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「やっだあ真太郎ってばまさかわたしがエンコーしてるわけないじゃん」

 手を胸の前で振って目の前の巨体に否定するも、幼馴染の真太郎は眉の皺を濃くしていく一方だった。

「いや、俺がお前を見間違えると思うか?」
「え?友達がわたしに似てる人見た、とかよく話聞くけど、話聞く限り本人じゃないんだもん。それと同じ」
「あれはお前だった」

 そう断言する真太郎の背中を叩いた。
 彼はバスケ部に所属している、3Pシュートが得意な選手だ。中学の時から熱心に部活動に精を出す真太郎の側にはわたしが紫原に貰ったお菓子を食べながら眺めているのが日常だった。懐かしい記憶も段々と薄れていくのはわたしの仕事の関係上仕方ないのかもしれない。
 わたしの自転車をこぐ真太郎の背中は中学生の時よりも、たくましくなっていって、こうして近くにいるのに距離を感じていた。下り坂になって真太郎の腰に腕を巻き付けた。コイツ、すごい天然で鈍感だからこんなことしても特に何も反応がないんだよね。バカなのコイツ。ドキドキもしてないの、コイツ。

「わたし、中年親父とか嫌いだし」



 バイト先のバックルームには地下に続く階段がある。そこには友達にも、もちろん親にも言えないような仕事をしている人間が住みついている。じめじめした気温に、やらしい雰囲気。女の喘ぎ声にパンパンと肌と肌がぶつかる音。カチャ、カチャ、と銃をいじくる音。
 「バイト」を終えたわたしはもう一つのバイトの為にバックルームの階段を下りる。ドアを開けると、ボスと中井さんが机に座ってお酒を飲んで、ソファーには赤司が足を組んで座っていた。

「誰がセックスしてるの」
「遠藤の奴また女連れ込みやがった」

 ライターの火が煙草の枯れた色をしている葉っぱを燃やして赤司がその光景に眉の皺を寄せた。灰皿には本日何本目になるのかわからないくらい煙草がぐしゃぐしゃになって積まれている。
 無口な中井さんはわたしに一つの資料を手渡して、一枚目を捲る。ボスや中井さんが渡してくる資料には、悪い人しかいない。表で犯罪を犯せない人達をわたしや赤司にこうして資料を手渡してくる。といっても、大統領とかそういうお偉いさんじゃなくて、警察が目を離している、そういう人を。

「…今日はしなくていいの?」
「昨日やったろ。それに上のバイトも頑張ってたしな」

 紫煙を吹かしながらボスはわたしの方に振り返り、言った。赤司はボスからわたしへ視線を変えていて、フッと笑う。そして膝の上にあったニット帽をかぶってショルダーバッグに銃を入れた。

「いってらっしゃい」
「いってくるよ」

 赤司はニット帽を深くかぶった。階段を上っていく赤司の後姿を、その背中が見えなくなるまでずっと見つめて、資料を鞄の中に詰め込んだ。

「じゃ、わたしも帰る」
「夜道は気をつけろよ」

 誰に護身術習ったと思ってるんだよ。「はいはい」とテキトーに返事をして赤司の後に続いて階段を上った。
 上はレストランを経営している。といっても、ちっちゃい、通な人がくるようなレトロなレストラン。人は常連さんが多くて、今日は久々に初めて見る人がいて、その人にセクハラをされたのだ。食器を片付けていた赤司が反応し、こちらに来る前にわたしの先輩である遠藤さんがソイツを店の外へ出してくれた。ボスはこの事を言ってるんだろう。まあ、遠藤さんが助けてくれなくともわたし一人でどうにかなったわけだけど。遠藤さんには感謝してる。

「お疲れ名前ちん、またねー」

 バックルームで椅子に座ってお菓子を食べている紫原が手を振る。

「うん、また明日ね」

 紫原は、唯一わたしと赤司の仕事について知っている友人だ。


 ふーん、そうなの、かっこいいじゃん。そう言った2メートルを超える友人は人の死をわかっていないからそう言えるんだな、と思った。まいう棒をぼりぼりと食べる紫原に、バックルームで話していたわたしと赤司は気が緩んでいて、「仕事」の話しをしてしまっていた。というか、紫原はまだ仕事中のはずなのだ。目が点になるわたしと、少なからず慌てる赤司。紫原は最初から最後までわたし達の話をしっかりと聞いていた。
 赤司が「今のは、内緒だぞ」と言う。少しだけ声が震えていた。それに紫原はこう答えた。

「ふーん、そうなの、かっこいいじゃん。内緒にしていいの?」

 と。赤司も当然驚いていたが、段々と口角を上げて「そうだ、人を殺すのは、いけないことだからね」と言った。ふーん。そう答えた紫原は、まだわたし達の秘密について、仲の良い皆には喋っていない。だからわたしも赤司も安心しきっている。大丈夫なのかなって思うけど、赤司が大丈夫っていうなら、大丈夫だから。
 裏口のドアを開けた。顔を上げると緑の髪の毛がちらつく。

「あ」

 赤司もここから外に出たんだと思うけれど…、まあ大丈夫だろう。こんなことはよくあることだ。
 自転車を引きながらこちらに近づく真太郎。口は開かない。

「どうしたの?」
「まっすぐ家に帰るよう、迎えに来た」
「えー」

 笑った。エンコーなんてしてるわけないじゃん。そう言ったら真太郎はムッとしてわたしの鞄を掴んで無理矢理籠の中に入れてわたしを無視して思い車輪を動かした。「ねえ後ろ乗っていい?」と訊くと、疲れた、と言った彼はサドルには跨ろうとはしない。
 家に送ってもらったのに、すみませんねえ真太郎。そういうと彼は溜息を吐いて自転車のライトを付ける。
 真太郎が引いているのはわたしの自転車で、真太郎は家からここまで歩いてきたのだ。ならむしろ乗って帰りたいに決まっているし、こうして歩くのは億劫だろう。

「わたしがこいであげよっか」
「バカかお前は」

 パコ。可愛い音が似合う叩き方で頭を叩いてくれた真太郎。街灯の灯りでその表情が伺えた。いつもと変わりない真太郎だった。赤司が私服なのに、わたしの制服姿はどう思っているのだろう。きっと、「やあ真太郎。名前を迎えに?」とかなんとか話したに違いない。ニット帽を深くかぶった赤司の姿が想像できた。
 十時半。親のいない家に帰ってもなんにも支障ない。

「やっぱり、こぐか」
「…だよねー」

 真太郎がサドルを跨ぐ。わたしは真太郎の肩に手を置いた。

「あーっ寒くなってきたなー」
「耳元で騒ぐな鬱陶しい。冬に近づいてきたのだから当たり前なのだよ」

 ペダルに体重をかけた真太郎は、少しの傾斜の坂道のためにわたしの腰を支えて一気にのぼった。「片手で平気なの?」「バスケ部をナメるな」室内競技じゃないですか!とは思ったけれど、それは心の中にしまって真太郎の服を掴む。
 優しい。大好き。そんなことを言うことさえ許されないから、言わない。本当は言いたいけれど、言えない。

 冬の香りがする、10月。