「帰ろうぜ名前、こんなところにいるから俺の事も忘れちまうんだよ。……俺の国に行こうぜ。ずっと、俺、約束……」 「あっ……! に、にげっ……」 名前の手がジュダルの手を掴む。そして片方の手が短剣を掴み、ジュダルの胸へと突き刺すが、ジュダルは後退し、目を大きく開けて名前を見つめた。 また制止がきかなくなるかもしれない。名前は足に魔力を溜めてその場に踏みとどまった。 「きみ、逃げて、今わたしっ……は………?」 名前が声を上げてジュダルに逃げるように言ったが、腕の自由がきくようになり、短剣が地面に音を立てて落ちた。シンドバッドの時は制止が思うようにいかなかったはずなのに、今はすぐにきくようになった。 名前は驚いて自身の手のひらを見つめる。 「………名前」 名前は顔を上げる。 ジュダルは名前を抱きしめた。 「(……なんだろう…、懐かしい…?)」名前が抱きしめ返そうとした時、ハッと我を取り戻す。 あ、いや。 まてまてまて。 わたしには心の決めた人が……。 「ごめんなさい、わたし、帰らないと」 「………どこにだよ」 「……主の元へ」 名前の言葉にジュダルは背中に這わせていた手を離し距離を取った。 ジュダルからしてみれば、彼女はアル・サーメンの人形であり、自分とは顔なじみなのである。気に食わないのも無理はない。 「そして訊きたい事がひとつ」 ここにきて、名前は神経を研ぎ澄ました。何か違和感を感じたのだ。主の元へ帰ると言った途端、目の前にいる黒い少年の雰囲気が変わった。先程は攻撃的な一面を見せて申し訳ないとは思ったが、ここへ来て、自らの意思とは関係ない行動も、何故だか、不思議と思ったが、納得がいった。 「きみは」 言いかけた時、建物が音を立て、瓦礫となって崩れ始めた。民衆の叫ぶ声も聞こえる。 名前は市街地の方へ顔を向け走り出した。目の前の男など、この国の民達の二の次だ。建物が次々と壊され、崩れていく建物へ建物へと飛んで移動する影がひとつ。 影はアル・サーメンである。 自分を追う影を見つけたアル・サーメンはおおっと声を上げた。「探す手間が省けたぜ」とも。 崩れた瓦礫に立つマントを羽織る人物は名前。マントに隠れているが、右手には短剣が握られている。 「いやいや、本当。こりゃあ久しくて『人形』だとは気付かなかったが、お嬢さんは名前で?」 返事を待つアル・サーメンだが、名前は返事を返さずじっと目の前の人物を見つめていた。痺れをきかせたアル・サーメンは項垂れて、まあいいけど。と呟き、名前を視界に捕える。 こんなに騒ぎを立てちゃ、ジャーファルも王も、こちらに来るのは時間の問題だ。名前は捕えるか、時間を稼ぐかで悩む。いや、捕えよう。 「いやね、ロリコン野郎が死んじまって、あんたがここにいる事まではわかってたんだが、それ以降の事はわからなくて。だからこうして騒ぎたてりゃあ会えるかなとか考えちまって。……会えたわけだが、ここは少々手荒くさせてもらうよ。なんたって時間がない。ここにはあの第一級特異点がいる」 第一級特異点とはまた聞き慣れない名であったため、名前は反応を見せた。その反応をみたアル・サーメンは満足そうに笑みを浮かべて、まあそんなことどうでもいいわけよ、と手をひらひらと振り、杖を見せた。 「(魔法を……)」 今、名前は魔法を使えない。つまり防壁魔法が使えない。名前程の魔力を持っていたならば、ほとんどの魔法も防げただろう。しかし、使えないのだ。 それにここは、市街地である。 「(あまり派手な事はできない。それに、建物をあんなにする程の魔法を繰り出すことができる……。ここは一気にカタを付けて……、捕まえる)」 「あぁ…そういや魔法使えなくなってんだよな?どーっすかなぁ……あぁいやね、俺ってばこう見えて律儀な性格でよ、相手とは対等に戦いたいわけ。わかる?」 「で?」 「え?でって?」 「つまり、何をしたい?わたしを捕えるのか?それとも、この国を壊したいのか?そこだけはハッキリさせてほしい」 「……アハハッ!そりゃそうだ、建物こんなにたくさん壊しちまったんだから、何が目的かわかんねえよなぁ……」 「俺はさ」 「お前を」 「家に帰る様に」 「伝えにきたんだよ」 「そのために建物を壊したのか?」 「えぇ? しつけぇな! だからこんなはこう……ねちねちと……」 「あ! 時間稼いでるな!」 アル・サーメンが杖を振った。すると、火の玉が名前へと一直線で向かってくる。防壁魔法が無いため避けるしかない名前は瓦礫を持ち上げ、瓦礫に身を隠し、腰に付けているポーチからチャクラムを取り出して瓦礫を退かしてアル・サーメンへ投げた。 アル・サーメンは防壁魔法で自らを守り、宙へ浮き、次は同じ火の玉を、先程の量とはケタ違いに作り杖を振った。 暗殺者は、強い戦闘能力を持つ者とは違う。 闇にまぎれ、音を立てずに任務を執行する。 暗殺者とはそういうものだ。 一対一で戦うのには慣れていない。 ましてや、名前など。 短期間で修行をつんだ名前など、話にならない。 「そして、もうひとつ目的があるんだ……」 いくら一対一で修行をしたとしても、それは、同じ人物と戦うから体が慣れるだけで、初めて戦う人物とだったら、振り出しに戻るのだ。 「お前の力を奪う事だ」 名前はあっという間に、アル・サーメンとの距離が縮まっていた。マントに隠していた短剣を向けるが、脇腹にかすっただけで深い傷にはならなかった。 アル・サーメンは手のひらを名前の額に当て、何かを唱えた。聞き覚えのある言葉だった。 名前の神経、身体に大きな衝撃が襲い、立つのもやっと、瓦礫から転げ落ちた名前が頭を抱え身を縮み込ませる。鼻血が出ている。 「こ、これはっ……」 以前何度かこの衝撃が自分を襲ったことがある。 魔法が使えなくなった時だ。 「うし……!よーしよし。このままこのまま……」 腕を回し、名前の元に着地したアル・サーメンが苦しむ姿を笑い、手を伸ばす。が、寸前でそれは止まった。 「………」 アル・サーメンは自分の手が抑えられている元凶の赤い縄を目で追い、クーフィーヤを被る人物を睨む。 「邪魔すんじゃねえよ」アル・サーメンが低い声を緑のクーフィーヤを被る人物、ジャーファルへ向けた。 「その方はこの国の食客。大事な方です」 「いや、不良娘をちょっくら痛めつけただけなのでね。世話になったね」 「苦しんでおられる」 「うん、痛くしたからな」 「ということは、アル・サーメンということですね」 「オイオイ、勘が鋭いこって。でも、名前嬢は連れて帰るぜ」 ジャーファルはアル・サーメンを睨んだ。 アル・サーメンはジャーファルを睨んだ。 ジャーファルが縄を握ると、アル・サーメンの体に電流が走り思わず名前から遠退いた。その隙にジャーファルは名前に駆け寄り無事を確かめるために声を掛けた。名前は息を切らしながら、口から血を流れるのを気にしないように、ジャーファルの名を呼んだ。 「ジャ、ファ……」 「大丈夫。すぐ助けが来ます」 「まだわたし、全然戦ってない……何をするかも、わからない……」 「何だよアイツ手ェかさねえってのかよ! これだから過保護は困るぜッ!」 ジャーファルは名前の身を起こした瞬間、火の玉が二人を襲いに掛かった。ジャーファルが武器に魔力を溜めた時、水の玉が空から降り、火の玉を相殺した。ジャーファルが上を向くと、杖にのったヤムライハがアル・サーメンを睨んでいる。 今日はよく睨みがきく日だ。 「……気に食わないな」 言葉を発したのは、名前である。 「アル・サーメンって、本当…、気に食わないな」 豆鉄砲を受けた鳩のような顔をしたアル・サーメンは、頬を膨らまし、口元に手を添えて笑い始めた。 「いやぁ……それ言っちゃう? どんな教育受けた? 記憶を失ったって聞いたけどさぁ……そりゃねーだろうよ」 アル・サーメンが手を叩く。 「いつまでもそんな顔してんなよ……殺したくなるだろ…?」 アル・サーメンが手の平を三人に向けた。 「名前嬢、お前の力はいただいたよ」 そしてアル・サーメンが手に魔力操作で魔力を纏った。名前はその姿に笑って、自分の手に魔力を込めても、なかなか魔力が纏えないことに、また笑った。名前を見下ろすジャーファルは心配そうに、手に視線を向ける。 「わたしは器用なんだ。こんなのすぐに元通りになる。魔力も奪った気でいるが、まだまだこちらにある」 「へ? まじ?」 「あ」 アル・サーメンが倒れた。アル・サーメンの後ろには剣を握ったシャルルカン、そしてマスルールが立っている。 なんともドジなアル・サーメンだろうか。 ジャーファルが服で名前の鼻の下を擦ると、慌てた名前は腕を押してジャーファルはを見上げる。 「服が汚れてます」 「洗えばいいんです」 名前の制止の声を無視してジャーファルは擦り続けた。鼻血のせいで、鼻の下が赤くなっていることに気付かなかったのだ。 |