色彩 | ナノ



 とても、今まで素晴らしい人生を歩んできたとは思えない。恥ずかしいと思う事がたくさんあった。
 逆に恥ずかしいと思われても仕方のないことをたくさんしてきた。
 自分でも思う。
 奴隷だった それだけで、本当は死にたくなるほど恥ずかしかった。
 暗殺者になった それだけで、埋まりたくなるほど情けなかった。
 友人ができた それだけで世界は変わった。
 新しい主を見つけた それだけで幸せだった。
 好きな人をみつけた それだけで 生きる事ができると思った。

 消える事がなかった。
 元主の記憶は 何よりも先に植えつけられていて 消すことは叶わなかった。
 かつての友人らは言った。

 生きてくれ、と。

 わたしは一体何だろうか?
 わたしは一体何者なのだろうか?
 わたしは一体何をすればいいのだろうか?

 わたしは一人で生きれるほど 強いのだろうか




「名前、子宮は、無事だそうだ!」

 朝一番に部屋に飛び込んできたシンドバッドは名前の両手を取って、上下に揺らす。
 名前はキョトンと目を丸くして、つられるように笑って見せた。子宮などどうでもよかったのだ。

「俺は、もう、本当に、安心しっ」

 シンドバッドは名前の顔を見ると、その笑みが作られたものだとわかって、シンドバッドから笑みが消えた。名前からも笑みが消えた。

「ああ悪いっ…痛かったか……?」

 大事そうに腕を撫でるシンドバッドは、自分の言った一言に後悔をしながら腕の傷を謝った。この時も、同時に仕出かしてしまったことに後悔をする。
 「いいえ」名前は顔を振った。

「良かった」
 心にもない言葉をシンドバッドに贈って。

 シンドバッドは慣れた作った笑みを名前に向けて、側にある椅子に腰を下ろした。そして、体を少しだけ前に出して名前の顎を捕まえ、上を向かし、顔を近付けた。

「唇に傷が残っている。血が出ているよ。どれ、俺が吸ってあげよう」

 名前は咄嗟に身を引いたがいつの間にか肩と腰に腕を回されて、シンドバッドとの距離は一向に離れることはない。
 一気に肩の力がはいる名前に対し、シンドバッドは慣れたもので、表情ひとつ変えずにいる。
 笑むシンドバッドに、名前の表情は更に強張った。

「だっ、だめ! いけませんっ ジャーファルさん以外とキスしちゃいけないって、約束したんですっ!」

 咄嗟に出た名前の言葉。
 笑んでいたシンドバッドは段々と表情を変え、無となっていった。

 え?
 なに なんだって?
 俺の聞き間違い?


「………なん、だって……? 名前、もう一度言ってごらん」
「えっ……ジャ、ジャーファルさん以外とキスしちゃだめって約束……したんです……」
「……なんだって? もう一度言ってごらん?」
「ジャ、ジャー……ファ……」

 名前の肩と腰に回された腕が外されたと思ったら、シンドバッドは一瞬にして部屋を出て、ジャーファルのいる執務室へと目にも止まらぬ速さで掛けて行く。
 目を点にした名前は、どうすればいいのかわからず、とりあえずジャーファルかシンドバッドのどちらかを探すことを目標に部屋を出た。


 一方、シンドバッドはすでに執務室の前まで着ており、荒々しく扉を開けた。

「たのもぉ!」
「えっシン? どうしたんです? 自らこの部屋に……」
「ジャーファル。きみに話を付けないといけないことがあるのだが。……いや、いい。文官たちはここにいてくれて構わない。俺達の事は気にせず業務に取りかかるのだ」
「いやあんた、無理でしょ……。で、なんです? すぐに終わりますか? 私まだ仕事が山のように…」
「ジャーファル!」
「はい」

「きみは名前のなんなのだ!!」

 口をあんぐりと開くジャーファルと、眉間に皺を寄せ、拳を作り、ジャーファルを見下ろしているシンドバッド。
 ジャーファルは額に手を置いた。オロオロとし始めるジャーファルはオロオロしながらシンドバッドへ尋ねた。

「まさか、知らなかったんですか?」
「……なに?」
「知っているとばかり、思っていました……」
「……へ? なに?」
「私と名前が、恋人同士だっていうことを…」


「うわーー!!」

 シンドバッドが床に崩れる。

 ジャーファルと名前が恋人同士だという噂は宮中では有名であって、文官・武官達でさえ、二人は想い合っていて、恋人同士であることを把握、理解していたのである。二人の関係は有名で、文官と武官達はなぜ知っているのかというと、八人将から事実を聞かされていていたからだ。それではなぜシンドバッドが二人の関係を知らなかったかというと、それは、

「名前は俺のものとばかり思っていた……」
「はぁ!?」

 と、いうことであった。
 名前は自分のものとばかり思っていて、自分は名前の主であるし、まさか自分の部下とそのような関係を結ぶとはこれっぽっちも一ミクロンも思わなかったので、そういった情報が疎くなっていたわけだ。

「……そうですね、名前の主はあなたで シンドリアに貢献する食客ですからね…。あながち間違いではないと思いますが……」
「ちがう! ちがうんだよジャーファル! このやろう! てめー!」

 シンドバッドがジャーファル目掛けて地を蹴り、馬乗りになって胸元を掴んだ。
 ジャーファルは顔を蒼白にさせてシンドバッドを見上げ、胸元の腕を掴んで押し返そうとする。が、シンドバッドの力に叶うはずもない。彼は自分の上司であるから。
「ちょ、シンッ……!」ジャーファルが慌ててシンドバッドの名を口にした時、文官達は「あっ」と声を揃える。シンドバッドとジャーファルは、文官達の視線の方向に振り向いた。

「あっ」

「………っ…、シ、シンドバッド王、ジャー…ファ……す、すみまっ……お二人がそんな関係であったなんて、わたし、知らなくてっ……ご、ごめんなさい、ごめんなさいぃいい!!」
「え!?」
「ま、待って名前、これは誤解だ! 決してあなたが思っているような関係じゃない! ちょっと、コラ! オイ! 待て!!」

 目に涙を溜めて部屋を後にした名前。文官達の冷ややかな視線。そして、扉を見つめている政務官と王。
 あの、いいんですか、名前さん。という文官の一言に、二人は立ち上がって名前の後を追いかけた。

「アンタが馬乗りになるから!」
「馬乗りになったぐらいでなんだ! 君を殴ろうとしただけだ!」
「なぐっ…!? なんで殴られなきゃならないんですか!」
「この…てめぇ……名前とセックスしたんだろうがー!」
「声でかいですよシン! ここ宮中なんですけど!?」
「したかしてないかで答えろジャーファル!」
「今そんなことどうでもいいでしょ!?」
「フンフン……ん!? 名前の香り……こっちか!」
「あっ、ちょっ、このやろう……!」

 互いに一歩も譲らず名前の後を追いかける。
 彼らの前には足の速い名前がいるのだが、魔力操作のコントロールが上手くいかないのかいつもより遅く、二人にあと少しで追いつかれてしまう距離である。

「なんっ、でついてくるの……!?」

 先程とは違う恐怖にひたすら逃げる名前だが、右に曲がったところで事態は急変した。

「あっ い、行き止まり……!」

 行き止まりとなった壁に手をついて、白い顔で振り返ると、ジリジリと距離を縮めるジャーファルとシンドバッド。

「名前……」
「誤解なんです、本当に、私とシンはそんな関係じゃないんです……」
「そ、そんな嘘吐かないでください……」
「嘘じゃないです! 本当だ! 私はあなたの事が」
「だぁあああ! これ以上は許さんぞジャーファル!」
「やっぱりいいい」
「シン!! ちょっと!! アナタいい加減にしてくださいよ!!」

 ジャーファルとシンドバッドが取っ組み合いになり、その光景を傍観している名前は、慌てた様子で二人に踏み寄った。喧嘩はやめてください、と呟いて。
 すると、二人は名前の方へ振り返り、ジャーファルは右の腕を、シンドバッドは左の腕を掴んだ。

「名前」

 重なる二人の声にどちらに反応をすればわからない名前は、二人を交互に見ながら「はい」と返す。ジャーファルが口を開けるよりも早く、シンドバッドが口を開いた。

「名前、きみは、ジャーファルのことが好きなのか?」
「……はい…、でも、王が、ジャーファルさんのこと……」
「きみは、食客を辞め、ここに所帯を持とうと思うのか?」
「ちょっと シン」
「俺を主だと、言ってくれないのか?」

 その言葉にジャーファルも、名前も、時を止めた。
 ジャーファルは心配そうに名前を見ると、名前は呆けた顔をしたと思ったら、次第にクスクスと笑い始め、「そんなあ」と声を出して笑い出した。

「そんなまさか、わたしの命はシンドバッド王のものですよ。わたしはそのつもりで、あなたを主としたのですから」
「ちがうだろう」
「え?」
「きみの命はきみのものだ」

 俺のものじゃない。
 そう言いきったシンドバッドに、ジャーファルは視線を移した。発言はせず、ただシンドバッドの表情を見つめて。

「いいえ。わたしの命はシンドバッド王のものです。一生あなたのものです」


 でも、わたしの人生はわたしのもの、考えだってわたしのもの、ゴール地点があなたなだけ。
 名前はシンドバッドに告げると、シンドバッドは腕を離し名前の頭を撫でた。

 きみは死ぬまで奴隷で居続けるのだろうと、シンドバッドは心の内に呟く。

「……でもっ! ジャーファルさんは渡しません……絶対奪ってみせます!」
「え!? なんでそうなる!? だからなあ、違うって言ってんだろ!」
「だってさっきセックスしそうになってたじゃないですか!」
「ちっげーよ! なあジャーファル!!」
「そうですよ名前、ホントに、さっきのはシンが私を殴ろうとしただけで、本当にこんな、人と、恋人だなんて、男ですよ!」
「そうだそうだ!」
「……でも、主様は男ともセックスをしていたり、していました……」
「だっ……。ジャーファル 頼む。誤解を解いてくれ」
「………名前」



 愛してますよ。


 その言葉は、愛しいものにしか贈れないような、優しい声であった。
 名前はジャーファルを見つめ、シンドバッドは驚いてジャーファルを見つめた。

「……わたしも、愛してます」

「俺は許さんっ!!」





 わたし、旅に出ようと思うんです。

 名前の突然の言葉に、ジャーファルは天地をひっくり返し、シンドバッドは口を開けた。偶然居合わせていたピスティとスパルトスも驚いて名前を見る。

「自分って何者なのか、それが知りたいんです。ずっと記憶がないまま過ごしていてもいいんでしょうけれど……。王が、わたしに『世界が待っている』という言葉を思い出した時、わたし、ああって思いました。きっとこれが運命なんだって。わたしが今ここにいる理由は 生きている理由は 皆が生かしてくれた理由は 自分の事を知るために開いてくれた道なんだって。 だから、自分は何ができるか、自分は、一体なんなのか、それを、知りたい。だからわたし 旅に出ようと、思っています」

 文官達も驚いた。
 まさか名前がいきなりこんなことを切り出すと誰が思ったろう。それに、旅に出るだなんて、一体何があったのだろうと思うのは仕方のない事だし、驚くのも当然である。
 一番驚いているのはシンドバッドと、ジャーファルだろう。

「でも、魔力操作も完全ではないので、修行をしてからにしますけど………。……え?」

 周りの反応がない。名前は頭の上のクエスチョンマークを出し、どうしたんですかと尋ねたが、周りは発言しない。
 その静寂の中、シンドバッドの吐く息の音が響く。

「……ふう。 そうか!」

 それはいいことだろう。今まで知りたいとも思わなかったことを知りに、旅をするのを拒む理由など一つもない。自分を知りたい。とてもいいことではないか。自分でも世界でもどんなことでも、知りたいと思って旅をすることに、ケチひとつ付けれるはずがない。

「いいか、名前。旅をするのは大いに構わない。しかし、俺達は旅に着いていくことはできない」
「はい」
「たくさんの 悲しい事を経験するだろう。苦しい事を経験するだろう。それでもきみは、旅をするというのかな?」
「はい。悲しいことも苦しいことも、わたしはたくさん経験してきました。次は、その思いをしている人たちを助ける……護る番ですから」

 そう言った名前の表情は、かつて奴隷であって、元主に鞭を打ちつけられ、醜態をシンドリアに晒してしまった人間の表情とは思えないほど、眩しく輝いているものであった。

「そうか。うん。そうだな。旅はいいぞ。俺も、旅をしてたくさんのものを得た。そうだな、ここにいるたくさんの部下……仲間を。力もだがね。いらぬ事まで知ってしまった。それでも俺は生きているのだから、何かの運命に従って、導かれるままに歩いているのかもしれないな。俺にしかできない事があって……名前にしかできない事がある。そういうことだ」
「はい。わかります」
「ほう わかるのか」
「わかります」


「わたしは、生きているので」




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