色彩 | ナノ



 昨日のジャーファルが盛った毒のおかげで体調が悪いのに気付いたのは朝食の時だった。スプーンを持つ手が震えているのである。ちなみに今日のメニューは今日のオススメ、なのだ、そう、昨日のギャラリーの一人がこう言っていたから使ってみただけのことだが。一人でできるもん。
 しかし手が震えていてはスープもろくに飲めないぞ…。一人なら啜れるが(奴隷時代よくやっていたので)、しかしここは公共の場であるからそんな汚い真似はできないし、かといって震える手で震えるスプーンを使い口に持っていけるかどうか…。いやダメ!そんなんでめげてはだめ!名前!わたしならいける!
 力を入れてスプーンを持てば案外楽なものだった。なんだ、力入れて飲めばいいんじゃないのぉ……ん?んん?

 だらあ

「(な…口の端からスープが…!?)」
「よお、あんたが例の暗殺者か…ってオイオイオイオイ口から、スープッ、出てんぞっ」
「ああ…これは……ってあなた誰です?」
「俺は、俺はシャルルカンって言うんだ。ここにいりゃ自然と耳に入ってくるだろ?」
「へえ」
「知らないんかい!」


 見てろよーとヘラっと笑うシャルルカンの剣さばきをみて手を叩いて見せた。表情は無表情なのだが。

「わーすごいすごい」
「いやいやいや思ってないだろお前!」
「……すごいすごい」
「名前」

 顔を上げればジャーファルだった。
 え。今呼び捨てにしなかった?

「ちょっと今…」
「おはようございますシャルルカン」
「おはようございますジャーファルさん」
「もしや修行でもしていたんですか? 二人で」
「いやいや!ただ俺の剣技を見せてやろうと思ってただけですので!」
「そうですか。それではこちらお借りしますよ」
「どーぞどーぞ!」

 なにやらジャーファルは地位の高いお偉いさんらしい。シャルルカンの方に振り返り、「また」と言うと、シャルルカンは垂れている目を大きく開いてお、おう、と小さな声で返答した。
 顔をジャーファルの方に戻し、毒の効き目を訊いたがガン無視である。おい。背中を叩けば足の裏が膝に当たり、膝を押さえてその場に座り込んだ。

「…シンが親交を深めろ、とこんなものを寄こしてきました」
「お金?」
「そして私の残りの仕事を無理矢理奪われてしまいました。二時間ほど、この仕事を与えられましてね」
「げーっ!」
「ぶったたきますよ」



 あまりこうして店を回ったことがない、これで三度目だ。旅をしている商人はこうして店を構えて宝石や金属、食糧を売って生活費を得ているのだと聞いた。奴隷時代は下を向いてあるいていたし町を歩くたびに吐き気を覚えていたから夢を見る事はなかった。
 うわあ。うわあ。キラキラと輝いて見える。これがシンドリアか。奴隷の姿は驚いた事になかった。みんな笑顔で歩きまわっている、笑顔で客を迎い入れている。たくさんの民族や国がここに集まっているのもわかる。子どもも汚い格好ではない。とても綺麗な格好だ。見ていてとてもうれしくなる。

「名前、あまり子どものようにはしゃぐのはよしなさい」
「ジャーファルさんこれはなんですか?」
「それはアバレイカの燻製です。美味しいですよ。買ってあげましょうか」
「はい!いいんですか!」
「え…ええまあ、はい。すみませんひとつ貰えますか」
「お、おお!?あなたはもしや八人将のジャーファル様ではありませんかあ!おや、今日は可愛らしいお嬢さんと一緒なんですか?見ない顔だ」
「ええ、一昨日食客としてここに」
「ほうほう。そんならひとつおまけしておきましょう。これからもご贔屓に」
「ありがとう。 名前、どうぞ」
「わあ!ありがとうございますジャーファルさん!」

アバレイカの燻製を受け取って一口噛み締める。おいしい。と、思ったらうまく噛み切れない。おかしい、おかしい。ああ。そうだった。まだ毒の効果は続いているんだ。「あの、」するとプチ、と腕に痛みが走った。振り返れば男が薔薇を持っており、男は口元をマスクで隠しているので目だけが見えている。弧を描いている目。息を飲んだ。

「申し訳ない。申し訳ない」
「…いえ」

 なんだ?アイツは。

「どうしました?」
「………」

 どうも依頼人と、雰囲気が似ているような気がしなくもなかった。ただわたしの思い違いであったらいけない。シンドバッドを暗殺するまで会わないとも言っていたし、こんなところにいるはずがないのだけれど。ここは特殊な力かなにかで守られているようだが、わたしでも入れる、ということは誰にでも入れるということだろう。いや、でもこの前、確かに上空で見た。何者かが上空からシンドリアへ入ろうとした時に何かに拒まれていたのである。鳥は入れた。しかし、アレは入れなかった。アレは一体なんだったのだろうか未だにわからないままでいる。

「…あの昨日の毒がまだ体に回っているのですが」
「え?本当ですか。ざまあみろ」
「その可愛い顔のどこにどす黒い感情を持ち合わせているのだろうか…。あーもう食べ物食べても気分ガタ落ち!」
「の割には食べてますね。涎出てますよ」

 くすくすと笑うジャーファルを見ていて思う。暗殺者とは怖いものだ。
 するとポロリ、と腕から何かが落ちた。

「種…?」

 先程、あのマスクの男の薔薇の棘が当たった部分だろうか?血が付いている。少し根っこのようなものもある。種から根っこ、おかしな話ではない。おかしくはないのだが、少し引っかかる。

「さて、解毒薬の材料でも買いにいきましょうか。一日でとれると思ったんですけど案外弱い体なんですね」

 当たり前だ。何十年奴隷やってきたと思ってる。免疫力なんて平民の3分の1くらいだよバァーカ。

「ジャーファルさんはとても性格が悪いんですね」
「そうですか?普通だと思いますけど」
「悪いと思います」
「かく言うあなたも相当だと思いますけど?」
「普通だと思います」

 上を向いて喉を鳴らし、流れるアバレイカの燻製。
 なんか悪くないよなあ。町の雰囲気は。と、思うのだが、思うたびに自分はとても醜く思えて仕方がない。小さい頃はこういう町の雰囲気大嫌いだったから。
 早くこの島から出よう。

「名前、もう一軒美味しいデザートを売っている店を知っているのですがどうですか」
「! は、はあ。それは持ち帰ることはできますか」
「ええ。できますよ」
「なら…行きたいです」

 あ〜、この人何考えてるかわかんね〜!





 わたしと、アミナの分のデザートを買って帰宅した。うん?帰宅?言い方、おかしいだろうか。
 帰宅してから使用人の働く場所をジャーファルに訊きすぐに飛んで行った。アミナと一緒にデザートを食べようと思ったのである。あの後、デザートを買いにいく途中に薬草のお店があったからジャーファルはシンドバッドのお金を使わずに自分のお金で買っていた。そしてわたしに買ったアバレイカの燻製も、デザートも、そしてこの髪飾りも、ジャーファルのお金で買ったのだ。

「あ、いた!アミナァ!」
「あら、名前様。如何なされたのですか」
「うんっ、今日町へ出かけてきてジャーファルさんがこれ美味しいっていうから買ってきたの!」
「ジャーファル様?名前様はジャーファル様と仲が良いのですか?なんとまあとても意外…」
「へへ、昨日毒盛られたけどね」
「!? ど、毒!?」
「と、いっても痺れ薬なんだけどね。ねえねえ一緒に食べよう?」
「あ、はい、待って名前様」


 わたしの部屋に戻って机を出しアミナを向かいに座らせてスプーンを渡して容器に入っているゼリーを掬った。わたしが昨日ジャーファルと戦ったこと、その時に負けたら一週間言う事を聞くという賭けをして負けてしまったこと、そして今日一緒に町へ出たこと。アミナは終始笑っていて、わたしの会話に相槌を打っていた。頬を赤らめながら。

「今度アミナと一緒に町へ出たいなぁ」
「ふふ、出れたらいいですねぇ…休みが取られたら一緒に行きませんか?名前様」
「…! う、うん!」

 アミナはわたしの一番最初の友達になった。友人なんて出来た事がなかったし、どう接すればいいかわからなかったけれど、アミナを見ているとなぜか触れたくなって、これが友人というものなのかなあと思った。アミナ、アミナ、わたしは何度もアミナの名を口にした。




「(綺麗…)」
「名前…?おや、綺麗ですね」

 にっこり。店を構える主人が笑った。無口のようである。
 わたしが手にした髪飾り。シャラシャラと輝く透明の小さな粒がたくさん吊るされ、一番下にはエメラルドの宝石がついている。このような高価なものなど今日初めて見た。主様の奥様はよくこのような綺麗な髪飾りをしていたのを思い出すが、その髪飾りとはまったく別でよく見れば奥様の髪飾りのほうが高価だった。でもわたしにとってとてもこの髪飾りは輝いて見えたのである。
 あ、でもこのエメラルド偽物?

「とても偽物とは思えない。とても磨かれている。大変だったでしょう」
「宝石を持てぬ若者の為と思えばそんなこと…」
「これをひとついただけますか」

 えっ、と言う間にジャーファルはこの髪飾りのお金を払ってしまっていた。青ざめるわたしにジャーファルは笑って「どうぞ」と澄ました顔で言う、そして段々と笑みを浮かべた。

「か、かかかかっ、かえしまっ」
「人の好意は素直に受け取るべきだと思いますが?」
「でででも、だ、だってだって…!」
「ならば、シンドリアへいらした記念にどうぞ」

 頭を抱えたくなった。

 握る髪飾りは太陽の光で綺麗に輝いた。おそるおそるジャーファルへ、「ありがとうござます」と言うと、ジャーファルはわたしから顔を背けて「どういたしまして」と、言った。いいのだろうか。こんな綺麗なもの。そう思いながら、帰宅するまでずっと大事に壊れないように握って、アミナを見つけ、ポケットにそれを入れた。



 わたしの中でジャーファルという人物がますます謎めいていった、ある日の気持ちの良い昼のこと。




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