色彩 | ナノ



 今まで汚いことをたくさんしてきた。奴隷から解放されたと思えば「お前にわたしの暗殺術を伝授する」とかなんとか意味わからないことを言いだしたと思ったら次の日から修行修行修行の毎日だった。お前は魔力の量がケタ違いだから無理矢理にでも覚えさせるから。と言われ魔力操作まで体に叩きこまれたのである。そう、わたしは魔力操作を使えるのだ。そして毎日の厳しい修行で体中に傷が出来ていて、それをみた師匠は「汚物女」と名付けたのだ。ふふ。殺したかったなあ。汚物ってなんだよ殺すぞ。
 だがまあ、師匠はわたしを拾ってくれて寝る場所も食べ物も与えてくれたし、時々頭を撫でてくれた。それはもう優しくて、薄い記憶のお母さんとお父さんを思い出させてくれたものだ。

 だが、あまり奴隷時代の事を覚えていない。時折夢に出てくる程度だった。そして今日も、鞭が飛んできた。
 頭が痛い。



 ボーっとしてから身を起して辺りを見渡すと、そこは与えられたわたしの部屋だった。奴隷の部屋じゃない。
 立ち上がって下を見下ろしてみると食客達が芝生を踏みながら談笑をして剣や杖を振っている。今日はジャーファルに見つからないように行動しようと昨夜寝る前に決めた。いや昨夜ではない。今日だ。二時間前までシンドバッドの寝室にいたのだ。天井に張り付いて。が、しかしなぜかシンドバッドがぐーすか鼾をかいて寝ている隣に大男のマスルールが立っていてわたしのことをじっと穴が開くのではないかと思うくらいに見つめられ、諦めて部屋へ戻り、パタリと倒れた。

「なんだよぅシンドバッドが強いんじゃなくて八人将が強いんじゃんかよぅ」


 ブチッ


「……え…?」

 白いシーツの上に赤い液体が零れ落ちた。

「……………え?」

 ブチ?

「え?」

 耳から血が出る。
 口からも、鼻からも。
 その瞬間音が消えた。見ていたルフが見えなくなった。「名前様?」
 アミナ

「アミナ、」
「っ、名前様…!名前様!」

 アミナのルフが見えない。

「今シンドバッド王を…誰か、誰かシンドバッド王を!」



**



「ひどい頭痛がするそうで…今は寝ています」
「…そうか。彼女が血相を変えて名前を抱いているものだから俺も焦ってしまったよ」
「誰でも焦るでしょう。あの状態を見たら」

 いくら暗殺者と言えどあの血の量を見てしまって私もマスルールも驚いた。あの使用人が泣きながらシンへ助けを乞う間にも血は流れ続け、名前の絶望的な顔に私は驚いてしまった。いかにも死んだような顔。シンや私、マスルールを見た途端表情が崩れて頭を抱えた。まるで自分を守るかのように。
 震えていたのだ、自らを守る腕が。

 ふう。とシンに気付かれないように溜息を吐き、名前が寝ている部屋をチラリと横目で見る。しかし、相手は暗殺者だ。死んだ方がこちらとしては都合がいい。
 のだが、シンは必要以上に彼女を気に掛けているようにも思える。それは別構わない、とは言えない事態であるのは確かだ。暗殺者だぞ?シン、あなたは大人になった、知りすぎたのだ。成長したはずだ。

「シン、もうこれ以上あの子を看取る必要もないでしょう。むしろ都合が良いと考えるべきです。八人将に力が及ばないと言えど暗殺者である事は確かだ」
「そう思うならそう思ってればいい。俺は彼女を助ける」
「シン」
「そう決めたんだ」

 席を立ち部屋を出る。きっと名前の元へ行ったのだろう。名前には仲の良い使用人が付き添っている。回復したとしたら使用人がシンを守ることはできるだろうか?守るとしても、彼女を退けてしまえば意味がない。シンが名前にやられるはずも、ないのだが。
 扉の側にいるマスルールが口を開けた。

「シンさん、朝から何も食ってないっすね」

 仕方ない。
 兵を呼んだ。



「あ、あのうでもシンドバッド王…?名前様は暗殺者なのですよ…?あ、でも目を覚まさないかも…あぁ名前様…死んでしまうのかしら、名前様…」
「大丈夫、俺が絶対に死にやさせないよ。きみも名前の笑顔を見たいだろう?」
「ええ、ええ。名前様の笑顔を早く、早く…」
「なら俺にまかせてくれ。名前が目を覚ましたら真っ先にきみの元へ向かうように伝えよう」
「ああシンドバッド王。どうか名前様をお救いください」

 ドアの向こうでシンと使用人の会話を聞き、タイミングを計りドアを開いた。「シン、朝から何も食べていないでしょう」私の両手にはトレーがあり、その中身はいつしか名前と共に食べた肉団子セットだった。

「ああ…そういえばそうだったな…」
「さあ、ここは私とシンドバッド王が看ますから安心なさってくださいね」
「はい。失礼致します」

 静かに扉が閉まる。机の上にトレーを乗せ名前の表情を伺うと、目には涙を浮かべ、シーツを強く握っている。

「手を解こうとしても力が強くて解けないんだ
 シンは見兼ねて言う。

「一体なんなのでしょうか。昨日までうるさいほど元気だったのに」
「マスルールが言うには二時間前まではいつもと変わりなかったようだ」
「いつもって…期間が短すぎます」
「…そうだな……」
「まあわからなくはないですが」
「しかし、本当に、一体何が」
「……調べさせましょう」
「ああ。そうしてくれ。一刻も早く彼女を助けなくては」

 再びシンから離れた。調べさせようとは言ったが自分で調べたほうが早いと思ったため、自らの足で黒秤塔へ赴き病に付いての文献を探しに探しまくったのだが、どうも名前の症状に関連することは何一つかすってもいない。
一体名前はどうしたのだろうか。

「ん?」

 なんで名前の心配など…。

「ハア、私は疲れているようだ。少し探してから休憩を入れよう…」

「…………。困った人だ」



**



 息を切らして走る。「待てよ」「待てって」「待てっつってんだろ!!」悲鳴に似た声が出た。鞭が当たってその場に転び腕に擦り傷を作った。それだけではない。打ち所が悪かった、右腕が折れた。ただでさえ痛みで声が出ない程なのに主様は一心不乱に鞭を打ち続ける。
 痛い。痛いよぉ。やめてよお。歯がガチガチとなった。体中が震えた。吐くものがなく、気持ち悪さにただ胃液を出すだけだった。誰か、誰か助けて。誰か。やめて。やめてよ。痛いよ、痛いよ…!
「お前は俺の奴隷なんだよ!俺に歯向かう気かよ!」腹を蹴られ頬を殴られた。うう、うう…。
「なあ俺セックスしたことねえんだ。もちろんやるよなあ。俺と。お前練習台な」服を脱がされた。恥ずかしい、恥ずかしい…。
「なんだよ、セックスやなの?ふうん。あっそ。わかった。おいそこのお前。新しくきた3歳くらいの奴隷持ってこいよ」
「見てろよお。今からこいつの首から下お前の体の上に落ちるからなあ。そんじゃまあ。ホラ」
「どう?どうだ?ウハア良い顔してるぜ名前。ほい。頭」
「3歳の奴隷はちょっと、使えなさすぎだよなあ。我がままだしなあ。いいよなあ。これくらい、いいよなあ。腐るほど奴隷いるしなあ」
「なあ。するかよ。セックス」
「おい」
「もう一人持ってこい」
「おい。その奴隷、食えよ」


「やめて…」



「助けて…」

 誰か


「名前」
「……!アッ…」
「…大丈夫ですか名前。さあ涙を拭いて」
「……(あ。あ。あ。あ。あ。)」

 主様の手が伸びる。
 あ。
 あ。
 あ。やめて

「………」

 あ。
 あ。
 絶望の顔。驚いた顔。叩かれる。

「!? 名前!」

 柔らかい布団をどかし男に頭を垂れた。

「申し訳ありません主様、申し訳ありません、どうか、どうかどうかご慈悲を…どうか…どうか…何でもします。申し訳ありません。なんでも致します。致します。だからどうか叩かないで…」

 止めどなく流れる涙と鼻水と、主様の息遣いが部屋を占領する。

「違います。ただ体が動かなかっただけです。わたしはまだやれます。やれますから叩かないで、誰も殺さないで。わたしに人を食べさせないで。申し訳ございません。申し訳ございません主様。申し訳ございません、申し訳ございません」
「謝るのを……、やめなさい」

 ああ。叩かれる…!

「頭を上げなさい、名前」
「そのような!身分が違います!できません!」

 上げたら叩くのだ、わたし知ってる。何度だって叩かれた。顔を上げれば子どもの首だってあった。鞭が、鞭が、鞭が、ナイフが…!
 ルフが、ルフが見えない、聞こえない、何も聞こえない…


「ジャーファル、名前の様子は……!?一体どうした!」
「シ、シン…それが私にも…」
「名前、名前!何があった!」
「っ!」

 主様が抱いてきた。よかった。これで誰も殺されない…。
 よかった。誰も、誰も…。

「名前、目を開けなさい。ゆっくり深呼吸をして。あなたの目の前にいるのは誰だ?」

ルフが、ルフが見えないよぉ。

「大丈夫。誰も君を傷つけたりはしないからね」
「俺が守るのだから」
「名前」



「……シンドバッド…?」
「ああよかった。ほら、涙を拭くんだ。いい子だね」
「…………主様は…?」
「ここにはいない。お前の主はここにはいない」
「……で、でもそこに」

 わたしが指差した方には主様などいなかった。ひどく傷ついている様子のジャーファルだった。主様じゃなかった。

「ジャーファルだよ。わかるな?」
「なら今までのは」
「夢だ」
「夢じゃない。鞭で叩かれた…」
「……もう叩かれたりしない。ゆっくりお休み。俺がそばにいてやるからな」

 シンドバッドはわたしを再び抱きしめて一緒に柔らかい布団に沈んでいった。
 薄れてきた記憶がハッキリと鮮明に映し出される。
 どうか良い夢が見れますようにと、涙を流しながら願った。




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