色彩 | ナノ





 ある昼下がり、ジャーファルと名前がお茶をしているところに、金色に輝く繊維のような髪を持つピスティが転がってやってきた。身を寄せ合って、触れるだけのキスだったり、舌を入れるキスをしていた二人は当然その姿に驚く。名前など席を立ち逃げそうとした。
「ピスティ?どうしたの?」
「……どうしたんです?」
 余程急いでいたのか、ピスティは態勢を立て直したものの、肩で息をしている。そしてマスルールも顔を出した。ジャーファルと名前は顔を見合わせて、もう一度ピスティに何があったのかと尋ねた。

「王サマが、大金持って逃げ出しました!!」
「あのクソヤロウ!!!」

 ジャーファルは拳を振り落とし机をたたき割った。マスルールも驚く行為で、しゅん、と縮こまり、その場に静かに姿勢を正す。隣の名前はハア、またか、と床に散らばるカップと、紅茶で汚れる書類を見下ろした。

「……これで5度目ですね。5日前から数えて」

 ジャーファルの執務室にかけてあった上着を羽織った名前は、ジャーファルへ尋ねる。
「今日も探しますか?」
「すみません、必ず、今日は、火あぶりにします」
「ジャーファルさん、目がマジです」
「このお茶の後、私と名前は一緒に修行をすると約束していたんです。それを、こんなことで……!コロス!!」
「ジャーファルさん、目がマジです」

 上着のボタンを閉めた名前は窓に手を掛け、後ろに振り向いた。

「お代はいくらいただけますか?」
 名前は完全に遊び半分での問いだったが、ジャーファルは腕を組んで悩み、その結果、
「お代はキスで」
 と言う。ピスティはキャーキャーと騒ぐが、マスルールは無表情だ。名前は仕方ないように笑って、「今日はわたしが捜し出して見せます」と言い、縁を蹴った。
 この4日間、ジャーファルが血眼になってシンドバッドを探し続けているのだ。見つけるのはジャーファル、情報を得る役は名前となっていた。名前も探しものを探すのは得意な方だが、ジャーファルはシンドバッドを知っている。行きそうな場所に目星を付けているのだろう。

「いつもジャーファルさんが見つけているし、今回は負けられない……。わたしだって良い所を見せたい!」

 名前は建物から建物へと飛んで移動し、自慢の王様レーダーを使い人混みからシンドバッドを探そうと意識を集中させる。実を言うと、師匠とジャーファルなら探す自信があるのだが、なぜかシンドバッドは自信がない。それは今まで探せなかった、という理由もあるし、あの人の行動は予測不可能だからだ。
 暗殺者である自分よりも、素質があるだろうと思いながら。


「………?なんだ?」

 違和感がある。普段はこんなことを思わないのに。違和感の方へ視線を移動させていく。ターバンを巻いた男3人組が小さな女の子の手を引いて歩いている。男3人組み?なぜ女の子1人?明らかにおかしい。名前は目標をシンドバッドから男3人組と少女に変え、路地裏に下り、その姿を追っていった。
 この時名前は気付いた。男らは奴隷商人であるということを。シンドリアへ来る前に、何度か奴隷商人のアジトに乗り込み火薬を使ってアジトを壊したり、商人の頭を殺したり、このように力のない者を捕まえて奴隷として売る光景を何度か見ている。名前は咄嗟にナイフに火薬を撒き、道端に生えていた花を根元から抜き、土を握った。
 角に曲がったその後ろ姿に近付いて、列の後ろにいた男の頭を殴る。一瞬の出来事だった。音はない。後ろから気配が消えた事に気付いたもう一人の男は名前の方に振り返るが、視界には土が広がった。「え?」男後方へ、前方の男を巻き込みながら倒れていく。名前は巻き込まれる少女の手を取ってその場から離れた。

「大丈夫?なぜきみは……」

 名前が助けたのは少女ではなかった。
 ニタリ、と笑ったのは少女ではなく、中年の男性の顔だった。身長が低いだけの男だったのだ。後ろ姿、体型、歩き方、髪の毛の質で決めてしまっただけのこと、名前はそれで少女だと判断してしまったのである。

「このやろっ……!」名前は拳を振るが、男に受け止められてしまった。何か魔法でも使っているのだろうか?この小柄で細身の体に、なぜ名前の拳を握り動けなくなる力が秘められているというのだろう?

「離せ……殺すぞ…!」
 半分冗談、もう半分は本気だ。しかし男はニタリと笑ったまま名前の拳を離そうとはしない。



「やあ名前。お久しぶり。ここへきて二度目だね」
「……リダー…?」
「さて、如何だったかな?君の元主様がここへ来たろう?……うーん、しかし、なぜ君はそんなにぴんぴんしているんだろうか?もしかして、元主に会わなかったか?それとも、殺したりでもしたかい?」

 名前はリダーを睨んだ。
 名前は恨みの感情を持って人を睨んだ事はない。それに、このように。名前は悟った。
 元主をこのシンドリアに連れて来て、わたしの存在を知らせたのはこの男だったのだと。

 思えば、暗殺業の人脈というのは信用ならない。簡単に作れてしまい簡単に壊れてしまう。暗殺とはそういうものだった。すぐに殺せるしすぐに死ねることができる。つまり信頼というのもすぐに作れるし壊せてしまえるのだ。
 暗殺者は金で買われる。信頼を金で買う。それは、この男リダーでもそうだった。

「お前か……!!」

 拳を握る手を振りほどいてリダーへ短剣を向け襲う態勢に入った名前。仄かに笑んでいるリダーに向かって飛んだ名前の脚には一本の矢が突き刺された。男の手にはボウガンがあり、それから放たれた矢が名前の脚に付き刺されたのであった。しかし名前は怯みはしなかった、短剣はリダーへ向かって行ったのである。しかし背後からもう一度矢が放たれ、それは腹部へと突き刺さった。

「……!リダー!」
「おいおい、この子は殺さないと約束したじゃないか。まったく、何のために此処にきて家を買ったと思っているんだね、君は。もう金は渡すから今日でお役目ごめんだよ、君」
「っ!」

 リダーの蹴りが名前の脇腹へ辺り、名前は痛みに胃液を吐いた。魔力操作で立ち上がるも、この矢には毒がぬっており、名前も段々と魔力操作が出来なくなり地に伏せた。リダーが近づいてくる。まずい、名前は口笛で鳥を呼ぼうとしたが、こんな場所だ、鳥など集まるわけがなかった。

「……!くそ、リダー、お前……!」
「ふむ、なるほど。そういうことか。名前が傷付くと、ルフ達はきみを守ろうと必死になるな」
「…?なにを」
「名前、僕の奴隷になってはくれないか?なに鞭できみを叩いたりはしないよ。ずっと絵を描くのさ。きみが朝起きてから寝るまでの行動をね、それだけでいいのだよ。それだけで僕は満足する。時には首輪などして、物を欲しがる絵も描きたいけれどね、なんせそれはもうたくさん描いてしまったから……」

 名前は遂に目の前で喋る男の言葉が理解できなくなった。

「わたしはもう奴隷になんかならない……!わたしはわたしがしたいように生きていく!わたしの未来を勝手に決め付けるな!」
「何を勘違いしているのだろう、きみは?よく考えてごらん。人は生まれながら、運命を決められているのだ。よくお聞き名前、きみはね、奴隷として一生を終える運命なんだ。きみはこの間まで奴隷だったね?そしてムウがそれを助けたけれど、またこのように奴隷にしようとしている人物が現れた。これが証明だ。 名前……きみは幸せにはなれない」

 以前、ムウも名前にこのような言葉を送っていた。名前は息をのみ、リダーを睨む。この男は本気で自分をそうしようとしている。毒の痺れが全身に効いてきて、もはや立てなくなってしまった。毒が切れたらコイツを殺す、そう名前は思っても、リダーの実力は計り知れない。名前はリダーと戦ったことがない。戦う姿も見た事がない。

「僕も魔法が使える」
「それがなんだ」
「おかしいね、名前、きみも使えていたように思うのだが こうしたら、防壁魔法を使ってくれるかな?そうだろう、ルフ達が周りにそんなにいるのだから……」

 リダーの爪先は名前の顔に向けられた。名前は歯を食いしばリダーを睨みつけたまま、何もできずにいる。鼻が折れても仕方が無い、この格好をどうにかして正し、逃げる道を確保しなければならない。

「リダー、どうしちゃったのかしら?あなたそんな性格だった?」
「名前こそ、そんなん成長してしまって、どうしたんだい?昔のきみは、もっと、魅力的だったのに。これじゃあまるで、太った豚じゃないか……。ああ……あの頃の名前は輝いていたのに。だから僕はもう一度奴隷にしてあげようと思っているのに……僕は親切心でやっていることなのに」
「ああ、それは残念だ。わたしはもう奴隷になんてならないよ。昔のわたしは生きる事を諦めていた。けれどそれは師匠が少しずつ変えていってくれた。リダー、あなたはその真っ只中のわたしを見てたわけで、あなたが魅力に感じていたものは体系だったのかもしれない」

 こんなリダーはみたことがない。名前は初対面であろうかと思った。
 どうにか、腕は動きそうだ。

「もう一度、僕だけの奴隷になってくれないか?」
「それは無理なお願いですね」

「……ジャーファ…」
「その方はこの国の大事な食客なのです。また奴隷に戻られたら困りますし……」

 ジャーファルが武器を構えた。リダーが防壁魔法を使ってもジャーファルの眷属器ならばそれを壊す事は可能だ。

「あなたは邪魔ですからね」

 空気が冷たくなる。ジャーファルも暗殺者だったのだ。ジャーファルならば、リダーを殺すことがでいるのではないだろうか?名前は動く腕を動かした。腰に付けているポーチには毒消し草が入っている。これを食べればいくらか動けるようになるだろう、すぐに毒が抜けることはないが……。

「ジャーファルさん、その人はわたしの知人です。魔法が使える、防壁魔法を使うことができるでしょうが眷属器を使えばそんなものあってないようなものです。ですが、わたしは彼の力量はわからないんです」
「そうですか。ですが私にはそんな情報、あってないようなものですね」

 あなたの言葉を借りるならば。ジャーファルは名前の方へ振り返り、ふと微笑む。

「まぁ……色々と理由を付けましたがそんなことはどうでもいい。名前に傷を付けたことが、問題だ」

 一歩、また一歩、ジャーファルはリダーに近付いて行く。リダーはジャーファルを見据え、構えることもない。それにどこか勝ち誇ったような笑みさえ浮かべている。

「名前は必ず堕転する」
「……貴様、何を」
「お前らのような奴と一緒にいては確実に堕転するだろう。彼女には君達が眩しすぎるのだよ……」
「………」

「……悪かった。もう名前やきみ…シンドリアには関わらないようにしよう。それではサヨナラだ名前。元気でいろよ」

 リダーは踵を返し、歩いて行く。ジャーファルはその姿を追わず、リダーの背中が消えるまで見つめていた。そして見えなくなると名前の方へ振り返り、脚と腹部に刺さった矢を見つめ、引き抜こうとしたが思いのほか名前が苦しむので矢をそのままにした状態で名前の背中と膝裏に腕を伸ばした。
 所謂お姫様抱っこという形で王宮に戻ったジャーファルと名前は八人将に驚かれながら医務室に向かう。ベッドに下ろされた名前はジャーファルに腰のポーチから木の箱に入った薬草を出してそれを食べさせてくれと頼む。ジャーファルはそれに従い、葉を名前の口の中に入れた。良薬は口に苦しというほどだ、顔を歪めながら葉を噛み、飲み込む。

「……ふぅ。うんしょ……」
「!名前っ」

 名前は躊躇いもせずに矢を抜いた。当然ベッドには血が落ちる。脚の矢を抜き終わり、腹部の矢を掴むその手をジャーファルは慌てて止めた。

「何をしているんです!」
「え?抜いています」
「わかってますよそんなことは!まったく、あなたという人は…!大量出血で死んでしまいますよ!」
「そんなちょっとやそこらじゃ死にませんよわたしは。止血さえ早く出来れば問題ありませんから」
「少しは自分の体を大事になさい!」
「大丈夫大丈夫。血なんて今までたくさん出ているんです。でも死んでいない。今回も死にませんよ。ッ……」

 小さく唸る声と、ジャーファルの官服に血が飛び散る光景、ハッとして困る表情を見せる名前。

「すっ、すみません!服が……!」
「……替えはいくらでもある。でも、あなたの命の替えはない。大事にしなさい」
「………。…はい………」
「止血します」
「はい」

 ジャーファルが止血の作業に取り掛かる。血で汚れてしまった官服を脱ぎ、名前の傷口に押し当てた。ジャーファルは名前の頬を撫で、キスを落とした。唇を舐めたジャーファルは名前の腕を持って、自分の手と交代させ棚へ向かい歩いて行く。名前はその行動を見送った後、姿勢を戻した。
 リダーの事が気掛かりだ。一体どうしたのだろうか?以前からあんな性格だったのだろうか?しかし、初めて会った時あんな雰囲気を出していなかった。

「暗殺者って、怖いですね。リダーはあんな事をいう人じゃなかった。師匠よりも一回り年を取っていて、以前世話になったと言っていたので……。悪い人ではないと思ったのですが…。なんでだろう」
「……あの方はもうここには来ないと言っていました。気にすることはないでしょう」
「そうですね。でも一応は師匠に連絡してみます。何があるかわかりませんし」
「それがいいでしょう」
「まだ痺れはあるのでそこは薬草に頼るとして……大抵は魔力操作でどうにかなりますから、もう動けます」

 武器を調達してきます。名前の言葉にジャーファルは溜息を吐く。

「まるでシンドバッド王2号ですね。あなたまで私を困らせないでくださいよ」
「わたしはシンドバッド王のようにジャーファルさんを困らせたことはありません!」
「今、今ですよ今困っているんですよ!」
「なんでですか!」
「なんでって、きみは!武器なんか調達するどころじゃありません!」
「止血が終われば動けますから!」
「それは許しません!」
「なんでですか!」
「まったく、だから…!自分を大事にしろと言っているんですよ!」

 そうだぞ、と医務室に入って来たのはシャルルカン、ピスティ、スパルトスの3人だ。ジャーファルと名前は3人に目を向け、ふん、と顔を背ける。その光景に3人はやれやれと困ったように笑った。




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