南部プラネタリウム | ナノ


「え?うん、わかった。一日二日くらい大丈夫だよ。…いいよ全然、わたしなら平気だから」
 この学生ニートと代名詞される生活はなぜかすぐに慣れ親しんでしまって、学校のある平日の生活を忘れそうだ。市外の学校に通っている弟は朝、眠い眠いと吐きながら自転車をこいで駅に向かっているだろう。隣町全体が閉鎖区域となってしまい、弟の通学路の中には隣町が含まれており、仕方なく電車で通っているようだ。はじめのうちは自転車じゃなくて楽だと言っていたのだが、二週間目を過ぎた途端に時間に縛られるのはいやだと言っていた。
 この家にはわたし以外誰もいなくなる。だがこれが普段となんら変わりないから、心配するお母さんにちょっとだけ「面倒くさい」と思ってしまった。
 テレビを付けると、朝から紛争の話題で持ち切りだった。外国のニュースだったが、日本と同盟を組む深い関わりを持つ国だということと、その紛争に敗れたのは同盟国であって、日本の経済に支障をきたしてしまう、ということだった。今更どう経済が変わってもどうということではない、という者に、専門家や政治家は反論していた。もちろん、わたしはよくわからない。自分の国のことを、裏の裏まで知っているわけではないから、どうこう言ったところで専門家や政治家に反論を買うだけだから。
 今日はちょっとだけおしゃれに喫茶店にでも行こうかと現在の午後13時45分を確認して、簡単に着替えて日焼け止めを塗り、外に出た。
 カンカンに照りつける太陽は真上にあって、お昼時ということもあって日差しは最高に痛かった。肌に当たる日差しがジンジンと痛みを増やしていく。犬の散歩をしている近所のおばさんは犬と一緒に暑さに口を開いていた。
「いい近道ないかなあ…」
「どこにいくつもりだ?」
「駅前の喫茶店に行こうと思うんだけど駅に続く道はたくさんあるからどの道使えば早くつけるのかなって」
「それならあっちの道を使うといい」
「そうなんだあ、あり……え!?」
 振り返ると腕を巻くっておかしそうに口元を緩ませているバダップさんがいて、思わず身構えると「なにも取って食おうとは思っていないが」と腕を組んだ。軍人さんの服はとても暑そうだ。バダップさんも額に汗をかいていて、近くにいくとむんむんと熱気が伝わってくるようだ。
「…今日はきみに会える気がした」
「わたしに?」
「あれから3日経ったろう。一体どうしてるかと昨夜考えていて、ふと、きみに会える気がすると思った。やはり俺の感はあたっていたらしい。…しかし、案外落ち着いているみたいだな」
 友人の件を言っているのだろう。わたしは、「ええ、ずっと落ち込んでいるわけにもいかないし、実はまだ実感がわかなくて」と返した。
「というかなんで駅前の喫茶店の場所知ってるの?」
「軍人たるもの、地形に無頓着で戦場に飛びこめると思うか?地形を把握してこそ、敵と対等に戦えるものだと思っている。それから作戦もたてやすくなるだろう。」
「ここは戦場じゃありません!」
 そうか、そういうものか、とバダップさんは小言を吐いて、わたしの後ろに突っ立っている。
 え、一体何がどうなっているのだとバダップさんの行動をまじまじと見るが、バダップさんはわたしの視線を気にも留めずに、わたしをじっと穴が空くくらいに見つめている。服装が変だったのだろうか、それとも太った?二の腕を確認し太ももからつま先にかけて確認するように見下ろした。
「もし、支障がないのであれば、俺も行動を共にしても構わないだろうか」
 わたしから出た一声はバダップさんを驚かすものだった。
「その服装でですか?」




「…ここは喫茶店ではないようだな」
「だってその服装で喫茶店とかおかしいでしょう?そういう時はファミレスでぐーたらしてたらいいの!」
「長時間いる暇はないんだが…」
「つべこべ言わないで!わたしサラダとドリンクバーにするけどバダップさんはどうする?」
「なら俺もそれでいい」
 どうやらバダップさんはこういうファミレスには入ったことがないようだ。軍人だからなのかもしれないけれど、小さい頃に入ったことは、あるんだろうか。氷がたくさん入っている水を一口飲んで、サラダにドリンクバーを頼んだ。
 店内には小学生から中学生、高校生に大学生に、井戸端会議の第二ラウンドできているおばちゃん達に赤子を連れているお母さん、様々な年齢層が揃っていた。
 まず、バダップさんの軍服では、最近は軍人がやってこないこともあるし、見たこともない軍服だったので周囲に注目を浴びていたのをわたしは知っていたので、あまり目立つことのないジャージ姿を推してみるが、バダップさんはそれは恥ずかしいと言った。そしてバダップさんは近くにあった洋服店に入ってTシャツを買い、上着を脱ぎTシャツ姿になった。これならあまり目立つことはないだろう、と言って。
 そして今現在ファミリーレストラン。バダップさんはあまり目立たないと言ったが、十分目立っていた。けれど人の視線はすぐにバダップさんから離れていって目の前にあるおいしそうなケーキやステーキに戻っていたので、確かにバダップさんの言う通りになっている。
「軍人さんってまず何をするんですか?」
「俺の場合は朝五時に起きて1時間ランニングをする。そのあとはトレーニングルームに30分、射撃訓練に30分、そのあと朝食を取り、図書室へ行って授業が開始されるまで兵法を学ぶ。昼になったら昼食を食べてまた授業、夕方はもう一度射撃訓練とランニングをして夜は読書をして寝る」
「………え!?バダップさん、軍人さん、ですよね?」
「いや、士官学校に通っている。といっても、もうほとんど軍人との扱いには変わりはないが」
「それじゃあ何歳?」
「19になる」
「それじゃあわたしとあんまり変わらないんだ…もう少し大人かと思った…」
「俺も、少し驚いたな。きみはもう少し子どもに見えるが?」
「ばっ、ばかにしないで。…バダップさんなに飲みます?持ってきてあげるから」
「任せよう」
「なんでも人任せなんだから」
 席を立ちあがってドリンクを取りに速足で向かった。かわいくオレンジジュースにしてしまおうと氷少しにオレンジジュースをたっぷりと並々までいれてストローをさす。これでどうだ!と言わんばかりにバダップさんの目の前に置くと、バダップさんは「零すなよ」と一言だけでかわいくコップとストローをもって静かに吸っていく。
「それより自分のはどうした?」
「あ!」


「もうそろそろ出るとしようか」
 手元に置いた携帯を確認すると、ここに来たのは二時間前の14時、今は16時24分。二時間近く話していたことになる。長時間いる暇はない、といいつつもバダップさんは長時間暇を持て余していたことになる。よかったのだろうか、と今更になって申し訳ない気持ちを持つのだが、バダップさんは季節のケーキをつっついて小さくフォークで切っては口に運んでいる。横にはオレンジジュースではなくコーヒーが。一応、そういうデザートの楽しみ方は持っているようだ。
「長いこと居たね」
「…そうだな。もう遅いし家の前まで送ろう」
 わたしが取る前にバダップさんはレシートを持ってレジに進んでしまった。わたしから誘ったのに、これまた申し訳ないと後ろをついていき、支払いが終わったところでドアを開けわたしを待つ。
「バダップさん、すごく紳士って感じがするんですけど」
「…そうか」
「ドリンクバー言って戻ってくるときすっごく目つき悪かったけど、話してみるとすっごく優しい目つきになるし…」
「すまないな……、何が言いたいのはまったく予想ができない。またお菓子でも買ってほしいのか?」
 い、いやあ、そういうわけではないんだけど。小さく唸るわたしの喉に、バダップさんは黙ってわたしの顔をじっと見つめる。顔が熱くなり視線を足元に移動させて口を固く閉じる。バダップさんはこの行動の意味をわかるのだろうか、そうならばぜひとも教えていただきたい、わたしにはあまりこの感情がわかっていないのだ。恋でもなく、好意でもなく、恥ずかしさでもなく、なんと言おうか、不思議な感じ、といったらいいのか、そうでないのか。
「何もほしいわけじゃなくて、伝えたかっただけだから」
 機嫌を伺いながら言い、表情を確認しようと思ったけれど視線は下のまま動かなかった。
「……あり、がとう」




 コンコン
 お母さんが友達の家に泊まりに行くって、と弟にメールを入れると「俺も友達んち泊まるから」と帰ってきて30分、お風呂を洗ってご飯を炊いて、今日は何を作ろうかと腕を組んで悩んでいるところに家のインターホンがなった。
「誰だろ…」
 弟の友達だろうか、それともお母さん?わたしの友達?しかし家に来る、なんてメールは貰っていないし、家の近い友達なんて、死んだ友人以外誰もいない。弟の友達はなんだか苦手なんだよなあ。と渋々ちぎっていたレタスをボウルに置いて水を止める。急いで手を拭いて玄関へ向かおうと顔をあげると、ドンドンと何度も強い力でドアが叩かれた。
「(不審者だよ絶対…!)」
 インターホンとドアが叩かれる音に加えてドアノブを押す音まで増えた。家に一人でいることがこんなにも怖いと思ったことはない。バダップさんとは違う軍人さんがわたしの家のインターホンなどを鳴らすわけもないし、人を殺しているような不審者がこの家を狙うはずも、ない、わけでもないが…。
 出ないことを決めて再びレタスに手をつけるが、玄関の音は続く。こういうのは気になる性分なのでやはり手を離し、護身用に震えながら包丁を掴み玄関に近づく。小さな穴から確認をしようと覗くが視界は真っ黒なにも見えない。
 やはり出ないほうがいい。向こうが諦めるまで待つしかない、と包丁を下ろそうとした時だった。鍵が空き、飛び込んできたのは深緑の色を帯びる服を着た、バダップさんだ。
「名前!」
 声を出る前にバダップさんはわたしを抱いてドアを閉め部屋の中へ入っていき、リビングにつき、バダップさんは胸の内ポケットからピストルを出した。
「バダップさっ」
「伏せていろ!」
 頭を伏せられバダップさんは荒息遣いで神経を研ぎ澄ましていた。ピストルで机を叩き、相手を威嚇してるかのように、一度叩いてから二度叩く。しかし相手が出てくる気配はない。
「…どうして」
 ここに、と言う前だった。バダップさんは床に発砲し、胸ポケットにあったナイフを窓に投げつける。鋭く光ったナイフは黒い影を捕まえたのだ。バダップさんは焦点を合わせピストルを黒い影に向けた。
「アレグリ?」
「違う。もっとタチの悪い化け物だ」
 緊張した空気が続く。
「…音はまずかったか?」
「……まずかったかもしれない」
 ガヤガヤと外から人の声が聞こえてくる。ベランダ側から人影が見え、わたしがあっと言う前にバダップさんは動き出し二階に続く階段に上がっていく。わたしも後ろをついていき、バダップさんは弟の部屋に入り窓を開けた。
「ナイフで刺したから安心できるが、もし家に入ってくる者がいたなら諦めたほうがいい」
「なぜ?」
「あの黒い影は『セルス』といって人の中に入り込んで細胞を殺し、人として生き、そしてまた別の人へと移る。あれは『セルス』の本体というわけだ。あの影を直接攻撃すれば確実に殺せるが、あれは死ぬ直前に黒い液体をまき散らし、それが体についたものは死んでしまう。」
「でもバダップさんも殺そうとしてた」
「避ける自信はあった。何度も避けている。もちろん君も助ける自信があった。だから殺そうとした。しかし何も知らない人間はあの影に興味を抱いて近づきそして死ぬ。」
「近所の人が入らなくとも警察が来て入るかもしれない」
「もうあの部屋にはガスが溜まっている!液体の飛んでいく範囲に充満するんだ!」
「………、これからどうすればいいの?」
「…俺と、一緒に来てほしい。安心しろ、俺が…、」
 バダップさんはそう言ったあと、左ポケットから携帯を出す。
「すまない、指令だ。今ここで起きたことを無しにはできないか?…セルスはそのままでいい。…もちろん、彼女の記憶もこのままでいい。一般市民の今起きた事件を、無くしてほしいんだ。ああ、わかっている。セルスを殺せば何ポイントか入るだろう?それまで待つ。死ななかったら、死ななかったで、また対処するさ。」
 ゆっくりと耳から携帯を離し、わたしを見下ろすバダップさんは緊張した表情だった。
 それを和らげようと、わたしは精一杯笑って、「マンガのヒロインにでもなった感じ」と震える声で言うが、バダップさんは眉をハの字にして「…呑気だな」少し怒ったような口調で言う。
「バダップさん軍服だから疑われて発砲したって捕まっちゃうね」
「君を助けた俺を助ける作戦を、考えてはくれないか?」
「…うーん、そういうのは軍人さんであるバダップさんが考えるべきだよ」
「こうなるのなら一発で殺しておけばガスが充満しないで済んだが…仕方ないな。自分の部屋に居ろ。俺は屋根に上ってほとぼりが収まるまで待つ」
 窓に足をかけた時、さっきまで聞こえてきた声が段々と薄れていった。窓を開けて下を確認すると、近所の人たちは何もなかったかのように、自分の行動を不思議とも思わずにそれぞれの家に帰ってゆく。
「……やっぱり、変なの」
「…?」
 バダップさんが壁を伝って床に座る。わたしは窓から手を離しバダップさんの隣に腰を下ろし、バダップさんに、「魔法みたい」と言う。バダップさんは「この世は魔法だらけだと知らないのは君のような一般市民だけだろう。軍人はこの世が魔法だらけだと知っているぞ」と額の汗を拭いた。
 一息ついたところでバダップさんは立ち上がり弟の部屋を出る。バダップさんの背中を追いかけて、階段を下りている背中に手を伸ばし、深緑の軍服を掴んだ。
「ガスは、もう大丈夫なの?」
「………。」
 バダップさんは黙り、そして見下ろすのだ、冷たい目で、わたしを。そしてそのあと、優しい目をした。
「ああ。もう心配はいらない」
 わたしは返す言葉がない、みつからなかった。掴んだ服を離し、離れていくバダップさんの背中を見つめる。
 怪物から二度も助けてくれたバダップさんは、どこかこの世界ではない人のようなそんな香りがした。特別な香りだ。雰囲気とでもいったほうがいいのだろうか。とにかく、バダップさんはこの世界では浮いているような、そんな風に見え、感じるのだ。
「二度も助けてくれましたよね」
 バダップさんは振り返らない。
「王子様みたい」
「……漫画の読みすぎだ」
 バダップさんはついに振り返らなかった。
 リビングに赴くと、さきほどの銃弾の跡は消え、ナイフも消え、そして影も消えていた。沈黙が続く夜に、一人になったような、そんな気がして、この世界にいるのはわたしと、もう一人バダップさんだと、そんな風に思った。