「パーフェクト!さすが我が弟子よ!」 涙を浮かべて笑みを浮かべ天を仰いだ。昨日の死ぬ気の斬り合いもあってか、二日目ともなれば自然と身に着いているものである。行動パターンの予測ができれば、あとはもう自然と身体が覚えてくれるものだ。魔法や魔力操作ではないのだから、見て動きを覚えればいいだけの話なのだから。試しに師匠と斬り合いをしたがどれも師匠に「パーフェクト」と手を叩かれた。 「えへへ…」 「よし、次は魔力操作に入るぞ」 「え? わたし、魔力操作をマスターできてなかったんですか…?」 「いや お前の魔力操作は完璧だが、もう少しコントロールを身につけられるんじゃねーかと思ってな。魔法使えなくなったし、その分溜めておける魔力の量が増えたってことだ。それを使わないなんてバカな事いわねぇよなあ?」 そういえばそうだった。魔法に使う分の魔力を使わないでいるからなのか、普段から魔力が多くなったと感じていた。以前、普段から魔法の修行をしていたから陽が落ちる頃には魔力も半分以下だったのだけれど、今はそんなことない。魔法の修行をしない分、魔力が余っているのだ。 「あの、わたし少し気になることが」 「なんだよ今ノリに乗ってきてたのに!」 「すみません…でも、そのすごく…まだ、王にもジャーファルさんにも言ってないことが…」 以前、口元を黒いマスクで追う男と接触した時に腕に小さな鋭い痛みが走り、痛みの部分からか根の生えた種が落っこちた事を伝えた。少し気がかりだったのだ。 これを聞いた師匠は青ざめた。そして大声を出した。そいつはアル・サーメンだった!と。その種がお前から魔法を消したのだと。ただ、確証するものがないから絶対ではいかもしれないと師匠からは考えられない、いつも自信たっぷりの発言とは裏腹で、心のどこかでホッとした。確実ではないから、違うかもしれないことをただひたすら願って。 「……だがそれが原因の可能性は高いな。ったくなんでお前はアル・サーメンに目を付けられてんだが…。俺ァ言ったろ!?お前の悲しい過去もつらい過去もすべて受け入れてやるって!」 「あっ そ、それは…そうなんですけど…」 「もっかい記憶、無くしてやろうか?二回目だから効き目はねえかもしんねーけど」 「…し、師匠が記憶を…?」 他に誰がいるって言うんだよ。とわたしの頭を殴った師匠。 そうか、そうだろう、あんなにつらい日々を忘れるわけがなかった。わたしが奴隷を買う権力者共をひどく嫌っているのに、奴隷時代の記憶が曖昧だったことも、これで納得がいく。 「なら師匠…わたしの奴隷時代の話聞いてくれませんか?聞き流してくれていいです。わたしにはやっぱり…その、師匠が、一番ですから」 泣き疲れて眠ってしまったのか、わたしは師匠の肩に頭を預けていた。師匠も腕を組みながら寝息を立てており、鍛錬の際に邪魔だと腰に巻いたマントを掛け、その姿を見つめた。近くにあった湖に顔を覗かせると、ほのかではあるが赤い目元にジャーファルさんは不思議がるだろうなあ、と湖の水で顔を洗い再度覗くが、まだ消えていない。 消さないで、と頼んだ。 奴隷時代の事を思い出し、そしてジャーファルさんはわたしのことを綺麗だと言ってくれた。奴隷だったことを告げても、彼は表情を変えないでいてくれた。わたしはとても、嬉しかったから…。だから少しずつ、この過去と向き合っていこうと、思ったのだ。 師匠の元へ戻ると、師匠はたくさんの鳥に囲まれていて、楽しそうにおしゃべりをしていた。師匠、と呟くと、鳥も一緒にわたしのほうへ視線を向ける。 「おう」 ああ、やっぱり師匠といるのは心地が良い。 ヤムライハさんとピスティさんに渡されたのはティーカップ。侍女と料理人が持ってきたのは茶葉。王宮に戻って来たわたしは師匠の隣で目が点になった。 え、これは、一体何?と訊けば、四人はニタァと笑って、料理人はわたしの背を押して厨房に入る。 「名前は女の子なんだから紅茶くらい入れられるようにならなくちゃね」 「あ はい…。でも一体どうして」 「いいからいいから!」 侍女や料理人に淹れ方を教えてもらえる時に気付いた。これはジャーファルさんがいつも飲んでいたお茶だと。わたしもジャーファルさんに淹れてもらって飲んでいたし、香りでわかる。しかしなんでまたいきなりこんな事を言い出したのだろう。 「最近四日も寝ずに執務に没頭してるのよ」というヤムライハさんの一言にわたしは目が点になるばかりか飛び出てしまった。え、四日も寝ずに執務を…?生真面目さが形となって現れたようなジャーファルさんだが、四日も寝ずになんて死んでしまう。わたしはよく知っている。(師匠との修行で七日間寝ないでいろという無茶ぶり修行を行った事がある) 「四日も飲まず食わずなんだよ?そろそろ死んじゃうんじゃないかって私達心配だったんだよお!」 「ジャーファルさんの性格からして終わるまで寝ないのだろうし…。でも息抜きも必要でしょ?」 「そ…そんな飲まず食わずに四日間も!?まるで師匠との修行みたいじゃないですか!死んでしまいます!わたしがそんなことさせません!」 「オーイお前の師匠ここにいるぜー」 「まかせてください!わたしがお持ちします!……わたしでいいんですか?」 四人声を揃え「もちろんです!」と姿勢を正した。わたしはトレーを持ち、表情を引き締め頷いた。文官達も困っているようだ。ジャーファル様が何も受け取らず目の下に濃い隈を育て手を止めずにぶつぶつと独り言を呟きながら執務を行っている。と。文官達も困り、同じ八人将が心配し、使用人たちも困っている。その人たちにわたしは「お願いします」と頭を下げられたのだ。行くっきゃないだろう! ドンドン!ガチャ! 「失礼します!」 「うるせええ!……って名前、あなたでしたか……あ、すみません足の踏み場ないですよね、今片付けるので…」 「いえジャーファルさん!ジャーファルさんは執務に専念してください!わたしが片付けます!」 ちげーだろ!!扉の向こうで一斉に聞こえてきた台詞を無視し、トレーを床に置き散らばっている紙を拾い脇に挟んでいく。どれもジャーファルさんが書いたのだろう。見慣れた文字の形。所々ぐしゃぐしゃになっている部分もある。 ジャーファルさんの前の机には紙の山がいつくも重なっており、その中にジャーファルさんはうな垂れるようにして頭を覗かせていた。 「あの…ジャーファルさん。少し休憩しませんか?」 「すみません休憩してる暇はないんです。昨日あなたと師匠殿の修行の時間を取り戻さなくてはならなくて…それだけでなくてもたくさん仕事が溜まっているというのに……」 「寝てないって聞きましたけど」 「寝ている暇さえ惜しくて」 「四日も飲まず食わずだとか」 「余計な事をしてる暇がないんですよ」 「お腹さっきからぐうぐう鳴ってますよ」 「気にしていたら仕事が進みません」 「………こりゃ重傷ですね。はーい一旦ストップでーす」 「ああ!なにするんだ名前!返しなさい!」 「…あっ これわたしが」 「ええそうですあなたがわたしにくれた羽ペンです返しなさい」 「休憩時間です!」 羽ペンを取り上げ背に隠し、片方の手で目の前にある紙を退け床に置いていたトレーを目の前に出した。勢いを無くしたジャーファルさんは椅子に座り直し、これは?と紅茶に視線を向けながらわたしに問う。紙を側に置いて、 「教えてもらいながら淹れてきました。どうぞ」 と、師匠がよくやっていた女性を落とす時の動作。手のひらを上にして紅茶へ指先を向ける。よく見てるでしょう? 「お口に合うかわかりませんが」 「……いただき、ましょう…」 ちなみに毒は入っていません。紙を踏まないようにつま先で立っている。慣れたものだから支障は特にないのだが、まあこれはこれで格好がつかないので気付かれないように足で紙を退けて踵を付けた。 本当だ。ジャーファルさんの目の下にはくっきりと隈が出来ている。昨日の昼間はそんなんでもなかったような気もするが…。ジャーファルさんの肌は真っ白だから余計に目立つ。昨日は陽の光で気付かなかったのかなぁ…。 「……あまり見つめられては飲みづらいのですが」 「あっ ハイ ごめんなさい」 「美味しいですよ。ただもう少し砂糖がほしかったかもしれませんね」 「! 次は砂糖を多めに入れておきます!」 「ええ。楽しみにしてますよ」 ジャーファルさんが笑うとわたしも自然と笑顔になる。最後まで飲みほし、ありがとう、と優しくお礼を言ってソーサーと一緒に、席を立ってわたしに手渡した。 「あの本棚の一番上の右の端に私が幼い頃読み書きに使った本があるのですが、今から読み書きの勉強をしませんか?」 「え?でもお仕事があるのでは」 「今は休憩時間なのでしょう?」 「休憩くらい羽ペンを置いて外の空気でも吸ってください」 そう言ってジャーファルさんの方へ振り向くと、笑みを浮かべていたジャーファルさんは次第に笑みを崩していき、食い入るようにわたしの目元を目で撫で始める。驚きながらもジャーファルさんの目に吸いこまれていくような不思議な気分になって、クラリと膝を折ると、 「泣きました?」 とジャーファルさんはわたしの目元に親指を添えた。 「……!」 「オイ………気安く名前に触ってじゃねえぞへなちょこ……」 「! しっ、師匠…!」 「………」 「オイそこの政務官!!」 ドアを蹴って登場してきたのは魔力操作発動中、しかも片手に短剣を握った師匠は地団太を踏み始める。 「テメェ…短い付き合いでよくも俺の名前に触れやがって…汚れちまったじゃねえかどうしてくれる? 三日三晩体の隅々まで拭き額に濡れ布置いてお粥を作っておぶって次の町まで歩いて暗殺者になるために俺のすべてを注ぎ込み二年とちょっと前はあんなにチッパイだったのも今では掴めるほどになったんだぞコラァアアア!!」 「待って師匠なんかちょっと後半おかしな方向になってるよ!? ぎゃー!みんな聞いてない!聞いてないよおお聞いてない事にしてぇえ!」 「…………ハッ」 「殺す」 「…えっ ちょっ なんで えっ ちょっと……!師匠」 「死にさらせぇ!」 「なんでわたしを投げるのー!」 宙に浮き勢いよく向かう先はジャーファルさんの腕の中。がっしりと掴んでもらいました。「ふう、乱暴な方ですね」とわたしを下ろしてから「まったく」と手で顔を覆い天へ向かせる。後ろのヤムライハさん、ピスティさん、使用人二人は壊れた扉の側に縮こまってこちらを見ている。おい、助けろよ。 くく、くくく、と手から零れるジャーファルさんの笑い声。それに反応した師匠はまたも地団太を踏んだ、二度も。 「あなたは知らないのでしょうね……名前が私に好意を寄せていることを」 「なっ………なん…だと……?」 「宮中ではもはや知らぬ者はいない。ええ、謝肉宴では大胆な告白までされてしまいましたから」 「ジャーファルさん…、それあなたがもうひとつくれと…」 「ふっふざっ…ふざけてんじゃねえ名前がテメェみたいなへなちょこを好きになるはずがねえ!俺みたいな強そうな奴を好きになるはずだ!真実を話しやがれ! 名前!」 「…………。……。本当です!」 「お父さんは許しません!」 「いつからわたしのお父さんになったのですか師匠!」 「名前、風呂に入るぞ」 「ええっ!? 一緒にですか!?」 「ったりめーだろ!」 「もう二年前じゃないんですよ!?…といっても一緒に入ってた期間なんてほんの一ヶ月程度だしわたしがまだ回復してない時で…!もう骨折もしてませんから!…あ、いや何度かあったけど」 「口答えすんじゃねえよ修行つけてやらねーぞ! 早く脱げよ!」 「だっ、誰か名前様をお助けしろー!」 使用人が叫ぶと即座にジャーファルさんが現れわたしと師匠を引き裂いた。師匠は拳を作り地面に穴をあける。 ジャーファルさんはわたしを背に隠し、右腕に力を入れていた。こんなところで戦ったら王宮が壊れてしまうじゃないか…! 「ジャ、ジャーファルさんこ、こここっここで戦わないでくださいね!?師匠あれ絶対本気出しますから王宮壊れちゃってジャーファルさんのお仕事増えちゃいますから!」 「チッ」 「(今舌打ちした…)」 もう一度師匠は地面に穴をあけた。あれは本気だ。全力で魔力を拳に溜めている…。 どうにか打開策をわたしのバカな脳みそ全部を使って考えているが師匠相手になるとすべてが無意味と化す気がして、あれもこれもすべての策が手持ちから無くなっていく。 「おい名前から離れろよ…名前が汚れるだろうが…」 「あなたのような変態の元へすんなりと手渡すと思いますか? それこそ名前が汚れてしまう」 「いいから離れろって言ってんだろうがコラァアア!」 「ああ唾を飛ばさないでください汚い」 「ペッペッペッ!」 「(ジャ、ジャーファルさんすげえ…師匠と対等にやり合ってる…)」 ジャーファルさんの強さを再確認できましたが、今はそれどころではないのです。わたしももう21ですから、同年代の師匠と入るなんて恥ずかしくてできないし…。そりゃあ昔は師匠のことをなんとも思っていなかったけれど…。あ、いや、でも、今でも師匠は師匠だから構わないんだけどおっぱいの話されてしまったしなんだか恥ずかしくって。アレが無ければすんなりと縦に首を振っていたのだが。 「………師匠…」 「っ!なんだ!」 「…おっぱい、触らないならいいですけど……」 「!? ちょ、ちょっと待ったァ!」 「おいおい負け犬の遠吠えだぜギャーッハッハッハ!」 「名前、アンタ、な……なに…を……」 白い顔を更に白くしジャーファルさんは首をギギギ…と音を鳴らしながらこちらに振り向いた。わたしは何かいけない事を言ったのだろうか…?長年奴隷だったことと、そのあと二年間師匠との修行の毎日だったから、わたしの普通と皆の普通は違うのかもしれない…。 主様、にも、師匠にも、二人は共通して「目上の人の言う事は絶対だ」と言い聞かせた。師匠の時は何度か反抗したりもしたが、やはり押しに弱いのか師匠がお怒りになると従ってしまうのだ。 ジャーファルさんは白目になりかけている。 「どうしたんですかジャーファルさん! あれ?返事がない!誰か医務室に!」 ジャーファルさんの肩を抱いて使用人に案内されるまま医務室に赴く。 遠くの方で師匠の大声が聞こえたが今はジャーファルさんが心配なのだ、構っている余裕はない。 だが、今、ジャーファルさんが少し笑ったような気も…、しなくも……ない。 |