色彩 | ナノ





 初めての暗殺の任務を終えた名前の表情は、初めて人を殺したと思えないほどのものだった。奴隷の時、いやと言うほど同じ人の死、そして同じ人を殺したことがあるからだろうか?そんな名前にムウはなんともいえぬ顔で「おかえり」と伝えた。
 名前が居ない間は魔法を使う事を辞めている。常にこの家近辺にかけている状態のムウには少し休息が必要だ。そして家近辺だけでなく、名前にもかけている。アル・サーメンに気付かれぬように十分警戒をしていないといつどこでアル・サーメンが見つけるかわからないのだ。元々名前を保有していたアル・サーメンだから、きっと色々な手を使って名前を探しているだろう。
「ふう、仕事というものは難しいですね。そしてわたしの力不足がよくわかりました」机に座り俯く名前をふとみたムウは開けかけた口を閉じる。
「思い出します」
 その顔は平常。しかし握った拳は震えている。ああ、そうか。ムウは目を伏せた。

 名前は変わらなければならない。自分が奴隷だったことを、忘れなくてはならない。奴隷の部分だけ記憶を操作することなどムウには動作もないことなのだ。ムウは立ち上がり名前へ近付き、頭を撫でた。
「お前は変わらなきゃならん。だから俺も変わる」
 ムウは名前に魔法を掛けた。記憶を操作したのだ。
 奴隷時代の大部分を忘れさせて、暗殺に必要である死の恐怖、殺すということを覚えさせた。一瞬の出来事であって、名前は不思議そうに首を傾げている。当然だった。名前が奴隷時代のことを思い出すわけでもない。また時期が来れば、魔法は段々薄れてくるだろう。
 この魔法で、9歳より前の記憶を消したのだ。

「お前の悲しい過去もつらい過去も俺はすべて受け入れる」
「………はい……」
「何も、心配するな」

 名前はわかっていたのだ。自分を見るムウの顔がいつも、とても悲しそうな表情をしていることを。

「師匠、わたしは師匠のことが大好きです」
「………そうかよ」
「だからわたしも師匠の悲しいこともつらいことも受け入れたいです……」
「……てめぇには一生無理だ。無理だろ。無理だよ」

 ムウは名前の頭を抱いた。名前は答えるようにムウの腕を掴んで、素直にそれを受け入れた。
 ムウはこの日から、違いを見せるようになる。


「いいか?暗殺ってのは時間をかけてやるもんじゃねぇ。今できる最善策、最短時間でやるもんだ。俺は魔力操作が出来るから力がはあるがお前はまだ魔力操作もできないし、もし対象者が魔法を使える、もしくは側に魔導士がいるとなると暗殺が難しくなってくる。魔導士には防壁魔法といって、身を守る術を持っている。それはお前の力では到底壊す事も困難だ。だからお前はこの10日間で魔力操作を基礎を叩きこむ。いいな?ちげーな、嫌とは言わせねえぞ!」
「も、もちろんです師匠!死ぬ気で頑張ります!!」

 ムウの長い説明を半分も聞いていなかった名前は立ち上がって誠意くらいは見せようと努力した。しかしムウにはそれを見抜かれていて、平手で脳天を叩かれる。その手には魔力が込められていた。地に落ちる名前は涙目になって頭を抱え、うーうー、と唸っている。
「名前、常に冷静であれ」
 ピタリと唸りを止めた名前はムウを見上げる。
「感情的になってはならない」
「この先を見通せ」
「死ぬたくないのならば殺さなくてはならない」
 地面に手を付けて、重力に反って立ち上がった名前は目を閉じ、背中で手を組み、目を閉じる。
「俺は、お前に生きてほしい」
 はい。名前は透き通るような鳥のさえずりのように答えた。
 暗殺者になるということはどういうことなのか、名前はそれをわかっていない。ただ、辛うじて、おそらく、わかることは、生きるためになるということなのではないだろうか?
 主は、名前に生きてほしいために人を殺させていたわけではない。ただ快楽のためなのだ。しかしムウは違う。名前に生きてほしいためなのである。それを名前も感じていた。自分の事お思ってくれていることを、感じたのだ。
 しかし、名前に生きるという意志はあるのだろうか?




「踏み込みが甘い!同じこと何回も言われてんなよバカが!力も浅い!」
「はっ、はい!」
「だあああもうお前は何度も何度も同じミスするな!死ぬぞ!俺の踏み込みを見ろと何回言わすんだ!いいか、ここはこうで、これはこうだ!これ以上ミスすると晩飯抜きだ!」
「わかりました師匠!もうミスしません!」
「いやミスしなくても晩飯抜きだ!」
「!?ど、どういうことですかそれ……!!」

 ムウは刃の付いた剣、名前は木刀で修業を続けた。実戦を踏みながらムウは魔力操作を教えている。一番良い修行法は実戦であるとムウは思っているからだ。基礎は叩きこんでいるから、あとは応用にコントロールを身に付ける事が出来ればそれでいい。しかし魔力操作は簡単なものではない。それに名前にはマギに匹敵する魔力をその体に溜めこんでいるし、見ればルフからも力を得ているようようだった。
 アル・サーメンが名前の魔力、魔法を制御していないことがこれで伺える。
 名前が隙とばかりにムウに蹴りを入れるが、ムウは防壁魔法でそれを防ぐ。

「これが防壁魔法だ」
 名前の蹴りはムウには当たらない。ムウも通常の人よりも倍の魔力を持っているからだろう。名前も魔力操作で蹴りを強化するが、防壁魔法は壊れることはない。
「お前の魔力量ならば魔力操作で壊せるようになる。ちなみにこの防壁魔法は魔法が使える者には元々備わっているものだからお前も使えるぜ。コツ掴んだらやってみるといい。自然と覚えていくと思うけどな。……さァて、ここからは俺も戦うぜェ……」

 拳を叩くムウを名前はヒッ、と見上げ距離を置いた。ムウの攻撃は容赦がなく、また隙もなく、またまたスピードがあるから防ぐことができない。防いだとしても一発ケーオー、である。これは防壁魔法というものを早々に覚える必要があるな、と名前のこめかみに一筋の汗が流れる。

「師匠、お手柔らかにおねが……」
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!俺は今日一回も暴れてねえんだからな!」
「あっ ちょっ まっ……!」



 脚の骨が折れた名前はベッドで休養中である。魔力操作を使って繰り出した蹴りは名前の脚にクリーンヒット、何メートルが飛んだ名前は痛みに泣き、骨が折れてしまい立ち上がる事さえ困難だった。「んだよよわっちいなぁ」と虫を視るような目で名前を見下ろしたムウは、手を貸す………ことはなく、そのまま名前を放置した。上半身を引きずって家まで辿り着いた名前は疲れで寝てしまった。

 コンコン
 扉が叩かれる。

「リダーか?」
「そうだよ」

 扉を開けたリダーは手を上げ、自分の家のように椅子を引いてそれに座り、机の上に置いてある果物を手に取った。
 一連の動作を見終えたムウは目を細め睨むようにしてリダーを見つめる。リダーは頬笑みながら果物をかじった。何を言っても聞かなそうだと、溜息を吐いたムウはリダーの向かい側に座る。

「なんかあったのか?」
「君達の顔を見に来ただけだよ」

 リダーが名前に会ってからというもの、リダーは名前をよく気掛かりにしているように思う。
 ムウにしたら面白くないことで、それでいておかしい、何か引っかかる、とも思う。何か名前を利用する目的でもあるのではないかと思ったが、自分がいる以上そんなことはおそらく、ないだろう。とムウは思った。

「人が変わったようだな」
「……スパルタ教育してんだ」
「いいや、そういうことじゃない。君が変わったと言ってるんだ」
「何がどう違う?俺は」
「自分を抑え込んでいるのではないか?僕にはそう見えるよ」
「うるせーよじじい。どうだっていいだろうが。うぜぇな」

 リダーの食べかけの果物を瞳に映すムウは項垂れた。
 唇を震わす。


「俺、うまく生きて……いけてるかな」

 リダーなにも答えなかった。ムウもこの先、何も続けなかった。

 ――俺、間違ってねぇよな?
 本当の言葉を理性で濁した。




 名前と同じベッドで寝ているムウであるが、今日は一人で椅子に座り、机に突っ伏して寝ていた。起きた名前は多少痛みが引いているのを感じて身を起こし、自由のきく脚でムウに近付いた。師匠、と肩を揺すっても起きることはない。近くには酒の瓶が転がっている。椅子を引き、ドスンと音を立てて椅子に座った名前はムウの背中を擦った。
 子どものような顔で寝るなぁ。呟いてから口を隠した。ムウに聞こえていたらきっと叩かれて怒るかもしれないと思ったからだ。しかし夢の中のムウにそれは聞こえていない。よかったと安堵のため息を吐いた名前。

「行く、なよ……名前……」

 ムウの顔は腕で見えない。名前は手を下ろした。

「…………」
「名前……名前………」

 名前の頬に一筋の涙が流れる。何か、大切な何かを忘れているような気がする。




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