![]() 「お前はなぁー…とにかく栄養が足りてねえから免疫力も無いしまず肉がねえ。肉は無理矢理食べさせるとしても急にはどうにもならんから………。あまり無理させても別の病気にかかるだろうし……地道にしてくしかねえわ……」 はあ、とムウは溜息を吐き、胡坐を掻きその上に名前を乗せ傷口に薬を塗る手を強めた。名前が多少痛みに声を上げるようになっても、何が決したように手を退けることも止めることもない。 ムウは場所の移動を考え始めていた。ここならば食料もすぐに手に入る、医者もいる、森でもある。しかしここに留まりすぎると都合が悪かった。そろそろ副業である暗殺の依頼を受け持たないとならないと考え始めたのである。 ムウは表向きは旅人だったが、裏の社会では名の知れた暗殺者だった。しかし頭角を現したのはここ数年の話だ。体術も魔法も難なくこなし、口は悪いが人あたりは良い。更には仕事も確実。この暗殺者に依頼しない者などどこにいよう。ムウは手先も器用であったし、暗殺であったり盗賊に肩入れをしたり、また貴族に金を貸したりもしている。 名前の汚い髪は水で洗い流してやり、泡を付けて洗ってやった。体の臭みも水で流してやり丹念に洗った。久しぶりの水浴びに名前は嬉しく思った。水浴びの都度、主の事を思い出した。 やせ細った名前の体にはなんの魅力も感じなかったはずだが、ムウは何日も自慰をせず、また行為をしていなかったことから、計6回の内2回、やせ細った名前とセックスをした。黙って自分を受け入れる名前に悲しみを覚えたが、本能に従うしかなかったのである。おそらく何度も主とセックスをしているというのに、名前の膣は処女のようだった。ムウはそれを感じる度に、何度も悲しくなった。 下りろ、というムウの言葉に従って胡坐から身を引いた名前は、ムウと向かい合って正座になった。ムウは何度もやめろと言っているのに、名前は自然とそれをやってしまう。何度言っても何度もやる、それにムウは諦めて何も言わなくなったのが今日の早朝の事である。 「いいか?今からお前の服を適当に買ってくるから大人しく待ってるんだぞ?いいな?」 「はい」 「お腹が空いたら鞄から適当に食いもん食っていいから、絶対ここから離れるなよ。離れたら仕置きだ」 「はい わかりました」 名前は随分と満足のいく食事が取れなかったので自然と満腹を覚える食料の量が少ない。ムウが心配する必要もないだろうが、念のためである。何か会った時のために。 山を下り、市街地へ赴いたムウは約束通り名前の服を買い、6日分の食料を買った。馬を買おうと思ったが、ムウは名前に暗殺術を教えようと思っていたため、移動の間も修行をしようと考えていた。そのために移動用の馬は買わないで、他の必需品を整え、山を登り名前元へと帰った。 ムウの帰りを正座で待っていた名前は、ムウが壁から下りてきて、その顔を確認するとニッコリと笑い。「おかえりなさい」と言う。ムウは「おう」と短く返し、大きな鞄に必需品と食糧を入れた。 「おい。お前の服だ。それは俺の服ででかいだろうからこれ着ろ。着たら出発するぞ。十分休んだか?」 ムウから服を受け取ると、名前はゆっくりと頷いた。また奴隷に戻るとは思えなかった。 「どこへ行くのですか?」 「俺の家があるところに決まってんだろ。また洞窟生活してえのかてめーは」 「あっ……えっと………」 「名前」 名前はビクビクとしていた体の震えを止めるのに必死になって、自分を呼ぶ声に集中できなかった。奴隷の時もそうだったのだ。 「俺は旅人だ。そして元暗殺者でもある。 俺はお前に、暗殺術を叩きこむことにした。生きるための術だ。お前は人間を殺したことがあるのか?」 「……え、っと………わ、わかりませ………」 ムウは眉を顰める。 名前は一部の記憶障害で奴隷だった時の記憶を忘れている。所々覚えている箇所はあるものの、どれも鮮明に覚えているわけではない。ムウは更に眉を顰め、そうか、と溜息と一緒に呟いた。 名前が記憶喪失であることに気付いたムウはどうしたものかと腕を組む。これならば教えなくてもよいだろうか?そう考えた。しかし、名前は一緒自由の身であるわけではない。ムウの言葉は本当であって、嘘であった。 「まぁいいわ。お前生きたいだろ?っていうか生きろよ」 「………はい、ムウさん」 「あとこれから『師匠』って呼べ。あまりその名には慣れてねぇから。俺はお前を殺す気で修業していくから、お前も死ぬ気で修行についてこい。お前のためなんだぜ」 「はい わかりました」 「でもまず、お前には少し肉付けてもらわねーといけねえ。体力づくりから始める。元々奴隷だったんだ、期待しちゃいねーよ」 それから、と付け加えたムウは腰に付けていた短剣を名前の手に握らせた。短剣を見下ろす名前を見つめるムウに、名前は顔を上げた。 「これはお前を護る、俺の命だ」 いのち 「この命を、お前は生きるために仕え。どんな扱いをしてもいい。お前は生きるために俺の命を使うんだ。お前は俺の命を使う。俺はお前を絶対に護りぬく。だから、お前は死なねえ。この短剣を生きるために使う、お前は死なない、俺が護る。わかるか名前」 「師匠の、いのち」 ムウのこの短剣は、昔、少年の頃に譲り受けた大事な人の短剣だった。生きるということを教えてくれ、戦術を教えてくれた大事な恩人のものなのだった。恩人が戦死する際、これをムウに託した。いくつもの死をこれで切り抜けてきた。何度もムウの命を救った短剣だった。 ムウは恩人が大好きだった。厳しい修行であっても、どんなにつらい修行であっても、恩人の笑顔が大好きで、それだけで頑張ることができた。「ムウ」と名を呼ばれる声を、ムウは大好きになった。 自分のせいで死んでしまった恩人の形見。「俺が死んだら譲ってやるよ」と冗談のように言った恩人の笑い声。 名前のやせ細った手で、短剣を握り胸に抱く。生きる眼をした名前を見たムウは小さく口角を上げた。 「よし、山を下りるぜ。行くぞ名前」 「は、はい、師匠!」 鞄を片方の肩にかけ、もう片方に名前を担ぐ。名前に鞄を持たせ一気に洞窟の岩を踏み出した。 迫る森林。 風をきる音。 鳥類の鳴き声。 握る拳。 ムウの横顔。 始まりである。 |