南部プラネタリウム | ナノ


「奇怪獣との戦闘は、終わりが見えない」サイコウジは名前を見た。名前は先ほど、鼻血が出てしまったので、まあ、まったく締まりのない、鼻にティッシュを詰めたまま頷いていた。「奇怪獣は、最初のころよりももっと丈夫で、武器も、形も、能力も、すべてのレベルが違うと思います。同じ形状の奇怪獣もいません……」そこで口を閉じた。
「戦えてはいます。いますが、数が足りません。一機だけでは、いつ戦いにガタがくるのか。正直……、無理だと思います」
「しかし、負傷者はこれ以上増やすことはできない。一機だけでやるのだ。それにお前も……、複数の感覚を持つことになるのだぞ。わかっているのか」
「……わかっては、います。で、でも…」
 これでは。そこで名前は口を閉じる。感覚がつながっていると聞いた。何を考えているのかも、心臓の音も、パイロットと名前は繋がるのだ、お互いに。パイロットたちは何を思うのだろう。何を感じるのだろう。彼たちが彼女たちが見た世界は、みた宇宙とはどんなものだったのだろう。
 ヘリの音が聞こえる。新しいパイロット候補者なのか、それとも武器か、食料か。武器や食料はないか、船で送られてくるはずだ。ともなれば新しい候補者だろう。
 知識と感情とは相対して敵対するものなのだと思っている。対しての気持ちはぶつかりあうのだ。俺のほかにも数々の候補者がこの会議に参加していた。みな、だまっている。名前の鼻に詰めているティッシュがだんだんと赤の面積が勝ち始めていて、彼女もそれをきにするようだった。咳もしている、「んっ、んっ」とのどを整えているようなので、鼻血がそこに回り始めたのだろう。
「私が」サイコウジが声を上げた。
「奇怪獣の研究を進めている、一研究者なのはここにいる皆、知っているだろう。そこで提案があるのだ」上層部は目を光らせた。ある者は「西光寺」と名を呼んだ。
「奇怪獣のソースを体内に入れたいものはいないだろうか?」
 机の上が力強い音で響き渡った。腕を机に預けていた俺は、振動によって腕を浮かせる。「そうすれば、再生能力も備わり、生存確率も増える。君たちは人間の形を保てるぞ」
 名前はサイコウジを見上げた。「それをきっと、彼女も願っています」幸いなのか不幸なのか、俺は、何も知らされていなかった。候補者たちは皆、サイコウジを見上げている、何か期待を抱いた瞳を彼に向けているものもいれば、彼女をただじっと見ているものもいた。
「そうだろう?名前?」サイコウジと名前は見つめ合う。名前は口を閉じたままだった。
「答えなさい、名前」
「………もしかしたら、そのまま死ぬのに?本来の仕事も果たせないまま、人間でないまま、人の言葉も話せないまま、人のカタチに戻れないまま、記憶を失うまま、大切な人とお別れしたまま、涙も流せないまま、助けてとも言えないまま、ごめんなさいもできないまま、頑張っても言えないまま、幸せになりたかったと願えないまま、悲しいことすらも幸せなことすらも、思い出せないまま?わたしは、普通の人がこの苦痛に耐えられるなんて思えません」

「人間のままでいるのが、いいかと」
 名前は涙を流していたが、声は凛としていた。「わたしは」決意を固めた瞳は、サイコウジを掠る。左肩をピクリと上げたサイコウジは、そのまま、ジャケットをあげて、そのまま、銃口は名前に向けた。
「やめろ!!」サイコウジに向かって駆けて、ジャケットをつかむ。しかし俺の力では、サイコウジはどうにもできなかった。鋭い音が会議室を支配し、飛び散った血は白い机と、白い床と、白い壁に飛び散り、下へ垂れていく。サイコウジを押しのけて名前に覆いかぶさった。目を抑えた名前は床に、完全に体を預けていた。目と、脳と、首を、やられている。「なんてことを」少将は立ち上がり、サイコウジをにらみつける。
「死ぬとでも?」候補者たちはサイコウジの腕や体をつかみ、ハンドガンを奪い取った。「彼女は死にませんよ。一日もあれば回復しますからご安心を。この死なない永遠の体を欲しいものがいれば私の部屋に来るといい。いきなりのネグリーのソースには勝てないが、他の奇怪獣のソース入れ、少しずつであればネグリーのソースに耐性を持てることがわかったのだ。今はまだ奇怪獣との戦争は始まったばかりだ、この後何年も何百年も続くこの戦争に勝利できるのは、奇怪獣のソースが必要だ、そうとわかれば、何をするかなど明白だ!!」
「あ゛  あ、あっ……がっ… あ゛ ああ、あ」喉を撃たれている。思うようには話せないようだが、意識はあった。名前は口を開けたまま、ずっと、同じように繰り返していた。
「名前」
 胸に手をのせて、服をつかむ。そのあと俺は何も言えなかった。しゃべるなとも、名前を呼ぶことも、大丈夫だとも、なにも。







 候補者の中にはあの時、名前に弟の写真を持ったあの兵士がいた。もちろん、会議にも参加していた。あの兵士も、まだ、あんな人間でも、名前にかかわった人物としても兵士の腕としても、買われたのだ。兵士として。
 俺も兵士として、名前とかかわった兵士として。
 今、何をすればいいのだろうか。考えるのは名前のことのみ。その他のことはなにも考えられない。あの姿も、必死で何かを喋ろうとしていた姿も、すべてが壊れてしまっていた。人間なら死んでいたのに、あの姿になってもまだ意識も、声も、心臓も動いていた、それは、奇怪獣のソースを身体にあるから、だから、俺は、何をすることもできなかったし、声をかけることも、目を向けることも、なにもできなかった、何も、彼女のために、なにかを、したかったのは確かだったのだが、それを実行する、確実なものが、俺の中には何もなくて、ただひたすら、暗い思考を見つめているだけで、何をするわけでもなく、黒い思考の中、ドクドクと脈打つ心臓の鼓動だけを感じていただけ、生きていることだけを安心しながら、そのことに俺はおびえていた、確かに、
 奇怪獣のソースを入れて、ネグリーのソースを入れれば、俺もきっと、ああして永遠になるのだろうか、そうしたら、おれは
―――コンコン
 控えめなノックで、顔を上げる。「……はい」扉を開けた。
「バダップくん」「こんにちは」「あら、ひどい隈」「どうしたの?寝れていないの?昨日って会議だけだったよね?」「あの、返事くらいちょうだい?」「バダップくん、つらいのね」俺の手を握る。あたたかい、知っている人間のあたたかさだった。
「だまれ」
「え?」
「彼女の気も、知らないで、のこのこやってきて、何様のつもりなんだ」
「………様子が変だわ、医務室に行きましょうバダップくん、理由も文句も全部後で聞くわ。いまだけは私の言う通りにしてちょうだい」
 エスカバやミストレなら今ここで俺を怒鳴るか、頭を殴っていただろう。特にミストレだったら「女性に対しての口の利き方じゃない」というだろうと思う。彼も、彼女に対して相当な口の利き方だったのも関わらず、自分のことは棚に上げて。「バダップくんお願い」
「バダップくん」
 よくも、彼女の気も知らないでのこのこぬけぬけと俺の手を握りやがって。手を握り返す。
 バタバタと多人数の足音が聞こえた。俺のほうへ向かっているものらしかった。女と手を握り合ったまま自室を出て、兵士たちを見る。
「名字少尉はどこに」
「……なにがあった」
「姿が見えません、脱走したかと思われています」
「脱走だと?」
「研究者を10名ほど殺害し、研究室を出ています」
「サイコウジ殿は」
「……計画の候補者の研究で席を外しておりました。今、ちょうど動いております。あなたなら何か知っているのではないかと、西光寺大佐が……」
「ここには来ていない。この基地は海に面している、逃げるというのは考えにくい、どこかに身を潜めているはずだ。俺も探す」
「バダップくんちょっとまって、あなたは医務室に行くべきよ!衰弱しているじゃない、私にはわかるわ、早くいくべきだって、休むべきなの」
「君には彼女がわかるのか?今どんな気持ちなのかわかるのか?あんなに戦いに怯えて肩を震わす彼女が、静止を振り払って研究者を殺し、この基地を脱走を図るその気持ちを、君はわかるのか?怖いからとか恐怖の気持ちでは、言葉にできていないんだよ、その気持ちの底から、勇気を振り絞って立ち上がった名前の気持ちを、君は」
 俺にもわかっていなかった。ただ、目の前にいる女に対して、自分の問いと気持ちをいっぺんにぶつけていただけだ。自分の気持ちを整理するように、どうにかして今の気持ちを言葉にできるように。
「………すまなかった」






 基地内にはどこにもいない。この広大な基地の中にいないということは外だろうか。しかし、基地のどこかにまだいるかもしれない。
 名前を捜索して二時間が経とうとしていた。候補者や研究者、数名の兵士が名前を探しているのにも関わらず、どこにも出てこない。みつからない。目撃もされていない。サイコウジはどこかあてがあるのではないか思い研究室をノックした。
「見つかったかい」扉を開けたサイコウジは微笑む。「いえ」視線を下に向ける。「主人の元へ帰ってきたからだよ」ホラ。サイコウジがその身を引くと、椅子に座った名前がそこにいた。「名前……」先ほどね、戻ってきたんだ。「名前。」俺のほうには振り向いてくれなかった。代わりにサイコウジが彼女の名を呼ぶと、ゆっくりと首を動かして「はい」と返事をした。彼女に何があったのかは、きっと、サイコウジしか知らないのだろう。入りたまえ、サイコウジが俺を部屋に招き入れた。紅茶でいいかい、お菓子はこれしかないんだよ、俺は名前の斜め横に座り、彼女を見るが、俺の視線には一切目もくれない。丸いテーブルには紅茶と菓子と、USBメモリが用意されていた。
「名前は自分の意識を保つことが難しくなっている。薬を用意しているんだが、切れてしまうと、殺意衝動に陥ってしまって、止めることが難しいんだ。彼女を止める方法はただ一つさ、僕がいなければいけないということだ。僕も奇怪獣のソースを入れているからね、この世界で二人目の。彼女は奇怪獣を殺すことができないんだ。だから、」
「彼女を止めることができる、奇怪獣を作ろうと思ったんだ。でもね、それを彼女を拒否してこんなことになってしまったんだ。……なぜ、僕が、君に、こんな話をしているか、わかるかい?」
「いえ、まったく、わかりません……」
「君だけが、彼女を理解してくれるからだ。ほかのだれもわからなかった、この僕でさえわからない彼女の気持ちを」

「西光寺さん」

 彼女が口を開いた。


「もうやめてください」
「もうひどいことしないで」
「もういたいことはいやだ」
「わたしは」
「わたしは人を守るために作られた道具」
「わたしは」
「わたしハ」
「戻りたいの」
「戻りたいの、幸せだったあの頃に」
「家族で一緒に入れる時間をまた」
「戻りたいノ」
「ワタしハ」
「わたしは誰かの幸せを守りたいんじゃない」
「だれカにまもラれタイの」