色彩 | ナノ





「リダーは師匠の稽古を付けていた時期があったそうです。一筋縄ではいかないということですが、今ここにいるのはシンドリアを守護する方たちですから、その点は心配のないように思います。ただ、彼は暗殺の依頼の中継役をしているのでたくさんの情報を持っていることは確かです。もちろんシンドリアの事も知ってるでしょう。なので、わたしはこれを阻止したいと思っています。
 実際、直接互いに本気を出して組み手はしたことがありませんし、傷も今完治しているとは言えませんから…もし対峙して戦うことになったら、フォローをお願いします。それでは、わたしはこれで」

 ジャーファルの机に置かれていた手紙にはこう書かれてあった。何度も何度も練習してきた見慣れた文字、これは名前の文字だ。ジャーファルは大きなため息を吐いて、ドスンと力が抜けたように椅子に座る。さて、本当にあの馬鹿娘はどうしたものか。手紙を掴んで握りつぶしたジャーファルは誰にこの事を伝えて、誰をフォローさせにいくかを考えたのだが、名前も暗殺者、なかなか居場所を特定することは至難の業だ。
 ――何をどうフォローするって?
 ジャーファルは、このフォローをお願しますという文章は自分に向けられたものであることに気付き笑った。

 そうだろう。彼女の場所が特定できる人がこの国に居るとは思えない。まず、自分も名前の居場所を掴めていない。

「一体、どうしたらいいんでしょうかね……」

 名前にも、この信頼にも、居場所も。



 一方名前はある建物内の屋上に腰を下ろしていた。リダーの居場所は完全に特定できてはいないが、この近辺であることはわかっていたのだ。リダーはこの国に用事があるのではなく、自分に用があったのだと気付く。
 リダーに攻撃を当てられることはできるのだろうか?ムウの体術はリダーが仕込んだ名前は聞いていた。修行の時軽くであるが付き合ってもらっていた事もあるが……それはあまりアテにはならない。
 正直な話をしたところ、ジャーファルが名前を見つける見込みもそう無かった。ただ、ジャーファルを信頼しているからこそ、あのように願いを書いたのである。出来れば手を貸さないというのが望ましいのだろうが。

「(早急に……八人将の方々のお手を煩わせる前に決めたい。しかしリダーだ、わたしの傷も完治していないし……)」

 リダーが、このシンドリアから引くわけがない。名前は確信を持っていた。リダーは仕事の時は右の耳たぶを赤く塗り、私用の時は左の耳たぶを青く塗る。対峙した時リダーの右の耳たぶが赤く塗られていることを名前は見逃さなかった。一体誰からの依頼なのかは知らないが、それならばシンドリアから身を引くなど到底考えられない。
 シンドリアには宿屋が集結している。その数ある宿屋の中からリダーを捜し出すのは困難を極める。が、名前にしてみれば朝飯前なのだ。目的の人物を探し出すこと、名前の得意分野の一つであった。魔力操作同様、探知能力は秀でている。

「(島国だ……船が出ていない限りこの国から抜け出すことはない……。それに、仕事なんだ、絶対にまだいる。絶対に見つけ出してみせる。リダーをこのままにしていたら、シンドリアにも影響が出てしまうかもしれない……)」

 すべては自分が影響しているということを十分に理解している名前だ。それにもし王であるシンドバッドが対象だとしたら、まず手始めに八人将の一人に狙いを定めるはず。つまり狙いはシンドバッド王でもシンドリアでもない、名前なのだ。

「…………!?」

 手が勝手に短剣を掴む、鞘から抜き取り、短剣は後ろの人物へと向かっていった。同時に名前の体も後ろに振り向く形となる。

「お前」
「やぁお嬢さん、久方ぶりだね。いやね、回復するのに時間がかかっちまったよ。なんせここは黒いルフが少なくてね……長い期間を要する事態になってしまって怒られたけど、まぁこうして回復できたからいいとしよう。さあ、お嬢、俺と共にアル・サーメンへ帰ろう。あなたがあるべき場所に」

 短剣は引かない。それに、この男の言っている意味がわからない。何をいっているのだろうか?目の前の男を睨む名前は短剣の柄を握った。いつも使用する角度へ手首を動かした。魔法が使えるこのアル・サーメンの男は杖を指の間にはさみ、円を描いて遊んでいる。余裕の表情だった。一度名前と対立したことがあるからだろう。

「………ハッ、成りそこないのクセにルフがお前を護らんと必死だな。あんたの力を奪う時もこいつらに邪魔されて魔力を奪うことができなかったんだ………。最後の抵抗ってわけか。まぁあんたからルフが無くなれば、ただの『人形』になっちまうけど………その中に黒いルフをいれていけば、あんたは立派な堕転した成りそこないになるわけだ」
「成りそこない……?」

「…………ああ!そういや、お前ムウに記憶消されてたんだっけなあ!まぁアイツもあんたのことになると過保護になっちまってよぉ…自分が奴隷にしたから仕方ないと思ってたけど……お前はアイツを堕転から救ったんだもんなぁ」


 なぜ、アル・サーメンがムウの名を知っている?自分を奴隷だったという事を知っている?

「なぜ知っている」
「へ?」
「師匠を……ムウを、なぜ知っている!わたしが師匠の堕転から救ったって……一体何のことだ…!!」
「え……お前、知らなかったわけ…?ムウはアル・サーメンだろ?」

 まさか
 そんなことありえない。

「でたらめを言うな!師匠が…アル・サーメンなわけがあるか……!お前らと一緒にするな…!」
「ハハ。お前は元々アル・サーメンの監視下にあった、アル・サーメンの『人形』様だ。そして、マギの成りそこないなんだよ」
「師匠が………わたしが……?」
「なぁ。アル・サーメンに戻ろう。そしたらお前のだぁいすきな、ムウがいるぜ……? なぁお嬢、私はあなたをアル・サーメンに戻ることを希望している。名前様、あなたはアル・サーメンの使いなのです」

 名前は俯き歯を食いしばった。何を言っているのだろうか、ムウがアル・サーメンであるわけがない。そして自分もアル・サーメンであるわけがない。この男の言っていることはでたらめに決まっている。

「傷が勝手に治っていくのもすべてアル・サーメンのおかげだ。皆はあなたの帰りを待っている。あなたは、ここにいるべきではないのだ」

 ドゴォン、という音と共に名前は腰を上げた。拳に魔力を溜めてアル・サーメンに攻撃をしかけたのだ。しかしアル・サーメンは魔法で空を飛んでいる。長い杖に座り、笑んで名前を見下ろしている。
「勝手な人だ まぁそれは、今までのあなたの同じではあるけれど」魔法の使えない名前はどうにかしてアル・サーメンに接近してから、相手を倒さなければならない。防壁魔法を、遠距離のきく武器に魔力を込めても、込めた分しか攻撃できない、つまり防壁魔法を強められてしまったら意味がないのだ。防壁魔法を突破するには、自分の魔力を常に流し込めるように常に武器を持つか、拳で突破しなければならない。

「わたしは……わたしは…!お前らと一緒にするな!お前らと一緒じゃない!」
「っ……そりゃ悲しい。俺は昔アンタと一緒に遊んだり魔法の稽古だって一緒にしたんだぜ。まぁマギの成り変わりだ、どうにもこうにも、敵わなかったけど……、今は、どうだろうな」
「わたしは変わらない、ずっとずっと、変わらない……!」

 チャクラムに魔力を流し込み、溜める。名前はアル・サーメンに向かってそれを投げるが、案の定防壁魔法を使われてしまい、数個のチャクラムは地に落ちた。わかっていたことだったが、相手が地に足を付けないことには、最大限の攻撃ができないのだ。
「くそ……!」
「! なに!?」
 名前の視界には、アル・サーメンの右胸が剣で貫かれている姿が映り込んだ。そのまま落下し、アル・サーメンと共に、一人の男がアル・サーメンを下に立ち上がった。

「シ、シンドバッド王!?」
「ふぅ……急いできたみたんだが、間に合ってよかったよ」

 シンドバッドは先程のアル・サーメンの言葉の数々を聞いてはいなかったのである。名前はその事に安堵し、そして不安にも思った。シンドバッドは落ちたチャクラムを拾い上げ、名前に近付きそれを渡した。

「無事か?名前」

 名前は顔を上げ、はい、とか細く返事をする。
「アル・サーメンとは予想外だった……てっきり、きみの師匠のそのまた師匠の……えーっと、なんだっけ?」
「リダーです」
「そう! リダーかと思ったが…よかったよ」
「……シンドバッド王、それが、金属器というものですか」
「…名前は金属器を見るのは初めてだったかな?」
「はい……とても、とてもすごい、触ってみてもいいですか?」
「え?あ、ああ……」
 名前がシンドバッドの金属に触れた途端、シンドバッドの体に魔力が全身を行きわたった。まるで魔力が増幅されているかのようだ。名前はただ金属を食い入るように見つめ、シンドバッドは驚いている。元々魔力の量は桁外れのシンドバッドだが、シンドバッドは察した。自分よりも遥かに魔力を持ってると。

「……名前、きみは一体、何者だ?」

 シンドバッドは口にした。

「……え? わ、わたし、」
「(危ないッ)」

 シンドバッドと抱えられた名前は地に転がって攻撃を避けた。名前は驚きすぐに態勢を整え、シンドバッドを護る様に前に立ち短剣を構える。「リダー……」この攻撃はリダーだ。以前リダーと鍛錬をしたことがあり、攻撃のいくつかは把握している名前は数秒もせずに理解した。
――リダーの足技だ。
 リダーは足技を使う。筋肉のある脚だけでなく、そこに魔力も込められているのだ。短剣を持ちかえ、リダーに向けていた矛先を反対に向ける。
 速さで勝負をしようと決断した。

「………ここに落ちている人形はなんだろう?」
「アル・サーメンよ」
「アル・サーメン……?まぁ、知らないものに興味はない」
「(……。リダーはアル・サーメンを知らないんだ……)」

 ムウと接触がある、ムウがアル・サーメンだということを知っている、名前はそう思ったが、そうではなかった。やはりムウは、アル・サーメンでもなんでもないのだ。
 後ろにシンドバッドを抱えて戦うというのは、名前にとったら初めての戦い方だった。自分よりも強く、主を護るという戦い方を名前はしたことがない。

「……フフフ、以前は殺す対象であったシンドバッド王を今度は護るとはなかなかシュールなものだ。おもしろい」
「リダー……誰からの依頼なの?」
「それを知ってどうする?何か、変わるのかな?君はこの世界からいなくなる、僕の世界で、僕だけの世界で生き続けるんだよ」
「気色悪い、わたしはあなただけの世界では生きない」
「いい加減にしなさい……もう苦しい思いはさせないから…」

 短剣を握る力を強めると、リダーは脚を上げ、名前に向かって踵を落とす。咄嗟にシンドバッドの服を掴んで避けた名前はシンドバッドを投げ、地に手を乗せリダーの、腹部に蹴りを入れた。が、蹴りは手で受け止められてしまい、そのまま足首を掴まれる。短剣でリダーの脚を切った名前はそのまま切り傷に拳を入れ、自由なもう片方の足で顔に蹴りを入れる。掴まれた足首が自由になる。

「くそ、魔力を込められなかった……」

 体制を整えたリダーは顔についた土を手で掃い、名前を睨みつける。「さすがに一筋縄ではいかないということか」リダーが構える。名前も構えた。リダーの動きを見極めようと、その腕と脚を視界に入れる。「(来い、来い、来い、来い……!)」
 突然、名前の隣にはシンドバッドがおり、名前の肩に手を乗せる。
「因縁の戦いか何かであるなら手は貸さないが……、そうでないのならこのシンドバッドも力をお貸ししよう」
「シ、シンドバッド王……!?し、しかし!」
「これはきみだけの問題ではないようだからな……大切な食客を狙っている敵をみすみす逃す事はしたくない。それに……私欲でこの国にこのような騒ぎを起こしているというのなら、王も黙っていないぞ」
「シンドバッド王……まさか、物語の世界の人と対峙できるだなんて夢のようだ」
「あなたはいささかメルヘンがお好きなのかな?それならば私の冒険譚は面白くはないだろう」
「いいえ、楽しませてもらっている」

「名前、よく見ておきなさい。これが金属器を持つ者の戦い方だと」
 シンドバッドが一歩を踏み出す、それを見送る名前は唖然と、その背中を見つめた。
「わ、わたしが、あなたを、まも、」
「いいや 俺がきみを護るのだよ」

 一歩、また一歩、シンドバッドはリダーとの距離を縮める。

「俺は、許さん」




 シンドバッドと共に王宮に戻ってきた名前の顔は晴れてはいなかった。シンドバッドは事を説明し、アル・サーメンのこと、そしてリダーを殺したことを八人将へ伝えた。しかしその中にジャーファルの姿はなかった。
 ジャーファルは名前を探しながらリダーの部下達を探していたのだ。部下を捕え、居場所を聞き出そうと思っていた。なんとかリダーの部下を捕まえたジャーファルだが、その時、ある事を思い出した。

 名前の元主を殺した時の事だった。あの男は確かに、死ぬ間際になって、ある一人の男の話をした事がある。俺は一人の絵描きに名前の居場所をつきとめてもらった、と言って笑っていた。その絵描きを何故リダーに結びつけたかはわからないが、心残りであったので、それを踏まえて部下達に話を聞いた。いや、尋問と言ったほうが正しいだろう。
 そして、部下達から確かな情報を得た。リダーは以前絵描きをしていたということを。ジャーファルは急いでシンドバッドの元へ戻り、部下達を捕えたこと、そして、なぜ元主が名前の居場所をつきとめたかを説明した。説明し終え、自分がリダーを始末しに行くことを提案したジャーファルだが、その提案は立ち上がったシンドバッドにより消されてしまう。
 王が直々にリダーの元へ向かうなど危険だとジャーファルはシンドバッドに言ったが、彼はジャーファルの声など耳に入れている様子はない。ぞっと、ジャーファルも肩を強張らせた。

 事が終え、ジャーファルはリダーの部下達を縛りつけた縄を解いた。名前の居場所を掴んではいなかったし、リダーに依存しているようには思わなかったからである。と、いうよりも、金を払い雇った暗殺者かのように思えたからだ。今頃、シンドバッドと名前は王宮に戻っているだろう、と窓から王宮を見つめるジャーファルは、拳を握った。

「名前は、いつか私の知らない遠くへの地へと、行ってしまうのだろうか」
 ジャーファルを縛る不安は募る。


シンドバッドの部屋に明かりがつく。ジャーファルとつい先ほどのことについて、二人で話し合うのである。リダーのこともそうだが、アル・サーメンのことについてもだ。名前がアル・サーメンとなんらかの関係がある事は確かで、寵愛されていたことも二人は感づいている。大人数で話すには、当分先のことになるだろう。まだ憶測にすぎないのだから。
「すまないなジャーファル。面倒なことばかり押し付けてしまって」
「その面倒なことをすることが私の仕事ですからね。それで、どうだったんです?アル・サーメンは」
「さあ 殺してしまったからわからない」
「……こういう時、やはり私が行くべきだったと思います」
「どうだろう 君も感情的になるだろうな」
「本人に直接は聞かなかったんですか?」
「もちろん聞いたさ。……でも、特に何も言っては無い、と言っていた。気になる事はひとつも……」
「……そう、ですか」
「リダーについてもそうだが、呆気なく死にすぎやしないかと思った」
「あなたを目の前にして呆気なく倒れない敵などそうはいませんよ」
「そうだろうか」
「自覚してください」

「裏で、手を引いている者がいるのではないでしょうか」ジャーファルがポツリと呟く。

「……どうだろうな」
 シンドバッドの返答は、曖昧だ。




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