色彩 | ナノ





「あっ、あ、師匠っ、あ……まって、あっ あ……!」
 ムウの魔法により、そしてアル・サーメンから授かった能力により、名前の傷は完治した。
 名前を覆ったムウは腰を振り、名前の腰と肩を掴んで、名前の制止の声を聞かずに何度も達した名前を気にせず自分の快感を満たしている。
 二人の側にはリダーの死体が転がっていた。
「いっちゃ…う…!ししょ、いっちゃ、いっちゃう、ああっ!」
「はっ、名前…!あっ、く、名前、名前……!」
「ムウさっムウさんッ……!」
「ッ名前……」
 精子が名前の腹に飛び散った。ムウの腰に巻きついていた脚がバタリと音を立てて、汗で顔にへばりついた髪を名前は邪魔そうな顔をして汗と共に拭った。そのままムウの接吻を受け止める。もう体力もないのか、名前から舌を絡むことも、ムウの舌に答えることもない、ただ好きにされているだけだ。だが、これだけでムウは満足だった。
 支配欲が満たされる。

「行かないで………ずっと、一緒にいて、ムウさん…ずっと、もう、離れたくない」
「……名前…、」
「いやだ……やだよ、だって、ずっと、もう、寂しい思いなんて、いやだ……」

 できるのであれば、そうしていたい。ムウも、名前と同じ気持ちだった。離れたくないのは、どちらも同じなのだ。
 だがしかし、ムウは名前から離れなければならなかった。それは、彼がアル・サーメンであるという事実が物語っている。そして彼女を堕転させることができなかったことと、彼女を、アル・サーメンの道具にしたくなかったことも含まれている。自分と共にいては、名前は幸せにならないことくらい十分にわかっていたし、元々、名前に幸せなど訪れることは決してない。しかしそれでも、ムウは、願っているのである。
 名前の幸せを願うのと同時に、自らの願いも叶えたい と。

 ムウは常に一人で感情と戦っている。

 ムウに縋る様に抱きしめてくる名前を受け止めて、自分も冷たい地面の上に転がった。
 自分の言葉の数々は、嘘偽りのないものだったのだろうか?そうとも限らない。本心からだったのかもしれない。名前は誰かを妬ましく思ったことは一度もないのだろうか?他人を羨ましいと思ったことはないのだろうか?
 名前がアル・サーメンにいた頃、ムウは名前とあまり接触する機会がなかった。いつも遠くの方でその背と横顔を見つめ、いつか触れたいと思ったものである。ムウが名前へ魔法を指南するようになってからは、ムウは自身の幸福を願うようになった。


 いや、名前は幸福を望んだことはあるのだろうか?

 今、名前の述べている言葉はなんだろうか?

 願いだ。
 これは紛れもなく名前のムウに対しての願いなのだ。


「チクショウ」


 名前を不幸せにしているのは、自分ではないか。

 なぜアル・サーメンの一員になってしまったのだろう。
 なぜこんな体で生まれてきてしまったのだろう。
 なぜ幸せになれないのだろう。
 なぜ好いた女の幸せを奪ってしまうのだろう。

 名前を想いながら過ごした牢獄も、自慰も、魔法学も、駆け回って足の裏に肉刺を作ったことも、無駄なことだったのだ。名前の幸せ、自分の幸せさえ叶えられていないのだから。長い年月を費やして尚、誰も救えていないのだ。
 情けない。情けなくて涙が出る。


「(俺は、この後死ぬのかもしれない。きっと呆気ない最期だ)」

 思わず、乾いた笑みと笑い声が洞窟内に響き渡った。
 幸せになんてなれない。ずっと縛り続けられ、一人ぼっち。自由なんてものはない。求めるだけで得るものはない。価値のない生命体、世界から見離された生命体。生きる事に楽しいことなどひとつもない。悲しい運命しかない。運命なんてものはいらない。
 笑顔が憎い。笑い声を殺したい。自分のことをわかってくれる人などこの世に一人としていない。誰も解ってくれない、解ってるフリをして、結局だれもわかっちゃいない。だから皆死ねばいい。
自分のことを嫌いなお前の事が大嫌いだ 死ねばいいんだ。 何も 何もいらない

 何も、

「何も………」



「師匠……、一緒に帰りましょう。王もジャーファルさんも、師匠がアル・サーメンだってことを隠していれば迎い入れてくれるはずです、から」
「…………。」
「……ムウさん、覚えていますか?あなたが、誰かに必要とされたいとわたしに言った事……」
「あぁ……、そんなことも、あったな」
 いや、よく覚えている。
「ムウさん、帰りましょう? わたしと、一緒に」




「きっとお前は、俺を必要としなくなる日がくるよ」


 ムウは上半身を起こし、上着を拾った。名前はつられるように上半身を起こして、ムウの背中を見つめる。その背には傷が無数に散りばめられていた。フラッシュバックする映像に、名前は思わず口を閉じた。冷や汗が出る。

「お前は俺と違うから……」

 すべてはわかっていたことだったのに。初めからわかっていたことだった。
 すべて、自分の独りよがりだったのだ。

「はじめっから……、俺はわかってたんだなァ………」

 すべてが自分の独りよがり。

 幸せを願う、世界を反した行い。



「幸せになりたいよ」



 幸せを願うことは、悪い事ではないのだ。誰しも、人間の誰しもが自分の幸せを願う。犬であれ猫であれ、どんな生き物であれ、自分の幸せ像を想う浮かべることは罪ではないし、必然である。運命の一つに組み込まれているのだから。
 ムウの体に衝撃が走る。前のめりになって、振り向くと、名前の腕が体巻きついていて、背には名前がいたのだ。

「いやだっ……いやだッ!やだ!やだやだやだ…!いやだ!いやったらいや、わたしは、ムウさんがいないと生きていけない!わたしはずっとムウさんが必要なの!わたしは、わたしは、わたしは誰よりもムウさんの幸せを、願ってる……!」

 ムウは手で顔を覆う。溢れる涙が指の間から零れ落ち、滴は名前の手に落ちた。

「行かないで、行かないでムウさん、行かないで………お願い…」

「……服着ろよ、風邪ひくぜ」
「………、…は、い……」
「元々着込んでねえから、もうちっとあったかい格好しような」
「すみま、せん」

 妙に優しく接するものだと、名前は思った。ムウを見上げた名前は、視線が合って慌てて服を拾い集めてその場で着替え始める。その名前の姿を見据え、ムウは微笑んだ。
 着替えが済むのを確認したムウは手招きで名前を呼ぶ。服を掴んでいる名前は何か考え込んでいるような表情を作っていた。ムウには名前が今なにを考えているかなんとなく、いや、わかっていた。

 ムウは名前を優しく抱きしめ、優しく唇に指を這わせ、そのまま唇を合わせた。舌を使うような深いものでも、卑猥な音を立てるわけでも、吸うわけでもなく、ただ合わせるだけの接吻だった。だがこれにムウは今まで一番、愛しさと優しさと悔しさと、幸せを願った、接吻だった。名前も答えるように瞼を閉じて、ムウの唇を受け入れて、確かにそれらを感じていた。
 唇が離れる。ムウは名前の耳元に口を置く。

「愛してる」



 次の瞬間、名前の体は宙に浮き、下にはジャングルが広がっていた。名前は言葉が出なかった。空中で体制を整え、視線の先には腕を上げているムウの姿。片腕で自分の事を投げたのだと理解した名前は口を開けたが、声がでなかった。

「ッ……」

 ムウさん、声の出ない叫びは、ムウには届くはずもない。ムウは背を向けた。
 名前はおちていく。






 リダーには数えきれないほど世話になっていた、それに自分を理解してくれているかもしれないという希望でもあった。だがリダーの思惑に気づいてからは、リダーをそのような目で見れなくなっていたのだ。そしてリダーのことを軽蔑した眼差しで見るようになったのは、リダーの家に訪れた時の、部屋に飾ってあった一枚の絵からだった。
 リダーが初めて会った時の、やせ細った名前の姿がそこにはあった。
「素晴らしいと思うだろう」
 ムウの心はただ無にしかならなかった。

 そして、リダーが名前を元主に売った事を知った時、どうにかして殺してやろうと決意したのである。元主も殺して、リダーも殺してやろうと考えた。ただ殺すだけじゃ生温く、苦しめて苦しめて、できれば名前の目の前で「リダーはお前を元主に売った」と公言して殺してやろうと思ったのだった。
 結果、公言することはなかったが、殺す事は叶った。怒りしかそこにはなかった。何かを想って殺したのではない、体が勝手にリダーを殺していたのである。
 リダーの死体は蹴って、森の中へ放った。

 ムウは装束を身に付ける。
 息を吐いた。吐く息は白くも黒くもない。無だ。
――愛してる。

「次に会った時は、本当に、敵だ」

 息を吐いた。吐く息は白くも黒くも、無でもない。


 瞼を閉じた。一歩、足を踏み出す。そしてまた一歩、一歩と、踏み出していく。
 ムウに黒いルフは存在していない。





 名前が王宮に戻って来たのは、いくつかの骨折をし、切り傷刺し傷をしてボロボロになった状態の、陽が落ちた頃だった。文官も武官も、皆が驚き名前を介抱した。受け身は取らなかったのか、もしかして敵と戦っていたのか、気持ち悪くはないか、早く医務室へ運ぶんだ。そんな声が響く中、名前は一人の男性を見つけた。
「名前……!」
 ジャーファルが名前に駆け寄る。目を大きく開けて、自分の目の前で自分を見つめる姿に肩と手を震わせて、抱きしめる事も忘れ、その姿を目に映す。
 名前はジャーファルにしがみ付いた。泣く事はなかったが、強くしがみ付いた。

 涙は森の中でたくさん落としてきたのだ。大声を上げて、大きな口を開けて、悲しさと悔しさと、愛しさに、名前は大粒の涙を流し、骨が折れようとも気持ちが悪くとも、草を握って額を草むらに打ち付けて泣いた。
 もうムウには追いつけないことくらい、名前はわかっていたのである。だから、大粒の涙を流し泣いたのだ。


「名前が無事で、何よりですよ」
 名前はもう一度、涙を流した。小さな涙を少しだけ。
「ここへ帰ってきてくれてありがとう  おかえりなさい」

 ムウのことやリダーのことを、これ以上問う事もなかったし、伝える気もなかった双方は、ただ、抱きしめ合った。




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