで、机をダンダンと叩いている。
 名前はもちろん、今まで誰にもプロポーズなどされた事がない。ジャーファルにだってそうだし、シンドバッドにだってそうである。この二人は特殊であるから、プロポーズを”される”事など考えられないのだが。ぷんぷんと怒ったり、ちょっと照れてるように俯いたり、忙しい名前に向かいの席に座っている3人は顔を見合わせた。
「話があるからちょっと飲みましょう!」と誘われ、今に至る。

「男共では話にならない。さようなら」
「え!?」「は?」
「ヤムライハさん、今日はとことん飲みましょう……」
「あなた何杯目?」
「ヤムライハさんも恋多き女、失恋多き女ではないですか!」
「……私に喧嘩を売っているとしか思えないだけど?」

 こめかみに筋を浮かせたヤムライハは拳を作った。シャルルカン、マスルールはご退場願われたが、この女2人が酒におぼれたら誰が介抱するのだ、と男二人はアイコンタクトをし、隅でちびちびと飲み始めた。女は女子トークを展開させる。男子禁制の空間の隅に座る巨漢とプラスイチは、顔を濁して女が倒れるのを待った。




「あの昨日、ここの、名前さんにプロポーズをしたアルファと申します。すみませんが、名前さんをこちらに呼んでくださいませんか」震える慣れない口調でシャルルカンは見上げた男の子の名はアルファ。どうやら、昨日名前にプロポーズをした少年らしい。

「あー……まぁ、居なくわねぇけど……えっと、名前なんつったっけか、アルゴリズム?」
「アルファです!」
「アルファね、ま、ちょっと待ってろ。今呼んでくる……かも」
「かも!?かもって何ですか?なら俺を名前さんの元まで案内してください!」

 なんだこのガキは……。シャルルカンは頬を掻きながら名前をこの場に呼んだ方がいいのか、少年に効果抜群であろう名前の恋人であるジャーファルを呼んだ方がいいのか、それとも、王宮内を案内した方がいいのか、自分の判断基準ではどうも、難しい。子どもの相手など特に。シャルルカンは頬を掻く指を止めた。
 それならば一気に片付けることができる選択肢を選んだ方がいいだろう。
「わかった 案内するぜ少年」
 アルファは笑顔になってシャルルカンに飛び付いた。10歳、といっても、まだまだ子どもである。

 一方名前は銀蠍塔で昼寝をしていた。マスルールは仕事で海に出ているので修行がない。ジャーファルの邪魔にもなりたくないのでこうして何もない時間を昼寝に当てていた。というのも、昨日は飲みすぎたせいで二日酔いになったというのも昼寝の原因の一つ。
 昨日の事を未だにジャーファルに言えていない名前はどう切り出そうかと悩んでいた。マスルールに抱えられて自室へ戻り、水を何杯も飲まされて除々に意識を取り戻したところで、そういえばこれこれこういう理由で飲んでいた事を思い出し、溜息を吐いた。予想はついていた。事を告げても「ああそうですか」と言われることなど。ただ………。

「(外に出れなくなるの確定……)」
 うっすらと目を開けた名前は溜息を吐いて流れる雲と親子の鳥を眺める。こういう時だけ、ジャーファルとシンドバッドは結託して、名前の外部の干渉を無くしていくのである。以前、そのような事があった。心配性とは言い難い、なんというか、過保護というか。嬉しくないわけでもないが面倒くさい、非常に。
「(まったく、一時の師匠かよって……)」
「おーい名前ー」
 シャルルカンの声が響く。何事かと上半身を上げると……。
「ぎょぎょっ!?」
「あっ、名前さん!」
 プロポーズ少年が両腕を振っていた。飛び出た目をしまった名前は頭を抱え、転がって地面に落ちていった。



「んで?えー、なんだっけ……名前は、……ア、アロンアルファだっけ?」
「アルファだってば!もういい加減覚えろよな!未来の旦那になる男だぞ!」

 今時歳の差結婚が流行っているとはいうが、それは夫婦になる間で了承するものであって、片方が断れば結婚は成立しない。名前は10も違う誰かと結婚する気はないし、自分は暗殺者で命の保証は安定できないものだし、10も違う年下の男の子と結婚する趣味などないし、まず、恋人がいるし……。
 食堂でデザートを頬張っているアルファの隣にはシャルルカンが苦笑いをして名前に詫びていた。
「いや、悪いとは思ってるんだけどよ、子どもの扱いに慣れてなくてどう対応すればよいものか……」
「なんですかソレッ!」
 ちなみに、デザートはシャルルカンの奢りである。名前もどさくさにまぎれて食していた。

「アルファよ」シャルルカンがコホン、と咳をして向かい合った。
「うん?デ、デザートはあげないからな」
「キミが名前に前世で会っていたって言ってたらしいけどよ、つまりそれは、どういうことなんだ?」
「は?って言われても、そのまんまだよ。名前さんは名前さんで、ずっと特別な存在だったんだ」
 アルファは急に大人びたように説明し始めた。ただ、語彙が少ないからなのかはわからないが、説明と言うのには程遠い。もしアルファが前世を知っているならば昔の記憶の建物の名称だとか、その特別な存在の説明だとかできるはずなのに。だとすれば、嘘か?シャルルカンは唇に指を当てた。まず10歳の子どもの言う事をうんうんと頷いて納得するような性格はしていない。
 シャルルカンは向かいの席に座る名前を見る。名前は興味なさそうにデザートを頬張っていた。

「ちょっと名前さん聞いてますかっ!?」
「え?……あ、う、うん……ちょっとだけだけど……」
「もう!もう!」

 アルファがぷりぷりと怒って机を叩く。その瞬間に人が宙を舞った。シャルルカンも名前もその光景に驚いて目を点にさせる。そして、人を掻き分けてこちらに向かってきたのはこの国の王であるシンドバッドであった。強張る2人に、キョトンとこちらに向かってくる鬼を見つめる1人の子ども。
「シャルルカン」ドスのきいた声が食堂に響き渡った。シャルルカンは何もしていないはずなのに、罪を問われている気になって、しかも犯罪者のような気持ちになってしまって、椅子から飛び下りて土下座をした。
「え、ちょっとシャルルカンさん?」「お兄ちゃん…?」
「シャルルカン、俺は、何も詫びてほしいわけではないのだよ……」
「も、申し訳ございません、王よ!」
「真実を知りたいだけなんだ………その子は、隠し子だそうだな、名前との!!」

 え?
 食堂にいるシンドリアの住民や食客達が止まる。
 そうなの?そうには見えないけど。っていうか、名前さんって政務官兼八人将のジャーファルさんと恋人関係はなかったっけ?とヒソヒソと声が聞こえてくる。名前は顔を真っ赤にして、身を縮こめた。

「は、はい?……王よ、申し訳ありませんがもう一度……」
「だから!名前とお前とのっ!隠し子が、この子だろう!!」
「恐縮です、シンドバッド王……なにか、勘違いをなされておられるようですが、この男児はわたしとシャルルカン殿との隠し子ではありません」
「な………なんだって?違うのか?文官も武官も噂をしていたぞ?」
「………えっと、どう説明したら良いのでしょうか……この者は、その」

「名前さんの未来の旦那です!」

 食堂にいる文官、武官、食客達はすってんころりん、地面に体を打ちつけた。シンドバッドも呆気に取られている。無理もないだろう。苦笑いを浮かべている名前とシャルルカンは申し訳なさそうに「王宮に入れてすみません」と声を揃えて詫びた。

「ああっ!でも、シンドバッド王は王だから、名前さんの未来の旦那になるのか!?」アルファが急に頭を抱えて唸り始める。名前は一体今度は何だとアルファを、眉を顰めて見つめ、シャルルカンとシンドバッドは顔を見合わせてからアルファを見下ろした。

「どういうことだい?」シンドバッドがアルファに視線を合わせる。
「名前さんは前世で、王の奥様だったんだ!」

 フム……。シンドバッドは考える。この少年が偽りを言っているのかそれとも真実を言っているのか、シンドバッドにはどうでもよい話だったのかもしれない。シンドバッドは大して興味なさそうに、考えるフリを見せている。
「で、でも、俺はそれでもっ!せっかく、生まれ変わったんだし……!」ただアルファは諦める様子でないことは確かだった。
 シンドバッドはアルファが名前とシャルルカンの隠し子でないという事実が知れればよかったのだから、もう大して興味はない。それに、アルファの言うことだって、子どもの無限に広がる妄想に近いおとぎ話のようなものであるだろう。しかし名前はアルファだけを見つめている。

「きみ前世を知ってるの?」
「名前さんは……覚えてないんだな」
「わたしって、昔、王様の妃だったの?」
「うん、そりゃあすごく、凛として、格好良くて、人々の憧れだったんだ、すごく気高くて、」
「……昔はわたし、幸せ者だったんだねぇ」

 名前は笑ったが、反対にアルファからは笑みが消えた。
「あれ?何かマズいことでも言ったかな?」

「ね、ねえ名前さん、名前さんは『ジンの金属器』を持ってる!?」
 シンドバッドとシャルルカンがアルファを視界に入れた。アルファがジンの金属器の事を知っていることは何もおかしなことではない。目の前にシンドバッドという王がいて、眷属がいる。それに、王が執筆している書物は、シンドリアの住民で目を通した事がない者などいないだろう。
「わたしは、持ってないけど……」
 アルファは残念そうに頭を垂らした。

「ねえアルファ」
「なに?」
「わたし、凛として格好良くて、気高いように見える?多分ね、アルファが探している方とは違うと思うのだけど」
「どうして?見えるよ」
「うーんと……まず、その、なんというかね、ただなんとなくなんだけど……私が王様の奥様だなんておかしな話じゃないかなって思って……。凛ともしていないし格好良くもないし、気高いようにも、お世辞でも思えないしさぁ……」

 アルファがいつの間にか名前の目の前にやってきて、両手を取った。

「そんなことない!だってこんなにも似ているのに!」
「え?」
「その、眉を下げる表情が、とても!!」
「は?」
「虐めたくなるくらいに、本当に、似ているんです!!!」

 シンドバッドとシャルルカン急いでアルファから名前を剥がす。「危険だ!!」「野獣だ!!」シンドバッドとシャルルカンは背に名前を隠し、アルファから距離をとった。シンドリアの王とその眷属がこうして恐れを成しているこの少年の名はアルファ。(10歳)
「ならもう、前世なんてどうでもいい、お、俺はっ!名前さんが好きなんです!!」
「で?少年がくっついて離れないと?」
 鬼のツノを何百本と生やし、腕を首貧乏ゆすりをしている成人男性の名はジャーファル。元暗殺者である。アルファはジャーファルを見た途端、表情が一変し、まるで敵対している者同士のような空気に変わってしまった。アルファの奴、気付いたんですかね、とシャルルカンは隣にいるシンドバッドに問うと、シンドバッドはさあどうだろうなと二人の様子を観察した。
 パンを頬張る名前は居心地が悪そうに肩を狭め、ジャーファルとアルファに挟まれている。なんとかわいそうなことか。それを見つめるギャラリー達は手を合わせた。

「フッ。まぁ10歳の小僧のプロポーズをまともに受けるような人ではないですよ、名前は。10以上歳が離れているんです、諦めなさいクソガキ」
「でも俺は名前さんの前世知ってるんだ!お前は知らないだろ!ヘッ バーカうんこうんこ!」
「……オイその口のきき方、慎め」
「ジャーファルを押さえろ!!」

 シンドバッドの掛け声に眷属であるシャルルカン、文官、武官、そして名前が取り押さえた。今にも肉を噛みちぎり、首を振って溝に捨てそうな表情のジャーファルは、大勢のギャラリーに自室へと移動させられた。まだ飯食ってねえぞ!という怒声に、文官が後ほど持って参ります故!!と涙ぐんだ声で叫んでいた。彼はおそらく死を覚悟したに違いない。
 うへぇと長い息を吐いて、名前はアルファに向き直った。アルファは名前を見上げ、言葉を待つ。彼女はこの子をどうにかしないといけない、と思った。もちろん、少年の気持ちを金づちで押さえつけることも踏みにじることもしたくない。彼は、いつかのあの時の少年に似ている。殺され、奴隷達に食べられてしまった、あの少年にだ。

「アル、わたしの部屋でゆっくり話をしようよ、ここじゃその、外部がうるさいしさ」

 アルファは頬を染めて名前の腕に飛びついた。食べかけのパンをバスケットの中に入れる名前の表情は王や眷属が初めてみるであろう表情で、それはとても死人に似たものだった。


 名前がアルファを部屋に招き、適当に座るように言って扉を閉める。アルファは殺風景な部屋の中に一つだけ色どりのある場所の一点を見つめ、名前が隣に座ってくるのをいつまでも待った。鍵を締め、その鍵を玄関の側の小物入れに入れる。それは以前ジャーファルがこの殺風景な部屋に少しでもあたたかみがでるようにと優しい色合いのものを選んで買い与えたものだ。
 名前がやっとアルファの隣に腰を下ろすと、アルファは期待を胸に抱き降ってくる言葉を待つ。どんなものが自分に降るのだろう、期待を胸にしたが、その期待は一瞬のうちに奈落へと落ちていった。
 自分を見下ろす名前の表情は、どこか、比喩しがたいもので、まるで死人を見ているかのようなものだったからである。凛とし、気高き、覇気と、優しさを持っていた彼女ではない、まるで、奴隷のような。その時初めて、アルファは目の前にいるのが人間であることを知った。

「アルファ、きみの見えているものは幻想のわたし、あなたの求めるわたしじゃないってことはよく理解した上で聞いてほしい。わたしはきみのように前世を覚えていない。王の妃であったことをわたしはまったく覚えていない。酷だとは思うけど、どうか悲しまないで聞いて。 わたしは、アルファの事嫌いじゃないけど、」

 アルファは10歳の少年の力をフルに稼働させた。力の入れていない名前にとって、それは成人男性と同じくらいの力だと錯覚させた。アルファは前世の王の妃であった女性の胸に飛び込んだ。顔を擦りつけ、彼女の香りを確かめる。
「奥様………」アルファは胸に顔を埋めたまま呟き、腰に回した腕の力を強くする。

「ずっと、あなたの事をお慕いしておりました。私の名はヘサーム、あなたの剣でありました。人々に幸福を与える、偉大なる女王よ、私に幸福を、与えてください」



 アルファが王宮を去った。小さな少年の噂は一日で王宮全体に響き渡り、また王宮を去ったことも、すぐに知れ渡った。名前はすぐにジャーファルの部屋へ赴いて機嫌を直しているだとか。文官達はホッと一息を置いて仕事に戻る。
「いやでも、なんつーか、お騒がせなガキでしたね」シャルルカンは水を一飲みして向かいに座る王に向かって呟くと、顎に指を当ててなにやら考え込んでいたシンドバッドは、ああそうだなと空虚な瞳でシャルルカンを映し出した。「王?」「ああ、すまん、まあ…帰ってくれてよかったな」大変お騒がせな少年だった、とシンドバッド王は笑った。

 名前とアル・サーメンの関係性、それは八人将が疑問を抱き、認識していること。そして今回のアルファという少年の件。彼はヤムライハが四方八方どこから見ても堕転をしていない、ただの少年であった。そして、名前の周りにいたルフは彼と共鳴していた、と言う。
 シンドバッドはシャルルカンに、二人の様子を見て来て欲しいと頼んだ。仰せのままにと立ち上がったシャルルカンは重い足取りでジャーファルの部屋に向かう。きっとヤケ酒でもしているのでは、名前も抑え込めない状態なのでは、とマイナスな事ばかり考えてしまい、部屋につくまでに569回の溜息を吐き、階段を上がってジャーファルの部屋の前に訪れた。不思議と文官も武官もいない、ということはつまり……。シャルルカンは重い空気を軽い空気に転換させ、周りに花を咲かせた。ヤッター、とばっちりは無しだぜー!と興味本位で扉に耳を当てた。当てると…………。

「…………………。」


 シャルルカンは語る。政務官と、その恋人、食客であり暗殺者の女は、どうしようもなバカップルだと。ヤムライハ、マスルールは考察する。昨日、シャルルカンと彼と彼女との間に何があったのかと。しかし、褐色の彼は口を閉じたまま机に突っ伏し、机を叩き、唸り、叫ぶ。「名前がメチャクチャかわいかったんだよッッ!!!」キィィイイイイ!悔しい!俺だって、俺だって!!




「ああ、奥様、またですか。全く本当に先日も怒られたばかりでしょうに!」
 腰に剣を下げた今年で22になる男がぷりぷりと怒った。彼は天真爛漫で、凛とし、気高く、強く、人々に幸福を与える女王の懐刀と世話役を担っていた。いくつになってもその純粋な心は変わりない。仕えるのは、人々に愛される王の妃、人々から愛される存在である。
 妃の世話役である爺やが、長い白いひげを伸ばしながらホッホと笑った。男はそんな爺やにぷりぷりと怒った。
「まぁそんな怒りなさんな、奥様はお前をからかって遊んでいるんじゃよう」
 男が女王の方へ振り向く。人々から愛される女王は、人々が愛する笑顔を見せていた。彼女は王からそう遊んでやるなと言われていたのだが、余暇を過ごすにはもってこいの遊びなのだ。

「お、奥様! いい加減にして…くだ………、もう!」
 ぷりぷりと、彼は怒る。




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