色彩 | ナノ



「最後までそわそわしっぱなしだったなぁマスルール」

 シンドバッドが顔を赤くし、のんびりとした口調で呟いた。隣で大きなため息を吐くジャーファルは、シンドバッドにその手に持っている酒を早く飲んでくださいと呟く。勿体ないから飲む!飲むぞ!と駄々こねた最後の一杯をシンドバッドはいつまでも残したままでいる。
 理由は、名前を待っているから、である。おそらく酒など口にしていないだろうというシンドバッドの配慮からだった。それから、間接キスを狙ってのこと。

 謝肉宴も終盤。
 しかし、名前の姿はどこにもない。

「ようし、この七海の覇王が直々に名前を探すぞ〜」
「とか言ってほいほい女ひっかき回すんでしょう! あなたは座っててください私が探しに行きますから」
「なんだとう! ジャーファル、抜け駆けは許さない! ん、いやマスルール、きみのその嗅覚で名前を探しなさい!」
「うす」
「……ああそうか、忘れてた……」

 犬並みにするどいマスルールの嗅覚を……。
 マスルールはマスルールで、花を貰うという約束をしていたし、何より名前の姿が見たかったのである。鼻をピクピクと動かすが、マスルールは顔を顰めシンドバッドを見た。ジャーファルはそれに気付いて声を掛ける。

「どうしたんですか?」
「におい、ないんすけど。なにか名前の所有物か何かあれば見つけやすいと」

 本格的に犬である。ジャーファルは苦笑いを浮かべた。しかし今ここに名前が普段見に付けているものはない。
 さあ、どうしようか。一方シンドバッドはフラフラと歩きまわり、机の下へ名前の名を呼んでいるほどに酔っている。ジャーファルはマスルールだけを連れて名前を探そうかと考えた。

 すると、マスルールが行動を止めた。
「マスルール?」
 ジャーファルがマスルールを見上げ、マスルールの視線の先を見つめた。


「名前が」


 えっ?なんだってっ?ジャーファル、シンドバッドは共に口角を上げる。
 しかし、マスルールの表情は、変わらない。これにはシンドバッドもおかしく思い、どうしたマスルール、と肩に手を置いた。






 男、名前の元主の足元には花が無残に散り、白濁の液体が飛び散っている。アミナに綺麗に整えてもらった服が無残に切られ、髪の毛も乱れている。そして血がこびり付いた地面を踏み、倒れている名前の手首を持ち上げた。
 顔を上げない名前は気を失っている。だから、力が入らない。当時の重さと比べる元主は眉を顰め持った手首を地面に叩きつけた。両腕は折れている。
 舌打ちをした元主は名前の髪の毛を掴んで建物の隙間から大通りへと出た。

 えっ
 なに、
 うそ、あれって名前さんだよ
 えっ えっ
 ちょっと
 死んでるんじゃ

 顔を真っ青にする民たちに、笑う元主。

「おい、起きろよ名前」

 元主は名前の頬を思い切り何度も何度も叩いた。民は言葉を失い、その光景をただ見ているしかなかった。
 奴隷と主、そのままの姿であるからか、見慣れないからか、民たちはそれぞれの思いを持ってその光景を見ていることしかできなかった。
 元主は名前の腕を再度掴んだ。そして思い切り自らの方へ引いたのである。しかし名前は頭を垂らしたまま起きる気配は一向にない。傷だらけの体。新たに付けられた刀傷。
 民たちは本当に名前が死んだのでは、と顔を青くした。
 そして、元主が出したものを見て更に顔を青くした。

 鞭である。腰に付けていた鞭を取り出したのである。
 腕を離し、うつ伏せになる名前の背中を見下ろした。
 鞭を地面に一度、音を立てて叩く。
 名前の背中に鞭が当てられ、そして大きく腕を上げ思い切り下げた。
 
「ひぐっ」
「はァ!? 起きてたのかよ! てめー寝たふりしてやがったな!!」
「キャアアアッ!」

 叫んだ民の声に元主は民衆の方へ振り返る。そして笑う。
 視線を名前に戻した元主は、もう一度名前の背中に鞭を打った。
 もう一度打った。
 もう一度打った。
 もう一度打った。
 次は休む間を与えずに二度打った。
 痛みに耐えかね涙を流す名前と腰が抜けて尻もちをする民。怖さに泣く民。驚きに泣く子ども。

「うるせーよ奴隷はこうされて当然だろうがッ!!」
 そして元主は何かひらめいたように、先程とはまた別の笑みを浮かべる。

「コイツはなァ、俺の性奴隷なんだぜェ。9歳から今まで、ずうっとだ。ずっと、毎日、こうして鞭で打たれて、飯も食えずにセックスだけやって生きてきた。………あぁ、いや、飯は食ったよなぁ、名前」
 起きろ。元主の言葉に黙って従う名前は立ち上がり、膝を曲げて地面に座った。体の傷が鮮明に映る。

「あのくらいの男の子、食ったよなぁ」
 元主は泣いている子どもを指差した。
 目を大きくして驚いた名前は冷や汗を流し、子どもを見る。

 待って。
 待って。
 やめて、それだけは

 突然の腹部の痛みに、名前は空気を裂くように叫んだ。
 子どもに気を取られ、元主の行動が見えていなかったのある。
 鞭が腹に打たれた。


「名前。みなさんにきみが私のちんこをくわえた穴をお見せしよう。なかなかのしまり具合だと自慢しよう。そして、ちんこを加えてくださいと言ってみよう。うん、そうしよう。きみは腕が折れているから私が広げてあげよう。なに、恥ずかしがることはないぞ、自慢していいものだ。性奴隷のくせに、なかなかだぞ諸君」

 しかし、名前の返事はなかった。倒れたまま動かず、息をしているか、していないのか。

「………ねえ、死んだの……? 名前様、死んだの?」
「え? なんだって? 物騒な事を言うんじゃないぞ女。名前はこう見えてずっと頑丈な生き物だから大丈夫だろう」
「ふっ…、ふざけんな……名前さんは人間だぞ! そんなことされたら、死んじまう…!」


「え? 名前が、なんだって? 男、今、名前を人間と言ったのか?」
 元主は驚いた後腹を抱えて笑い、鞭を握り直した。
「君達にはこれが、人間に見えるのか……」

 元主は名前に鞭を、また腹部に、今まで以上に強く打った。

「さあ見たまえ」

 名前を起こし、背中に周り、膣口を広げた。

「これが名前の膣だ。大丈夫。こいつの子宮はもう機能しない。俺が壊した。男、中に出してもいいんだぞ」
「人間と思わなくて良い。ただの、性処理と飽きさせない人形と思ってくれて構わない」
「これは、奴隷なんだから……」


 名前の目は腫れ、
 吐血し、
 頬が腫れ、
 傷を作り、
 涙と、
 涙の痕、
 首には引っ掻かれた痕、
 体全体にある打撲の痕、
 刀傷、
 鞭打ちの痕、
 落ちる腕、
 折れている腕、
 力のない脚、
 広げられる膣口、
 虫の息。




 元主は飛んだ。
 手を上げたのは、民衆ではない。

 駆け付けたシンドバッドだった。
「名前……」
 倒れた名前の顔に掛かる髪を掃い、その体を持ち上げ、膝に置いて抱きしめた。
 マスルールは飛んだ元主の元へ駆け、見下ろし、胸倉を掴んで持ち上げた。
 名前を抱きしめるシンドバッドが言う。

「死んでいるかもしれない。死んでいないとしても、もう手遅れかもしれない」

 名前の息は、抱きしめるシンドバッドでさえ、聞こえぬ、感じぬほどだった。

「はは。そうだね。死んでいるかもしれない」

 元主は鞭をマスルールの手元に打った。マスルールが元主を離すと、元主は名前を抱きしめるシンドバッドの元へ向かう。

「ここに出る前、あそこの建物の影でたくさんセックスして、たくさんこの剣で傷を付けて、たくさん殴って、両腕を折ったんだぜェ。昔のように何度も何度も地面に打ち付けて、それに建物の角が丁度良い場所にあったから、たくさんぶつけてやったらすぐに折れちまったよ。でも昔のように、簡単ではなかったけどなァ」



「殺すぞ」


 声の主はシンドバッドでも、マスルールでもない。

「殺すぞ」

 ジャーファル、である。

「はァ? なに、え? なに、おまえ」

 ジャーファルは元主に近付き、思い切り頬を殴った。ジャーファルを睨む元主だが、ジャーファルが馬乗りになり、胸倉を掴み、何度も何度も、思い切り頬を殴る。

「お前がっ、お前がっ……! お前が!!」

 ジャーファルの手は止まり、元主はジャーファルの顔見てケタケタと笑った。
「情けねェ。なに泣いてんだよ」
 続いて元主は言う。
「昔はこんなの日常茶飯事。名前だって慣れてるって。ただ昔みたいに気を失ってるだけだ。平気平気、また次の日はケロっとしてるって」
「ふざけるなッ!」
「ふざけてるように見えるのかよ。そりゃ心外だ。ふざけてねえ俺は至って冷静で真面目だ。奴隷の扱いを知らねェお前らがどうこういうわけ? 俺の方が慣れてるからあんまり構うんじゃねーよ」

 ジャーファルは立ち上がり、元主が手放した鞭を手に取る。民衆はあっと声をあげ、身を固くしその光景をただ凝視する。
 同じ目にあわせてやる、ジャーファルはシンドバッドの制止の声も聞こえないほど怒りが頂点に達していた。
 手を振り上げた瞬間、
「やめて」
 と、蚊の鳴くような声が響いた。


 ジャーファルは振り返る。シンドバッドが名前を見下ろした。

「いたい やめて しんじゃう」
「名前! もうしゃべっ」
「やめて ジャーファル いたいの ほんとうに やめて おねがい」

「ほんとう おねがい」


 シンドバッドは唇を固く結んだ。
「捕えろ。そいつを捕えろ、ジャーファル、マスルール」
 そう言ったあと、シンドバッドは名前を抱きしめる。上がらぬ腕を見て、肘を優しく包み込んだ。



「ばかやろう」
 殺せたのに。
 ずっと憎かった奴を、殺せたのに。
 ばかやろうが。
「ばかやろう」




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