色彩 | ナノ



「侵入者?アル・サーメンが?」
 しかし、師匠が新しい術式を描き加えたのではなかっただろうか。名前は腕を組んでジャーファルの方へ顔を向かせる。ジャーファルは羽ペンを机に置き、上半身を名前の方へ向かせた。
 ヤムライハにその事を任せてはいるが、師匠の事をよく知るのはシンドリアではたった一人名前だけであるので、ジャーファルは考えた末彼女に話す事を決めたのである。

「調べましょうか?」
「あなたがアル・サーメンを? 危険です、それはだめだ」
「いえ、師匠の術式をです。どこか欠けている部分があるかも……。ヤムライハさんはどこに? 合流します」
「……案内しましょう」

 ジャーファルが腰を上げ、執務室から出て案内した場所にはヤムライハの他に数人の魔導士、シンドバッドがそこにいた。名前はヤムライハとシンドバッドの方へ近づき、術式を確認させてもらいたいことを告げる。二人は頷いて道を開いた。
 名前が術式に触れる。

「!?」
「なっ、なにっ!?」

 名前が術式に触れた途端、名前の全身が光り輝いた。その元になったのは以前マスルールと修行をするために立ち寄った森で拾った玉である。懐からその玉を取り出すと、その玉は更に輝き出したのだ。
 ヤムライハは名前の手を引き、抱きとめた。

「ヤムライハ、これは?」
「これは……マグノシュタットの魔法道具です…魔力を増幅する装置のようなものなのに……名前の魔力と共鳴し合っているの…?」

 そんなヤムライハと王の様子を見ながら、名前はその玉を見つけた場所、そして、
「その玉を持つと、手の先の自分のルフが見えるんです」と伝えた。二人、そしてジャーファルは驚く。

「ルフが見える……?」

「ッいけない!」

 シンドバッドはその玉を持ち、片手で潰した。キラキラと輝く破片に名前は驚き、ヤムライハの腕から離れ破片を掬い、ああ、と声を零した。
 そして自分のその様子に気付いた名前はハッとして自分の行動に驚いた。

「(一体、今なんで……?)」
「それは、おそらくアル・サーメンの魔法武器だ」

 アル・サーメンの魔法道具を名前は過去に一度手にした事がある。以前シンドバッドを暗殺せよと依頼されたアル・サーメンから受け取った短剣状の魔法武器。それと同様ということである。使いの用途は違えど危険であることは確かだ。
 そしてアル・サーメンである名前の行動にも、それを手にした理由も、納得がいく。
 名前がシンドバッドの方へ振り向いた時だった。破片が空中に置き、名前胸が輝き体内に入っていったのである。

「うっ」
「名前っ!」

 シンドバッド、ヤムライハは名前へ近付いた。ジャーファルは魔導士でないから魔法陣の上に立つことを戸惑ったために近付くことはなかったが、その心の内は二人よりも心配でたまらなかった。
 またあんなに苦しい顔になってしまったら?
 アル・サーメンの元へ帰ってしまったら?
 ジャーファルは顔を歪ませる名前をじっと見つめた。今すぐに駆け寄って抱きしめたい気持ちを抑え、伸ばしかけた、動かしかけた足を止めて。

「大丈夫か名前、おい、名前」
「っ……な、んっ う、うう、うっ うっ うっうっ」

 口元を押さえる名前にその背中をさするシンドバッド、後退していくヤムライハ。破片がどこかに落ちていないか辺りを見渡している。
 シンドバッドはこれも侵入したとされるアル・サーメンの仕業なのではないだろうかと踏み、側にいる魔導士を見渡した。あの中にいるのではないか?

「名前」
「はっ、はいっ……シンドッ……!? あっ」
「なっ…!? 名前!?」

 一旦この部屋から出てくれと頼もうと名前の名を呼んだシンドバッドだが、名前が腰につけている短剣を抜き振りかぶる動作に反応が遅れ、その頬に薄い傷を付けた。
 名前は左手で自分の手を抑えるが、右手が言うことをきかずに短剣をシンドバッドに向けたままである。「なにっ だめっ なに、これぇ……!」
 そしてついに一歩、一歩とシンドバッドに近付いていく。脚も支配されたようであった。自由なのは左の腕と手だけだ。

「くそっ……! なんだこれ……!」

 名前はポーチから投げナイフをひとつ取り出し、手首にそれを突き刺そうとする。
「名前!」ジャーファルがやめなさいと制止の声を叫ぶが、名前の耳にはその声など入っていなかった。自分の主であるシンドバッドに刃を向ける事態が恐ろしいことだったし、それが止められぬ自分にも恐ろしかった。
 まさか、王に刃を向けるなど。
 しかし、投げナイフは名前の手首に傷を付けることはなかった。

 まずい。
 名前は青ざめた。

「ジャーファルさん、わたしを縛ってっ…!」

 名前がそう叫んだと同時に投げナイフは名前の手を貫通する。右手に持っていた短剣も地面へ零れる。支配されていた脚にも力が抜けて、名前は地面へ転がった。
 息が切れる名前に駆け寄ったヤムライハはその場にいた魔導士に治療を頼む。治療のできる魔導士が一人近付いて名前の肩を持ち杖を握り治療を施してゆく。

「何なんだ……?あれは名前の体内に取り込まれてしまったのか?」
「……そう考えるのが妥当でしょう。少し名前の身体を調べさせてください。また名前があのような行動を取らないとは限りません」
「ああ…そうだな。頼むぞヤムライハ」
「仰せのままに、王よ。この術式のおかしな箇所も見つかりませんから、この結界魔法を突破するアル・サーメンがいた、ということで」
「今はそれで通そう。いや、それしか考えられないな。名前が回復してから調べるようにするしかあるまい」
「そうですね」

 名前は二人で交わしている会話をじっと聞いていた。ジャーファルは名前に近付き傷部分を伺うようして傷を見る。治療されているが、少しの間であるから躊躇しないで腕を取ったのだ。

「こわい」

 名前の言葉にジャーファルは顔を上げた。


「こわい」


 名前は左手で顔を覆う。

 ジャーファルも、治療をしている魔導士も、その光景を見守るシンドバッドもヤムライハも、名前の「こわい」に何も反応も行動もできなかった。震えるその体を抱きしめてやる者は誰ひとりとしていなかった。その場にいた者たち全員が名前の突然の行動に驚いたし、名前の動きが速かったという理由もある、シンドバッドはかわすことができたがその腕を受け止めることもできなかった。ジャーファル、ヤムライハも同様だ。



 ――名前、そんなことしないでよぉ、遊ぼうぜー?
 ――だめだよ、 そんなことしたら怒られるよぉ?
 ――いいっていいって、魔法の勉強なんてつまんねえよ
 ――そんなことないわ。たくさんの魔法が使えるってすごいかっこいいと思う
 ――そうかぁ?ま、名前はセンスもあるしなぁ。俺よりかはないけど!
 ――うるさいなあ!そんな事言ってると遊んであげないよぉ!


「……?」
 なんだ、今のは。

「名前、少しだけ体を休めましょう。私が側にいますから」
「あっ……はい、お願いします……」

 ジャーファルは名前の手を引き、部屋を後にした。
 シンドバッドとヤムライハは顔を見合わせ魔法陣を見下ろす。
 アル・サーメンはいつこの時も名前を狙っているということだろうか?答えはアル・サーメンしか解らない。シンドバッドは魔法陣をいつまでも見下ろしていた。冷えた目で。




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