色彩 | ナノ



「ッひゃあ!」
「おっ…と!」

 剣と剣がぶつかり合う音、振動でわたしの短剣は宙を舞い地面で回転しながら壁にぶつかった。身を低くし、右足に魔力を込め一気に解放しシャルルカンさんの剣を蹴り受け流されるも、左足で鳩尾を蹴る。ぐう、とシャルルカンさんは唸り、わたしはしまった、と思わず口に出して蹲る彼の元へ走って行く。
 シャルルカンさんは多少なりの加減をしてくれていたのにわたしとしたことが少し本気を出してしまった。魔力操作まで使う予定ではなかったのだ。

「すみませんシャルルカンさん、だ、大丈夫ですか…?」
「うっ…くう……」
「いっ医務室に!」

 しまった、骨が折れていたらどうしよう。青筋を立ててシャルルカンさんの腕を肩に回し銀蠍塔を後にした。
 よろけるシャルルカンさんをしっかりと支え医務室へ。驚く使用人たちに事を説明し、骨折はしないないか確認してもらい湿布を鳩尾部分に貼ってもらうようにした。しばらくシャルルカンさんはベッドで休み、彼の眠るベッドの側でわたしも少しだけ仮眠を取った。
 師匠がシンドリアから去って三日、ジャーファルさんの様子が可笑しくなって三日目。ジャーファルさんと顔を合わせなくなって三日目。だからわたしはこうして銀蠍塔で鍛錬をしているわけだ。師匠が魔力操作の鍛錬をしておけとも言っていたし、ジャーファルさんの様子が元に戻るまで鍛錬を続けるつもりだ。

 しかし、まあ、これ以上魔力操作が向上する見込みはないのだが。

「……げっ、いつまで寝てた」
「30分くらいです」

 うわーやっちまったなあーと頭を掻きながらシャルルカンさんは起きあがり、わたしの顔をじっと見つめた。

「なにかついてますか…?」
「あ、いや別に。よーしあと30分で修業時間だよな、よーし飲みいくぞ名前!」
「行きませんよ!何回断れば気が済むんですか!それから今日は安静に休んでください!」

 シャルルカンさんにこうして何度も何度も誘われ、断り続けているが別にお酒が嫌いなわけではないし、少しはいける口なのだ。しかし、あまり長時間飲むのは好きでないし、師匠の介抱に良い思い出がひとつもないから、これが理由だ。それにシャルルカンさんを見る限り泥酔するまで飲みそうだし…。

「他の人誘ってくださいよぉ」
「ピスティは今他国にいるだろ?となると今ここにいるのはマスルールくらいしかいねーんだよ、付き合ってくれる奴」
「ならマスルールさんとか…あとヤムライハさんとかスパルトスさんもいるじゃないですか」
「それが最近付き合い悪いんだよなー…」
「とにかく!わたしは行きませんからね」
「ジャーファルさんのとこに行くつもりなんだろ?」

 シャルルカンさんの言葉に心臓が飛び出る。この人なんで知っているの…?
 わたしはジャーファルさんと直接会話もしなくなったためこうして鍛錬が終わるとジャーファルさんがいる執務室へひっそりと身を潜ませて彼を見守るのだ。これを俗にいうストーカーというらしいが、わたしは決してストーカーをしている覚えはこれっぽっちもない。…………、ちょっとだけあるけど。

「マスルールが言ってたぜ?最近ジャーファルさんの後ばっかりついていくって」
「え?マスルールさんが?」
「っていうかアイツ最近、口を開けば名前のことばっかりなんだよなぁ……。もしかして…いやアイツに限ってそんなことはねえかな……」

 ぶつぶつと独り言を呟くシャルルカンさん。そしてそのマスルールさんとの鍛錬の時間が近づいていた。




 わたしは口笛を吹いて、最近仲が良くなったパパゴラス鳥を呼んだ。初めのうちは攻撃をしかけられたりもしたが、マスルールさんとの修行風景を見たからか最近はわたしの問いに答えてくれるのだ。今日もどこかにいるかわからないマスルールさんの所まで案内するように言うと、パパゴラスはケーケーと宙を舞って大きな羽を羽ばたかせた。

「今日はこっちかあ〜…毎回毎回転々と場所変えるから困ったものだよねえパパゴラス」

 まあ、パパゴラス鳥からしてみればそんな事関係ないのだろうけれど。パパゴラスの後を追いながらあまり見慣れない場所だったのできょろきょろと首を回しながら速度を上げていると、一瞬だけ光った何かがあった。わたしは立ち止まり、もう一度光の元を探す。とても綺麗な輝きだったのだ。まるでルフのように。わたしは茂みに入り光を探すと、茂みをかきわけて、雑草の下に光る青く透明の球状の玉を見つけた。

「(なんだこれ)」

 拾い太陽に翳してみると、わたしの指先から輝くルフが、飛び出してきたのだ。わたしは驚いて玉を落とす。

「ル、ルフが見えた…?」
 もう一度拾い、太陽に翳す。やはり、ルフがわたしの指先から飛び出している。これは一体…。

「あっマスルールさんっ!」

 忘れてたっ!
 玉をポケットに入れ踵を返し急いで元いた場所に戻るが、生憎パパゴラス鳥はどこにも見当たらない。ここから自力で探すしかないようだ。叫べば来てくれるだろうか、マスルールさんはわたしより身分が上なのだ、わたしのような食客風情がそのような事をしてはいけない。
 肩の力を抜き、鼻で息を吐く。そして目を閉じて耳や鼻に神経を集中させた。

「名前」
「うぎゃ!……えっ!?マスルールさんどうしてここに!?」
「名前がいつまでもこないから探しに来た」
「あわわわわ申し訳ございませんマスルールさん……!」
「気にすることはない。別に大した事でもないし」

 最近になって思うのだが、わたしは身分の事をあまり気にしなくなったと思う。以前のわたしならこうしてマスルールさんへ友好的に自ら声を掛けることすらなかったのだろう。

「あ、マスルールさんよだれついてますよ?」
「? ああ……」

 マスルールさんが手でよだれを拭い、ボソリとやるか、と呟いた。

「はい!お願いしますマスルールさん!」

 最近はマスルールさんとも互角に戦えるようになったが、やはりさすがファナリスだ。普通の人よりも体力はあるし、動きはとても素早い。わたしが魔力操作をしてやっと得られる力を、マスルールさんはいとも簡単に使ってしまうのだ。ファナリス、過酷なものだったろう。
「はあっ」マスルールさんには蹴りが一番だ。他はあまり宛てにならない。魔力操作で手刀も作れるが、これはばかりはマスルールさんに傷をつけてしまう可能性がある。

「わたしもマスルールさんみたいに筋肉ムッキムキになりたいなぁ」
「それはだめだ」

 何故か少し、魔力が減っているような気がした。いつもより集中していないからだろうか。





 今日も汗をたくさん掻いてマスルールさんと一緒に王宮に戻って来た。さて、ジャーファルさんの様子でも身に行こうと、マスルールさんに手を振って執務室に向かう。
 執務室が近くなると、使用人たちが静かに執務室から去って行き、こそこそと笑いながら、わたしに一人の文官が話しかけてきた。

「こんにちは、名前様」
「はい、こんにちは。今日は一体どうしたの?」
「ふふ、どうぞ部屋にお入りになってください」
「え? うん…。わかった……」

 文官の言う通り、執務室の扉に触れて後ろを振り返ってみると、後ろには文官達が陰に隠れてフフフ…と不気味に笑っているのだ。一体どうしたことか。彼らを不審に思いながら扉を叩くが、中から返事はない。これも不思議に思い、扉を開けると、静かに寝息を立てているジャーファルさんの姿があった。わたしがプレゼントした羽ペンを力なく持ちながら。文官達はこの事を言ったのか…、ともう一度振り返ると、腕を上げ、いけいけ名前様!ゴーゴー!と力いっぱい応援しているのだ、これは、入らないわけにはいかないだろう。
 彼らに頭を下げ、執務室に入り扉を閉めた。

「(寝てる……)」

 ジャーファルさんが執務中にこうして睡眠を取っているところは初めて見る。クーフィーヤがとても重そうだったので、そっと外し、ソファーにあった布を背中に掛ける。一体この後どうすればいいか。山ずみにされている書類を一枚とって執務が終わったことを把握した。
 昨日結構量があったと思ったけど、頑張ったんだろうなぁ。そう思い、思わずジャーファルさんの頭の上に手を乗せ、起きないようゆっくりと撫でていく。
 玉の事はジャーファルさんやシンドバッド王に訊くのが一番だろうか。それともルフが見えるようになったし、ヤムライハさんに訊くのが一番なのか。しかしまあ玉を持っている時のみ見えるから、常に触れていないといけないというのは不便なものである。

 ジャーファルさんはまた濃い隈を作っているし、しばらくは寝させてあげたいな、と顔を上げた。どうせ今日も王が面倒事を増やしたに違いない。たまにはわたしもジャーファルさんの役に立とうと、頭から手を離そうとした時、がっしりと赤い縄が巻かれたジャーファルさんの腕、そして指がわたしの手首に食い込む。

「………」
「……ジャーファルさん…?」
「…ふう、やっと捕まえました。一昨日も昨日も隠れて私の事を見ていたでしょう?話しかけなくてはと思ったんですけど、あなたはすぐに逃げるから」

 うわあ、ばれていたか。なら次は本気で隠れてみようかな…、なんて思ったり。
 ジャーファルさんの手の上に手を置く。ジャーファルさんは不思議そうにわたしの顔をじっと見つめた。

「ジャーファルさんの様子がおかしくて、目も合いませんでしたし」
「それは……、そうですが」
「それに捕まえたのはわたしの方ですよ」

 勝ち誇った笑みを浮かべると不思議そうだった顔は、段々と頬に赤みを帯びて目を丸くし少しだけ開いていた口が閉じられた。ジャーファルさんはわたしが頭を撫でたことに気付いている。つまりはわたしが頭を撫でた時点で、彼を捕まえたということになるのだ。
 掴まっていてほしいならその縄で縛ってくださいよ、と冗談を言おうと思ったけれど、それを冗談ととらない雰囲気をどことなく感じたのでその言葉は胸にしまい、変わりに手を離した。

「あまり、他人との、その、性行為はあまりしないでいただきたい」
「……え? い、いきなりそんな」
「すみません、ずっと目を合わせられなかったのはこの理由です」
「しかし、目上の方の性交渉は拒むなと教えられました。拒んでよいものなのですか?」

 そしてジャーファルさんは遂に耳まで赤く染め上げた。はっきりと言いすぎたのだろうか…。クーフィーヤをかぶっていないジャーファルさんはわたしからすればとても新鮮で、表情がよく見えてとても気持ちがいい。
 あまりそういう類の会話は苦手なのだろうと考えたのだが、使用人たちの会話から王は飽きるほど夜伽をするだとか聞いたし、外交へ行き迎えにいったのはいいが現実妻が多発していたり……と、彼をよく知るジャーファルさんがこの事に首を突っ込まないわけがない。だとすれば慣れた会話であるのは確かじゃないか?いや、しかし、どうだろう……?

「いえ、そのですね……、改めてお聞きしますが、名前 あなたは私の事が好きなのですよね」
「はい」
「ですよね?それで、私もあなたの事が好き。ここまではいいですね?」
「はい。え?い、今なんと……?」
「あなたの事が好きだ。ここまでいいか。それで、」
「ちょ、ちょちょちょちょストップ………」
「これから大事なことを……」

 今度はわたしが顔を赤らめる番となった。手で顔を覆い、肩を震わせてジャーファルさんの言葉ひとつひとつを整理し、今確かにわたしのことを「好き」だと言った。わたしの幻聴でない、夢でもない。

「ジャーファルさん、わたしのこと……すっ 好きなのですかっ……!」

 決意を込めて問うわたしにジャーファルさんの表情は見えない。
訊かなければよかったという後悔が強い。好き同士だったらどうなるわけでもない。ただ互いに好きだというだけ。それで終わりのはずなのに、わたしは初めての感情に戸惑っていた。
 つまり、わたしと彼は恋仲だということだ。

「好きですよ」





「好きだよ名前、俺が持つ奴隷の中で一番。ハハ……嬉しそうな顔だなぁ」
「あ、主さま……!」
「でもあまり思いあがるなよ?お前は奴隷なんだから。ただ利用できるから好きなだけだっての」




「………、は……い…」

 そう返事をすると、ジャーファルさんはわたしの腕を掴み、少しだけ力を入れて立ち上がり、顔を覆っていた手を離す。
「名前…?」片方の腕から手を離し、わたしの目元に服の裾を持ってきて優しく涙を拭った。
 不安だった。師匠に好きだと言われた時は幸せに感じたのに、ジャーファルさんだと、なんでこんなに不安に感じるのだろうか。

「そんなに怖い顔をされると少し傷付くのですが……『好き』ではご不満で?」
「いいえ……、そんなことはありません。ただ、不安で」
「不安?」
「あ…あまり期待して…、悲しいと思いたくないからです……」

 傷付く?不安?惨め?悲しい?
 元主様がわたしに言った時のように、「悲しい」思いをしたくはない。好きだと好意を抱いていると、そう言ってくれた時は嬉しかった。本当に嬉しかった。でも本当はわたしを「奴隷」としか見ていなかった。自分の都合のいいようにしか見ていなかったのだ。
 ――ジャーファルさんが元主様と一緒だとは限らない。

「私も少し不安になりました。これで私も名前も一緒ですね」

 あなたと同じだから、少し不安も拭えましたよ。
 そう言ったジャーファルさん。彼は涙を拭ってくれた。

 優しい、彼は。
「嬉しい……」。


 ジャーファルさんは微笑んで、わたしにキスをした。




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