南部プラネタリウム | ナノ


「じゃあ一時間後またここに集合ね」と、一番大きいデパートの出入り口でわたし達は手を振り互いの目的のものに向かって進んでいった。ありったけの洋服をレジにあるかわいい袋に入れ、アクセサリーや雑貨ももちろんいただいて、食品売り場で飲めそうな飲料水を袋に詰め込んで満足した直後、存在を忘れていた時間を思い出し左ポケットにある携帯電話で時間を確認すると一気にわたしの顔は青ざめた。
 16:37と表示してある数字とここについた時間を考えれば軽く三時間は過ぎていたのだった。即座に友人に詫びの言葉と帰らないよう引きとめておく言葉を伝えるために電話をかけたが、何回コールしても友人は出ない。
 さすがにおかしいと思った時にはもう出入り口に近づいていた。もしかしたら待っているかもしれないし、違うお店でなにか見ているかもしれないと、首を忙しく左右に動かすが、友人の姿はどこにもない。
 そして最後に、まずいかも、と身の危険を感じた。夏だけれども、この大きなデパートにいるのはわたし一人だけなのだ、きっと。だからか、この大きな空間がなにかの監獄のようにしか思えなくなってきて、ついにわたしは今更になって身の危険を感じてきたのだった。
 連絡がつかないとはいえ、もう怒って帰って行ったのかもしれないしと、自分にだけ都合のいいように言い訳を考えて出入り口付近にまで歩いて行くが、念のためもう一度電話をかける。外はまだ十分に明るい。もう少し探そうかと振り返るが、静寂に包まれる大きなデパートの中へもう一度入って行こうとは思えなかった。
「(どこ行ったんだろう…)」
 携帯を片手に視線を横だけ移動させ、背後に細心の注意を払うが、探しに行こうとも、デパートの外に出ようとも、どちらも考えられずに、動かずに、今後の事を考えていた。生きてはいるだろうとは思うけれど、ここは閉鎖区域なのだから、危険か、危険じゃないかと問われれば、誰もが危険というだろう。一旦外に出て、もう一度電話をかけよう、と一歩足を出した瞬間、空に大きな雲が現れたのか、天井がガラス張りになりデパートを照らしていた陽の光が雲によって隠れた。そして、暑かった気温は一気に冷める。
 ああ、これは。と天井を見上げると、やはり雲があって影が出来ているようだった。しかしこの寒さは何だろうか冷や汗をうっすらとにじみ出るのを感じ握り拳を作り、踏み出した足を下げると、影の中から、白く、人間の形をしているが、していない、顔には黒くぽっかりと空いた目と、だらしなく空いている口に、そぎ落とされたのかと思われる鼻、そして白く、骨のない体が影の中から現れた。
「な、なにコレ」
 わたしが一歩一歩と逃げるように後ろへ引いていく。白いものはわたしは引いていくに合わせてこちらへ歩いてくる。
 わたしは死ぬ。目を瞑ったその瞬間だった。後ろから手を引かれ、
「全力で走れ!」という聞き覚えのある声に顔をあげると、やはり、そうだった。
「スリードさん」
 スリードさんに手を引かれ、動いていないエスカレーターを一気に駆け上がり息一つ乱していないスリードさんは「スタッフルーム」とかかれたドアを開き、もう少し先へ進んでいくと、ひとつの部屋があった。部屋に近づくにつれ、わたしの足も限界だったようだ。足がもつれてつま先からスリードさんに向かって倒れていく。
 スリードさんは振り返りわたしを支えてくれた。「ここならもう安全だ」
「きっ、昨日ぶりです!」
 拍子抜けしたスリードさんは小さなため息を吐いてわたしの背中を押した




「さっきの化け物は『アレグリ』という。普段は隠れていて大人しいが腹が減ったら影から這い出てきて動くものすべてを食いつくす習性がある。影から出るといっても、別に陽の光が苦手なわけじゃない。それにライオンやチーターのように警戒心などゼロに近いからかどんなものにでも立ち向かっていく。…とてもじゃないが俺だってアレグリを回避して戦場を生きてきたのだから回避する術は知っていても、殺す術はわからない。アレグリに遭遇したら逃げろ、いいか、わかったか」
 スリードさんの言うことを半分理解し、半分まだ謎のままでいる。
「は…はあ」返事はするもののわたしの顔には「理解できていません」と書かれているようで、スリードさんは眉を下げて「なぜここに?」という。
「あっ!」忘れていた友人の事を思い出し携帯の画面を確認するが、友人からの着信はなかった。
「…スリードさん、実はわたしの友達も一緒にきてるんだけど連絡がつかないの。何度も電話しても出てくれなくて…。わたしが約束の一時間を守らなかったらなんだけど、それがいけなかったんだけど…」
「……、いや、守らなくてよかった」
「え?」
「…君の友人はアレグリに食われたんだろう、まだ説明していない習性のうち、アレグリは、腹を空かして食べ物を食べ始めると満足のいくまで食い荒らす。ここの一階にある食品売り場はみたか?肉や魚はなくなっていただろう?店の端から端まで、アレグリ、ただ一頭の仕業だ。幸いグループ化はしていないようだが…」
「え、待って、ちょっと待って、ちょっと、待って、」
「なんだ」
「それじゃあ……、死んだってこと…?」
「言い方を変えればそうなる。食われて、死んだ。」
 スリードさんは息を吐いた。
「今日は出歩かないほうがいい。夜になってしまったらこのデパートのアレグリだけじゃなく外にいるアレグリにも襲われるだろうな。ここにいるのが一番安全だ」
「ごめんなさい、わたしちょっとよく、理解できてなくて」
「…無理もない。いきなりの事で混乱する気持ちはわかる。俺は少し外に出てくるが、君は絶対にここから離れるな。離れたら死ぬと思ったほうがいい、アレグリに食われるぞ」

 「アレグリ」と呼ばれるあの生物は動物を主食とする。影の中から現れる。陽の光が苦手なわけでもない。お母さんになんて言おう、友人の家に泊まる、と言っても、その友人がアレグリに殺されているのだから言い訳も何にも「言い訳」になど使えるわけがなかった。きっとわたしは責められる。わたしのせいではない、アレグリのせいなのに。
「(死んだって…)」
 アレグリに、食べられて。

 友人の一生は今日のうちに一瞬で消えた。進む道は違えども、小学生のころから「一生親友」を掲げ、大学に進学した今、いや…ほんの少し前まで「一生親友」だったのだ。死んでしまったものは二度と生き返ってはこない。それは友人も同じ条件で、もちろんわたしもそうだ。
「軍人と一緒にいるなんて信じられない」と今にでもメールが送られてきそうなのに、友人は死んでしまったのだ。
 わたしは遅れてくることでアレグリに食べられずに済んで生きていられる。
「ミサイルだなんてイマイチ実感できないよねえ」と友人は隣町、つまりここにミサイルが落とされたことを「実感できない」と言葉にした。わたしはこの時、友人よりかは実感していたろう。しかし、今はわたしは実感し、友人の内に秘めていたものがなんとなく見えてきていた。
「すまない」
 スリードさんが戻ってきた。振り返って「おかえりなさい」と言うと、スリードさんはかしこまらなくていいと、軍人とは思えない台詞を言ってきたのでわたしは少なからず驚いた。けれどもこれがスリードさんなりと励まし方なのだとわかると、ホッとして、うん、と一言で返す。
「忘れていたが、君の名前は何という」
「わたし?わたしは名前、苗字は名字」
「…そうか、名前、か」
 スリードさんは一瞬驚いたように目を開いたが、直後に目を細めてわたしの名を口にした。それに違和感を感じたが、その場の空気に合わせようと笑みを作ると、スリードさんはドアのほうに振り向きそうしてもう一度わたしを見る。この行動は一体なんだと「な、なにですか」と強張らせながら問うと、スリードさんは
「ひとつ、言っていなかったことがある」という。
「はあ」
「名前はバダップ。バダップ・スリードだ。昨日に続き、今日も、そしてここで再開するとは何かの縁だ。しっかり君を家まで送り届けよう」
 スリードさん、ではなく、バダップさんは昨日わたしに貸してくれた上着を脱ぎ、白いTシャツになってソファーに座り込んだ。
「名前、きみは自分が生きていることに感謝せねばならない。今日も、昨日も、一昨日も、死んだ者はたくさんいる。アレグリに食べられれば、ミサイルに撃たれて死ぬ者も、餓死で息絶えると思ったら病気を運ぶ蚊に刺され蝕まれていることを知らずに風邪やただの体調不良だと勘違いして死ぬ子ども、大人、老人がいる。今日のきみの友人の出来事で実感できたろう。生きていることに感謝せねばならない。こうして、目の前にいる人物がどんな者であろうとも、生きていること、それだけに意味がある。」