色彩 | ナノ





 名前もすっかりムウのサポートができるようになり、魔力操作も自分のものにしていった。長い期間のようにも思えるし短い期間の間のようにも思える。2年間、名前はムウに何度も殺されかけ、護られてきた。2年間で、ムウと名前には見えない絆が生まれたのである。
 2年間修行漬けの毎日で、名前は街というものを知らない。依頼主の交渉する時は口頭か、文の場合はムウに任す。知識も奴隷時代と比べれば増えている。表情も豊かになった。
 名前はムウしか男というものを知らないのだ。それにここ最近は体の触れ合いもない。互いに仕事が忙しかったからだ。どちらかが仕事の時もう片方は家にいたり、何日も家に帰らなかったりする。ムウはそれに女遊びが増えた。

 いつしか、名前と離れる時がくる。ムウはこの2年でそう感じたのであった。


「お、名前か」
「あ 師匠 おかえりなさい」
「仕事終わったのか?」
「はい、師匠もですか?」
「久々に時間あったな」

 名前は家で薬草で薬を作っている最中、突然のムウの帰りに驚いた。疲労しているようにも見えるしそうでないようにも見える。ムウは名前の作っているものを見て「へえ」と隣の椅子を引いた。ムウの見よう見真似で薬の作り方を覚えた。分量は回数を重ねるごとにコレといったものを見つけ、今では薬を作るとき応用できる。
 一昨日の暗殺では毒殺を試してみた。名前の姿は相手に知られているはずがないから、毒薬の精度を試すのに丁度いいと思ったのだ。結果毒殺は上手くいったが、毒草を大量に使ってしまったので今後分量を考える必要がある。
 名前が今作っているのは毒消しの薬だ。毒薬を作るよりも、精密さを求められる。試すにはやはり、実戦あるのみだ。

「お茶用意しますね」
「あー……、食いもんある?」
「ありますよ。……師匠家に戻ってなかったんですか?」
「ああ……まぁ…うん。戻ってもすぐに出ちまうからな。向こうで食べるし」

 仕事と女遊びのどちらともの事を言っているのだろう。名前はそうですか、と言って手を洗い簡単に食べ物を用意した。棚の上に置いた毒消しの薬の量は少ない、ムウは試しに作っているのかと思い、席を立って毒消しを見つめながら名前に話しを掛けた。

「お前魔法の調子どう?」
「はい、変わりません。もっと魔法を使いたくなります」
「ふうん、そ。ならいいわ」
「えー、教えてくれないんですかー?」
「バーカ、お前には早いよ。まぁ教えてやらんこともないがな。そんでこっちこい」
「ちょっと待っててくださいね。 ハイハイ」
「ハイは一回」
「ハーイ」

 簡単に食べれるものを作り机に置いた名前はいつの間にかベッドに座っていたムウの隣に座る。「なんですか」とムウの顔を覗き込んだ名前に、顎を掴んでそのままキスを落としたムウは、角度を変えながら段々と深いものへと唇を押し当てる。驚いた名前は一瞬戸惑い、慣れたムウのキスに答えるように舌を出した。
 水の音が部屋に響く。時折名前とムウの吐息の声さえ響いていく。唇の隙間から零れる声を飲み込むようにムウは噛みつくようなキスをした。名前はムウの服を掴んでは離し、掴んでは離しの繰り返し。ムウは顎や首筋、肩を撫でた。
 ムウが名前の唾液を吸い、唇を離した。

「し、師匠……」

 ムウは名前を見てうっすらと、笑った。情けなく、悲しく、込み上げてくる涙を留め、笑ったのであった。名前を離し、机の上に置かれたサラダとチーズの盛り合わせを手で食べていく。そのムウの後姿を見つめた名前はその行動に驚いて声を無くした。
 いつもなら、と開いた口は、情けなく口角があげられる。

 ――いつもなんて、なかった。

 名前の知っているムウなんて、ムウのほんの一部にすぎないのだ。「いつものムウ」はいつもではない。ムウにいつもなんてないのだ。名前が思うよりも、ムウは先を見て、名前を見ている。名前から目を離して、先を見ている。

「いじわるしないでください」

 消え入る声をムウの耳は捕まえた。今にも消えてしまいそうな名前の声にムウの手は止まる。

「師匠……わたし、師匠のことが、知りたい」

 ムウは何も失いたくなかった。一番大事な名前を失いたくないのだ。消え入る名前の声を聞くだけで抱きしめて、無茶苦茶に撫でて、愛したかった。込み上げてきたものを流す。ムウの涙は名前に見えることはない。涙の落ちる音がしないように、手に顎を乗せ震える顎を動かす。口の中に涙が入る。租借が止まる。

 俺も、俺もお前のことが知りたいよ。

 きっとアル・サーメンで出会わなかったならば、もっと別の形で手を取り合うことになっていたのかもしれない。ただ、アル・サーメンというものがなければ、ムウは名前と出会うことができなかったし、名前はムウと出会うことはなかっただろう。
 互いにアル・サーメンとして出会った。
 それが運命だった。これは運命だったのだ。



「俺は、お前を失いたくない」

 震える声は、しっかりと名前をとらえる。


「失いたくない……お前に死んでほしくない」


「俺は………まだ死にたくない……」

 嗚咽と涙を同時に流し、強く握った拳から血液が外界へ流れる。

「お前は……、お前は何も知らないから!お前は何も知ろうともしないだろうが!そんなの、そんなのずるいだろ……!俺は知りたくもない事ばかり知って、自分を犠牲にしてきた!いつも傷付くのは俺だった!俺は、俺は、俺は、俺は元々っ……!」

「俺は、生きたいんだ。 おれは、おれはさ……誰かの為に……、誰かに、必要とされたい……」


 ムウは歯を食いしばり、額を机に打ち付けた。
 望まれた存在ではなかった。ただ偶然に生まれてしまったのだと、そう聞かされた。だからお前は、この世界に生きていないのだと。生きているのも死んでいるのも一緒だと。人間の子ではないと。

「泣かないで」
「!」

 名前はムウの手を掬った。顔を上げた先には、微笑む名前がいる。

「あ……あ……、あ………あ、」

 ムウは震える腕を上げて名前に縋った。名前はムウの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
 名前はムウの頭を抱いた。零れ落ちる涙はムウを濡らす。背中の服を掴んだムウは、顔を押し付け声を殺し涙を流した。黒く染まりつつあったムウのルフは、名前のルフと共鳴し合う。
 心地よさに、涙は乾いた。

「あなたはわたしに必要とされている」
「………うん……うん。うん……」

 嘘偽りのない言葉を、名前はムウを包み込むように降らした。優しいものだった。
 名前は何も知らない。ムウに今までの記憶を消されたからだ。無邪気に生きてきた。一日のすべてが学びだった。みるものすべてを受け入れてきた。知らないことばかりだった。
 ムウの目の前にいる名前を、いつしか感情的になって殴りたくなった。俺ばかりと、ムウは殴りたくなった。殴っても殴っても気はすまないだろうと思うほど、名前が憎らしくも、愛おしくもあった。
 ムウは生きてみたかった。誰かに必要とされる人間になってみたかった。人間のように、生きてみたかったのだ。

 誰かに、愛されたいと。



「わたしは、ムウさんが大好きだから」




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