色彩 | ナノ





「起きたか?」
 うっすらと目を開けた少女は、オレンジ色の光に包まれながら体を起こした。側には果物をむいている青年がいる。厳しい表情で少女を見下ろしていた。少女は青年を見て、息を吐き、一体何があったのかと思考を巡らせるが、頭がぼうっとしてそれさえ敵わない。
 痛い。少女はそう呟いた。青年は果物を剥く手を止め、ナイフを置いた後少女の肌に触れた。
「まだ痛いか?」
「………」
 青年が触れる少女は少女ではない。19歳の女性である。青年は薄い上着を脱ぎ女性、名前に羽織らせ、大きな鞄の中から塗り薬を持ってきた。「どこが痛む」名前は肩に触れた。青年は塗り薬を人差し指で掬い、傷の所を優しく塗っていく。

「お前は熱があるからあまり動くなよ。果物を剥いたらこれを食べて、喉が乾いたら俺に言ってくれ。いくらでも飲ませてやるからな。………よし、塗り終わったよ。さ、寝ろ」

 青年、ムウは名前を寝かせた。固い地面では節々に負担があるだろうと思い自分の布団を敷き、鞄で枕を作って掛け布団を掛けた。ムウはあっという間に果物の皮を剥き、少しだけ名前を起こしてやって果物を食べさせた。果物など初めて食べた名前だったので、「美味しい」と言い、果物をねだった。ムウは何も言わずに名前の要求に答える。
「どうだ……上手いか?」
「はじめて、たべた」
「……そうか………」
 ムウは名前を抱きしめた。鼻血を拭ってやった手ぬぐいは名前が枕にしている鞄の中に詰め込んだ。ただ腫れた目は治せなかった。血を抜いてやり布を当てている。右腕は魔法を使いほとんど完治しているが、木の棒で固定してある。体の傷ももちろん魔法で消したが、深い傷は治らなかった。昔からあった傷のようだ。
「………あなたは…誰……?」

「………。旅人だよ」




 名前は3日間高熱を出した。ムウは毎日寝ずに看病をしていたが、あまりにも高熱が続くもので最低限の荷物を持ち、名前をおぶって隣町の病院で名前を診てもらった。高熱の理由は精神的な理由があり、安心できる場所ができたから緊張がほぐれているだけだろうと診断を受けた。もう少しで熱も引くようだ。しかし、傷の多さを見た医者は不快な顔をしたが、これ以上の事をムウに問う事はなかった。医者はなぜ不快な顔をしたのだろうか。名前を奴隷だとおもったのか、それとも名前を痛めつけていると思ったからなのだろうか。
 名前をおぶったムウは歩いてまた山奥に戻って、いつもの場所に腰を下ろし名前を寝かせる。名前の傷は気付けば治っていた。麦を粥にしてやり名前の口へ持ってきて、ゆっくりと口の中へ入れる。名前は死んだような目でそれを受け入れた。
 なんでも器用にこなしてしまうムウだから、名前は関心していた。あっという間になんでも出来てしまうのだ。傷を塗る動作も、果物を剥く動作も、食べ物を作る動作も。名前はまるで違う世界を見たようだった。
「リンゴ入れたらうまいかもしれねえなあ……」
 ときどきボソリと小言を零す。名前はそれを聞くのが好きだった。
今日はどんな食べ物が食べれるんだろう?名前の生きる糧でもあった。名前の食べ物が出来たら、少し嬉しそうに自分の方に振り返る青年のことが、特別に見えた。ピカピカと、自分と共鳴しているようだった。

「おいしいなぁ……」

 ムウに粥を食べさせてもらった名前はふんわりと笑った。ムウはいつもそんな表情を見ると、泣くのだ。

「どうしたの……?」
「……なんでも、ないよ…。なんでも、ないから………」
「…う、うん……。あ、もう一口ください……」

 ムウの手は震えている。名前は口を開けて、スプーンを待った。しかしいつまで経っても名前の口にスプーンが入らず、俯いているムウを名前は見上げる。ポロポロと涙を零すムウは歯を食いしばっていた。名前からすれば、人間のこの表情を初めてみたのでとても不思議に思った。なぜそんな顔をしているのだろう、と名前は思った。
 口を閉じた名前はムウをじっと見る。視線に気付いたムウは表情を消して、オラ、と言って唇に無理矢理スプーンを付けた。木のスプーンはいつまでも名前に優しかった。

「お前は、なんて言うんだ……?」
「わたしは……名前だよ」
「…そう……、そうか。俺は、俺はムウだよ」

 ムウという人間は弱いのだろうか?奴隷よりも遥かに弱いのだろうかと名前は思う。きっと主様の鞭に叩かれたらすぐ泣いてしまう、赤子のように弱いんだ。その時名前はハッとする。

「あっ主様は………!?」

 名前の体は震え、立ち上がった。ムウは苦虫を奥歯でつぶしたような顔をして、木の容器と木のスプーンを置いて立ち上がった。その大きな体で小さな名前を思い切り抱きしめる。名前は眉を下げて小さく唸っている。ムウは名前の頭を抱いて胸に当てた。いや、胸下と言った方がいいだろうか?

「もう……いない。お前の主はもういない。お前は自由になったんだ」

 死刑宣告のような言葉だった。名前は目の前が真っ白になり、力を無くす。ムウがしっかりと抱いていなければその場で倒れてしまうだろう。

「殺したん、ですか」
「殺してねえ。お前はもう奴隷じゃねえ。だから主なんてもん、いなくなった。お前の中で死んだんだよ」
「わ、わた わたし、じゃあ、どうやって、生きたらいいの?わた わたし……わたし………」
「やめろよ……やめろ………!」

 ムウは名前を抱きしめる力を強くし、声を震わせた。

「バカ野郎……俺はっ…バカ野郎だっ……!!」
「え?」
「ごめんな、ごめんなぁ名前……ごめんなあっ……」
「あ、あの……」
「これから俺は、俺は絶対、お前を護るから……!!」

 ムウと名前のルフが共鳴し合う。名前は暖かくなった。ムウは泣いているのだ。名前は脚に力を入れた。もう脚になど、こんなに力を入れたこと長年無かったような気がするのだ。しかし、名前は立ち方を知っていた。力の入れ方を知っていた。
 地にしっかり立つ。
 腕に力を入れる。腕を上げ、ムウの腰に手を伸ばす。
 なんだろう?あたたかい。安心できる。

 安心ってなんだろう?こんな気持ち初めてだ。
 彼は変な人だ。わたしをおぶって遠くの町にきて、病院に行ったのだから。わたしを見て泣くのだから。果物なんてくれる。食べ物だって作って食べさせてくれる。
彼のにおいは、主様とは違った。高いにおいじゃない。安心するにおい。安心のにおい。
 ああ。
 ああ……。


「はい………」


 彼の名前は何と言うのだろう?
 ああ、ムウだ。




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