色彩 | ナノ



 エッチくさい。目の前にいる新しい主様のシンドバッド王に告げた辛辣なる一言。珍しく執務に取りかかっているシンドバッド王と書類を抱えるジャーファルさん、そして文官達は丸くて大きな目をこちらに向けた。
 シン…、とジャーファルさんはため息交じりに王の名を口にするが、シンドバッドは机を叩き立ち上がり、そんなことはしていないと言う。
それもそのはず。くさいのはシンドバッド王ではなくわたしなのだ。おそらくジャーファルさん辺りは気付いているのではないだろうか。昨日の昼間は師匠と飽きるほどセックスをしたのだから当たり前だ。服のにおいをスンスンと嗅ぎ、眉を顰めシンドバッド王らに背を向けて部屋から出た。
 二人に師匠を送り届けたことを伝えようと思って執務室に来たわけだが、ジャーファルさんの前でこんなニオイでいるわけにもいかないだろう。

「……ふう…。これからは一人でがんばれ、かぁ……」
 数十分ほど前の事である。





 港には船が出ていた。王が言うにはスパルトスさんが同盟国へ赴くついでに師匠を乗せていくのだそうだ。港に着いた師匠とわたしはたくさんの食糧を袋に入れ船に積み、支度が整ったところで一度船から降り向かい合わせに立った。師匠とこうして別れるのは初めてのことだったので、色々と言いたい事がまとまらずに「えっと」「あの」「その」を繰り返す。言いたい事がたくさんあって、何をまず初めにいったらいいのかわからないのだ。
 そんなわたしに師匠は溜息と同時に鉄拳を振りかざす。しっかりと鉄拳は頭に届き、わたしは頭を押さえながらしゃがみ込んだ。いつもの修行の風景と同じだった。

「いいか、ちゃんと布団かぶって寝ろよ」
「はい」
「それと、魔力操作のコントロールも鍛錬おけよ?まだまだ伸び代あんだからもったいねーだろ。あのくらいで満足してんなカス」
「は、はい…」
「それからお前はこれから一人でがんばれよ。もう俺みたいに助けてくれるやつなんて…そうはいないぜ。俺みたいに人に手を差し伸べるやつなんて結局は奴隷商人だったりするんだ。俺ァあのシンドバッド王もどうかと思うけどな。まぁ…名前が主って決めたなら仕方ねえけど。………あと!あの白髪童顔男は気を付けろよ!?あいつもどうせ暗殺者だったろ!信用ならねー!気に食わない!殺してやりかたった!」
「大丈夫ですよ師匠、王もジャーファルさんも良い方です」
「へっ どうだかな。……まあいいや。じゃあな。元気でな、名前」

 師匠が背を向けて歩き出す。これが最後?いや、師匠に抱きしめられた時、あれが最後だったのだから。

「名前」
「…はいっ」
「お前がつらい時、かなしい時、そばには誰がいると思う?答えはルフだ。ルフがお前を身守ってくれる。愛されている。そして…、俺も、お前のそばにいることを忘れるな」

「ずっと一緒だ」





 ほう、と息を吐く。師匠の事を考えると頬が熱を持って、思考が疎かになっていくのが十分にわかった。歩くスピードを除々に落とし、緑射塔に戻る道で止まる。わたしが顔を見せたから、王もジャーファルさんも師匠を無事に送り届けたことを把握しただろう。早く傷の手当てをやってお風呂に入ろう。
 今日は師匠を見送った後どっと疲れが襲ってきたのだ。今日くらいは気を張らなくたっていいはずだ。
 そうしてわたしが自然と頬笑み、頬笑みに気付いて口を手で覆った。さて、医務室に行こう、と踵を返すと目の前に筋肉が広がった。鍛え抜かれた身体、無駄のない筋肉、こんなに立派なものをもっているのは彼しかいない。

「マスルールさん」

 マスルールさんの名前を呼びながら上を向くと、彼は不振そうな顔をしており、どうしたんですか、と訊くとその顔を段々とわたしの方へ近付けていきスンスンと鼻を動かしていた。
 わ、やばい。ファナリスは鼻が良いんだ。と胸を抱いて一歩下がると、マスルールさんは眉間に皺を寄せる。

「いつもとニオイが違う」
「あっ……えっと、こういうのに関与しない方がお互いの為というか」
「血のにおいと……」

 そこでマスルールさんも気付いた様子。曲げた腰を元に戻し、ギンギンとした瞳をわたしに向ける。
 ん、ちょっと待て、とこめかみに青筋を立ててもう一度マスルールさんを見上げたと同時にマスルールさんはわたしの腕を掴み、自分の方に寄せて首筋に鼻先を当てた。鼻がいいのだ、血のニオイで紛れているとはいえ、自分でもわかるニオイにマスルールさんが気付かないはずがない。
 だ、だめだ!

「マスルールさんやめて!」

 耳元で大きな声を出すと、耳を押さえてヨロヨロとわたしから離れていく。

「(ああ、もう、バカ)ごめんなさい、マスルールさん」

 そう言って全速力でマスルールさんから離れ、医務室に向かった。チラリと切れている目がわたしのほうに向けられたことに気付いたが、ここで振り向くわけにはいなかった。師匠との事後だったのでまだわたしの中で疼いているのだ。あまり異性に関わらないようにしなければならない。
 角を曲がったところで速度を落とし、途切れる息を吐きながら数メートル先の医務室の扉を叩く。


「いらっしゃい」

 しかし椅子に座っているのは、ジャーファルさんだった。
 扉を閉めようとするがジャーファルさんはそれを止め、わたしの手を引っ張って中へ向かい入れた。さあ、ここに座ってください。とわたしをジャーファルさんが座っていた椅子に座らせ、服を掴み傷を確かめる。血が滲んでいるからすぐに箇所はわかったようだ。
 あまり深くはないと思う。深くはないと思うけれど、ジャーファルさんは心なしか傷を睨んでいるように思えて、傷を負ってしまったことに申し訳ない気持ちが生まれてくる。

「まったく、まずは傷の手当てでしょう。師匠殿が夜に発ってしまうからと焦ったようですがね」
「………ジャーファルさん、わかってるんですか…?」
「あんなニオイをぷんぷんさせて、わからない方がおかしいと思いますよ?」

 きゃあ、わたしのことを睨み始めた!
 服のボタンを外し傷の具合を見やすくする。ジャーファルさんが服を引き、段々と肩から服が退けていった。ガーゼを外し、パリパリと固まった血の音。そして伝う指の温度。
 毒が塗っていないのが不幸中の幸いでしたねと濡れ布で傷の血を拭い、新しいガーゼを棚から取り出した。

「どうでした、師匠殿は」
「あっ……いえ 久々だったので その えっと……」
「……違いますよ。師匠殿との別れは上手くいったか知りたかったんです」
「うえ」
「まったく。そんなこと知りたくもないですね」

 ジャーファルさんの声色に怒気が含まれていく。思わず顔を手で覆い、忘れてくださいと頼むが黙ったまま返事がない。

「………うまくいきました」
「それはよかった」
「……怒ってますか」
「怒ってませんよ」
「怒ってますよ…」
「なら謝りなさい」
「…ご ごめんなさい」

 覆っている手を太ももの上に乗せ俯きながらもう一度「ごめんなさい」と呟くと、傷を負っている肩に体重が乗っかった。ジャーファルさんだった。振り向くと、頬のわたしの髪とジャーファルさんの分けた前髪が当たり、クーフィーヤでそれ以上の進行が止まる。


「あなたの一番になりたい」


 ジャーファルさんが言う。

「あなたのすべてがほしい」

 わたしは笑って顔を元の位置に戻した。
 ばかな人だなあ。そんなことを呟いて、静かに深呼吸をして、ジャーファルさんのクーフィーヤに頭を預ける。


「ならジャーファルさんは、あなたのすべてをわたしにくれますか?出来ない約束はしないでくださいよ。わたしはあなたとずっと一緒にいれると思っていないし、いようとも思ってません。でも、あなたがわたしの救世主様になってくれたから、ずっとお慕いしておりますよ、ジャーファルさん。師匠とあなたは同じです」
「嘘だ、名前、きみは私を師匠と同等に見ていない」
「一緒にいた年月が違います」
「ならずっとシンドリアにいてください。ずっと私の側にいてください。あなたを知りたい。……護りたいんだ、あなたを」


 まいったなぁ…、そんな事思われていただなんて。
 わたしはジャーファルさんが好き。ジャーファルさんの言う通り、ジャーファルさんと師匠は、わたしにとって救世主であることには変わりがないけれど、でもどこか違うことはわかっている。

 変な人。シンドバッド王も変な人だと思っていたけれど、彼も十分に変な ばかな人だった。きっと彼は、今抱えている感情を初めて経験しているのだろう。

「変な人。ばかな、人」

 ジャーファルさんが救世主から、同じ人間なのだと感じた瞬間。わたしは彼をとても愛おしく感じた。




prev next