色彩 | ナノ



 なぜわたしがシンドバッド王を主としたのかの経歴を簡単に説明しよう。
 わたしがまだ奴隷だった時の話だ。
 あの頃、わたしは12歳だった。主様からお金を預かり大事なブドウ酒を袋に詰められるだけ詰め込んでお城に帰ろうとしていた時だった。「オイ、邪魔だ」と後ろから大きな男がわたしを押し出して、いきなりのことだったので転んでしまいその拍子にブドウ酒が転がり、ビンが割れてしまい大半のブドウ酒がダメになってしまったのだ。わたしは泣きたくなったがこんな道の真ん中で泣くわけにもいかず、無事だったブドウ酒の入っているビンを拾っている時、横からブドウ酒を突き出された。
 わたしなんかに手を貸す物好きなんて、と思いながらビンを掴み、顔を上げると、ニッコリと気持ちの良い笑顔を作った青年が「これで最後か?」と訊いてきた。はあ、まあ、俯いて返事をした。あまり関わりたくなかったからだ。
 割れたビン、道に撒かれたブドウ酒たち。死を覚悟した。何をされるか、わかっていたから、拳を作って青年から離れようと踵を返すと、「ああ、待ってくれお嬢さん!」とまた青年に声をかけられた。
「これをどうか使ってほしい」と、渡されたのは金貨だった。わたしは口をあんぐりと開ける。
「これで残りのブドウ酒を買うといい」彼はわたしを奴隷だとわかったようだ。震える手でその金貨を受けとる。

「あなたは…」
「俺か?俺は旅人さ。しかし重いだろう?俺は近くまで運んでやるよ!さあ早くブドウ酒を買って帰ろう!」
「でも…」
「おつりは返してもらえばいい」
「でもブドウ酒は高くて…それに金貨を……」
「気にする事ないさ!ほら行くぞー!」
「えっ…あのっ……旅人様!」

 旅人様は挙動不審なわたしを平民のような目で見る事はなかった。彼は勝ったブドウ酒の大半を持って、自分の冒険譚をわたしに聞かせ、その冒険譚が本当であっても嘘であっても、どれもおとぎ話のようにしか思えなかったが、その冒険譚を語る旅人様の目は、今まで生きてきた中でとても輝く美しいものだと思ったのだ。
 わたしも自然と笑顔になった。遂には自ら冒険の話に割り込んで質問をするようにもなっていた。そしてわたしが常に笑顔を作る様になっていくにつれ、主様の城が近づいていくこととなっていたのである。

「……もう少し…、もっと…お話を聞きたかった…」
「…まだ、まだまだあるぞ!明日も、明後日もし明後日も、一週間じゃ物足りないくらい俺の冒険譚はあるんだ!」
「でも…わたし……」
「………」
「……あなたがわたしの主様だったら、よかったのに。そうしたら続きの冒険譚も聞かせてくれたのに…」
「…、よし、今から逃げよう」
「それはできない」
「なぜだ」
「わたしだけが奴隷じゃない。わたしと同じ奴隷がたくさんいるもの。わたしと同じように苦しんでいるもの。わたしだけが助かろうだなんて…そんな卑怯な真似……できません…」
「そんな。そんな事…」

「ありがとうございます、旅人様。わたしはこのひと時を忘れたりしません。とても幸せな時間でした。フルーツも、ありがとう、本当にありがとうございます旅人様!」



 と、まあこんな感じだ。
 あの時の幸せな時間をわたしは片時も忘れたことがない。本当に、本当に、辛く惨めな生活をしていたわたしにとって、その時間はまさに奴隷から解放された時の嬉しさに似ていた。冒険などした事がなかったし、まず冒険のぼの字さえ知らなかったのだから。


「何やら幸せそうですねぇ」
「そうっすね」
「…ちょっとニヤけすぎていて気持ち悪い気もしますが…」
「……そうっすね」
「…聞こえてますよお二方。それより一体どうしたんですか?何かわたしに用でも」
「ええ、シンがあなたを呼んでおりまして」
「王が?」
「はい。何やら大事な話があるとかないとか」

 ジャーファルさんが困ったような笑みを浮かべた。一体なんだろう。でも、ジャーファルさんが大抵この笑み浮かべる時はあまりよいことが起きない、という事をわたしはなんとなく知っている。


「………え、あ、はい?今なんとおっしゃいました…?」
「え?聞いてなかったのか?もう一度言うか?」
「いや結構ですが……なんでまたわたしが…?八人将でもないのに」
「バッカヤロウ!この前俺と手合わせした時の事を忘れたのか!」
「い、いいえ、それは覚えてますけど………、はあ!?ちょ、わたし承諾してないんですけどぉ!」
「いいや 名前、君は強い!八人将に劣らぬその戦闘技術を俺は評価しているし、ジャーファルやマスルールだって劣らぬと言っていたぞ!世は多数決で物を言わせる時代だ!…よって君は俺の御側付きとなりなさい!」
「拒否します」
「ええええええ!?」

 大体御側付きって、八人将いるでしょうが!!わたしのツッコミにシンドバッド王は机を思い切り叩き、叫ぶ。

「名前がいいんだ!!」
「我がまま言ってんじゃねーよおぉぉおお!」

 わたしは頭を抱えて突っ伏した。シンドバッド王がわたしに向かって言った台詞は
「近頃南海生物が活発化しているから、次出たら名前が仕留めなさい」だった。南海生物を仕留めるのは八人将の役目でしょう?それにその南海生物は大きくて強いって聞いたし、普通の一般的な戦闘力じゃ勝てないから八人将が招集されて始末するわけで…!

「王よ、わたし一人では絶対に無理です。魔法が使えたらわかりませんが…、大きな南海生物に傷を付けるのはわたしの使い慣れている武器では無理ですし…かといってあまり使い慣れていない武器を使うのもちょっと…抵抗があるというか……」
「いや、大丈夫だ!安心しろ!君はこの間マスルールと体術の手合わせをしていたな?その時魔力操作を使ってマスルールと互角の力を見せていたはず!そのマスルールも八人将!よって大丈夫だ!」
「いやいやいやいや何が大丈夫なんですか!?その自信はどこからくるんですか!?」

「王よ!南海生物が!」
「グッドタイミングだ!」
「うわーん!」




「今日の獲物は我が御側付きである名前が仕留めるぞ!」

 大歓声の中わたしは南海生物と対峙している。王より授かったこのそこらへんにあった剣を腰に付け、そこらへんにあった槍を背に付け、そして手には弓、矢筒は剣と反対の腰に付けている。短剣は腰に巻いた包帯の間に適当に挟んでいるわけだが…。如何せん重いわけだ。いや、跳べるっちゃ跳べるのだが。

「名前、大丈夫ですか?もし何かあったら私やマスルールがすぐに飛んでいきますので」
「いやあ本当に器用なんだなあ名前は!頑張れよ!」

 対照的な二人に耳を傾けないように南海生物を睨んだ。師匠に叩きこまれた武器の扱いをとくと見せてやる…!

「あーもうなるようになれッ!」

 地面を蹴って南海生物の真上へ跳んでいく。大口を開く南海生物の舌に弓を構え矢を射て、動く舌を抑え込んだ。そして予め短剣に透明で頑丈な糸を巻き付けておいたものを、手首に巻き付けており、短剣を片目に目掛けて刺し、南海生物が反った反動で、糸を切ってそのまま背中に着地した。

「ああやはり眷属器を持っていないんです無理があるのですよシン!」
「そうか?そんな事もないと思うぞ?ホラ」

 背の槍を構え魔力操作を始める。
「人間離れした魔力を持ってるくせに魔法が使えないなんてもったいねえ。オレが直々に魔力操作教えてやるよ。だが気合いねえと使える以前に会得できねえからなあ!」と一年とちょっと掛けて完全にマスターしたわたしの魔力操作の威力を思い知れ南海生物!
 槍の先に魔力を溜め、先を鋭く、そして長く、太く、大きく、一太刀で腹を抉れるまでに!
 振り落とされぬように足にも魔力を溜めた。

「(いける!)」

 しかし、南海生物が自らの体を地面へ叩きつけていき、その振動で足元がもつれ踏み外し、しまったと青ざめた時には、槍は地面を抉っていたのだ。
 宙に放り出された槍。着地し、仕方なく剣を構え、腰に付けているケースからチャクラムを二輪、指に通し魔力を込める。重力魔法が使えずとも、チャクラムで半分くらいは抉れるはずだ。
 南海生物が動きを止めると同時にチャクラムを腹に目掛け投げ、再三足にありったけの魔力を込め一気に地を蹴った。チャクラムが腹を抉り、その瞬間わたしの強化した剣は南海生物の首を真っ二つに切る。
 ボトリと落ちた首。そして一気に大歓声が湧きあがった。

「………やっつけ…られちゃったよ!」




「そういえば名前は初めての謝肉宴だよなぁ!たのしんでこーぜ!」
「ちょっと剣術バカ、名前から離れなさいよ。名前こっちにいらっしゃい!楽しいことしましょ!」
「あーん?」
「なによ?」

 あ、本当だ。ジャーファルさんの言った通りだ。
 二人の取っ組み合いの喧嘩を眺め納得するように頷いていると後ろから肩を抱いてきたシンドバッド王が「大賑わいだな!」と顔を赤らめていう。大分酔っておられるようだ。

「そうだ、名前ー!」
「あ、ピスティさん」
「いいからいいからちょーっとおいでよぉ!」
「え?はあ…なんでしょうか」
「こっちこっち」

 ピスティさんに手を握られ、半ば無理矢理その後ろに付いていくと、そこには綺麗な女の人が着飾り花を配っていた。とても綺麗な女の人達に口を開けていると、ニヤニヤと笑ったピスティさんがわたしを押しテントに入って、事前に用意していたのか、「まあ、名前様!」というアミナに更に口を開けてしまった。
 アミナも着飾っている。そして「名前様も早くお着替えになりましょう!」と嬉しそうに言った。

 ……でも、

「…ごめんなさい」
「え?」
「恥ずかしがる事ないんだよー?名前は今回初めての謝肉宴なんだしもっとノリ良くいこうよ!ねー!」
「……あ、その、そういう事ではなくて……ご、ごめん、なさい。本当に…」

 わたしの体がもう少し綺麗だったら…。
 ごめんなさい。と何度も続けて、包帯で隠している右の腕にそっと手を添えた。
 初めて体に残る傷を作ってしまった14歳のあの頃。剣で腕を切られ、自力で治したのだが一生残る傷になってしまったのだ。わたしはこれが恥ずかしい。だからいつも腕が隠れる服装をして傷を隠していた。生々しい傷痕だから、あんなに露出した格好できないし、わたしの体はボロボロだからなあ…。
 でもいいなあ。羨ましいかも。
 わたしは一生こんな楽しい宴の場に席を置く事はないと思っていた。こんなに楽しい思いをできると思っていなかった。
 わたしが奴隷だと知っている人物はシンドバッド王とジャーファルさんのみ。まだ、まだ奴隷だった事を打ち明けられる時期でないし、できるなら、知ってほしくない。

「最近ジャーファルさんが美味しいお菓子いっぱいごちそうしてくれるから太り気味で…お腹ブヨブヨじゃあやっぱり恥ずかしいから、ダイエットしてからにしようと思って!」

 えぇーと頬を膨らませるピスティさんに、ハッとして目を丸くするアミナに頭を下げると、アミナはわたしに三つほど花の輪っかとお面を手渡してきた。

「それならば、これくらいはさせてください」
「え?」
「三つしかありませんので、どうかあなたの大切な方々に」

 胸の前に突き出される花の輪っかを受け取って、ありがとうと言ってテントから抜け出した。
 大切な人にかあ…。そんな小さな呟きと共にわたしの前にはたくさんの人だかりが出来ていて、顔が真っ赤のおじさんやおばさん、おにいさんやおねえさんが天に向かって叫ぶ。

「おお!今回の主役の名前様だぞお!」
「キャー名前さまー!」
「うわぁ!…え、あ、ちょっとおじさん…酒くさっ!おばさんもおねえさんも酒くさっ!」

 楽しそうに片手にコップを持って盛り上がっている中にわたしは入ってしまって、もちろん初めてのことだったから渡されたコップを両手で持ってオロオロと辺りを見渡した。名前様、名前様、と皆は嬉しそうに、そして楽しそうに踊りを踊ったり歌を歌ったりしている。一ヶ月過ぎただけ、なのにわたしはこの国の一人として、この地に立っているのだ。
 奴隷のいないこの国に。
 みんなが幸せなこの国に。

「そういえばぁ名前様?この花は誰に渡すんです?」

 若いおにいさんがわたしの隣にやってきて花を指差して言う。

「それ、お面をかぶって渡すものなんですよぉ?もしかして渡す相手いないとか!んなぁら俺がひとついただいてもよろしいですかー!」

 完全に寄ってるなこの男…。

「お面をかぶって渡すものなんですか?これ」
「でも名前様お着替えしてないじゃないですかぁ。なんなら俺着替え手伝いましょうかー!」
「あ、いえ、渡す方はいるので…!どうぞみなさんで楽しんでください!わたしの分まで!」
「名前様ー!」

 会場一致でわたしの名前をコールしながらの踊りが始まった。八人将でないわたしにこんなにも良くしてくれるだなんて…。こんな嬉しい気持ちになったのは、久方ぶりだ。いや、一ヶ月前にも感じたものなのだけれど。でもやっぱり、わたしがこうして普通の生活ができて、普通の人と普通に話せることが嬉しくて仕方がない。
 賑わいから遠退いてシンドバッド王の元へと向かった。お面を付けてシンドバッド王の姿を探す。

「……女の人がたくさん…」

 ムッとその光景を睨みつけるがシンドバッド王は陰に隠れるわたしの存在になど気付いていない。しばらくその光景を見つめていたのだが女の人が退く様子はない。短い溜息を吐いて、その場に花の輪っかを置いて去り、次の人物を探した。

 階段を上がり、クーフィーヤをかぶりながら酒を嗜んでいる彼を見つけた。隣にはマスルールさんやシャルルカンさん、少し席を離れたところでヒナホホさんがいる。
(二つしかないのにどうしよう…)
 本来ならあの場にいる皆に花を渡したいところなのだが、何度見たってわたしの手には二つの花の輪っかしかない。
(あ…、でもお面してるから皆に気付かれずにジャーファルさんだけを呼びだせるかもしれない…!)
 ともなればすぐに決行だ。お面をしっかりと整えてジャーファルさんの元へ走って向かい、談笑している場に入っていくとその場にいる皆は口を開けてわたしを見ている。気付かれてない、大丈夫だ。

「えっ、あ、えっ…?」

 ジャーファルさんの腕を掴んで階段を下り、人気のない場所に移動すると、目の前のジャーファルさんは目を丸くしてわたしを見下ろしていた。持っていた花の輪っかを両手で持つと、ジャーファルさんはわたしの目線の先まで腰を下ろしてくれて、素直に輪っかを首に掛けることができた。とても間抜け面だなあ。そしてお面を外してジャーファルさんの名を呼んだ。

「ふふ、驚きました?」
「………くっ…!」
「?」
「あはは…!ふふっ、ふふ…!」
「えっ…?あ、やだ…もしかして渡し方間違えてましたか…?」
「ち、ちがっ、違いますよ…!」
「じゃあなんで笑ってるんですか!」
「だって…その服装なんだから、あの場にいた全員が名前って解りましたよ?」
「……あっ…!」

 そうだった…! 顔が赤くなっていくのがわかる。恥ずかしくなってお面で顔を隠すが、まだ少しだけ笑っているジャーファルさんに外されてしまった。片手で顔を隠すが、それも外されてしまい、その拍子に腕に挟んでいた花の輪っかが落ちてしまった。


「ありがとう。とても嬉しいよ」


 わ、わあ…。

「…それは誰に?」ジャーファルさんは落ちた輪っかを指差して言う。
「まだ決めてません。渡そうって決めたのは王とジャーファルさんですから…」

 捨てるのも勿体ないし、と付け足すと、ジャーファルさんは落ちた花の輪っかを拾いわたしに手渡した。

「なら、これもください」
「え?あ、いいですけど…」
「あなたが王に仕えるようになって頑張っていることはここの宮殿にいる皆、十分にわかっていますよ。あれほどバカにしていた読み書きにも興味を示してくれるようになったし、なにより自ら積極的に色々な人に声をかけるようになった。あなたが暗殺者だと知らない人ばかりなのに…。でも、そんな自分のイメージを消したくてそうしてるんですよね?大丈夫ですよ、あなたが頑張っていることを私は何よりわかっていますから」

 ジャーファルさんが腰を落としたので、わたしはもう一度首に花を掛ける。

「名前、これの意味わかりますか?」

 首に掛かった二つの花の輪っかを持ってジャーファルさんが言い、わたしは首を横に振った。

「“あなたの事をお慕いしています”という意味なんですよ」
「―――あ、ああやだジャーファルさん…!」

 それでは皆に自慢してますので。と踵を返したジャーファルさんは3、4歩歩いた所でくるりと上半身をこちらに向けて、

「次の謝肉宴では綺麗に着飾るあなたを見てみたいものですね」

 と、言って階段を上がって行った。
 顔の火照りが収まらない。
 次の謝肉宴では、ちょっと着てもいいかもしれない、と思って、腕の傷へそっと手を添えた。




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