色彩 | ナノ



 一羽の鳥が名前の部屋の窓から入り、名前の肩に止まった。短剣の手入れをしていた名前は鳥の足に巻かれていた紙を受け取って、空に放ってやる。師匠のムウが好んで使いを寄こす鳥の大きさではなく、それなりに体力とスピードのある鳥だったろう。巻かれている紙を広げて、暗号も何もない文字を読み上げていく。
「………。あいつか」
 先日、名前はある依頼人の依頼を受けた。




 名前の評判を聞いている、といった無償髭が目立つ歳を食った40代の男だった。名前から見てアル・サーメンのような怪しい雰囲気はなかったし、仕方なく話しくらいは聞いてやろう、とマントを羽織ってフードを深くかぶった名前は酒場の席に座った。
 男はある女を殺してほしい、と名前に依頼した。ある女、とは昔その男が好意を抱いていた女性で、なんと王宮の近くで店を構えているというのだ。名前は溜息を吐いた。けれども男の話しは続く。名前はもう一度溜息を吐いて男の話を耳にいれる。
「その女は元暗殺者で、地位のある人はおろか、王の首まで狙っている」というのだ。半々信じ、半々疑う。それならば王宮に務めるだろう、と席を立った瞬間だった。男が口にした名を、名前は訊き覚えがあった。

「なんだって?」
「ヤルハ、聞いたことくらいは、あるだろう?」
 暗殺者に依頼をするぐらいだ、そういう道に携わっているだろう。そういう女とも関わりを持つだろう。
 ヤルハ、という元暗殺者は、昔ある村を一夜で壊滅させ、貴族の重鎮らを暗殺し、一族を壊滅に追いやったという噂がある。名前はムウにも聞いた事があった。名前は一度浮かせた腰を下ろし、交渉に入る。
「いくら?」いくら、とは金のことである。男は袋に入った金を名前の前に差し出した。
「これっぽっちだが、どうだろう?」名前は紐を解き、中身をみる。覚えたての金の数え方で、指を使って数えていった。
「………わたし、その人の顔を知らないの。特徴を教えて」
「…俺は絵が上手くない。明日顔を知人に書かせて送ろう。あなたは食客としてここにいると聞いたのだが」
「そうだね」
「そうか、わかった。鳥を寄こそう。ここに長く居座ることができなくてな、もういいだろうか」
「……ああ。わかった。鳥が来なくても自力で探すから問題ない」
「感謝する」
 そう言って男は立ち上がり酒場を出ていった。後ろの席に座っていた酔っ払いが名前に絡み始めたが、名前は簡単に抜け出して、酒場を出た。

「(あの男、どこかでみたことがあるな)」
 まあ、いいか。金の入った袋をしまい、自分の部屋へと歩き出した。




 紙にはこう女の顔が描かれていたが、お世辞にも「上手い」と言えるものではなかった。なにが特徴なのか、どことどこを見てこれを描いたのだろうか、男は本当に女を知っているのだろうか、と疑い始めるほどの絵である。目の下にほくろがあるくらいしかわからない。まあ、これで一応さがすか、と名前はマントを羽織らずにいつもの服装をして部屋を出た。
 戦の前には腹ごしらえが必要だ。

「おはよう名前」
「!!……あっ、ジャーファルさん!おはようございます!」
「……?どうしたんです、驚いて」

 名前はハッと気付いた。今からこんなのでは暗殺はおろか、潜入さえ気付かれてしまうのではないだろうか、と。
 確かに多少の平和ボケはあるかもしれないが、職業は暗殺者である。気を引き締めて行動しないといつか暗殺されてしまうだろう……。と名前は腕を組んだ。「どうしたんですか?」名前の行動に首を傾げるジャーファルは、何やら考え込む名前の肩を叩いた。
 名前は目を開いた。


「………ん?…………んんんん!?」

 ジャーファルの後ろに友人と楽しそうに会話をするのは先程絵で見た女だ。紙に描かれていた女の顔そっくりなのである。「んんん……んん!?」ポケットに入れていた紙を広げ、紙の顔と実物の顔を見比べる。

特徴
・目の下にほくろがある
・立派なたらこ唇
・一重(目つきが悪い)
・天然パーマ
・慎重150センチ以下
・明るい髪色

 その特徴も当てはまる。
「なんですか?そ…………」ジャーファルは後ろを振り向いて、名前の紙を覗きこむと、咄嗟に後ろを向いて紙の絵と見比べる。そして内容を確認し、名前の顔を見た。
「仕事、ですか?」
「あ、いや、でも、あれ?王宮で働いている、なんて書いてないのに」
 しかし、格好はどう見てもこの国の文官が着る姿で友人と楽しそうにおしゃべりをしているのだ。

「あの女性、文官ですよ。昨日、お茶を持ってきてくださいましたから」
 ジャーファルも驚いているようだ。そして何か考えた後、名前の肩をつっついて、ついてきて、と言って歩き出した。ジャーファルの向かう先は、特徴を捉えた絵に描いたような女の元である。名前はジャーファルを疑った。今から暗殺をする対象に自ら顔を見せるだなんて自殺行為だ。それに、相手は暗殺者。ジャーファルはこの紙の内容をきちんと見たのだろうか?

「おはようございます。昨日は美味しい紅茶をありがとう」

 お得意の女性が黄色い声を出す笑顔をしてみせた。しかし名前はわかった。この人は何か企んでいると。

「ジャーファル様、おはようございます!お気に召したようで、私、嬉しいです!」
「今日も頼んでもよろしいですか?できれば、ミルクも入れて」
「は、はい……!喜んで!!」

 名前は一歩下がった。この笑みの正体を知っている。名前は何度も経験したのだ。
「それではまた、後ほど」
「はい ジャーファル様。また後ほど」

 ジャーファルが踵を返し名前の腕を引っ張って彼女らから離れていくと、次第に黄色い声が飛び交うようになった。少し歩いた所でジャーファルは一息吐いて、「それじゃあ朝食でもとりましょうか」なんて言うのだ。名前は頭を抱えたくなった。

「ジャーファルさん、あのですねぇ、あの、わたしの獲物なんですけど……」
「はい、わかってますよ。 あなたがミスをした時、私がフォローを入れることができるよう種を撒いただけですので、ご心配なく。もちろん、手柄を横取りする気などありません」
「(ほんとかよ……)そうですか、あの、修行相手ならいつでも受けますからね」
「(こいつ、信じてないな)はい」
「(ひっさびさの仕事だもん、絶対成功させてみせる。お金だってもらってるし、感覚を取り戻しておかないとだもんね、うん。絶対横取りさせない!)うん」
「(……?何か勘違いしてるんじゃないだろうか…?)は、はい」

 名前はジャーファルの行動の意味がわからなかったし、ジャーファルも名前の考えていることがわからなかった。名前は眉を上げ、目を上げて食堂に向かって歩き出した。ジャーファルはその後ろ姿を首を傾げてしばらく見送った後、ハッとその後ろ姿を追った。





「(ひい、ふう、みい、毒ってこれだけしか持ってなかったっけ、とりあえずこれでもいいけど、短剣に塗るには足りないなあ……。ジャーファルさん辺り持ってるかな。……まあこれでもいいか)」
 名前は部屋で短剣に毒を塗る作業をしていた。マスルールとの鍛錬も終えて、少し仮眠をしようと思ったが、武器の調整をしておこうと椅子に座って武器と薬草、他に毒薬を布の上に広げ、短剣を机の上に置いた。
 まさか対象が王宮の外に店を構えているのではなくて、王宮で働いて、しかも文官なのだ。名前はこれにはまいった。まさか依頼主の情報がこんなに当てにならないとは思わなかった。しかもおそらくあの風貌と立ち振る舞いから、裏の世界の仕事をしているのは明確だ。
「くっそ」思わず声を漏らした。
「早く殺しとくか」それがいい。
「でもちょっと眠ろう」広げていた道具を一式片付けて、机に突っ伏した名前は陽が落ちるまで寝てしまったのである………。
「あっ やば。まだやらなきゃならないことあったんだった……」




 陽が落ち、王宮にはオレンジ色の光が文官の顔を染めている。ジャーファルは書類を見て頭を悩ませていた時だった。扉が叩かれ、返事をして部屋に入って来たのは、朝名前の仕事の対象である、あの文官だった。「ああ」そういえば頼んでいたような気もする。ジャーファルはお得意の笑みを作って机に散らばっている紙を退かし始めた。

「お疲れでしょうか、ジャーファル様」
「え、ええ、まあ。少し。でももう少しで終わるので……丁度いい時に持ってきてくれました。ありがとうございます」
「いいえ!そんな!これくらいしかできませんし!」

 この文官はよく気が利く。今までも何度か気の利いた行動や発言をしていたから、ジャーファルはそう宣言できる。しかしどちらかというと名前の味方であるので、人間関係とは難しい、と思いながらカップを受け取った。
「丁度いいでしょうか、ミルクを入れるの初めてで……」
「そうなんですか」
「少し飲んでみてもらってもいいですか」
「ええ わかり」

「ッ……アッ」
「おい」

 机に立ち、女を見下ろしているのは短剣を向けた名前だった。ジャーファルの手にはカップはない。書類に色を染めて、カップは転がっている。一部割れたようだ、破片も見える。ジャーファルは自分の目の前に立つ名前も見上げた。
 名前は女を見下ろした。その顔は、暗殺者の顔であった。

「毒を入れていたな。においでわかった。あと口元に薄く毒を塗っていて、これは痺れを起こさせるもの、中に入っていたのは脱水症状に陥るものだ。痺れさせて脱水症状を起こし、持ってきた水に睡眠薬や、死に至る毒をいれていればイチコロだ。お前の部屋から調合された毒も出てきた。それから、依頼書もな。元暗殺者かと思えば、お前、現暗殺者じゃないか。それに先日の文官が殺害された事件にお前が関わっていることもわかった。もう言い逃れは出来ない。王宮の文官を殺害し、政務官であるジャーファル殿まで死に至らしめるその行為、反逆とみる。死をもって償え」
「…………証拠はどこにあるの?」
「シンドバッド王に渡してある。残念だったな。もう逃げる事すら不可能だ。お前の部屋からチビネズミの死体も出てきている。毒で死んだものだ。それは、ここにある」

 名前は尻尾を摘んで、女、ヤルハに差し出して見せた。ヤルハは口を閉じ、口を開けた。
「それ知らないです」当然のことだった。どこにその証拠があるというのだろうか?もし、ジャーファル以外の他の者がいたらそう思うに違いない。「まだある」もう一つ、紙に包まれた粉末を取りだした。ヤルハの表情は変わらない。

「これは?お前の部屋にあったものだ。知らないか?見覚えはないか?場合によってはヤムライハ殿の魔法に頼ってもいい」
「仮にそうだとしても、それをどうするんです…?」
「…………」
「………?な、なんですか……?」
「ここに水がある。こうやって入れて、そのあとは想像つくだろう?飲め」
「っえ」
「飲め」
「で、でも、それ、本当に毒だったら」
「お前が毒でないことを証明しろ」
「でも」
「これは毒じゃない」
「え?」
「これは毒じゃない。だから飲め」
「えっえっ、で、でも……!い、いやよ!ジャ、ジャーファル様……!」
「この武器には毒は塗っていない。水を飲むか、短剣で手首を傷つけるか、どちらか選ばせてやる。さあ」

 ヤルハはおそるおそる、短剣を取る。そして手首に傷を、付けた。その姿をみて名前は笑い、水を飲み始めた。ヤルハは目を大きくして名前を見た。「ちょっと、ねえ」ヤルハはやっと、敬語を取った普段の喋りをするようになって、短剣を地面に落とす。水を飲み干した名前は口を拭った。

「殺しの方法もタネ明かしの方法も探せばいくらでもみつかる。ちなみにこの毒にみせた粉末はお前が調合した毒に似せた、木の実を砕いたもの。そして、その短剣には毒が塗ってある。お前、そう強くもなかったな。噂は本当?そんなんじゃ人ひとり殺せないんじゃないか?」
「更に言わせてもらえば、演技が下手だ。わたしを殺したくてたまらない顔をしてる。でも、ま、もう死ぬと思うよ。わたし、武器も何も使わない暗殺久しぶりなんだけど、相手が良かったのかなあ?それとも、わたしの腕が落ちていないってことなのかもね」

「じゃあね、バイバイ」




「死体処理、わたしがしておきますね」
「……ええ」
「……あの!」
 ジャーファルは名前に「もう、心配させないでください!わたしが来てよかったですね」と言われるとばかり思っていた。ジャーファルは困ったように見せたが、名前の一言でその困った笑みは段々と恥ずかしさに顔に赤みが帯びることになる。

「獲物を奪おうだなんて、ひどすぎます!」

 ジャーファルは違った。本当に紅茶を飲もうとしたのだ。そして疑うことを一瞬忘れていたのである。

「そ、それに、わたし以外の女の人と二人きりになるのは、や、やめてくださいねっ」



「あっ………はい……」
「それじゃあ、また、あの、多分明日!」




「どうしたジャーファル、半分溶けかかっているぞ!?」




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